4-031. 嵐の後
時は正午。
ヴィジョンホールには王国兵が集まり、貴族達の避難誘導もあって騒がしい。
「教皇様にお怪我は!?」
「手が足りん! まだ聖職者は到着しないのか!」
「わしの落札した競売品はどうなったのじゃ!?」
「今すぐ商人ギルドの責任者を呼び出せ!!」
……大混乱、だな。
俺とネフラは事が落ち着いた後、王国兵から事情聴取を受けた。
それが済んだ今は、ヴィジョンホール前の広場で噴水を眺めながら一息ついているところだ。
「凄い騒ぎになっちゃったね」
「だな。もうすべての予定がめちゃくちゃだよ」
何も思い通りになっていない現状に、焦燥が募る。
サルファー伯爵との契約に必要な宝石は落札できず。
ミスリル銃も賊との戦闘中に壊れ。
目的の若返りの秘薬は賊に奪われた。
今の俺は、自分史の館で見せられた未来よりも最悪な未来に向かっているような気がする。
この騒ぎでネフラに傷ひとつないことだけが救いだな。
そんな俺のもとへ、護衛を携えたザナイト教授がやってきた。
「や。また会えたね、ジルコくん。今日は貴重な体験ができて楽しかったよ」
「……ご無事で」
あの状況を楽しむとか……。
この人がクランクと長く付き合えるのがわかる気がする。
「しかし競売品も全部奪われてしまって、どうするんだろうね?」
「商人ギルドは王国軍と協議しているようです。教皇様が巻き込まれたこともあって、ただの強盗事件じゃ済まないでしょうね」
「だろうねぇ。オブシウスもとんだ災難に遭ったもんだ」
「オブシウス?」
「教皇の名前だよ。知らなかった?」
「初耳です。ザナイト教授は、教皇様にずいぶん親しげですね」
「彼が子供の頃から知ってるからね。昔から四角四面だったよ、彼は」
教皇様は確か60歳過ぎだったよな。
子供の頃から知っているとは、さすが長寿のエルフだ。
「ザナイト様。警備の都合もありますので、そろそろ宿舎の方へ」
俺と教授の間に、護衛の女性エルフが割って入ってきた。
競売会場で賊にやられて床に伸びていた人だ。
「えぇ~? もう少し様子をうかがっていたいなぁ。せっかく面白そうな事件に巻き込まれたわけだし」
「不謹慎なことをおっしゃらないでください。死者こそ出ていませんが、怪我を負った方も多いのですよ」
「入札すら体験できなかったんだよ? せっかくの外の世界なんだから、少しは私の自由にさせてほしいな」
「駄々をこねないでください」
護衛のエルフが、まるで子供を諭すように教授を言い聞かせている。
変人の下についた部下は色々と大変なんだよな。
「……興味本位で尋ねるんですけど」
「なんだい?」
「ザナイト教授が狙っていた品ってなんです?」
「ああ、そのこと? ヴィヴィアンのティアラさ。パンフレットには、湖の乙女の聖冠なんて名称で紹介されていたけどね」
「ティアラ、ですか」
「エルフの至宝のひとつさ。九年ほど前、リヒトハイムから持ち出されたきり行方知れずだったんだけど、競売に出品されることを知ってね。わざわざブリッジまで来たのに手に入らなかったのは残念だよ」
「かなり貴重な品なんですね」
「冠自体は別に。価値があるのは、主石に使われているセイントサファイヤっていう宝石だよ。せっかく500万グロウも用意してきたのになぁ」
「ごご、500万っ!?」
驚きのあまり変な声を出してしまった。
リヒトハイムでは通貨としてグロウは使われていないはず。
それにもかかわらず、わざわざ500万グロウも用意するとは……まさに至宝だ。
「そうだ!」
何かを閃いたザナイト教授は、ずいっと俺に顔を近づけてきた。
……近い!
「もし、きみが賊からティアラを取り戻してくれたら、お礼に500万グロウを進呈しよう!」
「えええっ!? マジですか!!」
「うんうん。マジマジ。どうせ国に帰れば私はグロウなんて使わないし」
「わかりました。必ず取り戻してみせます!」
俺はふたつ返事で承諾した。
500万グロウもあれば、ギルドの銀行への借金は利子を含めて全額返せる。
こんな奇跡のようなチャンスを逃す手はない。
「決まりだ! 期待しているよ、ジルコくん」
そう言って、ザナイト教授はいきなり俺の頬に口づけをした。
「ちょっ!?」
「エルフの口づけには約束を違えた者を呪う効力があるんだ」
「呪うって……えぇっ!?」
「あははっ。冗談だよ冗談。期待と好意の表れと受け取ってほしい」
ザナイト教授は悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、護衛に連れられて広場から去って行った。
……本当に冗談なんだろうな?
