4-023. 過去からの胸騒ぎ
その日の夜。
俺達は二つ星宿に部屋を借り、ラウンジで競売のパンフレットを見ていた。
「グランソルトオークション。それは、アムアシア東西の中心、世界のへそ、エル・ロワとドラゴグの橋渡し、海峡都市ブリッジにて開催される世界最高峰の競売……か」
パンフレットには大仰な謳い文句が書かれていた。
ジニアス・ゴールドマンの話によれば、この冊子は競売参加希望者――つまり貴族に配られるものらしい。
どのページに載っている競売品も、俺が普段の生活で目にする額とは0の数がひとつふたつ違う。
まさに裕福層のための競売というわけだ。
「本当に金のあるところにはあるもんだな。庶民も気軽に参加できる骨董市の競りとは、根本からして世界が違う」
皮肉交じりに言うと、隣に座っていたネフラがこくりと頷く。
「本来なら、競売に参加するのだってグランソルト商会の会員になる必要があるみたい。会員費として毎年一定額徴収されるとか」
「税金じゃあるまいし……。商人ギルドは考えることがいちいちアコギ過ぎる」
競売に参加するに当たって、俺が気にかけているのはサルファー伯爵から要望された品物だ。
伯爵から落札を依頼されているのは――
①タンザナイト 23カラット
最低落札価格:72000グロウ
②マスグラバイト 1.5カラット
最低落札価格:84000グロウ
③アレキサンドライト 1カラット
最低落札価格:120000グロウ
――この三種の希少宝石だ。
いずれも子供が指先でつまめる程度の大きさだが、その価値は軍馬数頭に勝るとも劣らない。
パンフレットを開く俺の隣で、ネフラが不安そうな表情を浮かべている。
「最低落札価格が、どれも〈ジンカイト〉の報奨金の四倍以上。本当に落札できるのかな?」
「銀行から伯爵名義で55万グロウ受け取ることになっているんだ。それだけあれば三つとも落札できると思うけど」
「もしも落札し損ねたら?」
「……王都に帰りたくないな」
最低落札価格は、宝石三つ併せて276000グロウ。
競売の熱気次第だろうが、実際にはこの二倍以上に入札額が跳ね上がることも珍しくはない。
宝石コレクターならば喉から手が出るほど欲しい宝石のはずなので、正直55万グロウでは不安があるのだが……。
「全体が盛り上がる目玉商品の直後に出てくることを祈るしかないな」
それにしても、だ。
俺はパンフレットの挿絵を見ながら引っかかるものを感じていた。
三つの宝石の名は、風の便りで過去にも耳にしたことがある。
しかし、ただ聞いただけでは済まない感覚が、俺の中に生まれているのだ。
「この宝石、どれも見覚えがある気がするんだよな」
「既視感?」
「ああ。なぜかあまり手元に置いておきたくない気持ちになるんだ」
「何か曰くでもあるの?」
「そうじゃない。でも、なんだろう」
……思い出せない。
俺自身、思い出すことを拒否しているような。
「まぁ、いいか。この三つの宝石は必ず落札しておかないと面倒事が増えちまう。なんとかしよう」
「うん。それと――」
ネフラが俺のチュニックを指さして続けた。
「――競売会場にはドレスコードがあると思うから、それも解決しないと」
「貸衣装屋か。また金がかかるな」
「それも仕方ない。貴族の社交場に行くようなものだから」
堅苦しい恰好は嫌いだ。
でも、普段着のままでは会場には入れてもらえないだろうし、必要な出費と割り切るしかないか。
「オークションは5月25日。あと二日か……」
「明日、貸衣装屋を探さない?」
「そうだな。今日はもう休んで、明日は塩の道を探索してみよう」
そう締めくくって、俺は自室へと足を進めた。
パンフレットはネフラに渡してあげた。
彼女の暇つぶしにはちょうどいい物だろうからな。
それはそうと、若返りの秘薬の方は大丈夫だろうか。
俺の脳裏にそんな不安がよぎる。
ジニアスが取り計らってくれると言っていたから特に準備もしていないが、いざ競売が始まった時に落札できませんでした、では間抜けもいいところだ。
そもそも落札する金なんてないし、商人ギルドを頼るほかないのだが……。
「ん?」
自分の部屋のドアノブに手をかけた時。
ネフラが黙ったまま、俺の後ろをピタリとついてきていることに気がついた。
「お前の部屋は隣だろ」
「あ、うん」
踵を返して、そそくさと隣の部屋へと入っていくネフラ。
なんだ? どうした?
