4-048. オペラ会館事変
音楽劇は静けさとけたたましさが混在した内容だった。
英雄がドラゴンを駆り、邪悪な神を打ち倒すという内容らしいが、タイトルがドラゴグ英雄物語、というのがあからさまなプロパガンダで寒気がする。
〈アブラメリンの旅団〉の後援者は、竜帝か、その近縁者かもしれない。
ステージ上では、トルマーリ――女優サリサによる歌唱が披露されている。
彼女はヒロインの聖女役だが、衣装も歌声も美しく素晴らしいと思う。
しかし、俺は彼女の劇に集中できていない。
つい先日の暗殺者襲撃もあって、どうしても警戒してしまうのだ。
横を見ると、ネフラもヴェニンカーサ伯爵夫人も、うっとりとした眼差しでステージを見入っている。
二人ともすっかり音楽劇に夢中のようだ。
……結局、劇中におかしなことは何も起こらず、第一幕が終わった。
俺の杞憂だったのだろうか。
◇
第一幕の公演時間は60分。
俺はその間、ずっと気を張っていて疲れてしまった。
「ネフラ様は音楽劇は初めてだったわね。いかがでしたか?」
「とても感激しました。女優さんの声があんなに館内に響き渡るとは思いもしなかったです!」
幕間の休憩時間が始まってからこっち、ネフラは俺に見向きもせず伯爵夫人と音楽劇について語らっていた。
俺の気も知らないでずいぶん楽しんでいるな。
……とは言えない。
休憩時間は30分ほどもある。
第一幕と第二幕で、それぞれ60分ずつ計120分の劇らしいが、ずいぶんと休憩時間が長いものだ。
出演者の声を休めるにはそのくらいの時間が必要ということだろうか。
「ジルコ様はいかがでしたか? あなたも初めてでしょう」
「え? ええ、まぁ、こんな場所で劇を見るのは初めてです。聖女役の女優がとても綺麗でしたね」
言った直後、ネフラに軽く脇腹を小突かれた。
「そうおっしゃる割には、あまり劇に集中されていなかったようですわね?」
「えっ」
バレてる……。
俺が周囲の様子をうかがっていたのを見られていたのか。
「館内の警備を見たでしょう? さすがの〈ハイエナ〉もここでは襲ってきませんよ。そもそも今の私は大した価値の宝石などつけておりませんし」
「まぁ、そうなんですが……」
伯爵夫人は誤解している。
俺が警戒しているのは〈ハイエナ〉ではなく先日現れた路地裏の暗殺者だ。
あの時は撃退することができたが、一度の暗殺失敗で諦めてくれるかは怪しい。
次の襲撃があるとすれば、薄暗い館内は最適だと思うのだが……。
◇
休憩時間は何事もなく終わり、第二幕が始まった。
俺は伯爵夫人に注意されたこともあって、気を抜いて劇を観ることに努めた。
……開幕から数十分が経過し、物語は佳境を迎える。
楽団のド派手な演奏、ステージ上の俳優達の鬼気迫る演技。
俺はその雰囲気に引き込まれて、気持ちが昂って行くのを感じていた。
そして、劇中クライマックス。
ヒロインと共に英雄が邪神との決戦を迎えるシーンに差し掛かった時――
「ん?」
――ボックス席の天井に灯っていたランプの火が消えた。
「何、突然」
「油でも切れたのかしら?」
ネフラと伯爵夫人が不審がってランプを見上げた瞬間。
俺は真っ暗になったボックス席の窓から黒い影が覗くのを見た。
「……!」
その影は赤いフードの下に不気味な仮面をつけている。
……やっぱり出たな。
俺は手元にあった灰皿をそれに投げつけた。
影はすっと引っ込み、灰皿はステージに向かって飛んで行ってしまう。
「ジルコくん!?」
「何事です?」
後ろから殺気――
「伏せてっ!」
――俺はとっさにネフラの胸を押し飛ばし、伯爵夫人もろとも椅子から転倒させた。
直後、俺の背後――ボックス席の入り口から背中に何かを浴びせかけられた。
それが液体だとわかった瞬間、今度はそれが炎となって燃え上がる。
「うわちちっ!?」
ジャケットに火がつき、俺は上半身を襲う熱に耐えかねて、ボックスの窓から外へと飛び出した。
ここが二階席だと思い出したのは、階下へと落下する瞬間だった。
「うああああっ!」
俺は半分火だるまになりながら、真下にある客席へと墜落した。
ヒヤリとしたが、今回の公演では一般客席は無人だったため、俺以外の被害は出ずに済んだ。
さらに、落ちた拍子にジャケットが破れたのも幸いした。
おかげで大火傷を負うことは避けられたのだ。
しかし、その一方で客席には火が燃え移ってしまった。
……これ、俺の責任問題になるのか?
