C-003. 毒鼠、同志と出会う
ジェットのもとから逃げだして四日。
あたしは慎重を期して、街道を大きく外れるルートを選んで小都市エンジェへと向かっている。
エンジェは王都と衛星都市プリンシファの間に位置する都だ。
商人ギルドが幅を利かせている商業都市だから、欲しいものはここで十分手に入るだろう。
あたしが欲しいもの――それは、復讐のための道具だ。
武器に、金に、当面の仮住まいが必要になる。
ジルコへの復讐計画を実行するのは、それらの準備がしっかり整ってからだ。
馬車に揺られながら、今後の計画を考えていると――
「お嬢さん。もしや一人旅で?」
――隣に座っている男が話しかけてきた。
「……」
「緊張しなくてよろしい。私は冒険者だ。闇の時代には魔物を倒したこともある」
「……」
「女性を守る騎士だって務まるよ?」
鬱陶しい野郎だな!
ただでさえ狭くてガタゴト揺れる安い駅馬車でイラついてんのに、あたしを憤死させる気かこいつは!?
「キンタマ潰されたくなかったら、黙ってろクソ野郎」
「は……ははは。なかなか気丈なお嬢さんだ」
……っ!
この野郎、馴れ馴れしくあたしの肩に手を回してきやがった!
優しく言ってるうちに引き下がればいいものを……。
あたしは拳をグッと握りしめた。
「女性の一人旅は危ない。よろしければ私がお供をぶべらっ」
ドサッ、と馬車の外に物が落ちる音が聞こえる。
「ん? どなたか、何か落としましたか」
荷台の振動を感じたのか、御者が尋ねてくる。
だが、荷台に乗っている人間はみんな寝入っているから誰も答えない。
「……気のせいか」
御者は荷台の人数を確認もせず、馬の方へと向き直った。
さすが最安値の駅馬車……お粗末だねぇ。
大きな虫を払うのに、とっさに振り上げた手の甲がジンジンする。
鬱陶しい虫が消えて馬車が広くなったからいいけどね。
「それにしても、いい天気だねぇ」
馬車に揺られながら、あたしは頭上に広がる青空を見上げた。
空を翔ける鳥を見かけて、自由とはなんて素晴らしいものなんだと改めて感じ入る。
「自由、サイコー」
あたしが独り言ちた時、荒野の彼方に都の影が見えた。
◇
エンジェに着いた私は、すぐさま闇ギルドの窓口へと向かった。
闇ギルドは、日の下を歩けないような人間に対して危険相応の仕事を斡旋してくれる組織だ。
王国軍どころか、闇ギルドを糾弾しようとする冒険者ギルドや慈善団体もあって、決して表立っては存在できない。
しかし、その窓口は表社会のいたるところに点在しているのだ。
あたしは王国兵の駐屯所脇にある抜歯屋を訪ねた。
鼻をつく臭いの漂う屋内に入ると――
「誰かと思えば毒鼠じゃねぇか。まだ生きてたんだな、おめぇ」
――眼鏡をかけた筋骨隆々の大男が姿を現した。
「相変わらず閑古鳥が鳴いてるようだね、デーン」
「出てけ。もう俺はおめぇらみてぇな社会のダニと関わるつもりはねぇ」
「ご挨拶だね。悪名高い〈顎砕きの通り魔〉も、守るものができて腑抜けちまったか」
「殺すぞ、ガキが」
怒気をはらませたデーンがいきなりやっとこを眼前に突きだしてきたので、ギョッとして尻もちをついちまった。
「気に障ったら謝るよ! あんたと揉めるつもりはないんだ」
「だったら、時と場所を考えて俺の前に現れろ」
「そんなこと言うなら、そもそも出店する場所を考えなよ。なんでよりによって、駐屯所の真横なのさ!」
「王国兵はお得意さんだからな」
「……あんたが足を洗ったって噂、本当なのか?」
起き上がりざま店の中を見渡すと、抜歯器具(?)の他に子供のオモチャがいくつか転がっているのが見えた。
あれだけ残虐だった男が、守るものができた途端に変わるもんだね。
「中へ入れ。せめて客のふりをしろ」
「やっとこで本当に歯を抜きやしないだろうね」
「何なら仕掛け八重歯の数を増やしてやろうか?」
こいつの冗談、マジで笑えないんだよ……。
足を踏み出した時、あたしはいつの間にか口元を手で覆い隠していることに気がついた。
◇
あたしは作業場にある妙な形の椅子に座らされた。
背もたれが弓のように反っていて、仰向けの姿勢で寝かされているようになる。
デーンが隣に立つと、その手にはやっとこを持っていた。
「ちょ、ちょっと待った! あたしは客として来たんじゃ――」
「少し黙れ。客のふりをしろと言ったろ」
「……ふりだからな、ふりっ!」
