C-006. 毒鼠、暴れる
プリンシファからワイバーン山脈へは馬で七日の距離。
あたし達は野宿を挟みつつ、荒野を走り続けて六日目の正午に街道の分かれ道へとたどり着いた。
分かれ道に立っている看板には、ふたつの行き先が記されている。
「左の道は溶岩風呂が目玉の温泉街クォーツ。右の道は登山者支援の街フットヒルズ。どちらもグロリア火山の方角だけど、どっちに行こうかね」
あたしがカース・ダイヤを持ってグロリア火山に向かっていることは、すでに〈バロック〉も把握しているはず。
どっちの街に行けば連中と遭遇できるだろう。
「溶岩風呂!? 風呂のために溶岩を使ってんのか!?」
「例えだよ。火山が近いから地熱で熱い湯が湧くんだろ」
世間知らずのジェミニへの突っ込みも、もう慣れた。
「フットヒルズへ向かおう」
「え~。溶岩風呂、入りたかったのに」
……観光じゃないってこと、わかってんのかね。
◇
フットヒルズに到着したあたし達は、馬を厩舎に預けた後すぐ宿を取った。
二階部屋に上がって早々、あたしはカーテンの隙間から外に注意を払う。
「窓、開けないの?」
ベッドに寝そべるジェミニが不思議そうな顔で言った。
すでに狙われてるかもしれないのに、うかつに窓なんて開けられるかっての。
「夜が明けるまで交代で見張りだ。あんたは先に寝な」
「ジャスファは寝ないの?」
「見張りだっつってんだろ!」
この数日で、ジェミニがどんどん馴れ馴れしくなってきた。
いいかげん鬱陶しくなってきちまったよ。
その時、部屋のドアがノックされた。
こんな夜更けに女の部屋をノックするなんて、まともな客人じゃないね。
「ジャスファ」
「武器を構えな。窓の傍には立つんじゃないよ」
あたしは利き手に宝飾短剣を構え、ゆっくりとドアへと近づいていく。
ドアと床の隙間からは、廊下で影が動いているのが見える。
「誰だい?」
ドアと一定距離を保った状態で、廊下にいる人物に声をかけた。
「夜分遅くにすまないね、お嬢さん。取引といかないか?」
単刀直入だね。
間違いなく〈バロック〉の差し向けた宝石狙いの輩だ。
「……部屋に入れる。あんたはもしもの時に備えて、いつでも飛びかかれる準備をしてな」
「わかった」
双剣を構えるジェミニに小声で指示し、あたしは空いている手をゆっくりとドアノブへと近づける。
ドアノブを引くと、廊下には――
「やぁ、初めまして」
――黒いマントに、仮面をかぶった男が立っていた。
「入っても?」
「ああ。だけど妙な真似したら突き殺すからね」
「武器は持っていない」
男は両手を上げて武器なしのアピールをしてくる。
でも、信用なんてできない。
ヒラヒラしたマントの下、背中、腰の裏、暗器を隠せる場所はいくらでもある。
「失礼するよ」
男は部屋へと入ってくるなり、テーブルの傍にある椅子へと腰を下ろした。
……図々しい奴め。
あたしは男から目を離すことなくドアを閉めて鍵をかけた。
「そう警戒するな。あくまで目的は取引だ」
「目的はあたしの持ってるカース・ダイヤかい?」
「ご明察の通りだ」
「ってことは、あんた噂に聞く〈バロック〉?」
「知っているなら話が早い」
まんまとあたしの策にハマってくれたね〈バロック〉!
あとはカース・ダイヤをダシにして、あたしの要望をかなえさせるだけだ。
「宝石を火口にぶち込めば遊んで暮らせる金が手に入るんだ。それを邪魔するってんなら、よほど美味しい取引なんだろうね?」
「その前にひとつ。きみは、その依頼主がすでに死んでいることはご存じか?」
「なんだって!?」
ここからは何も知らないふりをして話を合わせる。
あたしなら造作もないね。
「闇ギルドは忌み物の処分にきみを利用しただけだ。仕事を果たして戻っても、依頼主は死んでいたと伝えられて報酬はもらえないぞ」
「……それが事実だとして、どう取引するっての?」
「きみからその宝石を買おう」
「こんな忌み物、金払ってまで欲しいのかい?」
「詮索は無用だ」
余計な情報は与えてくれない、か。
まぁ、あたしも事情なんてどうでもいいけどね。
「手早く済ませよう。買い値は6000グロウだ」
「はぁ!?」
「平均的な冒険者ギルドの稼ぎはそんなものだろう」
「あたしは平均的な冒険者じゃねぇっ!!」
憤ったふりをして、男の喉元へと短剣を突きつける。
……演技ではあるけど、本当に怒りたい気分だね。
6000グロウとかマジで安すぎるんだけど。
「取引で済ませておいた方がいい」
「次は力ずくになるってこと?」
「ご明察の通りだ」
「……金以外での提案があるんだけど」
「金以外だと?」
「あたしを〈バロック〉に加えてくれ。カース・ダイヤより、その方がよっぽど稼げそうだからね」
「……」
黙り込んじまったね。
仮面をしてるから表情は読み取れないけど、考える余地はあるってことか?
