C-002. 毒鼠、地獄からの脱出
「ジャスファ。あまり突っ走り過ぎるなよ」
「うるせぇ! あたしはあたしのやりたいようにやるっ!」
「そういうとこ直してほしいんだけどな、お父さんは」
「黙れっ!!」
時は日没直後。
場所はパーズ郊外の廃村。
〈バロック〉のアジトを突き止めた情報屋から場所を聞き、あたし達はチーム分けしてアジトの制圧へと乗り出した。
あたしのペアはもちろんジェットだ。
このオッサン、久しぶりの実戦だからかやたら楽しそうな顔しやがって……。
「対敵した時にその爪を使うのもいいが可能な限り殺すなよ。連中には聞くことがあるからな」
爪のことまでお見通しかい。
「そう言うならナイフの一本でも持たせてくれよ」
「俺と一緒である以上、お前の安全は保障されたようなもんだろ」
そこまで断言するとは大層な自信だね。
確かにこいつの隣は世界で一番安全な場所だろうけど。
その時、空高くからホラ貝を鳴らすような音が聞こえてきた。
トリフェンが風の精霊を操って鳴らさせてる音――突入の合図だ。
「行くぞ!」
「ちっ」
あたしは前屈みになって廃村に向かって走りだす。
ジェットは付かず離れずの距離で、あたしを後ろから追ってくる。
「正面、左前方に罠! 右周りで!」
「応っ!」
廃村の入り口を目前にして、あたしは大きく回り込んだ。
葉っぱや汚泥で巧みにカムフラージュされているが、あたしの目と鼻はごまかせない。
わずかにそれらの隙間から網や木片がチラリと覗き、下からは赤と黒の色が浮かび上がっているのを感じる。
落とし穴が掘られてるな。
しかも底には油――落ちたら火がつく仕掛けになっているらしい。
……エグイねぇ。
「入り口にブービートラップあり。四つ隣の柵を越える!」
「応っ!」
村の入り口――アーチの下にも細いワイヤーが張られていた。
これも巧みに隠されているが、地面に埋められた雷管式ライフル銃にワイヤーが繋がっているのがバレバレだ。
罠を踏めば引き金を引いて撃たれるってわけか。
あたし達は廃村をぐるりと囲う柵の一部を飛び越え、村へと侵入。
間近の馬小屋の軒下を通り、廃屋の裏に回って村の奥を目指す。
「左側からは多めに火薬を感じる。右側の方が良さそう」
狭い路地を一定距離進むごとに足を止め、全神経を集中させる。
目も、鼻も、耳も、肌も、すべてを総動員させて周囲を探れば、あたしを罠にかけるなんて不可能だ。
「さすが俺の自慢の娘。お前ほど優れた斥候はいないな」
「うっせぇわ!」
褒められると、それはそれでこそばゆい。
あたしの仕事は敵地の罠を看破しつつ、一切それらに触らずにジェットを敵の喉元まで導くこと。
相手からしてみれば、十全な罠で守りを固めていたところをいきなり敵が目の前に現れるようなもんだ。
しかも、それがこの化け物とあっちゃあ敵さんに同情するしかないね。
「どれが敵の本拠かわかるか?」
「さぁてね。そこかしこの建物から衣擦れの音がしてるからなぁ」
「できる限りリーダーが潜んでそうな家屋に当たりをつけてほしい」
「相変わらず無茶言うね」
あたしは地面に四つん這いになった。
そして、全神経が周囲と同化する感覚に没頭するよう努めた。
いざという時には、こうすることでよりよくわかるようになる。
「……」
うん。わかってきた。
「屋根までツタの張ってる家。あそこだけやたら白い」
「白か。確か柑橘類の匂い……だったな」
「ここから目で見える範囲では、一番赤い色が多く出てるのも同じとこだ」
「赤い色……火薬か。雷管式ライフル銃で武装しているな」
あたしは犬並みに鼻が利く。
加えて、匂いに色がついて見える妙な感覚がある。
火薬なら赤。油なら黒。コーフィーなら茶。甘みのある飲食物なら白。
その多寡で危険を判断することもできるし、汗や血、唾液の匂いで個人を判別することだってできる。
この感覚は他人には理解しがたいものらしい。
昔ジルコに話した時は、あたしが何を言ってるかまるで理解できていないようだったしね。
「こんな廃屋に身を潜めていながら、甘い物がすぐ近くに用意できる贅沢な人物。とくれば、十中八九リーダーしかいないだろ」