あたしは居心地の悪い中、自分の置かれた状況と当面の目的をかいつまんでデーンに話した。
「……復讐、ね。復興の時代になっても、おめぇはそんな馬鹿やってんのか」
「これがあたしの生き方なんだよ。今さら変えられないね」
「救えねぇな、おめぇは」
デーンはやっとこの口をガチャガチャと噛み合わせながら、何やら考え込んでいる様子だ。
まさかいきなりやっとこをあたしの口に押し込んでこないだろうね……。
「頼ってくれて悪いが、俺はもう窓口を辞めて久しい。力にはなれねぇよ」
「そうか。……邪魔して悪かったね」
あたしは椅子から起き上がるや、デーンを一瞥して店を出た。
「安心しなよ。もう二度と来ないからさ」
今生の別れと思って、そう告げると――
「マダムが戻って来てるぞ」
――店の中からデーンの声が聞こえた。
◇
あたしは街路を歩きながら、デーンのつぶやいた言葉を頭の中で咀嚼していた。
……マダム、か。
数年でエル・ロワの闇ギルドを掌握した大物。
あたしも〈ジンカイト〉に所属する傍ら、マダムからいろんな仕事を斡旋してもらってずいぶん稼がせてもらった。
彼女が戻っているのなら会いに行かない手はない。
と言っても、マダムが居るのはプリンシファだ。
駅馬車に乗るにも金がないんだよね……。
「おいっ」
どうしたものかと考えていると、いきなり背後から声をかけられた。
振り向くと、そいつは両手に双剣を構えて斬りかかってきた。
「うおわぁっ!」
間一髪、不意打ちを躱した。
躱しざまに相手を蹴りつけるも、ひょいっと避けられてしまう。
今の身のこなし、どうやらただ者じゃないね。
「やっぱりてめぇ〈ジンカイト〉の冒険者だな!」
記章もないあたしをいきなり〈ジンカイト〉呼ばわり。
ってことは、あたしを知ってるのか?
ギラギラと敵意の眼差しを向けているのは、橙色の髪をポニーテールに束ねている小柄な女。
双剣を扱うってことは双剣士か。
得物がない今、相手するにはちょっと骨が折れる相手かもね。
「誰だ? あたしに何か恨みでもあんのかよ」
「誰だ、だって!? お前らが〈サタディナイト〉のジェミニを知らないわけないだろっ」
「〈サタディナイト〉……って、いつもあたしらに張り合ってきた、あの邪魔くさいギルドかよ。でも、あたしが知ってるジェミニは男だったぞ」
「それは兄貴だっ! てめぇらに殺された!!」
兄貴が殺された?
てめぇらにって……あたしは何も知らねぇぞ。
どうやらこれ、逆恨みだね。
「ちょっと待ちなよ! あたしは関係ないって!」
「黙れっ! 〈ジンカイト〉はどいつもこいつもぶっ殺してやる!!」
ジェミニが地面を蹴って、あたしとの距離を詰めてくる――速い!
一太刀躱しても、すぐに死角からもう一太刀。
狙いも正確で、あたしの目や首を重点的に狙ってきやがる。
この女、ナイフ術だけなら男のジェミニと遜色ない腕前じゃないか。
「死ねっ! 死ねっ! 死ねぇぇーーーっ!!」
「くっ」
なんとか躱し続けてるけど、このままじゃジリ貧だ。
まともな武器が手元にないのは痛い。
しかもこんな時に限って誰も道を通らない。
この女、ずっとあたしを襲うタイミングを見計らってやがったな!?
「くたばれぇーっ!」
ジェミニの右手突き――に隙がある。
ナイフを躱すのと同時に、あたしは指先の爪を割り、それをジェミニの指を掻きむしるようにして引っかけた。
「ぎゃっ!」
ジェミニの握力が緩んだ瞬間、すれ違い様にナイフをひったくる。
「痛っ。てめええぇっ!!」
まだ闘争心が萎えてないようだね。
左手に残ったナイフをあたしに向けて威嚇してくる。
「人気がないのは好都合。もう一本のナイフもいただいてやるよ」
「やってみろっ!」
ジェミニが接近すると同時に、首から上をめがけての三連突き。
遅い。あたしはその突きをすべて払い除けてやった。
「うっ……ううっ」
ジェミニの顔色が変わったね。
ナイフ術は確かに男ジェミニと比べても遜色ない。
だけどその程度ってことだ。
条件さえ同じなら、あたしの敵じゃない。
「ひざまずいて命乞いをすれば助けてやるけど?」
「ふざけんなっ!」
あたしの挑発にまんまと乗って、ジェミニが突っ込んできた。
「殺してやるっ! クロードも、クリスタも――」
動揺が明らかに体のキレを悪くしている。
あたしの方が格上だと頭が認識しちまって、体がビビってんだろうね。
すれ違いざま、刃先を首筋にかすめて終いだ!
