C-010. 毒鼠、暗殺す!③
「ジェミニ、逃げるよ!」
「えっ」
あたしはゴブリン仮面に背を向けて、橋に向かって走りだした。
困惑した様子でジェミニがすぐ後に続く。
「どこに逃げるんだよ!?」
「橋だ! 川に飛び込めば、ワンチャン逃げられる可能性はあるっ!!」
全身に軋むような激痛。
また胃の中身が逆流しそうな不快感を感じる。
でも、命がかかってる時にそんなもん気にしていられるか!
「ぎゃっ!」
公園の端までたどり着いた時、あたしは突然、足に激痛を感じて転んだ。
見れば、足のふくらはぎに短剣が刺さっている。
「こ、これ、あたいの剣だ!」
「なんだってぇ!?」
ゴブリン仮面に向き直ると、奴が首から短剣を引き抜くのが見えた。
腹に刺さっていたもう一本は見当たらない。
つまり双剣の片方をあいつが投げつけてきたってことだ。
「あの野郎、ナイフ術まで修めてんのか!」
「ジャスファ、どうすんのっ!?」
「橋まで逃げるの続行! 今さら戦り合って勝ち目があるかよっ」
……我ながら情けない姿だね。
でも、どんな無様をさらしたって生き残らなきゃ意味がないんだ!
「ジャスファ」
「こんな時になんだよ!?」
突然ジェミニが立ち止まった。
何かと思って振り向けば、いつの間にかあたしの鞘から宝飾短剣を引き抜いて身構えていやがる。
「何するつもりだっ!?」
「あたいがあの化け物を足止めする。だから逃げてよっ」
「馬鹿言うな! 無駄死にだ!!」
「もう嫌なんだ。大事な人が殺されるのを見るの」
「ジェミニ……」
短剣を持つ手がガタガタ震えてるよ。
大層な啖呵を切っておいて、なんてざまだ。
「逃げられると思っているのか!? エル・ロワのダニども!」
ゴブリン仮面の頭から完全に光が消えた。
……完治しやがったんだ。
「逃げて、ジャスファ!」
ジェミニはあたしを街路に突き飛ばし、自分はゴブリン仮面に向かっていった。
なんて無茶するんだ、あの馬鹿は!
「うらああぁぁぁぁっ!!」
ジェミニが宝飾短剣を振り上げ、ゴブリン仮面へ斬りつけようとした時――
「愚か者が!」
――ジェミニよりも速く、ゴブリン仮面が短剣を突き出した。
「がふっ」
「正しい光を得られなかった哀れな黒山羊よ。せめて迷うことなく、地獄へと落ちるがいい」
「……っ」
ジェミニは短剣を腹に受けたまま倒れ込んだ。
そして、ゴブリン仮面の赤い目があたしを捉える。
「次は貴様だ」
奴が地面を蹴って、あたしの方へと駆けだした。
「うわ……っ」
ヤバイ! どうする!
暗殺銃を使う!?
いや、絶対に当てることなんてできない!
許しを乞う!?
あたしが許してもらえるなんて、絶対に無理!!
「クソがぁっ!」
あたしは激痛に苛まれながらも、立ち上がって逃げることを選択した。
足に刺さった短剣を抜く暇すら惜しい。
このまま無駄死にしてたまるか……!
ジルコをぶっ殺すまで、死んでなんかやるもんかよっ!!
その時――
「危ない、どけぇ~~!!」
――誰かがあたしを怒鳴りつける声が聞こえた。
それは街路上を近づいてくるやかましい騒音と共にあたしの耳まで届いた。
「どけどけっ! 轢き殺すぞ小娘ぇっ!!」
それは、郵便馬車だった。
迫りくる馬車を見た瞬間、あたしの頭にひとつの妙案が閃く。
もうこれしかない、って案だ。
あたしは街路を走ってくる馬車を間一髪で躱し――
「うおおおっ!」
――すれ違いざまに鉄線ロープを荷台に巻きつけ、地面を引きずられながらも公園を離れる手段を手に入れた。
「ぐががっ」
痛いっ!
地面に引きずられて、あたしの一張羅がどんどんボロボロになっていく。
でも、これで逃げられるはずだ。
さすがにあの化け物も馬車の速度に追いつくのは無理だろう。
……と思ったけど、後ろから足音が聞こえてきて全身総毛だった。
振り向くと、街路をゴブリン仮面が走ってくる!
