C-001. 毒鼠、地獄での近況
……地獄だ。
地獄なんてものがあるとしたら、それは間違いなく今あたしを取り巻いているこの状況に違いない。
「ジャスファ、何してる! 猊下へご挨拶しないか」
……クソ野郎が呼んでやがる。
またあたしに権威を笠に着た聖職者のオッサンにおべっか使えってのか。
冗談じゃねぇぞ、まったく!
「……すみませんね、オーライ卿。最近、機嫌を損ねちまってまして」
最近、じゃねぇよ!
てめぇの傍にいる間、あたしが機嫌良い時なんて生まれてこの方一度もねぇ!!
「もう21だろう。冒険者など辞めさせて、若いのと一緒にさせたらどうだ」
「それには相手がねぇ~」
「今の時代、冒険者にまともな男などおるまい。もたもたしていたら行き遅れるぞ」
「実は花嫁修業中でしてね。冒険者は休業中なんですよ」
余計なお世話だ、ジジイども!!
あたしは今、王都の西――衛星都市パーズにいる。
そこの五つ星ホテルで、あたしの父親とジエル教のお偉いさんが秘密の会食をしてるってわけだ。
この場に同席こそしているものの、あたしは一切会話には加わらない。
どうせジェットからは逃げられっこねぇんだし、こいつらの酌婦に徹して、できる限り注意を引かないように努めるだけだ。
そのために……こ、こんな……!
こんな……フリル付きのドレスを我慢して着てるんだ……!
ちくしょう……っ。
盗み以外で、なんでこんなクソ恥ずかしい服を着なきゃならねぇんだ。
丈の長いスカートはスースーするし、ヒールは動きにくいし、花模様のヘッドドレスはまったくあたしの趣味に合わねぇし……。
……最悪だ。ああ、最悪の気分だっ!!
「この際、ジエル教の信仰を始めたらどうだ? 〈ジンカイト〉の元冒険者なら私が世話してやってもいい」
「なるほど。それもありですなぁ」
勝手に話を進めやがって……。
宝石拝みなんて冗談じゃねぇわ!
宝石ってのは、金に換えてなんぼだろうがっ!!
「ジャスファ。いい加減、機嫌良くしてこっちこい! また新しいドレス買ってやるから」
まるであたしがドレスを与えれば喜ぶ風なこと言いやがって。
たった今もフリル付きのドレスを無理やり着させてるくせに、これ以上あたしを嬲る気か、くそったれ!!
「話を戻すが、クロードはヴァーチュで死んだらしい。お前にとっては残念な報告だろうな、ジェット?」
「……ですな。しかし、それがあいつの選んだ道なのであれば俺はギルドマスターとして尊重しますよ。あ、実質もう元ですがね」
「後任のジルコ・ブレドウィナーだったか。あいつは大丈夫なのか? とても〈ジンカイト〉を率いる器には見えなかったが」
……ジルコ!
そうだ、ジルコ・ブレドウィナー。
あのクソ野郎のせいで、あたしは今こんなことになってんだ!
どうにかして復讐してやりてぇ……!
「ジルコはね。やる時にはやる奴ですよ。長年あいつを見てきた俺が言うんだ、間違いありません」
「お前ほどの男がそこまで言うか」
空になったグラスを卓上に置くや、オーライのジジイが席を立った。
どうやらお帰りのようだ。
それにしても……。
オーライが襟飾りにつけた白金のネックレス……欲しい。
売ったらどれほどの値になるか。
「なんだ、もう行くので? せっかく久しぶりに酒を飲み交わそうと思ってたのに、つれないですなぁ」
「少し前に枢機卿が一人減ってね。その分、仕事が増えたのだ」
「そういやぁ、パーズでそんな噂を聞きましたね。枢機卿の後任を決めるのはさぞ揉めそうですなぁ」
「大揉め中だよ。今や教皇庁もキナ臭い」
オーライが立ち去るのを見送ったジェットが、珍しくかたい表情をしてやがる。
何を考えてるのか知らねぇけど、らしくねぇなおい。
「ジャスファ」
「んだよ」
「そう睨むなよ、可愛いなぁ」
「……っ」
「まぁ、出る杭は打たれるって言うしな。俺がゴチャゴチャ言ったところで、オーライ卿には余計なお世話だろ」
「何の話だよ」
「行くぞ。次は……そうだな。これでエル・ロワのお偉方には一通り会えたし、予定通りアヴァリスに渡るか」
アヴァリスか。
アヴァリスといえば西方の玄関口。砂漠の王国だ。
アントラ砂漠に入った後だと、もう逃げ出すのは不可能だな。
なんとか砂漠入りする前に隙を見つけて逃げねぇと、延々とこのクソ野郎の挨拶回りに付き合わされて貴重な時間を浪費しちまう。
さて、どうしたもんかね……?
