4-032. 国境を越えるには?
「よろしいですか?」
俺とジニアスが考え込んでいると、教皇様が合いの手を入れてきた。
「私にも国境を越える資格は付与できませんが、その権限を持つ者を紹介することはできます」
「権限を持つ者、と言うと……?」
「プラチナム侯爵をお訪ねなさい」
「プラチナムって……五英傑の一人のですか!?」
「そうです。彼とは付き合いが長い。私の頼みならば聞いてくれるでしょう」
まさかの申し出だった。
さすが国教の長ともなれば交友関係が広い。
「ありがたいです! ぜひお願いします!!」
「ヘリオ。あなたもジルコ殿に力を貸して差し上げなさい」
教皇様に言われて、ヘリオが驚いた顔を見せる。
「僕が――わ、私が、よろしいのですか!?」
「会場でのこと、気に病んでいるのでしょう。闇に囚われし悪に、正しき光の道筋を示しておいでなさい。あなたならお二人の力になれる」
「ありがとうございます。必ずや私の光を示してみせます!」
聞き慣れない慣用句が飛び交っているが、ジエル教徒にとっては重要なやり取りなのだろう。
何よりも、ヘリオが一緒に来てくれるのは頼もしい。
前衛が加わってくれれば、銃士の俺は立ち回りやすくなる。
「ジルコ殿。ヘリオをよろしく頼みます」
「ヘリオなら心強いです。礼を言うのはこっちの方ですよ」
「教皇庁としても、あのような輩が野放しになっている事実は見過ごせません。なにとぞ、復興の時代に一抹たりとも禍根を残さぬよう」
俺は教皇様の言葉に頷きで返した。
「プラチナム侯爵はここからそう遠くない場所に邸宅があります。それと、これをお持ちなさい」
教皇様は肩から下げていたストールを俺へと差し出してきた。
真っ白な布に金の装飾が施された美しいストールだ。
「このストールは錬金術によって作られた品です。害意のある魔法を軽減する効能が施されています。件の賊と対峙する際、力になるでしょう」
「ありがとうございます!」
こいつはありがたい。
精霊奏者を相手するにはこれ以上ない戦力になる。
俺は興奮する気持ちを押さえて、丁寧にストールを受け取った。
「あなた方に、正しき道を歩む光があらんことを」
教皇様は胸に手を当て、目をつむって顎を引く作法を見せた。
ジエル教徒の好意的な見送りの礼法だ。
対して俺は胸に手を当てて、じっと教皇様を見つめた。
今の作法に返す作法だ。
……間違っていないよな?
ずいぶん前にフローラから教えてもらったきりだから、少々不安だ。
◇
ヴィジョンホールから離れた後、俺達は真っすぐプラチナム侯爵邸に向かうことはせず、いくつか所用を済ませる必要があった。
俺とネフラはいったん宿に戻って元の服に着替えた。
その後に最初に向かうは貸衣装屋〈牡丹〉だ。
借りていた衣装を傷めてしまった弁償も兼ねて、それなりの出費を覚悟しなければならない。
そう思って〈牡丹〉を訪れたのだが――
「お気になさらないで。その衣装はお二人に差し上げます」
「いいんですか?」
「重大な使命の前に出銭は縁起がよろしくありません。それに、お二人はルリ姫様のご友人ですから」
「……ありがとうございます」
「その代わりと言ってはなんですが、いつの日かルリ姫様がアマクニにお戻りになった時、力をお貸しくださいね」
――逆にシキさんの寛大さに惚れ惚れすることとなった。
次に、使えなくなったミスリル銃を預けに銀行へ。
慣れ親しんだ銃の重みが消えるのは寂しいが、ただの鈍器と化してしまった武器をいつまでも持ち歩くわけにはいかない。
銀行の貸金庫ならしっかりと保管してくれるしな。
こうして俺の武装はコルク銃とナイフ一振りだけとなった。
今さらながら、クチバシ男に投げたナイフを回収できなかったのは痛い。
教皇様からいただいたストールはネフラへと譲った。
無骨なコート姿に戻った今、あんな綺麗な帯は絶対に似合わないから。
一通りの所用を済ませた頃には、日はすでに傾き始めていた。
ヘリオには寄り道に付き合ってもらって申し訳なく思う。
そうして侯爵邸に到着するや、俺は豪勢な扉のドアノックを叩いた。
「貴族のお屋敷を訪ねるのは緊張しますね」
「相手は五英傑だからな。ただの貴族とはわけが違うし、俺も緊張するよ」
ヘリオの緊張をほぐすために言ったつもりだったが、かえって彼を強張らせてしまったようだ。
それから少しして、メイドが扉を開いて出迎えてくれた。
彼女に事情を説明すると、すでに伝書鳩で連絡が来ていたらしく、俺達はすんなり屋敷に入ることができた。
俺達は応接室へと案内され――
「しばしお待ちください。テーブルの上の焼き菓子や飴玉は、ご自由にお召し上がりくださいませ」
――感情のこもらない事務的なセリフを最後に、部屋の扉が閉じられた。
「歓迎されていないように感じたんだが」
「私も」
「僕もです」
メイドの対応に三者共通の感想だった。
とりあえず、めったに食べられない高級菓子をご馳走になるとしよう。
俺は手前の椅子に座るなり、テーブルの銀皿から焼き菓子を手に取った。
一欠けら口に含むと、甘ったるい蜂蜜の味が口の中に充満して辟易した。
◇
……遅い。
すでに何十分も待たされている。
テーブルの上の銀皿はすっかり空に。
窓の外からは、真っ赤な夕日の光が注いでいる。
この屋敷の主人は、いつまで客を待たせるつもりなんだ?