こうなったら、意地でも暗殺者を捕まえて帝国軍に突き出すしかない。
「くそっ! やってくれたな!?」
俺はホルスターに収めている試作宝飾銃のグリップを握って、二階のボックス席を見上げた。
だが、そこからは唖然としたネフラと伯爵夫人が見下ろしているだけ。
「あの野郎、どこいった!?」
視線を階下に戻して周囲をうかがう。
すると、客席の背もたれを足場にしてこちらに走り寄ってくる影があった。
その影は赤いローブに身を包んだ小柄な人物。
しかも、フードの下には忘れもしない不気味な仮面をつけている。
……間違いない、敵は路地裏の暗殺者だ。
「来やがったな!!」
そいつは右手にダガー、左手に液体の入ったガラス瓶を持っていた。
真正面から向かってきているが、俺にはそれが陽動だとわかる。
赤い奴は二人で一人を演じる二人組だった。
ボックス席でも窓側と入り口側から仕掛けてきたし、もう一人はどこかに息を殺して隠れているに違いない。
俺は試作宝飾銃の装填口を開き、宝石を押し込む。
試作品とはいえ、仕組みは完成品と同じ。
やや重量が重いのと、融通が利かないだけで、使い方に変わりはない。
「食らえっ」
赤い奴へ銃口を向けるのと同時に、真横から何かが飛んできた。
とっさに身を屈めて躱したが――
「手裏剣!?」
――俺が手裏剣に気を取られた隙に、赤い奴は俺との距離をギリギリまで詰めてきていた。
「ちぃっ!」
再度銃を向ける前に、そいつはガラス瓶だけを投げつけて退いていった。
……妙に引き際が良いな。
奴ら、宝飾銃は初めて見るはずなのに。
飛んできたガラス瓶を銃身で払い除けようとしたところ、思いのほか脆くて目の前で砕き割ってしまった。
そのせいで、俺は頭から得体の知れない液体を浴びるはめになった。
「……酒臭い。これは……蒸留酒か!?」
液体の正体に気づくと同時に、今度は火のついたマッチが飛んできた。
「ヤバいっ!!」
俺はすぐさま足元の背もたれを蹴り、間一髪でマッチを回避した。
しかし、客席に落ちたマッチは先に椅子を濡らしていた蒸留酒へと引火し、一気に燃え上がった。
「嘘だろ!?」
客席に並ぶ椅子が木製だからか、火はどんどん燃え広がっていく。
一階のボックス席は当然のこと、壁を伝って二階のボックス席にまで延焼していき、暗かった館内はすっかり明るくなってしまった。
貴族達の悲鳴もそこかしこから聞こえ始める。
「……もう賠償で済むレベルじゃねぇな、これ」
俺は客席の炎から逃れるため、ステージ上へと命からがら転がり込んだ。
振り返ると、客席をぴょんぴょん跳ねながら俺を追いかけてくるふたつの影が見える。
「小細工はお終いってことか」
ふたつの影はステージへと着地するや、左右の手にダガーを構えて俺へと詰め寄ってくる。
強烈な酒の臭いに鼻が曲がりそうになる中、俺は試作宝飾銃の用心金から指先を離した。
俺の銃は火薬を使うわけではないので、酒に引火することはない。
しかも、奴らは宝飾銃の存在は知らない。
今回はこちらが有利だ。
「ジルコ!?」
「えっ」
「ジルコ・ブレドウィナーじゃない!」
「トルマーリ……!」
ステージにはまだ俳優とトルマーリが残っていた。
「あなたねぇ! 劇を観に来てとは言ったけど、乱入してくれとは言っていないわよ!?」
「す、すまない。わけありで」
「見ればわかるわよ! なんとかしてちょうだいっ」
彼女は憤慨した面持ちで俺へと詰め寄ってくる。
間近で見て気づいたけど、思いのほか露出の多い衣装だ。
……って、そんなこと考えている場合じゃない!