◇
パーズの広い街路をジェットの後ろにつきながら歩き続ける。
この状況、周りから見ればいつでも逃げられると思われそうだな……。
でも、ジェットは少しでもあたしが逃げる素振りを見せようものなら、親子のスキンシップだとか言って肩を抱きよせようとしやがる。
それが最悪に気持ち悪ぃ……!
「ジャスファ。アヴァリスで用を済ませた後は、ルスとドワロウデルフのどっちに行きたい?」
「……」
「久しぶりにルスの伝統料理を食いたいな。あっちの肉料理は美味いんだよなぁ」
「……」
「よし。ルスにするかっ!」
だから勝手に決めんなっつーの!
……こんな自由の無い生活はもうごめんだ。
絶対に逃げ出してやる!!
「なぁ。せめてもう少し動きやすい恰好をさせてくれよ」
「んん? そのドレス、似合ってるぞ?」
「あたしにはあたしなりのスタイルってもんがあるんだ。まさかあたしの個性まで奪おうってんじゃないだろうね」
「お前の個性もスタイルも尊重したいが、まずは形から入るべし、とも言うだろ」
「露出は抑えるよ。スカートは嫌なんだよ」
「そうだな。まぁ、俺もお前にお嬢様になってほしいわけじゃないし、節度を守った服装にしてくれるなら構わんぞ」
こうやって下手に出れば、話が通じないこともない。
この男から本気で逃げるなら、あたしも一時プライドを捨てるくらいしないとダメだね。
◇
その後、あたしはジェットを伴い、パーズの衣装屋を訪れた。
ドレスから着替えられればなんでも良かったけど……。
胸飾り付きのブラウスに革のベストを重ね着し、長ズボンにブーツ。
加えて、人混みに紛れやすくするためのフード付きローブ。
結局はこんな地味な恰好に落ち着いた。
胸がきついのが気になるけど、急ごしらえのコーデだし文句は言えないか。
「う~ん」
「なんだよ。なんか文句あんの!?」
「いや、別にないが……。まさか男物を選ぶとはな。男装令嬢に宗旨変えか?」
「動きやすさを追求しただけだよ」
ナイフの携帯も要望したが、さすがに許可されなかった。
まぁ、別に構いやしないけどね。
無手になった時に備えて、この数ヵ月一度も指の爪を切ってない。
いざと言う時は、爪をつまんでふたつに割れば、立派な凶器の出来上がりさ。
あたしほどにもなれば、それだけで並みの暴漢ならぶっ殺せる。
衣装屋から出て早々、あたし達は駅逓館に向かうことになった
アヴァリス行きの馬車を頼むわけだけど、その時にジェットの隙をうかがってこっそり取り巻きに手紙でも出せねぇかな……?
そんなことを考えていると――
「あっ」
「ん」
「え?」
――思いもよらない奴らと、ばったり道で鉢合わせた。
「ギルドマスター! それに……ジャスファ」
「おおっ。ルリちゃんじゃないか!」
ルリ、タイガ、トリフェン。
冒険者パーティー〈朱の鎌鼬〉が揃いも揃ってパーズで何してやがる。
「まだエル・ロワにいらしたのですね。てっきりもう国外に旅立っていたかと」
「挨拶したい連中がことごとく多忙だったもんでなぁ」
「左様ですか。しかし――」
ルリがチラリとあたしへと視線を向ける。
「――ふふっ。ジャスファのドレス姿が見られなくて残念だ」
このクソアマ……!