その時、俺の背中を誰かが叩いた。
振り返ると、ネフラがジト目で俺を見上げている。
「どうした?」
「別に」
突然ご機嫌斜めになってしまった。
まぁ、原因は察せられるが……。
そっぽを向く彼女に話しかけようとした時、また俺に声をかけてくる者が現れた。
「ジルコ殿、ネフラ殿――」
教皇様だ。
隣にはヘリオ、後ろには他の神聖騎士団の姿も。
「――此度の件、なんとお礼を申し上げればよいものか」
教皇様が頭を下げたので俺は慌てた。
いくら〈ジンカイト〉とはいえ、俺は一介の冒険者に過ぎない。
そんな俺に対して、ジエル教の長が直々に頭を下げるなどただ事じゃない。
「ちょ、頭を上げてください!」
「あなた方は私の命の恩人です。頭を垂れずして、何としましょう」
感謝されるのはありがたいが、この場には他に貴族達の目もある。
それなのに、ここまでされると逆に困ってしまう。
確かにこの人、四角四面だ。
周りの貴族達がざわめき始めた。
……思った通り、教皇様の俺への態度が周囲の注目を集めてしまったようだ。
「俺は当然のことをしたまでで……。そもそもヘリオ達の助けがなければ俺だけじゃとても!」
「謙遜しないでくださいジルコさん。あなたがいなければ、あの場は賊にされるがままだったはずですよ」
これまたヘリオが俺を持ち上げてくれる。
クロードの件もあって、教皇庁の俺への信頼はかなり高いみたいだ。
「あ。そういえば、カイヤはどうなったんだ?」
「彼は重傷だったので、すぐに医療院へと搬送されました。あれほどの傷は僕の力では治癒しきれないので」
カイヤのやつ、生きていたか。
死なれでもしたら後味悪いから、それはそれで良かった。
その時、不意にヘリオの持つ盾が目に入って俺は驚いた。
盾の表面にいくつも深い傷が刻まれていたのだ。
俺が盾を見ていることに気付いたのか、ヘリオが苦笑いで言う。
「この盾、セントチタニウム製なんですけどね。まさかここまでボロボロにされるとは思いませんでした」
セントチタニウムはミスリルに次ぐ強度を誇る金属だ。
貴重な金属ゆえ、神聖騎士団に支給される武具でも盾にしか使われていない。
その盾にここまで深い傷をつけるとは……。
「あのマスクの男、精霊魔法だけならクロードさん以上かもしれません」
ヘリオも俺と同じ見立てなわけか……。
もしもあの時、クチバシ男が退かなかったら無事に済んだか怪しい。
「ジルコ殿。この謝礼は別の機会に必ずさせていただきます」
「は、はい」
教皇様が懇切丁寧に告げるものだから、たじろいでしまう。
ちゃんとした偉い人との会話はどうもやりにくい。
そこに、また俺に声をかけてくる者が現れた。
気が休まる暇がないな……。
「ジルコさん、無事で何よりです!」
商人ギルドのジニアスだった。
俺のところにやってきたということは、競売の責任者としての責務は終えたのだろうか。
「今回の件は非常に残念です。まさかあんな連中に目をつけられていたなんて」
「奪われた競売品は一体どうなるんだ?」
「先ほど軍の人間と話してきたのですが、早急に討伐部隊が結成されるそうです」
「連中がどこに逃げたかはわかっているのか?」
「ええ。空から海峡門を越えて、ドラゴグに入ったことが確認されています」
海峡門とは、エル・ロワとドラゴグを繋ぐ湖上横断橋の入り口のことだ。
事実上の国境線とされ、そこを境に海峡都市は二分されている。
エル・ロワ側は西方領域、ドラゴグ側は東方領域といった具合に。
クチバシ男は、国境をあの空飛ぶ絨毯で突破したわけか。
国境警備の連中は何をしていたんだ?
