4-033. 侯爵の力試し
試合のため、俺は侯爵邸の裏手にある修練場へと通された。
「広いですね」
「冒険者が全力で走り回っても狭くは感じないだろう。余計な訓練器具は片付けさせたから、遮蔽物は一切ない」
侯爵の説明通り、修練場は平たんで高低差がほとんどない。
床には敷石が詰められていて、ところどころ痛んではいるものの、小奇麗に整備が行き届いている。
「位置は……そうだな。修練場の中央で、互いに30m離れて始めようか。位置について、合図を待ちたまえ」
そう言うと、侯爵はネフラとヘリオを連れて二階へ上がっていった。
修練場は二階建てになっているが、二階は吹き抜けで狭い歩廊が周囲を囲っているのみだ。
二階はどうやら見物客のために用意された場らしい。
俺が歩廊を移動している三人を見上げていると、彼らの背後にある窓から覗く太陽光に目がくらんだ。
外はもう夕方。
直に日が暮れて真っ暗になるだろう。
「準備はいいかね!?」
上から侯爵の声が聞こえてきた。
試合の直前、俺は雷管式ライフル銃に加えて、薬莢を十発分支給された。
一発は薬室に込め、残りは銃弾袋へと収めて肩に背負う。
コルク銃はいつも通り左足のホルスターに。
いざという時の投擲用ナイフも、コートの裏にしっかりとセットしてある。
こちらの準備は万全だ。
30m先に立つセバスを見やると、レイピアの柄に右手を置いて目をつむっている。
彼も準備はできているようだ。
「構いません」
俺はセバスを視界に捉えたまま答えた。
「セバス! お前はどうだ!?」
「いつでも」
言い終えるや、セバスは閉じていた目を開いた。
その眼光は殺気さながらの圧をもって、俺の体を突き抜けていく。
……この人、ただ者じゃない。
「相手を武装解除させた時点で決着とする。首や心臓など、急所を狙う行為は禁止だ。近くに医療院も教会もないのでね」
殺し合いではなく、あくまで試し合いというわけか。
俺の場合、雷管式ライフル銃とコルク銃を手離したら負けになる?
隠しているナイフはどんな扱いになるんだ?
「プラチナム侯爵、質問が!」
「なんだね?」
「武器として使用が許されるのは、手持ちのものだけですか?」
「そうだ。今、身につけている武器だけを認めよう」
……ということは、隠し武器もありってことだ。
ナイフだって投擲するなら十分に銃士の扱う範疇だろう。
って、これは屁理屈かな?
「始め!」
侯爵の声が修練場に響き渡る。
俺はすぐに足を動かし、銃撃のタイミングを見計らう。
一方、セバスは開始位置から動く気配がない。
「……?」
不審に思いつつも、俺はセバスの周りを弧を描くようにして回った。
目で俺の動きを追ってきているが、背中に回っても振り向くことをしない。
余裕なのか、やる気がないのか、それとも。
「銃士を舐めているのか!?」
俺はセバスの背中を真正面から捉えられる位置で足を止め、銃口を向けた。
槓杆はすでに押し込んである。
あとは引き金を引くだけだ。
……セバスに動きはない。
余裕? 挑発? まさか罠ってことはないだろう。
俺は引き金を引いた。
薬室で火薬が爆発し、弾頭が発射される。
発砲時の腕に伝わるこの感触は、ずいぶん久しぶりだ。
「当たる!」
俺がそう確信して口走った時。
セバスが振り返りざまに抜いたレイピアの切っ先が、弾を押し退けるようにしてその軌道を逸らしてしまった。
結果として弾はあらぬ方向へと飛んで行き、壁に穴を空ける。
「おいおい……」
俺は驚きを通り越して、呆れてしまった。
なんだ今の動きは?
弾を叩き落とすでもなく、斬り裂くでもなく、軌道を逸らすって。
発射時に多少ブレる弾の軌道を正確に捉えたことも驚きだが、それ以上に弾道を逸らす行為が俺には衝撃だった。
そんなことをされたのは、生まれて初めての経験だから。
「ならば二発目!」
レイピアを抜いたまま、セバスに動きはない。
すぐさま二発目の薬莢を装填し、槓杆を押し込んで引き金を引いた。
発砲音と共に弾がセバスのもとへと迫るが――
「温い」
――そんなつぶやきが聞こえたかと思うと、またも弾道を逸らされた。
……普通じゃない。
弾道を見切る動体視力。
正確無比な剣さばき。
まともな銃技ではとても対抗できない。
「様子見はこれにて。参りますぞ、ジルコ氏」
そう宣言したセバスは真正面から俺に向かって歩き始めた。
その足取りは軽く、とても老齢とは思えない軽快さだ。
不意に、俺の肌が粟立っていく。
……ヤバい!
