4-049. 嵐の後の大嵐
「いやぁ、ごめんね! 本当にごめんっ」
オペラ会館での騒動が落ち着いた後。
会館の向かいにあるホテルのホールで、トルマーリが俺に平謝りしている。
「劇のラストに英雄とのキスシーンがあって、私ったらそのノリで気持ちが昂っちゃって」
「……いい迷惑だよ」
俺は隣に立つネフラの横顔を見つつ、彼女が怒っていることを肌で感じていた。
「ネフラ、観客の避難誘導ご苦労だったな」
「……」
「ネフラ?」
「……」
露骨に無視されてしまっている。
トルマーリとのキスシーンを見せられて、相当お冠のようだ。
あのキスは事故のようなものなのに……。
だから許してくれ、とはあまりにも都合の良い言い訳か。
「ネフラ。そんなしかめっ面してると可愛い顔が台無しよ?」
「……誰のせいだか」
トルマーリが話しかけると、ネフラが不貞腐れた顔で口を開いた。
「あんた達、まだそんな微妙な関係なわけ?」
「な、なんだよ。微妙な関係って!?」
トルマーリが俺に詰め寄ってきた。
その顔は不満に満ちている。
「ジルコ、いいかげんにしなさいよね!?」
「えぇっ!? なんで俺が怒られるんだ」
「ヴァーチュで会ってから一ヵ月以上! あなた、男として恥ずかしくないの!?」
「な、なんの話だ!?」
トルマーリが俺に突っかかるのをネフラが顔を真っ赤にして止めに入った。
「も、もういいから、トルマーリッ」
「よかないわ。こういう優柔不断な男はね――」
「も、もういいってばっ!」
ネフラが慌ててトルマーリの口を塞ぐ。
二人はそのまま俺から離れて、ホールの隅で何やら口論し始めた。
……優柔不断、ね。
まぁ、それは自分でもわかっているのだが。
「過去を忘れるのは難しい……」
不意にあいつを思い出して、独り言ちてしまった。
「どんな過去かしら?」
「どわぁっ!?」
背後からヴェニンカーサ伯爵夫人に話しかけられて、俺は飛び跳ねてしまった。
「あらあら。あれだけ立ち回ったのに元気のよろしいこと」
とっさに飛び退いた俺を、伯爵夫人はくすくすと笑う。
屈託のない笑顔は素敵だが、俺が気づかぬうちに背後に近づいてくるなんて。
俺としたことが……気が抜けていたのか?
「あっちで帝国兵の方があなたをお呼びよ」
「またですか? 事情聴取は先ほど済ませましたが」
「捕らえた賊との面通しをさせたいそうよ」
「面通しですか。なんでわざわざ?」
「さぁ。とにもかくにも行って差し上げて。この区画の兵士様方には、わたくしもお世話になっていますから」
「はい……」
俺は渋々ながら了承した。
帝国の兵士は相変わらず高圧的で、できればもう会話もしたくないのだが……。
伯爵夫人の頼みであれば仕方ない。
◇
俺を待っていた帝国兵は、フルフェイスの兜に角が一本立っていた。
そいつに指先でついてこいと合図され、ホテルの外に停まっている装甲馬車まで連れて行かれた。
帝国では、犯罪者の身柄は檻の積まれた頑強な車体に入れられて、監獄まで移送される。
しかも、檻の鍵は別ルートで兵士が監獄まで届けるというから徹底している。
さすがは竜の胃袋と呼ばれる監獄だ。
一度捕まれば脱走不可能と言われるだけのことはある。
「なんでわざわざ俺に面通しを?」
「貴様は海峡都市から〈ハイエナ〉を追ってきたのだろう。暗殺者どもがその仲間の可能性を考慮してのことだ」
「まさか俺ごと監獄に運ぶ気じゃないだろうな」
「そうされたくなければさっさと乗れ!」
装甲馬車の扉が開かれるや、俺は兵士に背中を押されて半ば無理やり車内へと押し込まれた。
車内はランプで照らされており、思いのほか明るい。
檻は小さいものが四つあり、そのうちの二つに小柄な人物が囚われていた。
二人は仮面も赤いローブも引き剥がされ、ほとんど裸の状態でへたり込んでいたが、その顔を見て俺は驚いた。
「あっ! お前達……!?」
「知っている顔だったか」
「ああ。だけど、この二人は〈ハイエナ〉じゃない」
檻の中に俺が見たのは、桃色の髪の双子の少女。
帝都に来た翌日、俺がたまたま訪れた竜聖庁系列の教会で出会った助祭の少女達だった。