「うわああぁっ! 化け物っ!!」
あたしは鉄線ロープを手繰ってなんとか荷台へと登った。
邪魔な郵便物を外に落としているうち、御者台の男があたしに気がつく。
「な、なんだお前! どうやって荷台に……!?」
あたしは足に刺さっていた短剣を引き抜き、御者台の男へと突きつけた。
「黙ってこのまま走りやがれ!!」
「ひっ! な、なんなんだよぉ!?」
突然ガクンと荷台が揺れた。
まさかと思って後ろを見ると、街路に引きずるままとなっていた鉄線ロープにゴブリン仮面がしがみついている光景が目に入った。
このままじゃ荷台まで上がってこられる!
手元にある短剣でロープを切るか!?
……いや、待てよ。
あっちから荷台に近づいてきてくれるなら好都合じゃないか。
あたしには最後の切り札が残ってる。
奴が荷台に上半身を乗せた時、暗殺銃で脳天ブチ抜いてやる!!
「うわあああっ!」
御者の悲鳴と一緒に馬車が大きく揺れ動いた。
一体どうしたってんだ!?
「何やってんだ、ちゃんと馬を操れよ!」
「さっきの衝撃で馬がパニックになっちまったんだよぉ!」
「はぁ!?」
「と、止まらねぇ!」
「ちょっと、どこに向かって走ってんのさっ!」
馬が街路を外れて、歩道を駆け抜けている。
道行く人間をギリギリ避けているものの、いつ壁にぶつかってもおかしくない。
でも、これだけ揺れればゴブリン仮面もロープを握っていられないんじゃ?
振り向いてみると、その期待は無慈悲にも打ち砕かれた。
「逃がさん、ぞ」
ゴブリン仮面がとうとう荷台に手を掛けやがった!
「う、うぅ……っ」
万事休す。もうダメだ。お終いだ。
この激しい揺れの中、銃を撃ったって頭に当たるわけがない。
短剣を突き刺したところで、癒しの奇跡の前には無力だ。
「覚悟はできたか、ダニめ」
ゴブリン仮面が荷台に足を上げた時、さらに馬車が揺れ始める。
「うわああっ! 川に落ちるぅーーっ!!」
御者の悲鳴を聞いて振り向くと、暴走した馬が柵を破り、川へ向かって進路を取ったところだった。
このままだと荷台ごと全員が川へ落ちる。
「……! そうだ、川だっ」
あたしは恐ろしいことを閃いた。
これが正真正銘最後のチャンス。
成功すればあたしは助かり、ゴブリン仮面を倒すこともできるはず。
でも、失敗すればあたしは確実に死ぬ。
……選択の余地なんて無い。
「見苦しいぞダニめ。生き残ることなど諦めて、貴様も地獄の門をくぐるがいい!」
激しい揺れにも関わらず、ゴブリン仮面は二本の足だけで荷台に立っていた。
なんてバランス感覚してるんだよ、こいつは……。
でも、おかげでロープはあたしの自由にできる。
「ダニだって生きてるんだよ。だから最後の最後まで抵抗するさ」
あたしはゴブリン仮面が手放したロープを巻き取って大きな輪を作った。
荷台に巻きつけてあるロープはそのままにして。
「も、もうダメだぁぁーーっ!」
御者が悲鳴を上げて馬車から飛び降りるのが横目に見えた。
そして、川の苔むした臭いがあたしの鼻に届いてくる。
……勝負の時だ。
「!? この馬車、どこを走っている!?」
「今頃気づいたのかよ、バァカ」
直後、馬車が川の上へと飛び出した。
「なっ!?」
「地獄へ落ちるのはどっちかな」
さすがのゴブリン仮面も、この緊急事態にあたしから注意が逸れた。
あたしは荷台が宙に浮き上がった瞬間、輪にしたロープを輪投げの要領でゴブリン仮面へと放り投げた。
ロープの輪はうまい具合に奴の首へと巻きつき――
「ちくしょう。昔、ジルコと競争していて上達したんだよなぁ……輪投げ」
――あたし達は川へと落ちた。
◇
……あれからどのくらい経ったのだろうか。
曇り空はどこへやら、空には綺麗な赤焼けが差している。
あたしは壁をつたって川べりまで這いあがった後、力尽きて空を見上げたまま寝そべっていた。
「……」
腹が痛い。
足が痛い。
全身痛い。
我ながらよく生き残ったもんだ。
ゴブリン仮面が生きているなら、とっくに這い上がってきてあたしを殺しているだろう。
あたしが生きてるってことは……そういうことだ。
さすがにあの化け物も、首に鉄線ロープを巻きつけられて馬車ごと川に叩き落されちゃ、浮かんでくることもできなかったわけだ。
物理的に殺せないのなら、水中で溺れ死にやがれ変態野郎っ。
「ぐぐっ……うっ」
あたしは激痛に耐えながら立ち上がった。
いつの間にか、街路には奇異な目であたしを見る野次馬ができあがっていた。
どいつもこいつも、まるで変質者を見るような目だね。
……まぁ、革の鎧もホットパンツもボロボロで、半裸みたいなもんじゃそれも仕方ないか。
それに全身擦り傷だらけだし、傷痕なんて残らないだろうね。
「どけよ! 見世物じゃねぇんだぞっ」
あたしが怒鳴りつけると、野次馬が道を開けた。
……大声を出すとアバラが酷く痛む。
「ジェミニ……。あの馬鹿、生きてんだろうな?」
川べりを離れたあたしは、真っ先に王立公園へと向かった。
◇
王立公園はすでに人っ子一人いなかった。
毒を治療された子供の姿もないけど、もう家に帰ったんだろうか。
ジェミニが倒れたはずの場所に、あいつの姿がない。
公園を見回すと、隅のベンチに寄りかかっている人影があった。
……ジェミニだ。
寄りかかるならベンチの背もたれにすりゃいいのに。
あいつ、地面に尻をつけて座板に寄りかかってるじゃないか。
あたしはベンチに近寄るや、ジェミニに声をかけた。
「ジェミニ。標的はぶっ殺したから安心しな」
「……」
「ジェミニ?」
「……」
「おいっ!?」
「……ぅ」
ジェミニから小さなうめき声が聞こえて、あたしはホッとした。
驚かすなよな、まったく!