「くっ!」
三発目の薬莢を込めるや、迫ってくるセバスへと撃ち込んだ。
だが、今度も危なげなく弾を逸らし、さらに距離を詰めてくる。
続けざま、四発目の薬莢を込めて発砲。
それも同じようにレイピアで弾道を逸らされてしまう。
「ヤバすぎるだろ、この人っ」
俺はセバスから距離を取った。
その際、雷管式ライフル銃に五発目の薬莢の装填も忘れない。
俺を追うセバスの足取りが早まる。
対して、俺は背後の壁との距離が詰まってきている。
「ちぃっ!」
五発目――今度は真っ向から撃ちはしない。
銃口を斜めに傾けてから引き金を引いた。
射出された弾はセバスの手前で敷石を跳ね、彼の足元へと角度を変える。
しかし――
「想定済みです」
――スパッと足元を薙ぎ払い、弾を斬り落とされてしまった。
まな板に乗っている野菜を切るように的確に、だ。
「終わらせましょうか。夕餉の支度があるもので」
セバスが床を蹴り、一気に俺との距離を詰めにかかった。
ルリに匹敵するほどの俊足だ。
「ふっ!」
俺は銃弾袋からつまんだ薬莢をセバスへと放り投げた。
投げつけるわけでもなく、あくまでも相手の顔に向けて軽く。
セバスは薬莢を避けようともせず、あくまでも真正面から俺に向かってくる。
彼の右手を凝視する俺には、その筋肉の動きからレイピアで対処しようとしているのがバレバレだった。
逸らすなり、斬り裂くなり、確実に実行する自信があるのだろう。
だが、そこが付け目だ。
俺は新たな薬莢を指先につまみ、投擲の姿勢を取った。
そして、つまんだ薬莢を全力で投げ飛ばす。
薬莢は宙を舞う手前の薬莢の尻を小突いて――
「!?」
――セバスの眼前で小さな爆発を起こした。
さすがのセバスも、突然目の前で起きた爆発には驚いただろう。
だが、それも目くらまし程度だ。
すでに七つの薬莢を失った。
残り三発。
俺は相手との距離を拡げながら八発目の薬莢の装填を済ませ、視力を失っているセバスの側面から狙いを定めた。
普通に撃っても避けられないだろうが、念には念を……今回も跳弾でいく。
発射した八発目の弾は地面を跳ね、セバスの右足へと食い込んだ。
「ぐあっ」
一瞬バランスを失ってよろめいたが、彼はもう片方の足で踏ん張り、かろうじて転倒を免れた。
だが、それこそが俺の待っていた決定的な隙だった。
ダメージを受けて体勢を崩した直後なら、どんな強者でも立て直すまでに隙が生まれる。
九発目の薬莢を装填し、その隙を撃ち抜く!
「……!?」
しかし、引き金を引いても弾が射出されない。
……まさかの弾詰まり。
おいおい、マジかよ!
雷管式ライフル銃でたまに起こるが、この絶妙なタイミングで不発はないぜ!
「くっ。小賢しい真似を!」
セバスが苛立ちを露に俺を睨みつけている。
早くも視力が戻り始めた様子だ。
互いの距離は目算で20m弱。
セバスの脚力なら一、二秒程度で詰められる距離だろう。
「くっ――」
たった一、二秒で再装填できるかっ!
「――っそ!」
大急ぎで槓杆を引き、詰まりを起こした薬莢を取り出して新しいものを込め直す。
これが十発目――最後の弾だ。
「はああぁぁっ!」
……来た!
