4-037. 帝都の一夜に見た白い肌
海峡都市の東方領域を発ってから八日、東アムアシアには真っ黒な雨雲が空一面を覆い隠していた。
降りしきる雨の中、俺達はジャイアントモアで丘陵地帯を駆けている。
「なんて悪路だよ!」
俺は想像以上の悪路に思わず悪態をついた。
優れた安定感のあるモアですら、ガタガタと前後左右に揺さぶられてしまう。
これではネフラの容態に障りそうだ。
「ネフラ、大丈夫か!?」
「だい……じょうぶ」
後ろに乗るネフラから、か細い声で答えが返ってきた。
俺の体を抱きしめる腕に力を感じないので、不安で仕方ない。
「帝都までもう少しだからな!」
「うん」
ネフラはここ数日の暴風雨で体調を崩してしまっていた。
風邪だと思うが、症状を抑える薬なんて持っていない。
日に日にネフラの体が衰弱していくのがわかったので、俺の要望で街道の整備されていない丘陵を一気に帝都まで突っ切ることにしたのだが――
「くそっ。かえって風雨が強くなっちまった!」
――判断を誤ったかもと後悔している。
帝国の広大な土地には、数ヵ月ごとに暴風雨が吹き荒れる。
東アムアシアでは、この暴風雨のことを竜の癇癪と呼んでいるそうだが、まさに名前負けしていない災害だ。
俺達が帝都へ向かうのと、暴風雨がやってくるタイミングがかち合ってしまったのは、不運としか言いようがない。
「帝都が見えてきたぞ!」
先頭を走るデュプーリクが叫ぶのを聞いて、俺は目を凝らした。
確かに薄暗い遠方に帝都の影が見える。
俺達は正規の街道へと合流し、そのまま帝都の門楼へと向かった。
帝都が見えてきても、まだまだ安心はできない。
門楼へと続く街道には、途中でライノサウルスが群生している地帯を通らなければならないのだ。
ライノサウルスは頭から鋭い二本角を生やした大柄な四足獣だが、ちょっかいさえ出さなければすぐ傍を通っても害はない。
しかし、まかり間違って衝突でもしようものなら、数十頭の群れに襲われかねない。
急いでいる今、非常に厄介な存在だ。
ライノサウルス衝突注意!と書かれた看板を横目に、俺達はなんとか群れをくぐり抜けて帝都の門楼へとたどり着いた。
モアの足を止めると、すぐさま軍馬の引いた戦車が俺達を取り囲む。
「止まれ! 今すぐ武装解除し、官姓名を名乗れ!!」
で、次に待っているのは帝国兵からの身分確認てわけだ。
「なんだ? カンセーメイって」
「素性を答えろってことだろ」
デュプーリクがモアを降りて兵達に歩み寄るや、彼らは列になって銃剣を俺達へと突きつけてきた。
警備が厳重なのはいいが、通行証を持っている相手にいきなり銃口を向けるのはさすがにやりすぎじゃないか。
「動くな!」
「両手を上げろ!」
「妙な真似をすれば撃つ!!」
「おいおい。俺達は〈ハイエナ〉って盗賊を追ってきたエル・ロワの兵士だ! おたくらには話が通ってるはずだけど!?」
帝国兵の一人が列を掻き分けてデュプーリクへと近づいてくる。
フルフェイスの兜に角が立っているから、たぶんこいつがリーダーだ。
顔の見えない帝国兵は一見区別がつかない。
しかし、兜の角の数で序列がわかるようになっているのだ。
「……確かに連絡のあった先遣隊のようだな」
「そうだよ。しかし嫌に厳重じゃないか。暴風雨の時期はこうなのか?」
「現在、帝都は厳戒態勢が敷かれている」
「厳戒態勢?」
「よそ者が知る必要はない。お前達には今日から最大十四日間の帝都滞在が許されるが、くれぐれも帝都で不必要な騒ぎを起こさないように」
「へいへい」
リーダーはデュプーリクに通行証を突き返すと、兵達を退かせて道を開けた。
「警備の都合上、お前達が利用できる施設には制限をかけさせてもらう。表通りに面した宿、商店、役所のみを使うように!」
「おたくら、そんなのどうやって把握してんの?」
「帝都の全施設は軍の管理下にある。よそ者がおかしな真似をすれば、すぐに我々の耳に入ることを覚えておけ!」
相変わらずこの国の兵士は高圧的だな。
……ムカつく。
俺達は帝国兵の熱烈な視線を受けながら、門楼をくぐった。
これでようやくドラゴグの帝都ドミニウスへとたどり着いたわけだ。
◇
帝都に入ると雨がいっそう強くなってきた。
急いで宿を見つけないと……!
