4-021. ゴールドマン面談
「少し前、ジェットが挨拶に来たのだが――」
ゴールドマンは懐から葉巻を取り出すと、傍に立つ付き人に火打ち石で火をつけさせた。
「――どうやら、きみが後任のジルコ・ブレドウィナーくんのようだな」
俺のことはすでに知られていたか。
それにしても、客人の前で堂々と葉巻を吸い始めるとは……。
「……ええ。俺がジルコです」
「隣のエルフ嬢は、ネフラ・エヴァーグリンくんかな」
ネフラはこくりと頷く。
礼儀正しい彼女が無言とは、かなり警戒している様子だ。
「わざわざ王都から商人ギルドの本部を訪ねてくるとは、それほどの要件かね」
言い終えるや、ゴールドマンは口から白い輪っかを吐き出した。
これがギルド幹部ともあろう者の態度か?
腹立たしいと思うと同時に、どこか違和感を抱いた。
……ゴールドマンはついさっき取引と言った。
つまりすでに交渉は始まっている?
と言うことは、この不遜な態度も俺を値踏みするためのブラフだと考えれば納得がいく。
「単刀直入に言います。あなた方が所有している若返りの秘薬を、俺に譲ってもらえませんか?」
……沈黙。
ゴールドマンから答えはなく、そのまま葉巻を吹かしている。
「理由あって秘薬が必要なんです。〈ジンカイト〉の存続にも関わることです」
嘘は言っていない。
次期ギルドマスターの俺が死ぬようなことがあれば、現ギルドマスターが行方不明の今、ギルドは空中分解してしまう。
なんとしても俺がギルドを再建しなければならないのだ。
「闇の時代、商人ギルドがウチの後援組織だった時期もあったでしょう。また力を貸してくれませんか?」
「〈ジンカイト〉が火の車だとは聞いている。しかし、秘薬で解決できる状況とは思えんが?」
「実は、ある人物との取引で秘薬が役立つと見込んでいます」
「ある人物、とは?」
「言えません」
「ならば、この話は無しだ」
ゴールドマンが急にソファーから腰を上げた。
おいおい、ちょっと待ってくれ!
まさか今のやり取りでもう見限ったって言うのか!?
「くっ。他言無用にしてくれるのなら……」
「よかろう」
そう言うと、ゴールドマンは再びソファーに腰掛けた。
……してやられた。
交渉のペースを完全にゴールドマンに握られてしまった。
これ以上、下手に出るのは取引に不利を招くだけかもしれないが致し方ない。
「実は――」
俺は、冒険者の解雇を水面下で進めていること。
クリスタに解雇通告する交渉材料として、若返りの秘薬を求めていること。
すでに手元には自由に使える資金がないこと。
それらを正直に伝えた。
「天下の〈ジンカイト〉も地に落ちたものだ。部下の人心すら掴めないとは、ジェットはなぜきみを後任にしたのか」
そんなこと俺が訊きたいよ!
……とは言えない。
「若返りの秘薬は、近々行われる競売の目玉商品だ。すでに参加希望者にパンフレットも配ってしまっている。今さら取り下げられんよ」
「これらの宝石との交換ならいかがです?」
俺は懐の宝石袋からダイヤモンドとルビーを取り出し、机に置いた。
いずれも俺の切り札となる宝石ではあるが、こちらにある交渉材料はこんなものしかない。
「ほう。大した輝きだ」
ゴールドマンは鑑定用のルーペを取り出し、机に並べられた宝石を覗き込んだ。
「だが、秘薬の価値には遠く及ばんな。隣のルビーを含めても、だ」
「ぐっ……」
等級Sの冒険者タグは、50万グロウの価値は下らないと聞いたことがある。
極限まで研鑽された冒険者は、それほどの価値に相当するという例え話でもあるのだが……。
それでも秘薬の価値には遠く及ばないということらしい。
「慎重さに欠けるな。我々と交渉するのなら準備がまるで足りていない」
ゴールドマンが付き人の差し出した灰皿に葉巻を押しつける。
……葉巻を一本吸い終わるまでに握手ができるか。
それが商人同士の交渉の習わしだと、父親に聞かされたことを思い出した。
交渉は……失敗か……。
「しかしこの時代、投資先には苦慮していてね」
「え?」
「再びきみ達に投資することもやぶさかではない」
「本当ですか!?」
ゴールドマンは二本目の葉巻を取り出して火をつけた。
「かつて私達が〈ジンカイト〉を支援していたのは、きみ達の存在が必要不可欠だと考えたからだ。その理由がわかるかね?」
突然の謎かけに俺は困惑した。
そんなもの〈ジンカイト〉が魔物を倒すことで巡り巡って商人ギルドの利益に繋がるからじゃないのか?