こんな状況じゃなきゃ、喉元切り裂いてやってるってのに!
「これから砂漠に入るもんでな。動きやすい服装に替えたばかりなんだよ」
「ということは、アヴァリスへ行かれるのですね」
「そうなるな」
あたしにとって、アヴァリス行きは本当の地獄への片道切符みたいなもの。
なんとかして妨害を……。
せめて、遅らせることはできないもんかね。
「お前達の方こそパーズで何を?」
「実は〈バロック〉という組織を追っているところなのです」
「聞いたことあるな。裏社会で暗躍する地下組織……だったか」
「我々はその組織に枢機卿暗殺の疑いを持っているのです」
「……俺は事故死って聞いたぞ」
「そう装われたやもしれません。我々はすでに事故現場を調べてきましたが、確証は得られなかったもののやはり怪しいかと」
「ルリちゃんの勘は当たるからなぁ」
ジェットがまた考え込んでいる。
オーライとの会食でしていた話と何か関係があるのか?
「……話を戻しますが。つい先日〈バロック〉らしき不審な連中の目撃があったと聞き及び、パーズへ訪れた次第です」
「〈バロック〉と疑う根拠は?」
「組織の象徴なのか、連中は皆、形の崩れた真珠を首飾りに使っているのです」
「なるほどなぁ。それで当たりをつけたわけか」
「はい。すでにパーズの情報屋にその連中の足取りを追ってもらっています。裏が取れ次第――」
ルリが腰の刀に手を触れて、続ける。
「――攻め入ろうかと」
「ルリちゃんらしいな。……でも、手が足りないんじゃないか?」
「え?」
突然ジェットがあたしの肩に手を回してきた。
いきなり何すんだ、気持ち悪ぃっ!
「今はギルドを離れてる身だが、俺たちゃ腐っても〈ジンカイト〉! 仲間の危機とあっちゃあ喜んで協力しよう!」
「誠ですか! それは頼もしい」
オモチャをもらったガキみたいにはしゃぎやがって。
あたしは昔から、こいつのこういう純真さが気に入らないんだ。
「なぁ、ジャスファ。ここは親子揃って仲間のためにひと肌もふた肌も脱ごうじゃないか」
「あたしを巻き込むんじゃねぇよっ」
……待てよ。
これはこれでジェットから逃げ出すチャンスじゃないか?
「報酬は?」
「相変わらず拝金主義だな。少しは無償の奉仕精神を養ったらどうだ?」
うるっせぇな。
そんな奉仕精神、今の時代に犬だって食わねぇよ。
「ギブ・アンド・テイクといこうぜ。正当な報酬が出るってんなら、あたしだって冒険者の端くれとして協力してやるよ」
「むぅ……」
「ヘイ! どうした侍ガール!? ギッブ・アー・テーク!?」
「わかっ……た。〈バロック〉の件で協力いただいている商人から、支援金の提供を受けている。その五分の一で手を打とう」
「五分の一ぃ!? 相変わらずケチだなルリさんは!」
「我々五人で五等分だ。まさか不公平とは言うまいな?」
ルリのいかにも呆れ果てたといった顔がムカつく。
でもまぁ、これであたしを仲間に引き込めたと思うだろう。
冒険者界隈ではあたしを金の亡者と呼ぶ奴もいる。
まったくもってその通りさ。
だからこそ、報酬確定した今はあたしが裏切るとは思わない。
「決まりだな。あんたも文句はねぇよな!?」
「文句はない。だが、仲良くやってくれよ、お前達?」
ジェットも納得した。
これでもう後には退けないね。
「仲良くするさ! 同じ釜の飯を食ってきた仲間じゃねぇか」
ようやく舞い込んできたジェットからの解放の好機。
絶対にものにしてやる。
何を犠牲にしたってな……!!




