4-036. 街道を往く
旅に必要な荷物をジャイアントモアに積み終えた後、俺達は手分けして〈ハイエナ〉の情報を探った。
奴らがブリッジの東方領域に立ち寄った痕跡はなく、唯一得られた手がかりは、キラキラ輝く空飛ぶ絨毯が街道沿いに東へと向かったということだけ。
「〈ハイエナ〉の目的地は帝都だと思うか?」
「わかりませんよ。途中にアジトがあるのかも」
「グランソルト海の近くは商人ギルドの息のかかった町しかないぜ」
「なら、その影響力の届く範囲には落ち着かないか」
デュプーリクとキャッタンが今後の方針について話し合っている。
合流組は蚊帳の外だな。
「新しい情報が得られるまでは、途中の町で聞き込みを続けながら竜足跡を進む。宿で仮眠をとった後、夜明けとともに出発だ!」
デュプーリクの指示に、俺は頷いて答えた。
竜足跡は、東アムアシアにある街道の中でも特に重要な交易路のことだ。
帝都ドミニウスを中心に、西は海峡都市、東は第一副都まで、ひとつなぎに繋がっている。
大昔、ドラゴンの足跡が続いていたルートに街道を敷いたのが由来とされているが、さすがに眉唾だろうな。
◇
地平線の彼方に太陽が顔を出したのと同時に、俺達はブリッジを出発した。
ブリッジから帝都までは、乗り換えなしで馬を走らせて八日ほど。
途中の町で情報収集をしながら進んだとしても、ジャイアントモアの脚力なら八日から九日でたどり着くだろう。
出掛けに気にかかることがあった俺は、隣を走るデュプーリクへと尋ねる。
「本隊への報告は済ませたのか?」
「ああ。今朝、駅逓館から伝書鳩を放ってある」
「魔物の群れの件は?」
「一応、懸念事項として書いておいたけど……信憑性は薄いなぁ」
「万が一のことがあれば、ドラゴグどころかエル・ロワまで飲み込まれるぞ」
「今さら魔物の群れなんて本当かね? 事実だったとしても、ドラゴグが意地にかけて対処するんじゃないか」
王国兵のくせに、ずいぶん楽観的な考えだな。
俺なんて今でもあの光景を思い出しただけで背筋が凍るぞ。
◇
太陽が真上に輝く頃――最初の町から出て間もなく。
「ジルコくん。あそこ」
街道を走っている最中、ネフラの指さす方向へと目を向けると――
「ん?」
――数人の女子供が、街道沿いにある針葉樹の森から抜け出てきた。
しかも、顔を真っ青にしながら息も絶え絶え。
これはただ事じゃないな。
「デュプーリク! あれを――」
先頭を走るデュプーリクに声をかけようとした時、針葉樹の森からカイゼルホーンが飛び出してきた。
二本角を生やした巨大な熊――のような動物だ。
普段は温厚で大人しいが、幼い子供がいる時期に縄張りに入り込むと烈火のごとく怒りだすことで知られる。
まさに今、その状況のようだ。
「なっ! ありゃ、カイゼルホーンかっ!?」
轟く咆哮で、デュプーリク達もカイゼルホーンの存在に気がついた。
「人が襲われている! 助けないと」
「そ、そうだなっ」
俺が言うなり、デュプーリクが手元の雷管式ライフル銃に弾を込め始めた。
「ここから撃つ気か!? あの人達に当たる可能性がある!」
「だからって、あんな狂暴な奴に近づけるかよ!」
「……!」
今のやり取りでわかった。
こいつ、経験不足だ。実戦経験がほとんどない。
闇の時代は王都や衛星都市の警備をのらりくらりやっていたタイプだな。
「俺達がやるから、お前は黙って見ていろ!」
「お、おいっ」
俺はジャイアントモアの手綱を操り、カイゼルホーンへと向かわせた。
あれを前にしてもしっかりと走ってくれるジャイアントモアの胆力に、改めて良い鳥だと思う。
「ヘリオ、あの人達を頼む!」
「了解!」
俺とモアを並走させていたヘリオが途中で前に出る。
一方で、俺はネフラに手綱を任せて雷管式ライフル銃に弾を込めた。
「ジルコくん、方向は?」
「このまま真っすぐ!」
「わかった」
カイゼルホーンが女性達へと襲いかかろうとした瞬間。