「――ジルコもぉぉぉっ!!」
ジルコだって!?
「あ」
しまった。
ジルコの名前を聞いて、一瞬気が緩んじまった。
「わああぁっ」「うおっ」
ナイフが交差する瞬間。
際どいところで相手の刃を逸らしたものの、勢いは殺せずにジェミニのタックルをまともに受けてしまった。
「あぐっ」「ぎゃんっ」
ジェミニがのしかかる形で、あたしは地面に押し倒された。
今のあたしとジェミニの位置関係だと、首を一突きにするには角度が悪い。
腹を刺したって反撃にナイフをもろに受けちまう。
ヤバイ……どうする!?
「……!」
こうなったらっ!
「うおおおっ」
「え……なっ!?」
とっさにジェミニに両手両足でしがみついた。
ナイフを握るジェミニの左腕を押さえつけながら、立ち上がれないようにさらに足を引っかける。
「は、離せっ!」
ジェミニがジタバタと暴れる。
でも、しょせんはあたしより小柄な女だね。
腕力で振り払われる危険はない。
苦肉の策だけど、あとはこのまま誰かが通りかかるのを待つ。
王国兵に通報されるなり、第三者が止めに入ってくれば、さすがにこの女も諦めて逃げ出すだろう。
「ちっくしょうっ! ジルコの仲間はぶっ殺してやるっ!!」
……妙にジルコにこだわってるね。
もしかして、あいつとの間に何かあったのか?
「あんた、ジルコに恨みでもあんの?」
「あいつのせいでっ! ギルドが潰されて、兄貴も殺されたっ」
「ジルコが殺したわけ?」
「違うけどっ! あいつのせいには違いないんだっ」
「ジルコが憎いかい?」
「憎いっ! 自分の手を汚さず、仲間にあたい達を殺らせる卑怯者! あたいが絶対にぶっ殺してやるっ!!」
この女の復讐心、本物だ。
ジルコへの紛れもない殺意がこの女にもある。
その瞬間、あたしに妙案が閃いた。
「なぁ、ジェミニ。あたしと協力しないか?」
「ああっ!?」
「あたしもジルコに恨みがある。一緒にあのクソ野郎をぶっ殺そう!」
「ふざっけんなぁぁっ!!」
ジェミニは怒鳴った直後、あたしの首筋に噛みついてきた。
「ぎゃあっ! ちょ、待てよ……」
「んぐぐぐぐぐぅ~~~!」
ダメだこいつ!
興奮しすぎて我を忘れてる!
「味方だっつってんだろっ」
そっちがその気なら、こっちだってやってやるよ!
あたしは激痛が走る首筋を伸ばして、ジェミニの首にガブリと噛みついた。
「ぐぐぐっ」
「んぐぐううぅぅ~~~!?」
こっちは八重歯に睡眠薬を仕込んでるんだ。
さっさとお寝んねしちまいなっ!
「ぐうぅうぅ……ぅ……」
わずかなうめき声を上げた後、ジェミニがガクリと力尽きた。
……仕掛け八重歯の毒がまだ残っていて助かった。
「くっそ。本気で噛みつきやがって」
ジェミニの体を避けて起き上がった時、少し離れたところからあたし達を眺めている野次馬がいることに気がついた。
こいつら、止めもしないでずっと観戦していたのかよ!
「いつまでもここには……」
ぐったりしているジェミニを抱き上げて、近くの路地へと運び込む。
王国兵が来る前にずらからないと面倒なことになるからね。
……ひと悶着あったけど、よもやの発見だ。
復讐にもっとも重要なものは、武器でも、金でもない。
共に復讐を果たす相棒さ!
「ジルコ、待ってなよ。今にてめぇを地獄に叩き落してやるからね……!」
貴重な出会いを果たしたあたしの気分は思いのほか晴れやかだ。
首筋が死ぬほど痛いことを除けば、ね。