「賊の中に風の精霊の精霊奏者がいたらしく、魔導士隊の対空迎撃もことごとく躱されたようで……」
それを聞いて、俺はすんなり納得した。
しかし、賊に国境を突破されたとあっては王国軍の沽券に関わる。
国も本腰を入れて対処に乗り出すだろう。
「王国軍はかなり気合が入っていそうだな」
「ええ、それはもう。エル・ロワ全土から、闇の時代に活躍した歴戦の兵達に招集をかけるそうです」
「戦争でもするつもりかよ……」
「取り急ぎ、ドラゴグへ入った賊の足取りを追うために斥候が選抜されているとか」
軍はドラゴグに入国して、追跡を敢行するつもりか。
エル・ロワとドラゴグは表面上は仲良くしているが、実際のところはどうなのだろう。
ドラゴグは滅びた近隣諸国の領土を勝手に吸収合併するような国だからな……。
総額数千万グロウもの価値がある競売品の奪還に、素直に協力してくれるのだろうか。
「どうするのジルコくん。私達もドラゴグへ入る?」
ネフラが判断を仰いできた。
目的の若返りの秘薬を手に入れずに帰るわけにはいかない。
俺もドラゴグに入って、独自にクチバシ男達を追うのは必然だ。
しかし――
「ネフラ……」
――俺はネフラと目を合わせて、答えあぐねた。
ここから先も、彼女を連れて行くべきか。
ドラゴグに入れば〈ジンカイト〉の権威も弱まるだろう。
見知った場所も少なく、明らかにエル・ロワとは勝手が異なる。
ましてや相手はクロードと同等以上の難敵だ。
「私、どこまでもついていくから」
「……そうか」
俺はネフラの碧眼に見つめられて彼女の覚悟を感じ取った。
ここまで来たら、もはや一蓮托生か。
「一緒に行くか、相棒」
「うん」
決まりだ。
俺はネフラと共にドラゴグへ入る。
そして、賊に奪われた競売品を必ず取り戻してやる!
「お二人ともドラゴグへ?」
「ああ」
「では、僕から――いえ、商人ギルドから良い話があるのですが」
「なんだ良い話って?」
ジニアスが懐から四角札を取り出し、俺に差し出した。
その四角札には、以前もらったものと同じように商人ギルドの紋章と、ターレント・ゴールドマンの署名があった。
「今回の件に、父は非常に憤慨しています。もちろん、競売をめちゃくちゃにした賊にですよ?」
ジニアスは冗談半分に続ける。
「王国軍とは別に、ドラゴグの商人ギルド支部や情報屋に賊の追跡調査を要請することが決まりました」
「そりゃ凄い」
「事実上の賞金首ですよ。こんなことは過去に例がありません」
やっぱり怖いな、商人ギルドは。
実際、その組織力は大陸全土に及んでいると言っても過言じゃない。
王国軍よりよっぽど賊を追い詰めることができそうだ。
「で、良い話ってのは?」
「あなた達をサポートさせてください。もちろん軍にも協力しますが、我々としては少しでも競売品を取り戻す公算を上げたいのです」
「なるほど、わかった。むしろ俺の方から頼みたいくらいだよ」
「それと、これはもしもの話になりますが――」
突然ジニアスが俺に顔を近づけてきた。
何かと思ったら耳打ちのためだった。
「――あなたが競売品の回収に貢献した場合には、相応の報酬を期待していただいてよろしいですよ」
そりゃ嬉しい申し出だ。
でも、女性ならまだしも男に顔を近づけられるのはぞっとしないな。
「こちとら冒険者だぜ。依頼なら断る理由はないさ」
「正式な書類はありませんけどね」
俺はジニアスから四角札を受け取った。
商人ギルドの後ろ盾があれば、俺が賊の尻尾を掴むことだって不可能じゃない。
「ドラゴグの商人ギルドにその四角札を見せれば、力になってくれます。頼みましたよジルコさん」
「ああ。ありがとう!」
心強い味方を得て、俺の闘志も燃え上がる。
「よし。さっそく俺達も国境を越えるか!」
「うん!」
ネフラも同じ気持ちのようだ。
「ジニアス。俺達はこのまま海峡門に向かえばいいのか?」
「え?」
「国境を越えるために、話を通してくれるんだろう」
「あっ。すみません、さすがにそこまでの権限はウチには……」
「えぇ!? じゃあどうやってドラゴグに渡ればいいんだ?」
「そ、それは……どうしましょう?」
「……」
……あれ?
これってもしかして、俺達も海峡門を強行突破しないといけない流れ?