4-022. 夕日のせい
ゴールドマンが差し出した右手を見ながら――
「ありがとう」
――俺は握手に応じた。
「我々としては思いがけない取引になったよ」
「でしょうね」
ゴールドマンは机の隅に置いてあった呼び鈴を三回鳴らした。
しばらくして、応接室に男が一人入ってくる。
銀色の羽根つき縁なし帽をかぶっていることから、彼も幹部級の商人のようだ。
「初めまして。ジニアス・ゴールドマンと申します」
まさかのゴールドマン・ジュニアの登場だ。
若々しく長身でスリムだが、顔は父親の面影がある。
外見から察するに、先ほどの話に出てきた三男が彼なのだろう。
「ジニアス。若返りの秘薬をこのお二人に譲ることにした。手配を任せたい」
「左様で。しかし、あれはすでに競売のパンフレットにも記載されてしまっていますが」
「その対応も含めて任せる」
「承知しました」
ジニアスはニコリと爽やかに笑う。
そのやり取りを見て、父親にずいぶん信頼されていることがわかった。
「それと客人へのお詫びに、倉庫にある例のものを差し上げてくれ」
ジニアスはこくりと頷くと、俺達に身振りで外へ出るようにうながした。
それに従い、俺が立ち上がると――
「待て。忘れものだ」
――ゴールドマンが机の上に置かれたミスリル銃を指さして言った。
「大切な商売道具を置いていく冒険者がいるか」
「え? いや、だって……」
「若返りの秘薬は過去にも何度か流通したことがあってな。以前つけられた買い値は84万グロウだった」
「とんでもない値段ですね」
「だが、きみのミスリル銃とは少々釣り合わん。そこで、だ――」
ゴールドマンは外した手袋をはめ直して、続ける。
「――試作品で手を打とう。かつてブラドが現役冒険者だった頃に使っていたものが残っているはずだ」
「確かに試作品はギルドの隠し金庫に残っていますけど……。あれは完成品に比べたらずいぶんお粗末ですよ」
「希代の天才が製作した宝飾銃には、教皇庁の熾天使の絶唱と類似した技術がコンパクトに収められている。となれば、試作品ですら大いなる価値が認められる」
大聖塔の仕掛けにあった熾天使の絶唱と比較されるのは、いささか大げさだ。
しかし、試作品で構わないと言うのなら俺に断る理由はない。
「わかりました。試作品は後日、お届けに上がります」
「気を使う必要はない。頃合を見て、こちらから王都に使いを送らせてもらうよ」
「ご配慮感謝します」
俺は机の上のミスリル銃を元通りホルスターに収め、宝石も懐へと戻した。
やはり持ち慣れた銃の重みがあると落ち着く。
「失礼します」
部屋に残るゴールドマンに別れの挨拶を告げ、俺とネフラは廊下へと出た。
ふと振り向いた時、赤焼けに染まる彼の姿が印象的だった。
◇
廊下を抜けて、賑やかなホールへと戻る途中。
俺はジニアスに応接室であったことを話していた。
「僕がネフラさんと? 父もとんでもない要求をしたものですね――」
ジニアスが笑いながら続ける。
「――そもそも僕には恋人がいますから、そんな取引は最初から成立しませんよ。父には紹介しているんですけどね」
なんだと!?
あの人、それを知っていてネフラにあんな要求を吹っかけてきたのか。
もしや取引するに値するかどうか、俺達二人を試したのか?