「すぐにステージから降りろ!」
「舞台女優の私にステージを降りろって言うの!?」
「状況を考えろ! 今は――」
「きゃあっ!?」
……言っているそばから、トルマーリが赤い奴に組みつかれてしまった。
彼女の喉元にダガーが押し当てられ、早くも状況は最悪の事態に。
「銃を捨てろ」
初めて赤い奴の声を聞いた。
仮面の下から聞こえてくる声はくぐもっているが、女の声だ。
しかもかなり若い。
……ともすれば、本当に子供かもしれない。
「動けばこの女を殺す。銃を捨てなければ殺す。三秒以内に返答しなければ殺す」
「ちょっと待てよ!」
「待てない。待たない。早くしろ」
考える時間もない……。
俺は試作宝飾銃を足元に置いた。
「蹴り落とせ!」
「……デリケートな銃なんだ」
「殺すぞ!」
トルマーリの首に刃を押しつけられ、俺はやむなく相手の要求に従った。
つま先で小突いた試作宝飾銃は、そのままステージ下へと落ちて行く。
「これでいいだろう。彼女を離せ」
「……そんなことはしない」
「おいおい。要求に従ったんだぞ」
「関係ない」
「フェアじゃないな、帝都の殺し屋は」
「黙れ!」
赤い奴が俺に対して妙に感情的になっている。
離れた位置にいた片割れが寄ってきて、何やら耳打ちを始めた。
「……っ」
「……!」
どうやら感情的になった相棒を諫めているようだ。
俺は奴らの態度からピンとくるものがあった。
「なぁ、あの黒い奴はどうした?」
「黙れっ!」
「子守りがいないと暗殺もろくにできないのか。火をつけるような派手な真似しやがって」
「黙れと言ってるっ!」
……思った通りだ。
赤い奴が感情的になっているのは、前回の戦いで俺が黒い奴を倒したことに関係あるようだ。
暗殺任務で感情的になるなんて素人か?
それとも任務経験の少ない新米?
どちらにせよ、俺がつけ込む隙はそこしかない。
「教えが悪かったのかな。あの黒い奴も大したことなかったし」
「あの人を侮辱するな!」
「殺しの仕事なんてろくな死に方しないぞ。竜の神様にでも祈って罪を悔い改めたらどうだ。それともジエル教の方がいいか?」
「物質主義に穢れた俗物がぁっ!!」
激情に駆られた赤い奴が、トルマーリを押し倒して俺にダガーの切っ先を向けてくる。
……ありがたい!
俺は右手の指先から伸びているワイヤーを力いっぱい引っ張り、ステージ下から試作宝飾銃を引き上げた。
「備えあれば――」
さらに両手でワイヤーを握り、勢いをつけて振り上げる。
「――憂いなしってやつだ!」
ワイヤーを伝って振り抜かれた試作宝飾銃が、赤い奴の顔面へと直撃する。
仮面は粉々に砕け散り、衝撃で数m吹っ飛んだ奴はステージ下へ落ちて行った。
「!!」
それを見て、すぐに片割れが動きだした。
ステージ下へ落ちた相棒を追いかけて背中を見せた瞬間、俺は勝利を確信する。
「王手だ」
手元に回収した試作宝飾銃の引き金を、実に数年ぶりに引く。
装填口の内側で宝石を圧縮する音が聞こえた直後――
「ぎゃっ!」
――赤い奴の片割れを橙黄色の光線が貫いた。
片割れはステージに倒れるや、身もだえたまま立ち上がることはなかった。
「ジルコ・ブレドウィナー」
「トルマーリ」
煙が立ち込める中、トルマーリが俺へと歩み寄ってくる。
彼女は少々青ざめていたが、とりあえず怪我はないようで安心した。
「やってくれたわね」
「俺は自分の責任を果たしただけだよ」
「ふふふ。ときめかせてくれるじゃない」
「何の冗談――」
ホルスターに銃を戻した瞬間だった。
俺は完全に油断していた。
「――おぅふっ!?」
……唇を塞がれた。
眼前にあるトルマーリの顔は、潤んだ瞳で俺を見入っている。
直後、俺達へと拍手喝采が贈られてきた。
何かと思えば、ボックス席に残っていた貴族連中の仕業だった。
お前ら、拍手してないでさっさと逃げろよ!
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