「……」
「ちょっと。なんとか言いなよ!」
「……ダメだな」
「なんでさ」
「一介の冒険者など〈バロック〉には不要」
……想定通りの返答だね。
あたしだって同じ立場だったらそう言うよ。
でも、あたしが〈ジンカイト〉の元冒険者だと知れば考えは変わるだろう?
「あたしは、これでも〈ジン――」
「殺せ!」
男が叫んだ瞬間、廊下からドアを、外から窓をぶち破って、黒ずくめの男達が飛び込んできた。
おいおい、人の話は最後まで聞きなよ!
「ジャスファ!」
「しゃあない、この場は逃げるよっ」
部屋に飛び込んできたのは――
ドア側から二人、装備はどちらも短剣。
窓側から一人、装備はロングソード。
――合計三人。椅子に座ってる仮面の男を含めても、余裕で逃げきれる!
「どけっ!」
空いている椅子を蹴り上げて、窓から着地したばかりの男へとぶつける。
よろめいたところをジェミニの双剣が斬り裂いた。
「キャハハハ! くたばれ、バァカッ!!」
「トドメ刺す暇があったら逃げるよ!」
あたしはジェミニの肩を叩いて、窓から外へと飛び降りた。
すぐ後ろからジェミニも続く。
「逃がすな!」
仮面の男の声が聞こえたので見上げると、窓から短剣の男達がちょうど飛び降りるところだった。
「ハッ! 馬鹿どもがっ」
あたしは腰のポーチから革袋を取り出し、男達の着地点へと中身をばら撒いた。
「ぐあっ!」「ぎゃっ!?」
まきびしさ!!
こんなこともあろうかと道中の武器屋で買っといたんだよ!
「ジェミニ、厩舎へ走れ!」
「りょ!」
あたし達が厩舎へと進路を変えた、その時――
「うわっ!?」
「こいつら、全員〈バロック〉か!?」
――建物の陰から数人の男達が現れ、あたし達を取り囲んだ。
全員、部屋へ押し入ってきた男達と同じ格好をしているから、こいつらも〈バロック〉の一味で間違いないね。
仕方ない……殺るか!
あたしはもう一方の宝飾短剣も左手に構え、臨戦態勢を整える。
「ジャスファ!」
「立ち塞がる奴は片っ端からぶっ殺して進むよ!」
「キャハッ! りょーかいっ!!」
あたしとジェミニは背中合わせになりながら、迫ってくる男達を迎え撃った。
月明かりだけじゃ敵の人数までは把握できない。
でも近場の連中を見る限り、得物は短剣とロングソードばかりだ。
接近戦で確実に仕留めようって腹かい!
「女だからって舐めんじゃねーぞっ!?」
「死にたい奴から掛かってきなっ!!」
こっちの挑発に乗ってか、さっそくあたしに仕掛けてきやがった!
まずは、最初に飛びかかってきた男の喉を横へと薙ぎ。
次に、背後からロングソードを振り下ろしてきた男の攻撃と交差するように握り手を切断、剣を落としたところで喉を一突き。
さらに、後方から斬りかかってきた男に拾ったロングソードを投げつけて刺殺。
加えて、ジェミニが斬り結んでいる男の背後から喉笛をかき切った。
……これで、四人か?
「さすがジャスファ!」
「油断するな! 数が多いっ」
ジェミニも二人ほど倒しているけど、それでも合計六人。
周りにはまだ何人もいるじゃないか……!
すぐにでもこの街から脱出しないとジリ貧だね。
「ワラワラ現れやがって、気持ち悪ぃんだよクソ野郎ども!」
……んん!?
急にあたしの攻撃が当たらなくなった。
あたしとの実力差を把握して、無理に飛び込んでこなくなったからか。
もしやこいつら時間稼ぎをしてるのか?
強力な助っ人がいるのかもしれない。
だとしたら、尚更この場に留まっているのは旨くない!
