4-043. ハイエナ狩りに向けて
〈くつろぎ亭〉に戻る頃には、日が暮れてしまっていた。
「おかえりなさい」
宿の軒先でネフラが俺を出迎えてくれた。
いつも通りリヒトハイムの民族衣装に身を包み、顔の血色も良くなっている。
普段と違うのは眼鏡をかけていないことだが――
「勝手に眼鏡を持っていくなんて酷い」
――俺から取り上げた眼鏡をかけて、よく見るネフラの姿に戻った。
彼女の笑顔を見ると今日の疲れも癒される。
「ふふ。その髭、似合わない」
「そう言うなよ」
俺は付け髭を取り、オールバックにしていた髪をもとに戻した。
燕尾服もさっさと着替えたいところだ。
「風邪はもういいのか?」
「うん。キャッタンが看病してくれてすっかり治ったみたい」
「よかったな」
「迷惑かけてごめんなさい」
申し訳なさそうに眉をひそめるネフラの頭を、俺はそっと撫でてやった。
彼女は気恥ずかしそうにしながらも素直に撫でられてくれた。
「もうすぐ夜だ。今日はもう休んで明日から調査を手伝ってくれ」
「もちろん!」
俺とネフラが宿に入ると、階段の前でキャッタンが腕を組んで待っていた。
その顔には不敵な笑みを浮かべながら……。
「これで全員戻りましたね」
「ヘリオも帰っているのか?」
「ええ。もう一人の大馬鹿もです」
「……デュプーリクのことか」
◇
その日の夜。
俺達はデュプーリクの部屋へと集まり、情報共有会議を行う手はずだった。
だが、その前にやるべきことがある。
「すまん。申し訳ない。許してくれ」
俺とネフラとヘリオが見守る中、デュプーリクは床に正座をさせられていた。
正面には、楽しそうな表情でベッドに腰かけているキャッタンの姿。
「昨日の夜から昼過ぎまで飲み明かした上、酔っぱらいながら戻ってきたと思ったら部屋で爆睡。帝都に着いて二日、まだ何の成果も出していない現状をどう思います? ねぇ、リーダーのデュプーリクさん?」
キャッタンのサドっ気が顔を出し、先ほどから言葉責めが続いている。
時折デュプーリクから助けを求める視線が飛んでくるが、俺はことごとくその視線を無視した。
「デューくん、本当に反省してます?」
「してます。ほんとにしてます。だから許してっ」
デュプーリクがたまらず正座を解こうとした瞬間――
「まだ解いちゃダメです!」
――キャッタンが怒鳴ってそれを静止した。
「そ、そんなぁ……。足が痺れてどうにかなっちまうよぉ」
「それが報いですよ。都を離れるといつも任務中にハメを外すんだから! 兵士長に怒られるのは私なんですからねっ!?」
……どうやらいつものことらしい。
これじゃキャッタンはデュプーリクのお目付け役だな。
デュプーリクのやつ、よく今まで懲戒を食らわずに済んだものだ。
「もう二度としない。本当だ、信じてくれ!」
「……その目。反省しているふりをしながら、心の中ではめんどくせぇなぁって思ってますよね?」
デュプーリクの顔が強張った。
どうやら図星を突かれたらしい。
その時、ネフラが手にした本をパラパラとめくり始めた。
「他人の心は読めない。反省の意を示すなら誠意ある態度で臨んでもらう――」
彼女はあるページで手を止め、見開きの本をデュプーリクの眼前へと突き出す。
「――このポーズが絶対的な反省の形。これで誠意が伝わる」
「……ネフラちゃん、マジでこんなポーズしろって言うの? そりゃないぜ!」
「マジで、言ってる」
「はい」
ネフラにジトリと睨まれ、デュプーリクは観念したかのようにそのポーズを取った。
正座のまま上半身を倒し、両手の指を合わせて三角の形で床につき、額を床へと押し当てる――
「ごめんなさい」
――噂に名高いドゲザポーズだ。
「こ、これがドゲザ! アマクニに伝わるという二大謝罪のひとつ……!?」
床に額をこすりつけるデュプーリクを見て、ヘリオが驚嘆の面持ちで言った。
アムアシア大陸の人間には馴染みのない姿勢だろう。