「遅いね」
「何かあったんでしょうか」
ネフラとヘリオがそわそわしたように言う。
俺だって落ち着かない。
この状況には、俺としても気にかかることがあるのだ。
「ネフラ。なんか嫌な予感がしないか」
「え?」
「このパターン、つい最近もあったじゃないか」
「……ま、まさか」
言いながら、ネフラが顔を引きつらせる。
考えたくもないが、ここは泣く子も黙る侯爵邸。
隠し扉の仕掛けがあっても何ら不思議なことじゃない。
「なんです? 何の話です?」
ヘリオが怪訝な顔で尋ねてくる。
どう答えるべきか悩んでいた時、応接室の扉が開いた。
俺とネフラはとっさに臨戦態勢を取ったが――
「待たせてすまなかったね。所用が立て込んでいたもので」
――真っ黒い礼服に身を包んだ老紳士が部屋へと入ってきた。
彼がプラチナム侯爵なのだろう。
一見、白髪に口髭をたくわえた老人に見えるが、その厳つい顔からは並々ならぬ経歴を感じさせる。
彼はつばのある円筒状の帽子を脱ぐと、影のように付き従っている執事らしき男へと手渡した。
「どうかしたのかね?」
「あっ……い、いえ。なんでもありません」
コートの内側に突っ込んでいた手を戻し、俺は慌てて取り繕った。
まさか奇襲に備えてナイフに手をかけていたとは言えない。
「かけたまえ」
プラチナム侯爵からソファーに座るようにうながされる。
俺達は侯爵が座るのを待ってから、全員揃って椅子に腰をかけた。
……対面に座る侯爵からは、言いようのない圧を感じる。
「〈ジンカイト〉のジルコくんに、ネフラくん。教皇庁のヘリオくん、だね」
「突然の来訪、失礼いたしました」
「そうかしこまらずともよい」
そう言うと、彼は口元を緩めた。
見た目は強面だが、案外気さくな人物なのかもしれない。
「実は、きみのことは少し前にコイーズから聞いていてね」
プラチナム侯爵が切り出した最初の話題は、コイーズ侯爵のことだった。
両者とも五英傑に数えられる英雄なので知り合いであることに驚きはないが、なぜコイーズ侯爵から俺の話が?
「園遊会で決闘を行ったそうだね」
……あの件か!
俺はジャスファのせいで決闘させられたことを思い出した。
「銃士でありながらも、不慣れな剣で剣士と戦い、機転を利かせて勝利したと聞いている」
「確かにそんなことがありました」
「逆境をものにするのは強者の才能だ。その話を聞いた時から、きみとはまた会いたいと思っていた」
「また?」
「覚えていないのも無理はない。四年前、私はある場所できみと顔を合わせているのだよ」
いつのことだろう。
四年前というと、アルマスとは出会った後で、ミスリル銃を手に入れる前くらいだな。
あの頃はあちこち転戦していたから貴族のお偉いさんと会う機会なんてそうそうなかったと思うけど……。
「もしかして奴隷商の一斉摘発が行われた時の?」
隣に座っていたネフラが自信なさげに言った。
「その通りだ。きみは覚えてくれていたようだね」
四年前……そうだ、思い出した!