モアから飛び降りたヘリオがその間に割って入り、盾を突き出して彼女達をかばった。
突然の乱入者にカイゼルホーンが怯んだ一瞬――
「今だ!」
――モアに騎乗したまま引き金を引いた。
耳をつんざくような銃声が鳴り響くのと同時に、カイゼルホーンの角の先端を銃弾がかすめる。
「ガアァッ!?」
自慢の角が欠けたことに驚いたカイゼルホーンは、途端に背中を向けて針葉樹の森へと逃げ込んでいった。
……向こうにも女性達にも、犠牲を出さずに済ませられたな。
「や、やるじゃねぇの……」
事が片付いてから、モアを走らせてきたデュプーリクにお褒めの言葉をもらう。
後ろに乗っているキャッタンもだが、顔が引きつってるぜ。
◇
「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」
「「「ありがとうございました」」」
母親と子供達から礼を言われる。
驚いたことに子供達はまだ十歳前後の小さな子ばかりだった。
「どうして針葉樹の森になんか入ったんだ? しかも子供連れで」
「ここ何日も何も食べていなくて。それで果物を探しに……」
「無謀だな。何の武装もなしに森に入るもんじゃないよ」
「わかってはいたのですが……」
彼女達は魔物から逃げるために西へと向かっていた。
どうやら東アムアシアに魔物の群れが現れたというのは本当らしく、多くの難民が帝都を頼って西へと流れてきているらしい。
しかし、帝都への入場を拒否された彼女達は、しかたなく西へ西へと逃れていくうちに俺達と出会ったのだと言う。
「ドラゴグも手が回ってない印象だな」
「魔物の群れが暴れているとなると〈ハイエナ〉を追う障害になるかもな」
「かと言って、俺達にはどうしようもないだろ? 東アムアシアは今やドラゴグが統治しているようなもんだ。帝国兵に任せるのが筋だぜ」
デュプーリクの言う通りだ。
今の俺達には、魔物の群れよりも優先するべき使命がある。
東アムアシアの人達には同情するが、助けにはなれない。
「キャッタン。この人達に食料を分けてやろう」
「はい」
デュプーリクとキャッタンが、食料を見繕って彼女達へと手渡す。
俺達にできることはこのくらいだな。
「このまま街道に沿って西へ進むんだ。休まず歩けば、日が落ちるまでには町にたどり着けるよ。頑張って」
「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません」
「忘れていいって。それよりお嬢ちゃん達、いい女になれよ!」
デュプーリクが凛々しい笑顔で母子を送り出す。
途中、母親がこちらへ向き直ると――
「あの……私達のことは誰にも言わないでもらえますか?」
――妙なことを言ってきた。
「ああ。誰にも言わないよ。なんで?」
「いいえ、なんでもありません。……ありがとうございました」
礼を言うや、彼女は子供達の手を引いて街道を歩いて行ってしまった。
「……帝都で何かあったのかね?」
「さぁな。この国はエル・ロワと違うから国民感情はよくわからない」
彼女達の背中を見送った後、俺達は旅を再開した。
◇
日が傾いてきた頃。
俺たちが街道を進んでいると、前方から銃声が聞こえてきた。
「今度はなんだぁ?」
先頭を走るデュプーリクが迷惑そうに言った。
目を凝らして前方を見てみると、男が一人、賊に追いかけられている。
男は逃げ惑いながらも銃で反撃しているようだが、焦っているのかセンスがないのか、まったく狙いが定まっていない。
「……ありゃ追い剥ぎだな。男が追いかけられている」
「男かぁ! 無視していいんじゃね?」
「馬鹿言うなよ」
こいつ、女しか助けるつもりがないのか……。
「デューくん。ドラゴグの人を助けておけば、後々になって評価されるきっかけになるかもしれませんよ」
「まぁそうだなぁ。相手は賊だし、助けておくか」
やる気がなかったのに、キャッタンの助言で急に考えを改めるとは。
現金なやつだな、こいつ!