俺もルリから存在は聞いていたけど、お目にかかったのは初めてだ。
「あはは。なにこれ、気分いいわね」
キャッタンが乾いた笑みを浮かべながら、目の前でドゲザするデュプーリクの頭を足の裏でグリグリと踏みつけている。
……よっぽど腹に据えかねたんだろうな。
「ぐぐっ。キャッタン、お前あとで覚えてろよ……」
「あら? やっぱり反省してないようですね」
「嘘です。反省してます。許してください、キャッタンさん」
溜息をつくや、キャッタンはデュプーリクを引き起こした。
「今回の任務が終わるまでお酒禁止です! いいですね!?」
「へ~い」
「い、い、で、す、ね!?」
「はい」
ようやくお説教が終了。
デュプーリクは痺れる足を辛そうな顔で解いていく。
正座の姿勢も長時間経つとなかなかキツイお仕置きになるな……。
「ところで、二大謝罪のもうひとつは何なのですか?」
ヘリオがネフラへと尋ねている。
「知りたいの?」
「ぜひ」
「それは――」
ネフラが再び本をめくりだし、あるページで手を止めた。
「――セップク。腹を切ってお詫びの証とする、最上級の謝罪の儀」
それを聞いたヘリオが顔を引きつらせて反応に困っている。
許してもらうために死ぬなんて、なかなか考えつくものじゃない。
アマクニの文化にはたまに大陸の人間には理解できない風習があるよな……。
◇
それから会議へと移り、俺はさっそく今日あったことをみんなへと伝えた。
もちろん〈ハイエナ〉の連中と遭遇したことについてだ。
「はぁ~。帝都について早々〈ハイエナ〉と出くわすなんて……」
「まさか勇者展で顔を合わせるとは思ってもみなかったよ。あんな偶然ってあるんだな」
「凄いですよジルコさん! 見直しましたっ」
キャッタンが明るい笑顔で俺を褒めてくれる。
この子、いつの間にこんな柔らかい対応をしてくれるようになったんだ?
最初の顔合わせが最悪だっただけに、正直ちょっと意外だ。
「俺が会ったのは三人――魔導士、銃士、暗殺者だ。奴ら平然と街中を歩いているあたり、お尋ね者の自覚はないらしい」
「なんでそいつらの後をつけてアジトをつきとめなかったんだよ?」
「暗殺者がいたからな。下手な尾行は危険だ」
「ふん。なるほどな」
さすがにデュプーリクも納得してくれたか。
暗殺者のクラスはその特性上、勘の鋭い人間が多い。
もし単独で尾行に失敗したら、あの三人を同時に相手する事態になりかねなかったからな。
「そのユージーンという男、ジルコさんのことを思い出す可能性は?」
「……ある。そうなる前にこちらからアジトをつきとめて、奴らの身柄を押さえる必要があると思う」
「わ、私達だけでそれをやるつもりですか?」
キャッタンが思わぬ提案を受けて動揺している。
接触と戦闘は先遣隊の任務外ではあるものの、それも時と場合による。
もし俺のことを思い出されたら、海峡都市から〈ハイエナ〉を追ってきている者がいることを知られてしまう。
そうなれば、奴らは帝都から姿を消してしまうかもしれない。
競売品を取り戻すためにもそんな事態は避けたい。
「あいつらを捕まえるのに本隊の到着は待っていられない。俺達の存在に気づかれる前に確保するのがベストだ」
「こっちから攻め込むのはやぶさかじゃねぇけどさ。連中のアジトはわからないんだろ?」
「それが問題だな」
「その勇者ファンの女、また明日も勇者展に来ると思うか?」
「そこまで馬鹿じゃないと思うけど……」
……いや、どうかな。
キャスはそこまで馬鹿をしそうな気もするけど。
「ちょっとよろしいですか?――」
ヘリオが挙手して話に加わってきた。
「――駅逓館に立ち寄った後、教皇庁系列の教会に立ち寄ってみたのですが」
「えっ。帝都に竜聖庁以外の教会なんてあるのか?」
「ありますよ。ドラゴグは竜信仰が主流というだけで、他の宗教も認められていますから」
「……なるほど。話の腰を折ってすまない」