確かにその頃、奴隷商の一斉摘発に参加した。
その事件の折、俺はネフラと出会ったのだ。
「あれから四年。きみは美しくなった」
「プラチナム侯爵は、当時の奴隷商摘発の際に潜入捜査に協力していただいたの」
ネフラが俺に説明してくれる。
この子、自分がギルドに加入する前の依頼まで覚えているのか。
「ジェットに協力を要請されてね。半ば無理やり手伝わされたよ」
「そ、そうなんですか……」
無茶するなぁ……。
仮にも侯爵にギルドの手伝いを無理強いさせるなんて。
「まぁ、あれは昔からあんな調子だったからな」
「ギルドマスター――ジェットとは、古い付き合いなのですか?」
「あれが冒険者になった頃からの付き合いだ。最近は落ち着いているが、当時は傍若無人で型破りな冒険者だったよ」
「へ、へぇ……」
その様子、鮮明に浮かんでくるな。
あの人、作り話なんじゃないかっていう武勇伝がいくつもあるし。
「借金を返すために立ち上げた〈ジンカイト〉が、今や世界最強の冒険者ギルドだものな。あれだけ無茶を積み重ねてよく生き残れたものだ」
「はは……」
「そんなジェットの育て上げたギルドをきみが継ぐということを知って、私は少々不安に思ったよ」
「うっ」
やっぱりそこを気にするよな……。
今まで会ってきた偉い人達は、みんな俺が後任であることを不安視していた。
そりゃ、あの人に比べれば俺の実績なんて大したことない。
でも、ギルドをいきなり丸投げされた俺の身にもなってほしい。
「今回の件は、きみの真価を問う試金石としてはちょうどいいかもしれんな」
侯爵は不敵な笑みを浮かべながら、俺を見入った。
その眼差しに俺は全身が強張る。
「……ですね。後任を任された以上は、その資質を証明してみせます」
「頼もしいな。この私にそんな宣言をするとは」
俺だって次期ギルドマスターとしての矜持があるんだ。
相手が誰だろうと、今さら後任の否定はさせない。
「とはいえ、今回は相手が相手だ。しかも、場所も場所だ」
「はぁ」
「今、エル・ロワはドラゴグと微妙な関係でね。あまりエル・ロワの弱みを見せたくはない」
「と、言いますと?」
「きみをドラゴグに送り出しても恥をかかないか、確かめさせてもらいたい」
恥ってなんだよ、恥って!
結局はこの人も俺のことを認めていないってことじゃないか。
「どうすれば俺を認めてくれますか」
「そうだな……」
侯爵は顎に手を当てて少し考えると――
「セバスと試合をしてみないか」
――後ろに立っている執事を指さして言った。
見れば、セバスと呼ばれたその執事は腰に剣を差している。
彼は執事であり、身辺警護でもあるのだろう。
「試合ですか」
「そうだ。すでに察していると思うが、彼は剣士だ。老齢に差し掛かっているが、今でも恐ろしく強いぞ」
「……わかりました。俺の武器は銃でいいのでしょうか?」
「もちろんだ。一流の銃士と一流の剣士の勝負、年甲斐もなく心躍るよ」
ノリノリだな、プラチナム侯爵。
この人、見た目に反してずっとやんちゃな性格みたいだ。
ウチのギルドマスターと気が合うわけだ。
「お言葉ですが旦那様。ジルコ氏は宝飾銃を使うと聞き及んでおります。しかし、今の彼は……」
セバスが俺の装備を案じている。
手合わせする相手に気を利かされるのは、なんだか申し訳ない。
と同時に、甘く見られている……とも感じる。
「そうだったな。宝飾銃はどうしたのかね」
「事情があって今は手元にありません」
「ふむ。ならば試合は難しいか」
「いえ。やります」
俺は冒険者になった頃から生粋の銃士だ。
ミスリル銃がなければ戦えないなんて、口が裂けても言えるものか。
「雷管式ライフル銃を一丁貸していただけますか」
「それは構わないが、本当にやる気かね?」
「俺は銃士です。そして、最強の冒険者ギルド〈ジンカイト〉の次期ギルドマスターでもある。得物がなんであれ、一介の剣士に後れは取りません」
「……フフッ」
侯爵が満面の笑みを浮かべ、肩を上下させている。
一方、セバスはまったく顔色を変えない。
「面白いっ! ジルコ・ブレドウィナー、きみの強さを見せてみろ!!」
もう後には退けない。
俺は、俺の実力を見せるだけだ。