「まだ六時前か――」
デュプーリクが遠目に見える時計塔を眺めながら言う。
「――普段ならまだ表通りは人混みでごった返してるだろうに、さすがにこの暴風雨じゃなぁ」
人気のない街路にモアを走らせていくと、大きな噴水広場へと入った。
俺はすぐに地図板を探したが、強雨で視界が定まらない。
その時、噴水の陰からフードに身を包んだ連中が姿を現した。
背丈からして子供のようだが――
「……」
――彼らは俺達を見入ったまま、噴水の前にじっとたたずんでいるばかり。
身なりから察するに、どうやら浮浪児らしい。
彼らの方が帝都の土地勘に優れていると思った俺は、モアを彼らのもとまで走らせた。
「なぁ、表通りにある宿の場所を教えてくれないか!?」
「……」
返事がない。
物珍しい旅人が目についたから集まってきただけなのか?
どうしたものかと思っていると、浮浪児の一人がモアの前まで寄ってきて、俺に手のひらを差し出した。
……物乞いか。
「これで足りるか?」
俺は浮浪児の手に小金貨一枚と銀貨二枚を置いた。
ドラゴグの物価なんてわからないが、エル・ロワなら子供達数人で二、三日は食いつなげる額だ。
気取ってもう少し出してやりたいが、俺もあまり余裕がない。
「それで、宿の場所を――」
俺が言い終える前に、浮浪児の一人――一番背の高い少年――が、広場の南を指さした。
「あ、ありがとう」
浮浪児達はその後も一言もしゃべらず、じっと俺を見上げているだけだった。
暴風雨の中ということもあって、少し不気味だな……。
「行こう、宿はこっちだ!」
俺はヘリオとデュプーリクのモアを先導し、南へ伸びる通りへ向かった。
広場を離れてから振り返ってみると、すでにその場に浮浪児達の姿はなかった。
◇
南の通りをしばらく走ると、看板に〈くつろぎ亭〉と書かれた宿が見つかった。
モアを表の厩舎に繋いだ後、俺はネフラの肩を抱いてすぐに宿の中へと飛び込んだ。
カランカランと鈴の音が鳴った直後――
「いらっしゃ~い。いやぁお客さん、凄い雨に降られたねえ~」
――宿の亭主とおぼしき老人が話しかけてきた。
「ああ。参ったよ」
「四人……五人かね。ウチはおひとり様一泊170グロウだよ」
「一泊170グロウってのは高くないか?」
俺の価値基準がズレているのか?
いくら帝都の表通りにある宿だからって、ここの設備でその値段は割高だろう。
「こんなご時世だからねぇ。朝食にはスープくらい出すよ」
俺が答えあぐねていると、デュプーリクが割り込んできた。
「旅費は王国軍持ちだから気にすんなよジルコ! なぁ親父、この宿で一番良い部屋をあてがってくれ」
「すみませんね旦那。今日はこんな天候なもんで、客入りが良いんですよ」
「部屋、空いてないのか?」
「一人部屋が三つしか空いてないねぇ。でも、予備のベッドを運び込めるんでお二人様までなら大丈夫ですよ」
……マジか。
と言うことは、部屋の組み分けが必要になるな。
俺に、ネフラに、ヘリオに、デュプーリクに、キャッタン。
男三人と女二人。
この場合、女性二人、男二人、男一人、ってのが妥当だよな。
俺は一人だと気が楽なんだけど……。
「あぅ……」
「大丈夫かネフラ?」
ネフラが苦しそうなうめき声を漏らしたのを聞いて、俺は居ても立っても居られなくなった。
「とりあえず空いてる部屋に入らせてもらう。組み分けは適当にやっといてくれ!」
俺はネフラを抱き上げて、階段を駆け上がった。
◇
部屋に入るや、俺はネフラをベッドに寝かせた。
マントコートを羽織っていたのに、風雨にやられて彼女の全身はずぶ濡れだ。
すぐに服を脱がしてやらないと風邪の悪化に繋がるぞ。
……ん。
服を……脱がす……?
「いやいや」
俺がそれをやっちゃダメだろう!