名前は確か――
「ハクトウにハクオウ、だったな?」
――俺が声をかけるや、双子の一方が鉄格子へと掴みかかった。
「異教徒め! 父の仇め! 死ね、死ねっ!!」
彼女はハクトウなのか、ハクオウなのか、どっちなのかはわからない。
ただ、顔半分が青く腫れあがっていることから察するに、どうやら俺が試作宝飾銃で殴りつけた方らしい。
綺麗な顔をこんなにしてしまって、俺は申し訳なく思った。
……と、賊に同情は禁物だ。
父、というのはおそらく俺が撃った黒い奴のことだろう。
察するに、その正体は神父として俺を出迎えたゲイリーという陰気な男か。
「うるさいぞ、黙れっ」
「ぎゃっ!」
騒ぎ立てる彼女を兵士が剣の鞘で突き飛ばした。
「げほっ、げほっ」
みぞおちに命中したようで、彼女は息苦しそうに悶えている。
隣の檻に入れられていたもう一人の少女は、それを見てすっかり怯えてしまっている。
彼女の方は脇腹に痛々しい光線痕が残っているな。
二人とも捕まってから応急処置すら受けていないようだ。
「おい。女性に乱暴なことをするな!」
「黙れ! 貴様、犯罪者の肩を持つのか?」
「そんなつもりはない。ただ、捕虜にも人権ってもんがあるだろう」
「こいつらクズに人権などあるものか。監獄では知っていることを洗いざらい吐かせるために、地獄のような拷問が待っているしな!」
言いながら、兵士が鉄格子を蹴った。
それに驚いた少女はビクッと身を震わせて、体を丸めてうつむいてしまう。
……酷い扱いだな。
俺は目の前の兵士を殴りつけたい衝動を抑えて、二人の素性を伝えた。
合わせて、路地裏で襲撃された件についても。
「貴様らが狙われた理由は?」
「知らない。路地裏で突然、襲撃されたんだ」
「貴様らの誰か、あるいは全員に、何者かから暗殺命令が出ていたのかもな。何にせよその教会は調べさせる」
「竜聖庁から殺されるような恨みを買った覚えはないんだけどな」
「殺し屋が司祭と助祭に化けていたのだろうよ。貴様が教会に入った時、襲われてもおかしくなかったわけだ」
……確かにこの兵士の言う通りだ。
あの時、俺は宝飾銃を持っていなかったし、神父もこの二人も完全に教会の人間だと思っていた。
不意打ちを受けていたらきっと殺されていただろう。
なぜあの時、仕掛けてこなかったのか……?
「その神父とこの二人は偽名だろうが、監獄で絞られれば洗いざらい吐くだろう。もし依頼主がわかれば貴様にも伝えてやる」
その時、俺はふと頭によぎった疑問を尋ねてみた。
「なぁ。伯爵夫人てどういう立場の人なんだ?」
「帝国軍のヴェニンカーサ猛将伯を知らんのか。イシュタ様は、その猛将伯を支える懐の深い奥方なのだ」
「……猛将伯ねぇ」
聞いたことはないが、帝国兵にとっては凄い人物らしいな。
エル・ロワでいうところの五英傑ってところか。
きっと闇の時代、魔物の群れを相手に勇猛果敢に戦い抜いた人なのだろう。
「用は済んだ。さっさと降りろ!」
「……」
伯爵夫人のことはさておき、こいつへのムカつき加減はどうにも収まらない。
俺は兵士が背を向けた瞬間――
「ゴミがついてるから取ってやるよ」
――兜から伸びる角を掴んでへし折ってやった。
「ああっ!? き、貴様なんてことをぉっ!?」
「おっと。ゴミじゃなくて尖がった角だったな。危ないから処分しておけよ」
ぽいっと角を放り投げ、俺は車体から降りた。
外に出るや、車中から身を乗り出した兵士が俺に恨み節を投げかけてくる。
「こんな真似をしてタダで済むと思うなよ!? 貴様は帝国の装備を破壊し――」
「へぇ。天下の帝国兵様は、街中で油断して大事な角を折られましたってお偉方に泣きつくんだなぁ?」
「ぐぬっ! き、貴様……っ」
「角が生えていないと一般兵と区別つかないけど、あんた隊長さんかい?」
「去れっ! さっさと去れっ!!」
……してやったり。
体裁を気にする帝国兵の扱い方は、案外簡単かもな。
◇
それから俺達は馬車に乗って伯爵邸への帰路に着いた。