久々の遠出だし、あの子も疲れているのだろうか?
俺は扉を開けて、自分の部屋へと入った。
そしてコートを脱ぎ捨てるや、ふかふかの羽毛ベッドへと倒れ込む。
「疲れた……」
思えば長い一日だった。
ブリッジに到着して早々、魔法を使う猿と戦うことになって。
その後は、商人ギルドを訪ねて黒頭巾に襲われて。
「明日はゆっくり過ごして、明後日は少しでも競売を楽しめればいいな」
独り言ちた傍から、俺の意識はまどろみに落ちていった。
◇
……夜が明けた。
俺は目を覚まして間もなく、宿のサウナに立ち寄って旅の垢を流した。
その後にネフラと合流し、宿に併設されたパン屋で朝食をとると、身支度を整えて塩の道の商店街へと赴く。
目的は貸衣装屋の探索だ。
「どうだ?」
「ここから一番近いのは、ぼたんという装束店。貸衣装もやっているみたい」
「名前の響きからしてアマクニ関連の店かな」
「たぶん」
「どうする? あの国の服は、エル・ロワとはちょっと様相が違うぞ」
「ルリ姫みたいな服装でしょう。興味ある」
ネフラが興味を示したので、俺はぼたんという店へと向かうことにした。
商店街を歩いてしばらく。
店は表通りに面していたので、迷うことなくたどり着くことができた。
「へぇ。これが……」
その装束店は、商店街に並ぶ店の中でも異彩を放っていた。
アマクニの華やかなドレスが着せられた衣装人形が、ズラリと店頭に並べられていたからだ。
それを目の当たりにしたネフラは――
「すてき」
――と独り言ちた。
「圧巻だな。まるでアマクニの宮廷に来たみたいだ」
「ジルコくん、中に入ろう!」
ネフラに手を引かれて、俺は装束店の敷居を跨いだ。
アマクニドレスを着飾った人形は店内にも並べられていた。
内装は異国色の強い飾りつけがされていて、本当に別の国へ来た気分になる。
俺達が狭い店内で人形を見渡していると――
「いらっしゃいませ。ようこそ倭国装束店〈牡丹〉へ」
――店員らしき女性が話しかけてきた。
「私、店主のシキ・イロドリと申します」
店主はアマクニ特有の顔立ちをした清楚な女性だった。
紺色に白い花柄の着物を着飾り。
黒い髪の毛を頭頂部で結び。
左目のすぐ下には泣きぼくろ。
三十代? ……くらいだろうか。
アマクニの女性は童顔なので、年齢を読みにくい。
それに同じ人種だからか、雰囲気がとてもルリに似ている。
「お客様は冒険者ですね。戦装束をお求めでしょうか?」
「パーティー用の衣装を借りに来たんだ」
「左様でございますか」
俺が店主のシキさんと話をしている間。
ネフラは店内に飾られたアマクニドレスに次から次へと目移りしていた。
「当店はアマクニドレスのほか、エル・ロワ風ドレス、ドラゴグ風ドレス、どちらも取り揃えております。いかがいたしますか?」
「そうだなぁ」
ネフラだって冒険者である前に女の子。
いつもリヒトハイムの民族衣装ばかり着ているが、やはり煌びやかなドレスには憧れるものなのだろう。
ましてや、異国の衣装ならば彼女の好奇心をより一層くすぐって当然だ。
俺自身、ネフラがアマクニのドレスを着る姿を見てみたい。
「ネフラ、好きなのを選べよ」
「いいの?」
「シキさん。あの子の衣装選びを手伝ってやってください」
シキさんは軽く頭を垂れると、ネフラに寄り添って衣装選びを始めた。
◇
「……まだ決まらないのか」
ネフラは、シキさんからドレスの講釈を受けながら店内を見て回っているらしい。
一向に衣装が決まる気配がないのは、そのせいか……。
衣装選びの間、ただ突っ立っているだけというのもそろそろキツイ。
俺は時間潰しになるものを探して店内を徘徊し始めた。
「これは――」
そんな時、壁に貼りつけられた古地図に目が留まった。
「――アマクニの国土、か?」
それは、弓がしなるような形をした細長い島の地図だった。
地図にはアマクニ言語で細かく文字が書き込まれているが、何が書かれているのかはわからない。