「……ジャス、ファ。あいつ、殺し、た?」
「ああ。川底に沈めてやったよ」
「キャハ……。何それ、ウケる」
「あんたもそれなりに頑張ったからね。褒賞の三分の一くれてやるよ」
「ケチ、だね、ジャスファ、は」
……やばいな。
ジェミニの周りには血だまりが出来上がっていた。
その血も乾いて、赤黒く変色すらしている。
「ジェミニ。さっさと医療院に行こう」
「ジャスファ。最後に……言いたいことが……」
「はぁ? 何が最後? 痛いのが我慢できないなら教会に連れてってやるよ。金さえ払えば奇跡で――」
ジェミニがうつむいていた顔を上げて、あたしを見つめた。
青白い顔で、まるで生気を感じられない。
「もう、いい、から」
「馬鹿か! 何もよくないよ!!」
「会って一ヵ月も経ってないけど……楽しかった」
……何言ってんの、こいつ。
「あたい、思ったんだ」
死にそうなくせに笑ってんじゃないよ、ジェミニ。
「姉貴がいたら、こんな感じだったかもな……って」
よせよ。やめろよ。
「ジルコ、殺さなくてもいいから、生きてよ、ジャスファ……」
「ジェミニ! 何馬鹿なこと言ってんだよっ!!」
弱気なことを言うジェミニに、あたしは思わず掴みかかってしまった。
まるでこれから死にますみたいな体で話しやがって……!
どうしていつもあたしを困らせるのさ、あんたは!!
「ジャスファ……大好きだった……ょ……」
「……ジェミニ?」
呼びかけたのに返事はない。
ジェミニはあたしを笑顔で見上げたまま、二度と動くことはなかった。
◇
数日後、衛星都市パーズにて。
「見事だった。本当に奴を始末してくれるとは、きみを選んだ私も鼻が高いよ」
「褒賞を渡したなら、もう用はないだろ」
「相棒のことは残念だったな」
「別に。行きがかりで一緒になっただけの他人だよ」
「さすがは〈毒鼠〉。血も涙もない女だ」
薄暗い路地裏で、あたしはゴブリン仮面暗殺の依頼主である黒マントの男と向かい合っていた。
体の傷も治りきってないのに、30万グロウ分の大金貨が詰まった麻袋を渡されるなんていい迷惑だよ。
「次の任務までは治療に専念するといい」
「……なぁ。ひとつ聞きたいんだけど」
「なんだい?」
「〈バロック〉のボスって、どこのどいつ?」
「知りたいのか。きみはまだ、それを知ると処分される立場だが」
「あっそ。なら聞かないでおくよ」
あたしは踵を返した。
路地裏を出ようという時、あたしの背中に黒マントの声が届く。
「最後に渡すものがある!」
奴は私に何か小さなものを投げつけてきた。
受け止めたものを見てみると、それは歪んだ真珠の首飾りだった。
「きみにはこれからも期待しているよ。ジャスファ・アンダーマイン」
……期待、ね。
してくれよ、思う存分。
いつかあんたのこと、顎で使う立場になってやるからさ。
「仇も取ってやる。組織も手に入れてやる――」
そうだ。やることはたくさんある。
「――あたしはこれからも、あたしのやりたいようにやる」
あたしは欲深い女だからね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次話から第四章―ドラゴグ編―を開始。
ジルコ達のドラゴグでの冒険が幕を開けます。
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