セバスがレイピアを斜めに構えて突進してくる。
槓杆を押し込め、引き金を引くが――
「うわっ!」
――コンマ一秒遅れた。
引き金を引いたと同時に、銃身を斬り上げられたのだ。
そのせいで弾は天井へと射出され、雷管式ライフル銃は真っ二つに斬り裂かれてしまった。
「評価を改めましょう、ジルコ氏!」
「そりゃどうも!」
セバスがレイピアを振り下ろす直前、俺は相手の横腹に蹴りをくれてやった。
その反動で飛び退き、かろうじて距離を取る。
「やらせるかよっ」
左足のホルスターからコルク銃を抜き取って、セバスの眉間へと撃ち込む。
しかしセバスは首をスナップし、額にコルク栓を滑らせて後方へと受け流した。
反射神経が常人を遥かに凌駕している。
「お覚悟を!」
セバスの剣閃は目で追えても体が反応しきれない。
俺はとっさに肩を突き出し、レイピアの刃を受けて弾き返した。
俺の防刃コートは肩口にだって鉄の板を仕込んでいるのだ。
「むうっ」
「うおおおっ!」
床を跳ね、セバスの顔面に足の裏を叩きこむ。
決定打にはなるまいが、少しでも態勢を立て直す時間がほしい。
「じっとしててくれっ」
つい口から漏れた俺の願いとは裏腹に、セバスは器用にも軸足で体を回転させ、蹴りの衝撃すらも受け流してしまった。
こいつ、マジでただ者じゃない!!
「なんとぉーーーっ!!」
感嘆符(?)を叫びながら、セバスが横薙ぎの予備動作を見せた。
この一撃、防刃コートの上から受けても悶絶しそうだ。
無理してでも躱すしかない!
……って、無理だこれ。
「があっ!」
コートの上から脇腹を打たれて体が弓なりに反る。
その衝撃で俺の体は横に転がり、顔面を床へと打ちつけてしまった。
……息もできず、血が香り、天地も逆さまだ。
それでも俺は手元からコルク銃を離さなかった。
「……!!」
寝転ぶ俺をセバスが斬りつけてきたので、とっさに床を転がって回避。
レイピアは床を一閃し、俺はその隙に立ち上がることができた。
撃たれた脇腹に鈍痛が残る。
防刃コートのおかげで、まだなんとか動くことはできるが――
「うわわっ」
――セバスは完全に狙いを絞ってきた。
コルク銃を握る俺の前腕へと的確にレイピアを振り下ろしてくる。
一度でも打たれれば、取り落とすことは避けられない。
「私の間合いで、これ以上何ができますか!?」
セバスが言葉でも圧をかけてくる。
ギリギリでレイピアの一撃を躱すことはできているが、いつまでも避け続けるのは無理だ。
二度、三度とレイピアを躱した後――
「タフなお方だ!」
――セバスが手元のレイピアをおかしな方向へと掲げた。
何の真似かと思っていると、いきなり俺の視界をまばゆい光が覆った。
「なんっ……だっ!?」
まさかの目くらまし。
修練場の窓から差す太陽光を、レイピアの剣身で受けて俺の顔へと反射させたのだ。
どうすれば戦闘中にそんなことを思いつく!?
「お終いっ!!」
目には見えないが、すぐ間近でセバスの声が聞こえた。
その直後に俺の左腕はレイピアで打たれ、固く握っていた指先からコルク銃が離れてしまう。
「うぐっ。銃は!?」
わずかに視力が戻ってきた俺の目に、天井へと跳ね上がるコルク銃が映る。
今さら手を伸ばしても届かない。
……ならば、最後の悪あがきをさせてもらう!
右手でコートの内側からナイフを取り出し、セバスの足元へとブーメランを投げる要領で投擲する。
彼はそれを見切って身を躱したが――
「何っ、これは!?」
――すぐに声を荒げた。
投擲したナイフは後方へと飛んで行かずに、彼の足を軸としてぐるぐると回り始めた。
周囲をナイフが回転するたび、セバスは両足を窮屈そうに狭めていく。
「馬鹿な! これは……!!」
手袋のワイヤーをナイフの柄に結びつけておいた。
指先から繋がる細く強靭な糸が、セバスの足を軸にして彼に絡みついているのだ。
こうなれば、もう自由はきかない。
「倒れろ!」
右手を引いてセバスを床へと引き倒した。
間髪入れず、レイピアを握る彼の手を蹴り飛ばす。
レイピアがセバスの手から離れて床を滑っていくのと同時に――
「……落ちた、か」
――俺のコルク銃が、床に落ちる音が聞こえた。
「そこまで!!」
プラチナム侯爵の声が修練場に響き渡る。
試合終了の合図だ。
この試合、勝ったのは……どっちだ?