「なるほどな。贅沢=権力を持ってる証ってわけだ」
「そういうこと」
ジェットが背中に背負っていた大剣を引き抜く。
「あとは俺の仕事だな。ジャスファ、しばらく裏に隠れてろ」
「りょーかい」
ジェットが地面を蹴って、リーダーの家へと駆けだした。
扉を蹴り破って中へ押し入るのと同時に、悲鳴にも似た黄色い声が見えてくる。
ドタバタと赤茶色の音が見えたと思ったら、次は緑色の斬撃音。
「ド派手だね」
突然の異常事態に、周囲の廃屋からランタンを持った男どもが飛び出してきた。
さながら万聖節の殉教者の行進だね。
ランタンの火がリーダーの家の周りに集まった時。
夜空から緑色の風切り音と共にふたつの人影が落ちてきた。
……ルリとタイガだ。
二人は地面に着地するや、背中合わせに剣閃を走らせた。
直後、いくつものランタンが地面へと転がっていく。
「これで詰みだな」
あたしは一方的な斬り合いが行われている現場に背を向けて走りだした。
空に浮いていた監視も今は地上だ。
これであたしを縛るものは何もない。
否。今はまだ――
「ジャスファさん。待機を命じられていたでしょ、戻ってください」
――一番厄介な精霊奏者の坊やが残ってたか。
「あなた、まさか逃げる気ですか!?」
トリフェンの声がまるで耳元で囁いているように鮮明に聞こえてくる。
離れた相手に声を届ける風の精霊魔法か。
その逆に盗聴もできる悪趣味な魔法だし、監視には適任だね。
しかも、今はあたしの姿も見えてるらしい。
「違うよ」
「どこに行くつもりです? 村から離れないでください!」
「トリィ。お前、女が用を足すところまで覗き見るつもりかい?」
「えっ!?」
「実はずっと我慢してたのさ」
「ええっ。ちょ、そんなこと言われても……っ」
「まぁ、お前になら見せてやってもいいよ」
「やめてくださいっ! ぼ、僕はそういう趣味は……」
動揺しちゃって可愛いね。
〈精霊の申し子〉とか言われていたってガキはガキだ。
手玉に取るなんて造作もない。
「少しの間だけあたしのこと放っといてよ」
「わ、わわ、わかりました……。この先に背の高い草むらがあります。す、するならそ、そこで……」
「りょーかいりょーかい」
フッと私の周りに立ち込めていた気配が消えた。
代わりにサラサラと吹きつける風が正面の草むらを揺らし始める。
あたしを誘導しているのか。
「ご親切にどうも」
その時、村の方から銃声が響き渡った。
振り向けば、廃屋には火がつき、暗闇にメラメラと赤い炎が燃え上がっている。
怒声が聞こえてきたが、燃え立つ炎に掻き消されて色は見えない。
〈バロック〉とやらも思いのほか踏ん張るじゃないか。
あたしは草むらに向かいながら、適当な棒切れを探した。
「おっ。これなら」
良さげな棒切れを発見。
それをローブの下に隠し、あたしは草むらへと入り込んだ。
そして、棒切れを地面にぶっ刺したのち、脱いだローブをそれにかぶせる。
遠目から見れば、草むらから人の頭が出ているように見えるだろう。
「さぁて、次は……」
あたしは草むらを腹ばいで這いながらトリフェンを捜した。
あのガキさえ始末すれば、あたしの足取りを追える奴はいなくなる。
ジェットから逃げきるには必須条件だ。
◇
「……おかしいな。草むらに入ってからあの人に動きがない」
廃村から離れた街道で、ブツクサ言ってるトリフェンを見つけた。
目をつむって何かに集中しているようで、後ろの茂みであたしが息を潜めていることなんてまるで気づいちゃいない。
ナイフさえあれば、投擲して首を狙うこともできるけど……今は無理だ。
近づいて確実に仕留める必要があるけど――
「確かめようか……。ああ、でも……もしも僕の勘違いだったら……! 女性のあられもない姿を覗くことに……そんなこと許されないっ。どうしよう精霊達!?」
――そう。トリフェンの周りには、常に精霊が寄り添ってやがるんだ。
今だって、すぐ傍をヒュンヒュンと緑色の光の塊が飛び回っている。
うかつに襲いかかれば容易に反撃を受けちまう。
あたしはベストを脱いでブラウスのボタンを外した。
そして、茂みから出るやトリフェンへと声をかける。