「アマクニにお立ち寄りになったことが?」
俺が地図を眺めていると、シキさんが話しかけてきた。
「衣装選びは終わったんですか?」
「お連れ様は、ただいま試着室にいらっしゃいます」
いったん会話が途切れると、俺は再び古地図へと視線を向け――
「五年前、一度だけです」
――シキさんからの問いに答えた。
「すでにアマクニは国として体をなしていませんでした」
「そうでしょうね」
「あなたもアマクニの方ですよね。いつ頃こちらへ?」
それは会話の繋ぎに選んだ言葉だった。
シキさんは地図を見据えて物寂しそうな顔を見せると――
「二十二年前のことです。私は、魔物によって焼かれる祖国から落ちのびて参りました」
――想像だにしない話を始めたので、俺はギクリとした。
「まさか……あなたは大海嘯の生き残りですか!?」
「はい。今でも夢に見ます……あの恐ろしい魔物の群れを」
闇の時代、魔物の群れに襲われた人々は一様におぞましい声を聞いたという。
それは津波の前の海鳴りにも似て、少しずつ大きくなると共に、地平線の彼方から魔物の群れが押し寄せてくる。
気づいた時にはすでに手遅れ――
「その詩が聞こえた者は、黒い炎で身を焼かれて倒れるのみ」
――それが大海嘯。
幾重にも分流し、世界を蹂躙した魔王群の脅威そのものだ。
アマクニ。
タイヤン。
サンクトエイビス。
……他にも多くの国が、大海嘯によって滅ぼされた。
「それを直に体験されたなんて……」
「首都アマギに居た私どもは、勇気ある侍衆のおかげで生き延びることができました。その後、命からがらアムアシア大陸へとたどり着き、難民としてエル・ロワに受け入れていただいたのです」
「大変だったでしょうね」
「ええ。しかし、出会いに恵まれた私はこの地に店を構えることが許されました。同胞の犠牲あってこその今ですわ」
……重い雰囲気になってしまった。
まさかこの人が直接的な魔物の被害者だったとは。
「すみません。嫌なことを思い出させてしまって……」
「過去は過去です。今、私は新たな時代を生きています。痛みも辛さも、すでに乗り越えました」
そう言うと、シキさんは俺にニコリとほほ笑んだ。
「それにいつか、ルリ様は祖国へと戻られます。その時、あなた方の力を貸していただければ幸いですわ」
「えっ」
「こんなところで〈ジンカイト〉の方とお会いできるなんて、運命でしょうか」
この人、俺が〈ジンカイト〉だと気づいていたのか。
それにルリとも知り合いみたいだけど……。
「ルリ姫のことを?」
「昔、少々お世話させていただきました」
「と言うと、あなたは――」
そこへネフラが駆け寄ってきた。
白地に桃色の花柄が編み込まれたアマクニドレスを着て、振り袖をフリフリさせながら俺に意見を求めてくる。
「見て、ジルコくん! 似合うかな?」
「見違えたな」
「私には似合わない……かな?」
「似合うよ。とても綺麗だ」
華やかで、美しく、気品がある。
俺はアマクニのドレスに身を包んだネフラを見て、率直に思ったことを口にした。
「あ、ありがとっ」
ネフラは驚いた顔を浮かべると同時に、その顔はたちまち耳まで真っ赤になってしまった。
そして、シキさんの手を取ったと思うと――
「他のドレスも着てみたいので試着を手伝ってくださいっ」
「ああっ。わかりましたから、そんな引っ張らないで」
――彼女を連れて行ってしまった。
「何かまずいこと言ったかな? ……言ってないよなぁ」
再会した衣装選びを尻目に、俺は改めて古地図を見入った。
魔物の侵攻は二十二年前に始まったわけじゃない。
闇の時代が始まった百年以上昔から、ずっと続いていたのだ。
しかし、その侵攻も半年前に魔王が滅びたことで止まったはずだが――
「クリスタのやつ、ドラゴグから魔物討伐を依頼されたって言ってたな」
――東アムアシアには、いまだ魔物の脅威が色濃く残っている。
今の平和は、もしや仮初めのものに過ぎないのでは?
そんなことを考えてしまって、胸がざわめいた。