意外な事実を聞いて、つい口を挟んでしまった。
帝都には竜聖庁系列の教会しかないと思っていたけど、確かに竜信仰が国教ってわけじゃないんだよな。
「四日ほど前――僕達が帝都に着く一日半前――、ある男女が癒しの奇跡を頼りに訪ねてきたそうです」
「まさかそれが〈ハイエナ〉か?」
「教会で聞いた時にもしやと思っていましたが、ジルコさんの話で確信が持てました。その二人は〈ハイエナ〉で間違いないでしょう」
「そいつらの風貌は?」
「顔に包帯を巻いた大男と、ヴェールで顔を隠した女性です。大男は全身に焼けた棒切れを突き刺したような傷があり、その治療を依頼しにきたとか」
「焼けた棒切れ――ミスリル銃の光線痕か」
「おそらく。傷はすでに癒しの奇跡の痕跡があったそうですが、完治には至っていなかったようです」
「奴らも道中の町々で教会に立ち寄っていたってことか。でも、そんな話はぜんぜん聞かなかったのはなぜだ?」
「ジエル教の教理を学ぶ過程で破門される聖職者もいます。そういった者達ははぐれの聖職者として路傍での治癒を行い、食い扶持を稼ぐケースもあるんです。つまり――」
「そのはぐれ者から中途半端な治療を受けて、帝都まで傷が癒えなかった者をやむなく教会へと連れ込んだわけか」
「――でしょうね」
大男というのは、あの顔の崩れた剣闘士で間違いないだろう。
付き添いの女はキャスか。
「治療の際、教会の助祭が女性に聞かれたそうですよ。ヴェニンカーサ伯爵夫人の屋敷を知らないか、と」
「ヴェニンカーサ?」
聞いた覚えがある名前だな。
……誰だっけか?
「競売でジルコくんが連続で競り負けた人。宝石コレクターの」
「ああ! あの時の」
ネフラのフォローで思い出した。
俺がサルファー伯爵に頼まれていた宝石をことごとくかっさらっていった人だ。
競売でその財力を見て、〈ハイエナ〉に目を付けられたってことか。
「奴らの次の狙いはヴェニンカーサ伯爵邸か」
「〈ハイエナ〉は宝石狙いの盗賊団ということですし、その可能性が高いのではないかと」
ヘリオの言う通り、ヴェニンカーサ伯爵が狙われる可能性は高い。
奴らは呑気に帝都に滞在しているわけじゃなく、次の標的を探して市街を内偵していたのかもしれない。
「その伯爵のお屋敷なら、東市街の裕福層エリアにあったはずですよ」
「よぅし。明日一番でその屋敷を訪ねてみようぜ! 帝都の伯爵をお助けしたとなれば、警告するだけでも手柄になる。年俸アップも夢じゃねぇな!!」
「デューくん、そればっかりだね……」
キャッタンが引くほどデュプーリクに呆れている。
……俺もだ。
一方で、ネフラがじっと考え込んでいる。
「どうした?」
「ヴェニンカーサ伯爵へ事前に警告できれば、襲撃されても被害を抑えられる。でも、警備が厳重だと彼らが現れない可能性もある」
「そうだな。警戒された中リスクを冒して乗り込むほど、あのクチバシ男は馬鹿じゃないだろう」
「逆に、私達で〈ハイエナ〉を捕まえたいなら、伯爵邸に奴らが侵入するのを迎え撃つのがいい。でも、その場合は伯爵邸が戦場になるかも」
「被害を出さないことを優先するか、捕まえるチャンスを優先するか、どちらかひとつか……」
なかなか難しい選択だな。
不意に、俺はシリマから言われた言葉を思い出した――
『過去の積み重ねの果てに未来はある。日々の選択を誤るんじゃないよ』
――この選択もまた、俺の未来を形作る積み重ねだ。
ここまでやってきたけど、俺の未来は良い方へ向かっているのかね……?
「どうするの、ジルコくん?」
「ジルコさん、どうしましょう」
「私、ジルコさんの意見を聞きたいな」
「あのぅ……リーダーは俺なんですけど」
周りから色々な声が聞こえてきた後、俺は決断した。
「迎え撃とう! 借りを返すなら早い方がいい」
俺も冒険者の端くれだ。
どうせやるなら、ハイエナ狩りの方が性に合ってる。