「トリィ。ここにいたのかい」
「えっ!?」
突然声をかけられて、よほど気が動転したのか。
トリフェンは荷物袋に足を突っかけて、その場に尻もちをついた。
「ジャ! ジャスファ!? ……さんっ」
「何赤くなってんのさ」
効果てきめん。
このガキ、あたしの胸を見て顔を真っ赤にしてやがる。
初心いねぇ。
「なんて恰好してるんです!」
「この服、胸がきつくてね」
「ち、近づかないでくださいっ! そそ、そんな恰好で……っ」
あたしはブラウスを着崩しながら、ゆっくりトリフェンへと近づいていく。
バレバレだよ。
顔を背けるふりして、チラチラと薄目を開けて胸元を見てるだろ。
女を知らない15のガキなんて、手玉に取るのは造作もないね。
「向こうが片付くまではお互い暇だろ? 久しぶりに話そうよ」
「えぇっ!?」
今、精霊どもは何をすることもなく周囲に浮かんでいる。
精霊奏者の意思が働かなければ、単独で精霊が何かをすることはない。
このまま大人しくしててくれよ。
「なぁトリィ。あたしのこと嫌ってるのはわかるけどさ。仲良くしようぜ」
「別に嫌ってなんか……」
あたしはトリフェンに寄り添うと肩に腕をまわした。
この時、しっかりと胸が当たるようにしてやるのがポイントさ。
この手のガキは緊張であちこち硬直して身動きが取れなくなるからね。
「あたしはさ、ルリともうまくやっていきたいんだ」
「え」
「あいつとの仲を取り持ってくれないかな?」
「僕が、ですか?」
「タイガには蛇蝎のごとく嫌われてるからねぇ。あんたしかいないよ」
「そうですけど……今さらどうして?」
「今は復興の時代だろ? これからは冒険者の仕事も減っていく。だから仲間同士、助け合わなきゃな」
トリフェンに顔を近づけて甘い声で囁く。
するとどうだ――顔を真っ赤にして、おどおどし始めちゃって可愛いねぇ。
「ぼ、僕でよければ……ルリさんに話してみます」
「ありがとうな」
あたしはトリフェンの顎を指先ですくい上げ――
「な、何するんですっ」
「お礼をしなきゃならないだろ?」
――その唇へと顔を近づけた。
「あっ。ダメです、ジャスファさんっ」
「目をつむって」
「うう……っ」
素直だね。
本当に目をつむっちまったよ。
「それじゃ、いくよ」
「……っ」
唇をしっかり結んでいるトリフェン。
あたしは――
「バァカ」
――その顔を避けて、細い首筋にカプリと噛みついた。
「痛っ!?」
あたしを突き飛ばそうとしても、もう遅い。
すでに毒は体を回り始めた。
「うっぐっ……ううっ……!?」
何度か痙攣した後、トリフェンは地面へと倒れ込んだ。
「即効性の睡眠薬だよ。こんな時のために、八重歯に仕込んでおいたのさ。ヴァンパイアみたいだろ?」
「あ……う……ぁ……」
「あぁ。ヴァンパイアは血を吸うんだっけか? まぁ、どうでもいいね」
「……」
……眠ったか。
体が小さいから毒が回るのも早かったのかね。
周囲からは精霊どもの気配が消えた。
術者の意識が途切れれば、契約した精霊が力を行使することはできない。
この坊やだって例外じゃなかったわけだ。
「……あぁ。良い夜風だ」
廃村の方を向くと何軒かの家が燃えていた。
耳を澄ましても騒音が聞こえてこないことから、すでに決着はついたのだろう。
眠っているトリフェンから金目の物をすべて取り上げた後、頬に軽く口づけしてやった。
「代金はこれで勘弁な♪」
あたしは夜の荒野を駆けだした。
走っている間、開放感が込み上げてくるのを感じる。
「ああっ――」
これで。
「――ああああああっ」
これでようやく!
「ひゃっほおおおぉぉぉうっ!!」
ついにあたしは地獄から解放された!!
「ハッ! あっははははっ」
嬉しくて嬉しくて笑いが止まらない。
ジェットから解放されて、やっと自由に生きていける。
こんなに嬉しいことはない。
今あたしの脳裏をよぎるのは、ただ一人の男の顔。
「待ってろよ、ジルコ――」
復讐してやる。
地獄に叩き落してやる。
泣いて謝っても許さねぇ。
「――てめぇの人生、めちゃくちゃにしてやるからな!!」
静寂の夜空にあたしの声だけが響き渡った。