4-038. 足並み揃わず!
薄暗い部屋の中で俺は目を覚ました。
硬い床の上に寝ていたせいですこぶる腰が痛い。
ベッドに寝ているネフラの顔を覗いてみると、すぅすぅと寝息を立てていた。
苦しそうな様子はない。
彼女の額に手を当てると平熱まで下がったのがわかる。
「峠は越えたか」
ネフラの容態が回復したようでホッとした。
俺は背伸びをしながら、隙間から太陽光が漏れてくる窓へと歩み寄った。
窓を開けると外から一気に太陽の日が差し込んでくる。
外はすっかり晴れて心地よい青空が広がっていた。
街路には人々が往来する姿が見られ、水溜まりを避けて通っている。
昨日の暴風雨がまるで夢だったかのようだ。
「わっ!?」
その時、ハエが一匹、俺の鼻元をかすめて外へ飛び出していった。
ずっと部屋の中にいたのか?
……まぁ平民向けの宿なんてこんなものか。
俺は飛び去って行くハエを見送った後、ネフラにポーションを飲ませてやった。
ポーションは昨晩にキャッタンが差し入れてくれたものだ。
昨日は宿に訪れて早々ドタバタしたが、部屋の組み分けは次のようになった。
キャッタンの一人部屋。
ヘリオとデュプーリクの相部屋。
そして、同じギルドということで俺とネフラの相部屋。
話し合う余地もなく、キャッタンが決めてしまったらしい。
「入りますよ」
……ちょうどキャッタンが部屋へと入ってきた。
ノックくらいしてほしい。
「ネフラさん顔色良くなりましたね」
「ああ。ポーションのおかげかな」
「ジルコさんの愛のある看病のおかげですよ」
「愛って……! 何言ってんだっ」
そう言うと、キャッタンはキョトンとした目で俺を見た。
「あれ? 私てっきりお二人は恋人同士かと」
「違うよ。ギルドの仲間さ……ただの」
「初めて会った時から、けっこうベタベタしてませんでした?」
「えっ。そ、そんなことは……」
「昨夜なんて無防備な女性と二人きり。何もないなんてありえない、みたいな?」
「そういうことはないから」
「本当ですぅ? そもそもネフラさんて――」
「やめてくれ!」
キャッタンがにんまりしながら痛くもない腹を探ってくる。
この子、サドっ気持ってんな。
「これ、替えの下着とタオルです。私とネフラさんが同じくらいの体格でよかったです」
「ああ。助かるよ」
「タダじゃありませんよ、借りですから。覚えておいてくださいね?」
……そして、根に持つタイプだ。
「他の二人は?」
「ヘリオさんは最寄りの駅逓館へ。教皇庁に状況報告をするんですって」
「デュプーリクは?」
「あー。それが……」
キャッタンが眉をひそめて言いよどんでいる。
「まだ寝ているなら俺が叩き起こしてやるよ」
「その必要はないんですけど」
「じゃあどうしたんだ?」
「実は、昨日の夜から宿に戻ってないんです」
「はぁ? どこ行ったんだよ」
「その……酒場を探しに」
俺はずっこけそうになった。
昨日の夜っていったらまだ風雨が続いていた頃じゃないか。
そんな天候の中、酒場を探しに行くなんて何を考えているんだ!
しかも今も帰っていないなんて……。
「あの人に限って何かあったとも思えないので、きっと夜通しお酒でも飲んでいるんじゃないかなぁと」
「……その様子じゃ、過去にも同じことがあったみたいだな」
「ええ。恥ずかしながら、遠征する時はいつもこんな調子なんです」
俺は溜め息をついて間もなく、外出の準備を始めた。
もちろんデュプーリクのアホを連れ戻すためだ。
「ジルコさん。デューくんを捜しに行くならこの地図を使ってください」
「ありがとう。……ネフラの看病を頼んでもいいかな?」
「構いませんよ。足並みが揃ってない今、調査を進めても非効率ですから」
デュプーリクは向こう見ずで軽薄な性格。
キャッタンは疑り深くて堅実な性格。
この二人、相性抜群だな。
「それじゃ、あとは任せた」
「あっ。ちょっとジルコさん!」
部屋を出ようとしてキャッタンに呼び止められた。
何かと思って振り向くと――
「あなたは〈ハイエナ〉に顔を見られてるんですよ? 念のため変装くらいしていってください」
――なるほど、ごもっともな意見だ。
◇
変装なんて生れて初めての経験だ。
髪の毛はオールバックに。
口元には仮装用の付け髭を。
ワンポイントとして、ネフラから勝手に拝借した眼鏡を着用。
服は海峡都市で手に入れていた燕尾服へと着替えた。
……急ごしらえの簡単な変装だが、これで本当に俺とはわからなくなったのか?