だとしたら……。
「やっぱりタヌキ親父だな、あんたの父親は」
「商人たるもの、蛇よりも狡猾であれ――父の言葉です」
いったんホールまで戻ってきた後、俺達はすぐに別の通路へと案内された。
廊下を進み、突き当りの階段を下りると、ランプの灯りに照らされた薄暗い倉庫へとたどり着いた。
倉庫には木箱が積み上げられ、かびくさい臭いが漂っている。
「こんなところに連れてきて、何があるんだ?」
「父が言っていたでしょう。あなた方にお詫びを、と」
そう言って、ジニアスが木箱の蓋をこじ開けた。
中にはごちゃごちゃと様々な物品が押し込められている。
「この中からお気に召した物をお持ちください。いずれもギルドで購入した物ですが、売り時を逃した不用品ですので遠慮なさらず」
「本当にいいのか? 宝石もあるけど……」
「ルビーやサファイヤもありますが、価値としては二級品です。宝飾銃を扱うあなたにはお役に立つでしょう」
「ありがたい!」
本当にマジでありがたい。
木箱の中にある宝石は、ルビー二個にサファイヤ一個、あとは屑石がいくつか。
俺にとっては十分、戦力の足しになる。
「……これは何です?」
ネフラがガラス瓶に入れられた透明の液体について訊ねた。
「ああ、これはバジリコックの神経毒です。二百年以上も前のものなのでせいぜい痺れ薬としてしか使えず、市場価値はないと判断されたものです」
「バジリコックの神経毒か……」
以前、ジャスファが使っていたことを思い出した。
手持ちの二振りのナイフも元はジャスファが発注したものだったし、この毒とは相性が良いかもしれない。
「神経毒ももらっておくよ。あとは――」
俺は黒い手袋に目が留まった。
手袋の手首部分から、細いワイヤーが伸びている。
「――この手袋は?」
「これは暗殺者用の装備です。硬質のワイヤーで、投擲した武器を手元まで引き寄せるためのギミックが仕込まれています。需要がなくて売れ残った品です」
「手袋も欲しいな」
応接室での強襲で、黒頭巾に銃を奪われたことを思い出す。
ああいった不測の事態を対策するのに、この装備はうってつけだ。
「ネフラさんも何か必要な物があればお持ちください」
「私は大丈夫です」
ネフラは何も手に取ることはなく、結局俺だけが商人ギルドの好意に甘えることとなった。
宝石に、バジリコックの神経毒、ワイヤー手袋。
これだけあれば、戦闘の備えとしては十分だろう。
「ありがたく使わせてもらうよ、ジニアス」
「そうしていただけると、商人冥利に尽きるというものです」
ヘリオに勝るとも劣らない、爽やかなジニアスの笑顔。
その圧倒的ないい人感に俺は釣られて口元を緩めてしまう。
商談でこんな顔をされたら、女性ならついついうんと言ってしまいそうだ。
◇
商人ギルドを出る時、ジニアスは俺に耳打ちしてきた。
いきなり顔を近づけてくるものだから、何かと思ったら――
「グランソルトオークション当日は、これを入り口係員にお渡しください。僕の方で取り計らっておきますので」
――そう言って、俺に商人ギルドの紋章が焼き印された四角札を差し出してきた。
四角札にはターレント・ゴールドマンという署名も書かれている。
あのゴールドマン・パパの本名だろうか。
「取り計らうって……」
俺が言いかけると、ジニアスが口元に人差し指を立てた。
それ以上は言うな、ということらしい。
「グランソルトオークションは、明後日の午前八時から西方領域のヴィジョンホールで開催されます。こちらがパンフレットになります」
ジニアスがドラゴグ紙で束ねられた冊子を渡してきた。
パラパラとめくると、競売品の絵や説明書きが一覧となってまとめられている。
色々な品物が競売に出るんだな、と思っていると――
「これ、活版印刷ですか!? すごく綺麗に仕上がっていますね!」
――ネフラにパンフレットをひったくられた。
彼女は興味津々に冊子をめくっては、感嘆の声を上げている。
写本ばかり出回っているエル・ロワでは活版印刷など珍しいから、その気持ちもわからないでもない。
好奇心をそそられると我を忘れるネフラの悪い癖だ。
「おそらく例の品は最低落札価格80万グロウは下らないでしょう」
「そんなに持ち合わせないぞ……。銀行も当分は頼れないし」
「その点はご心配なく。楽しい競売をお約束しますよ」
彼が取り計らうと言うのだから、きっと妙案があるのだろう。
俺はニコリと笑うジニアスに愛想笑いを返し、パンフレットに夢中になるネフラの背中を押して商人ギルドを後にした。
◇
俺とネフラは、真っ赤な夕日に向かうようにして塩の道を歩いていた。
行きに何軒か宿屋の看板を見たので、今はそこへ向かっている。
「ジルコくん、ごめんね」
道を歩いていると、ネフラが突然、俺に謝罪してきた。
「どうしたんだよ、急に」
「だって私のせいで宝飾銃の試作品が――」
「いいんだよ。試作品なんて、ずっと倉庫で埃がかぶったままだったんだから」
しゅんとするネフラの頭をそっと撫でてやる。
それでも彼女の落ち込んだ顔色は変わらない。
「それに、お前がゴールドマンの提案をはねのけてくれて嬉しかったよ」
「うん」
「もうしばらくネフラには俺の相棒をやってもらわないとな」
「……うん」
……気まずいなぁ。
どうにかネフラの機嫌を直してやりたいところだけど、こういう時なんて言えば正解なんだ?