「ジェミニ、無理にでも退路を確保するよ!」
「どうやって!?」
「奴らの気を引け!」
ジェミニが双剣を振り回して連中の注意を引きつけている間、あたしはポーチから鉄線を取り出して宝飾短剣の柄頭にある穴へと結びつけた。
そして、鉄線を握って短剣をぶん回す。
「オラオラッ! 切り刻まれてぇ奴は前に出なっ!!」
短剣の遠心力を利用した即興の回転ノコギリだ。
鎧を着てないこいつらには、一撃必倒の威力だよ!
黒ずくめの男達が怯んで後ずさった時、退路が見えた。
「開いたぞ、突っ込めっ!」
「りょ!」
あたしが声を発してから間髪入れずに、ジェミニがわずかに開いた男達の隙間へと走った。
もちろん男達は一斉に剣を振り下ろしてくるけど――
「そうくると思ったよ!」
――あたしの回転ノコギリで、そいつらを一薙ぎ!
血の雨が降るのと同時に、男どもの情けない悲鳴が夜の街に響き渡った。
それが決定打となって連中の包囲網は瓦解した。
あたしとジェミニはその間隙を縫って、まんまと厩舎まで逃げおおせることに成功!
「すぐに出発するよ!」
あたし達の馬が目を覚ましていてくれて助かった。
馬は驚いた様子だったけど、あたし達が飛び乗るや状況がわかっているかのように厩舎を飛び出し、街中を駆けだした。
「よし。このまま街の入り口から堂々脱出だ!」
手綱を操って入口へと馬の進路を変えた時――
「!?」
――あたしの視界に異様なものが映った。
街の入り口付近に、赤い靄のようなものがかかったのだ。
いや、違う。靄じゃない!
鼻が詰まりそうになるほどの火薬の臭いだ!!
「なんだぁ!?」
街の外から入り口へと向かってその靄が動いている。
暗がりの上、赤い色が浮かび上がっているせいで、あたしの目にはそれが何なのかさっぱりわからない。
確かなのは、あたしの背筋が凍るほど危険な何かってこと。
「ジャスファ、何か来るよ!」
「わかってる。入口から逃げるのはヤバイ、別の出口を探すっ!」
大急ぎで手綱を引き、馬を引き返させる。
その時には騒ぎに気づいた住人が外に出てきていたけど、あたしはそいつらを跳ね飛ばさんばかりの勢いで街の中を駆け抜けた。
その直後――
「んん!?」
――あたしの背後から、耳をつんざくようなすさまじい轟音が聞こえてきた。
雷管式ライフル銃の銃声!?
違う、そんなレベルじゃない。
まるで何十発も同時に爆竹が鳴っているかのような異様な音だ。
「なんの音だよ!?」
「それを知ったら……たぶん死ぬっ!!」
音から逃げるように路地裏へと入った先で、外へ通じるアーチを見つけた。
一方で、例の轟音があたし達の後ろからどんどん近づいてくる。
しかも今では住人の悲鳴や絶叫も一緒だ。
「あれって街の住人の声か?」
「くっ……! 見境なしかよっ!!」
あたしのために他人がどうなろうが知ったこっちゃない。
けど、今回ばかりは胸糞悪い。
すぐにでもこの街から逃げ出したい。
その焦燥が、あたしに油断を生んだ――
「逃がすかっ!」
――物陰から現れた黒ずくめの男が、馬に取りついてきやがった。
「くっ! てめぇ、離せっ」
「誰が離すか!」
……くそっ。
出口は目の前だってのに、こいつのせいで馬の足が止まっちまった。
それどころか、暴れだして今にも振り落とされそうな勢いだ。
「死ね!」
あたしはとっさに抜いた宝飾短剣を男の喉元へ突き刺した。
腕の力が緩んだ瞬間、ジェミニが男を蹴り落とす。
……宝飾短剣は回収できそうにないね。
ちくしょう、冥途の土産にくれてやるよっ!
「行くぞっ!」
「行っけぇぇーーーっ!!」
地面に落ちた男を踏み潰して、あたし達は街の外へと脱出した。
離れていくフットヒルズに振り返ると、崩れる建物と火のついた街が見える。
そして、阿鼻叫喚の悲鳴までも……。
「一体何だったんだ。あの音と、あの異様な火薬の臭いをさせた奴は!?」
あたしは今も全身の悪寒が止まっていない。
馬の手綱もかろうじて握っているという有り様だ。
それから数時間、あたしは休むことなく馬を走らせ続けた。
明け方、疲労で馬が荒野のど真ん中に足を止めたところで、あたしはようやく安堵することができた。