キャッタンは大丈夫と言っていたが、どうも不安だ。
「旦那、お出かけですか? 昨日は予備のベッドを運び込めなくてすみませんでしたね。いつの間にか足が折れちゃってて……」
一階のカウンター前を通りかかると、亭主に声をかけられた。
……しっかり俺だとバレているじゃないか!
「まぁ、ベッドはひとつの方が都合よかったですかねぇ」
「なんで?」
「ウチのベッド、あんまり揺らすと足が折れちまうから気をつけてくださいよぉ」
亭主が不愉快な冗談を言いだした。
このクソジジイ、銃口をくわえさせてやろうか!?
……と思ったが、なんとかそれを思い留まる。
俺は亭主をひと睨みしてそのまま宿を出た。
◇
俺の変装姿は、街路をすれ違うドラゴグ人に不審がられることはなかった。
時折チラチラと俺の背負う雷管式ライフル銃と腔綫式・熱い吹き矢を見てくるくらいだ。
……いやいや。
燕尾服の男が銃を二丁も持ち歩いていたら目立つよなぁ!?
途中、雑貨商に立ち寄って銃を包む布を買うことにした。
銃を二丁とも布にくるんで持つようにすると、周囲からの視線はなくなった。
……やっぱり見た目は大事だ。
「西市街の表通り――クロウマーク・ストリートか。俺達がくぐった門楼は西門だったんだな」
昨日の暴風雨の中ではまったくわからなかったが、青空の下で市街を歩くとドラゴグの特色が色濃く伝わってくる。
レンガ造りの小さな家屋群。
その中に時折そびえ立っている背の高い建物。
それは尖塔のない四角柱の塔のようで、海峡都市で見たヴィジョンホールと造形がそっくりだった。
加えて、帝都の街並みには自然を感じさせるものがほとんどない。
街路にこそ植樹された木々が見られるが、それを除けば帝都の街並みは無機質に過ぎる。
エル・ロワ人の俺には、それは異様な光景だった。
クロウマーク・ストリートを噴水広場へ進もうとした時、俺はめまいを覚えた。
……どうもネフラの眼鏡の度が強すぎるらしい。
「目がおかしくなりそうだ……」
俺はたまらず眼鏡を外した。
眼鏡をつけていなくても、今の恰好なら親しい奴くらいにしか俺だとわからないだろう。
それに初日からいきなり〈ハイエナ〉の連中と鉢合わせることもあるまい。
……たぶん。
◇
〈くつろぎ亭〉からもっとも近い酒場。
それは噴水広場から目と鼻の先にあった。
店内に入るなり、俺は扇情的な格好をしたウェイトレスに寄り添われた。
なかなかの美人だったが、俺の心を揺さぶるには程遠い。
昨晩目にした女神のごとき優麗さを備えた美少女に比べれば、道端の石ころも同然だ。
朝っぱらから酒場は賑やかだった。
客層は筋骨隆々の強面ばかり。
テーブルをひとつひとつ見回していくと――
「……見つけた」
――デュプーリクの姿が目に留まった。
あろうことか、エル・ロワの兵装のままテーブルについている。
特命を帯びて他国に潜入している人間が、よくもこんなうかつな真似ができるな。
「おい、デュプーリク!」
「んあ? ……どちらさんで?」
面倒くさいな!
変装しているせいで俺だとわからないのか。
「俺だ!」
俺は付け髭を取ってデュプーリクの胸倉を掴み上げた。
「なんだぁ、ジルコくんじゃあーりませんか」
「馬鹿なこと言ってる場合か! お前、夜通し飲んでいたのか!?」
「別にいいじゃねぇか。こんな雨じゃ調査なんて無理よ、無理! ゲプッ」
うわっ。酒臭い!