その時、俺達の横を子供達が駆けて行った。
どこに行くのかと目で追ってみると、子供達は道沿いにある屋台の列へと並んだ。
塩の道には飲食を扱う屋台がいくつか出ており、そのうちのひとつに子供達が群がっているのだ。
「何の店だ?」
気になって屋台を覗いてみると、氷菓子店だった。
しかも、氷菓ひとつ14グロウとはかなり良心的な値段だ。
子供の小遣いでも買える額なので、人気があるのも頷ける。
「氷菓を安価で提供しているなんて、魔導士でも雇ってんのかな」
冗談半分に、さりげない疑問を口にしてみたところ――
「まさか。氷菓を作るのに効率の良い環境が整っているだけ」
――ネフラがそれを拾ってくれた。
この些細な会話が、彼女の機嫌を直してくれることを期待しよう。
「それは何だい、ネフラ先生」
「近くに氷室があるんだと思う。グランソルト海からは塩がいくらでも取れるから、寒剤にも困らないだろうし――」
俺の思った通り、解説を始めてくれた。
このままいつものネフラに戻ってくれれば嬉しい限りだ。
「――ブリッジで氷菓が安く手に入るのは妥当かな」
「毎度ながらよく知っているな、そんなこと」
「本に書いてあった」
ネフラが気恥ずかしそうに抱きかかえている本へと顔をうずめる。
暗い顔よりも、恥ずかしがっている顔の方がずっといい。
「ちょっと待ってな」
俺は道端にネフラを置いて、子供の列に並んだ。
列に並んでいる大人は俺だけだったので、少々こっ恥ずかしいが気にしない。
ようやく店主と顔を合わせると、28グロウ払って両手に氷菓を受け取る。
ブリッジ名物の氷菓子シャルバート。
乾燥させた緑葉で皿を作り、そこに細かく砕いた氷を乗せて、果汁や糖蜜などをかけたデザートだ。
口に含むと、ひんやりとした触感が甘みと共に口内へと伝わる。
……以前に一度、俺も食べたことがあるのだ。
俺はネフラの前まで戻ると、彼女にシャルバートを差し出した。
「ほら」
「ありがとう」
ネフラは気恥ずかしそうに礼を言うと、受け取ったシャルバートに口をつけた。
「冷たくて、美味しい」
ネフラの横顔を覗くと、ペロペロとシャルバートを舐めながら口元に笑みをたたえているのが見えた。
それに安堵すると共に、やっぱり笑っているネフラが一番可愛いな、と思う。
「気に入ったなら、もう一杯買ってきてやるよ」
「大好き」
「え?」
「しゃ……シャルバートが! とっても甘くて、大好きっ」
「そうか。俺には少し甘ったるいけどな」
すっかり元気を取り戻してくれたようで良かった。
それにしても――
「ネフラ。顔が真っ赤だぞ?」
――なぜ耳まで顔を真っ赤にしているのだろう。
「そ、そんなことないっ」
「嘘つけ。耳まで真っ赤じゃないか」
「赤くないってば!」
「本当に? 大丈夫か?」
改めてネフラの顔色を見ようとするも、彼女は俺から顔を背けるばかり。
ようやく正面から顔を捉えると、やっぱり赤くなっている。
「ほら。赤いじゃないか」
そう言った直後――
「ゆ、夕日のせいだからっ……!」
――ネフラは抱えていた本で顔を隠してしまった。
俺は西の空を見上げた。
沈みゆく日が空を照らし、空だけでなく街並みすらも赤く見せている。
……確かに夕日のせいかもしれないな。