「キャッタン! キャッターーーンッ!!」
俺は廊下に顔を出して、階下のキャッタンを呼びつけた。
しかし――
「キャッタンなら駅逓館を探しに出たぞーーっ!」
――階下から聞こえてきたのはデュプーリクの返事だった。
……。
これは……。
これはヤバイだろう。
「うぅ……」
ベッドに寝そべるネフラから、また辛そうなうめき声が聞こえてくる。
びしょびしょの服のままで体が冷えているのだろう。
だからって、なぁ……。
介抱するなら同じ女性のキャッタンしかいない。
それなのに、そのキャッタンはタイミング悪く外に出ている。
いくらヘリオが誠実な人間でも、女性の介抱を任せるわけにはいかない。
デュプーリクにおいては、論ずるに値しない。
となると……。
俺が脱がすしか……ないよな……。
「ジル……コくん……」
いきなり名前を呼ばれたので、びっくりしてネフラに振り返った。
だが、彼女は眠っているようだった。
「ね、寝言か」
ベッドに横たわるネフラは頬を赤らめて辛そうな顔をしている。
彼女の顔を見て、俺は覚悟を決めた。
◇
ネフラの額に手を当てると、かなりの熱であることがわかる。
旅慣れしている彼女がここまで体調を崩したのは、異国での旅の疲れがピークに達したところを雨に降られたせいだろうか。
「ネフラ。これから服を脱がすぞ」
……返事はない。
こんな状況とはいえ、女性の体に触れるのは抵抗がある。
でも、仕方がない。
別にやましい気持ちがあるわけではないのだから、気にする必要はない。
そう。緊急避難というやつだ。
俺はまず、最初にネフラの顔にある眼鏡へと手をかけた。
すると――
「ん」
――ネフラがうっすらと目を開いた。
彼女と目が合った瞬間、心臓がドクンと脈打つ。
なんだか、おかしな感じだ。
断じてやましい気持ちなどない。
断じてないのだが……。
ネフラのことを物凄く可愛いと感じてしまっている。
「さ――」
「なんだって?」
声が小さくて聞き取れない。
ネフラの口元に耳を近づけると――
「さむい」
――当然の答えが返ってきた。
「ごめん、すぐに……っ」
俺はネフラの眼鏡を取り上げた。
次いでフーデッドケープを脱がし、さらにワンピースも脱がしてやると、ネフラの透き通るような白い肌が目に留まった。
ネフラの素肌には、雨に濡れたことで肌着がべっとりと張りついている。
それにより彼女の豊満な胸の膨らみがひと際目立つ。
服を脱がせている間、ネフラはずっと薄目を開けて俺を見上げていた。
嫌がる素振りなど見せず、ただ美しい碧眼で俺を見つめているだけなのだ。
「今、体を拭いてやるからな」
ネフラのリュックからタオルを取り出し、髪、顔、首、胸元……と順に拭いていった。
……肌着の下だけ拭わないってのはないよなぁ。
「ごめんな、ネフラ」
そう言った後、俺は布の下に手を入れて……ふたつの山を、腹部を、拭った。
「くすぐったい」
「えっ」
「……嘘」
腹部を拭い終わった後、ネフラが悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
その妖艶な表情を見て、思わず理性が吹っ飛びそうになる。
「冷たい」
「え?」
ネフラが震える手で肌着をつまんだ。
……そうだよな。
濡れた肌着をいつまでも着ていられないよな。
俺は彼女から肌着を脱がせてやった。
当然、ネフラの乳房が俺の視界に露になる。
「……」
なんと言うか……言葉が出ない。
俺は以前、教皇領の大浴場でネフラの裸を目の当たりにしたことがある。
あの時は気恥ずかしい気持ちになったが、どういうわけか今は何とも言えない気持ちになってしまう。
ネフラのうっすらと火照った頬。
雨に濡れた艶っぽい髪。
息をするたびに静かに上下する胸。
……俺は気持ちが高揚しているのだと気づいた。
「綺麗だ」
……うおぉっ!
思わず口走ってしまった!!
とっさに口を塞いだところで後の祭り。
相棒になんて気まずくなるような言葉をかけちまったんだ、俺は――
「……すぅ……すぅ」
――と思ったら、ネフラは静かに寝息を立てて眠ってしまっていた。
俺はすぐに部屋にあるシーツをかき集めて、ありったけ彼女の体にグルグルと巻きつけてやった。
さらに、花瓶の水で濡らしたタオルを彼女の額へ。
……これで、難関クエスト完了だ。
「……」
俺は眠っている彼女の顔を見つめながら――
「綺麗になったな」
――心からの賛辞を贈っていた。