「よぉし、俺に続けジルコ! デュー様の実力を見せてやるぜっ」
デュプーリクがモアを加速させてから、ややあって。
賊は俺達を見るや、帝国兵と勘違いしたのかすぐに逃げ去ってしまった。
デュプーリクの実力とやらを見ることはなかったが、男は無事に保護することができた。
◇
男は、何日も飲み食いせずに街道を歩いてきたらしい。
脱水症が見られたので水筒を一本くれてやると、浴びるように飲み始めた。
「……ぷはぁっ! 助かりましたぜ、旦那方!」
「あなたも東から逃げてきた難民ですか?」
「ええ。東はとんでもねぇことに……って、すでに他の難民とお会いに?」
「まぁね」
俺が答えると、男は地面に銃を下ろして嘆くように話し始めた。
「俺ぁ、帝都の遥か東――第四副都付近の町に暮らしていたんでさぁ。それがつい一ヵ月前、南の地平線が真っ黒に染まったことが地獄の始まりでした」
「……大海嘯か」
魔物の群れが大挙して人里に押し寄せてくる際、生き残った被災者は一様に地平線から真っ黒い津波が押し寄せてきたと言う。
おぞましい海鳴りのような音と共に……。
男が見たのは、まさに大海嘯に違いない。
「俺ぁ、たまたま狩猟に向かう途中だったんで逃げるチャンスはありやした。でも、町にいた連中は……っ」
男は拳を握りしめながら身を震わせている。
この様子では彼の友人や家族も――
「相手が相手だ。ご家族の仇を討とうと思わずに逃げてきたのは正解ですよ」
「いいえ。妻とガキどもは生きとります」
――あ。なんだ生きているのか、良かった。
「たまたま隣町へ捌いた肉を売りに行ってたんで、あいつらも町にいなかったんでさぁ」
「では、奥さんとお子さんも西へ?」
「ええ」
……もしかして、少し前に会った母子のことかな。
だとしたら、この人にも彼女達の行き先を教えてあげた方がいいな。
「あなたの家族ですけど――」
「ぶっ殺してやらにゃあならん」
「は?」
「あいつらは戦場を逃げ出した。だから、ぶっ殺してやらにゃあならんのです!!」
突然この男は何を言い出すんだ?
殺すって……奥さん達のことを言っているのか?
「穏やかじゃないですね。どういうことです」
「そ、それは……」
俺が訊ねると、男は言葉を詰まらせてしまった。
「俺達はエル・ロワから来た人間です。ドラゴグのことには関与することはできませんよ」
俺がそう言うや、男は警戒を解いて話し始めた。
「旦那方にはわからんでしょうけど、ドラゴグでは平民も貴族も軍人も、戦場に巡り合ったら武器を取って戦うことが義務付けられてるんでさぁ」
「聞いたことがあります」
「俺ぁ、あれが魔物の群れだとひと目でわかった。だから町に戻ってみんなと戦おうと思ったんでさぁ。それなのに――」
男はさっき以上に拳を強く握って身を震わせている。
これは恐怖ではなく、憤怒による震えに違いない。
「――あの馬鹿ども! 魔物に背を向けて逃げ出したんでさぁ!!」
「もしや女子供にもその義務を強いて……?」
「ドラゴグの民なら老若男女問わず戦いから逃げてはならぬ! その身を犠牲にしてでもお国のために敵を討滅するのが、竜の神の恩寵を賜る選ばれし民族としての誇りなんでさぁ!!」
竜聖庁――竜信仰の過激思想、か。
昔はもっとおおらかな信仰だったそうだが、闇の時代にドラゴグ帝国で主流になってからは過激の一途をたどったって話は本当みたいだな。
「それで奥さんと子供達を捕まえて殺そうと?」
「それが筋でさぁ!」
「……人の思想に口を出したくはないけど、ちょっとやり過ぎでは?」
「ドラゴグ人は、命よりも家族よりも、誇りを重んじる民族なんでさぁ。その誇りを踏みにじることは祖国を裏切るも同然! 夫として、俺には責任を取る義務がある!!」
これほど頑ななら、何を言っても聞きやしないだろう。
「デュプーリク。この人に水と食料を分けてあげてくれ」
「え? あ、ああ……」
その後、俺達は母子の情報を一切与えず、男が街道を去るのを見送った。
ネフラが悲しげな表情で俺に寄り添ってくる。
「ジルコくん。このまま何もしなくていいの?」
「これがドラゴグで生きる人達の価値観なんだよ。俺達には何もできない。人の思想に首を突っ込む資格なんて、他人にはないんだから」
西へ向かう男の影が、沈みゆく赤い夕日に重なって見える。
俺にはそれが血の海のように見えたが――
「彼らが再会しないことを祈るのみだ」
――それ以上、考えるのをやめた。