ネフラはトルマーリと何かいろいろ話をしていたが、最後には彼女に励まされるような言葉を贈られていた。
帰りの馬車では、刺々しい態度も柔らかくなっていてホッとする。
トルマーリは別れ際、また自分の劇を観に来てほしいと言ってきた。
次の公演はエル・ロワに戻って、王都で行われるらしい。
彼女には行けたら行く、という曖昧な返事をしておいたが――
『きっとまた会えるわ。またね、ジルコ』
――と言われて、まんざらでもない気持ちになった。
次があるとしても、あんな騒ぎの中で会うのだけはごめんだけどな。
……伯爵邸に着いた後。
会館での事件を伝え聞いていたデュプーリクとキャッタンに詰め寄られた。
ヘリオはまだ部屋で寝たきりだった。
その後も〈ハイエナ〉襲撃の気配はなく、一日が静かに過ぎていった。
◇
……翌日。
俺はふかふかのベッドから起き上がるや、窓を開けて日光を浴びた。
「清々しい朝だっ!」
俺はこんな晴れやかな気分で目を覚ましたのが久しぶりで、思わず外に向かって叫んでしまった。
ここ最近、野宿やら粗悪なベッドの安宿やらで寝泊りしてきた。
その反動か、伯爵邸で使われているベッドにすっかり惚れこんでしまったのだ。
伯爵夫人が許してくれるなら、〈ハイエナ〉を捕まえるまではこの屋敷を拠点にしたいくらいだ。
そんなことを考えていると――
「んっ!?」
――窓の外を眺めている俺に、どこからともなく現れたハエがまとわりついてきた。
「な、なんだこいつっ!?」
俺が手で振り払おうとすると、ハエはそのまま中庭へと飛んで行ってしまった。
伯爵邸のような掃除の行き届いた場所にハエが現れるとは、妙だな……。
もしや、番犬が屋敷のそばで粗相でもしたのかと窓から辺りを探っていると――
「ジルコ様。お食事の用意ができましたので、食堂へどうぞ」
――廊下からメイドの声が聞こえてきた。
◇
装備を整えて、俺は食堂へと向かった。
右足には試作宝飾銃、左足には改造コルク銃。
防刃コートの下には投擲用ナイフを忍ばせ、ワイヤー付き手袋も忘れずに。
普段生活するにも、やっぱりこの装備でないと落ちつかない。
そんな気持ちで食堂へと足を踏み入れると――
「遅いぞ、ジルコ!」
「先にいただいていますよ、ジルコさん」
――デュプーリクとキャッタンが美味しそうに肉を頬張っている姿を見せつけられた。
……朝から豪勢なものを食べているじゃないか。
「ジルコくん、こっち」
俺はネフラに手招きされ、彼女の隣の席へと腰かけた。
すると、すぐにメイドが食事を運んできてくれた。
肉汁が湧き出るような美しいリブロースステーキが一枚、皿に乗っている。
他には、香しいコーンスープに、スモールサラダの小皿。
……腹の虫が急に鳴きだした。
「冒険者は体が資本でしょう? それで満足いただけると良いのだけれど」
にこやかなほほ笑みと共に伯爵夫人が言った。
どうやら俺達のために特別なメニューを出してくれているらしい。
食客として置いてもらっている身だということを俺はひしひしと感じた。
とは言え、せっかくの料理なんだから遠慮なくいただこう。
俺がフォークとナイフを手に取った瞬間――
「キャーッ!」
「だ、誰かぁーっ!!」
――突然、屋敷の外からメイド達の悲鳴が聞こえてきた。
「おいおい〈ハイエナ〉かぁ!?」
「伯爵夫人、すぐに避難してくださいっ」
「ジルコくん、迎撃しなきゃ!」
「マジかよ……」
俺が食事に口をつけようとした瞬間、襲撃だと!?
こんな理不尽、許せるかっ!
「〈ハイエナ〉の奴ら、ぶっ潰してやるっ!!」
俺が怒りに燃えて屋敷の外へ躍り出ると、そこには――
「ジルコ! あなた、いつまでこの私との約束を放置するつもり!?」
――クリスタの姿があった。
「く、クリスタァッ!?」
……ヤバい。
駅逓館の連絡掲示板に言伝を残すのをすっかり忘れていた。
彼女はあからさまに不機嫌そうな顔で俺を睨みつけている。
「クリスタリオス、よっ!」
ズカズカと詰め寄ってきたクリスタは、衆人環視の中――
「甲斐性のない男ね!!」
――思いきり俺の頬を張った。