顔も真っ赤で目も虚ろ……かなり酔っ払っているな。
「外を見てみろ! もう雨は止んだ。見事な快晴だよ!」
「へ? そうなの?」
「お前、兵士長から言われたことを忘れたのか!?」
「あぁん? 何よ、それ」
「国家の威信を懸けた重大な使命だと言われただろう!!」
「ははは。帝都にいちゃ兵士長も文句は言えんでしょ」
……ダメだこりゃ。
完全に酩酊状態で取り付く島もない。
「まぁお前も座って飲め飲め。俺のおごりだ!」
デュプーリクがテーブルに余っているジョッキを突き出してきた。
俺はジョッキを受け取るや、すぐにテーブルに置き直す。
「兄さん、デューさんのお知り合い?」
「だったら一緒に飲もうぜぇ」
「こんなご時世、飲まなきゃやってられねぇよっ」
同じテーブルの三人もできあがっているようだ。
見れば、他のテーブルの連中も同じような有り様だが……少々妙だな。
「あんた達、何をやっている人なんだ?」
「今時分、ここにいる連中はどいつもこいつも鍛冶職人だろぉ~?」
「仕事はどうした?」
「仕事って……。したくたって何もできねぇよ!」
「どういうことだ」
「魔物の群れが東の方に現れてからこっち、帝国兵に鉄やら火薬やら油やら全部取り上げられちまって、ナイフのひとつも打てやしねぇ! 商売上がったりだぜっ」
またその話かよ。
しかも帝都の経済に深く影響しているみたいだな。
「ごくっ、ごくっ。ぷはぁっ、お前も楽しもうぜぇ~?」
デュプーリクが俺の置いたジョッキをあおった傍からウザ絡みしてくる。
「飲みすぎだぞ!」
「んなことより……ひっく。相棒の具合はどうだった? お前、羨ましいよぉ。あんな絶世の美少女をだ――」
「死ねっ!」
俺はデュプーリクの頭を掴んでテーブルに叩きつけてやった。
ピクリとも動かなくなったと思ったら、大きなイビキが聞こえてくる。
しばらく頭を冷やせ、馬鹿野郎。
「邪魔したな」
今の一撃で酒場の視線を一身に集めてしまった。
客やウェイトレスの強張った視線が痛いが気にしていられるか。
俺は一人、酒場を出た。
……収穫は失望と苛立ちだけだったな。
◇
まったくの無駄足で宿へ戻るのも癪に障る。
俺は単身、帝都で〈ハイエナ〉の足跡を調べることにした。
今はキャッタンから預かった地図を頼りに冒険者ギルドへと向かっている。
帝都にも〈ハイエナ〉の手配書は出回っているはず。
ならば、奴らの足取りを調べるにはギルドを訪ねるのが手っ取り早い。
「……?」
噴水広場から最寄りの冒険者ギルドへ向かう際、俺は馬車とよくすれ違うことに気がついた。
しかも裕福層の豪勢な馬車ばかりとだ。
「この辺りで社交界でもあったのか?」
そんな疑問を思い浮かべていると、思いのほか単純な答えを見つけた。
医療院の看板の前に数両の馬車が停まっているのが見えたのだ。
「なるほど。馬車の往来が多かったのはこれのせいか」
医療院のすぐ隣には教会が建っている。
同じ敷地内にあるので、おそらく教会が経営する医療院なのだろう。
平民が利用できる医療院とは異なり、教会経営の医療院は信心深い金持ちのみ利用できる。
何せ、多額の寄付と引き換えに聖職者の癒しの奇跡を受けられるのだ。
通常の医療院よりもはるかに安全で迅速な治療が行われるのだから、貴族が利用しないわけがない。
「金、金、金かぁ。世知辛い世の中だな、まったく」
世の真理を嘆きながら、俺は医療院を通り過ぎた。
だが、その隣の教会の前で俺は不意に足を止めてしまった。
教会入り口の両脇に飾られているのは、ドラゴンの彫像。
ジエル教が国教であるエル・ロワに対して、ドラゴグでは竜信仰が盛んだ。
この教会もまさにそれ――竜聖庁の系列だ。
「教会は貴族との繋がりも強い。あるいは……」
〈ハイエナ〉の情報を持っているかもしれない。
なぜなら、貴金属を蓄えている貴族ほど宝石狙いの〈ハイエナ〉を恐れているはずだからだ。
立場上、貴族との繋がりが強い教会にも情報が共有されていると考えるのは、飛躍した発想じゃない。
自分の勘を信じてみるか。
黒いドラゴンの装飾物があつらえられた真っ赤な鉄の扉。
その重厚な扉を左右に押し開くと、俺を出迎えてくれたのは――
「ようこそおいでくださいました。迷える竜の子よ」
――血色の悪い、ゾンビのような陰気な雰囲気の神父だった。