「冒険者ギルドで一番、魔物の処理に長けているから……ですかね」
「……情けなや。ジェットはきみの何を評価して、ギルドマスターの役職を預けたのか」
ゴールドマンは呆れて頭をうなだれた。
俺の返答はまったくの見当違いだったようだ……。
「きみ達〈ジンカイト〉の冒険者は、大陸に生きる人々の希望だったのだよ」
「俺達が希望、ですか」
「そうだ。闇の時代に終止符を打ったのは勇者だが、その傍らには必ずきみ達の姿があった」
「お目付け役みたいなものだったので……」
「血も汗も涙もある〈ジンカイト〉の冒険者だからこそ、絶望に沈んだ人々の心に希望を再点火する特別な存在になり得たのだ。あの勇者ではそうはいかんよ」
……勇者に対して酷い言いようだな。
確かに、あいつの人格は常人には理解しがたいものだったけど。
「そんな希望のギルドが解散の憂き目にあっているのは心苦しい。ましてや、復興の時代に〈ジンカイト〉解散などという便りが世間を賑わせれば、人々はまた絶望にふさいでしまう」
「そういうものですかね」
「英雄とは、そういうものだ」
今まであまり意識したことはなかったが、〈ジンカイト〉に対する客観的な評価とはそういうものだったのか。
闇の時代は、魔物との戦いに必死だった。
復興の時代が始まる前後は、勇者のことで色々。
最近になっても、解雇通告でてんやわんやだ。
振り返れば、冷静に〈ジンカイト〉の影響力を考えたことなんてなかった。
「希望があるからこそ人は働く。働く者がいるからこそ金が回る。人々が希望を失うということは、巡り巡って我々商人の首を絞めることに繋がるのだ」
ちょっと見直したと思ったら、結局は儲け主義かよ!
まぁ、商人ギルドが打算以外で他者を支援するわけはないか。
「つまり、秘薬は譲ってもらえると考えてよいのでしょうか」
「そうガツガツするな。君には商いの素質が無いな」
……ゴブリン仮面にも似たようなことを言われたな。
でも、性分というのはなかなか変えられるものじゃないんだ。
「とは言え、だ。きみには〈ジンカイト〉を守ってもらわねば困る。秘薬の件は、こちらが譲歩することにしよう」
「それじゃあ――」
「交換条件を受け入れる、ということだ」
「宝石で?」
「それは無理だ。あまりに釣り合わない」
「……では、何をお求めですか」
ゴールドマンが俺から視線を横にずらした。
「ネフラくんを我が息子の嫁としたい」
「はぁっ!?」
まさかの要求に、俺は思わず立ち上がってしまった。
隣に座っているネフラも目を丸くしている。
「さすがエルフだけあって聞きしに勝る美しさだ。育ちの良さもうかがえる。ジェットから聞いた話では、まだ二十歳前だそうだね?」
「……はい」
ネフラがおずおずと答えた。
「私の三男もちょうど同じくらいで、未婚なのだ。ぜひ、きみのような女性を娶らせたい」
「……」
ネフラが顔をうつむかせて考え込んでしまう。
「それはダメです!」
俺は身を乗り出して、ゴールドマンにノーを突きつける。
彼はそんな俺に無言のまま指を上下させ、ソファーへと座るようにうながした。
「貴族でもない成人の女性が誰に嫁ぐかは、本人が決めることだ。数少ない平民の特権を侵害する気かね?」
「ぐっ……!」
ゴールドマンの言い分は正しい。
ネフラの将来に関わることに親でもない俺が口出しをする権利はない。
ないのだが……。
「ネフラくん。きみにとっても悪くない話だと思うがね――」
言いながら、ゴールドマンは葉巻を灰皿へと押しつける。
「――我が子の妻となれば将来は安泰。結果的に〈ジンカイト〉も潤うだろう」
……これは交渉と言えるのか?
ゴールドマンは、嫁入りすればついでに〈ジンカイト〉も世話してやる、と言っているのだ。
ネフラの顔を覗き込もうにも、うつむいている彼女の心情はうかがえない。
俺のことを慮るネフラなら、もしかしたら……。
「一方的過ぎる! 彼女の気持ちも考えたらどうです!?」
無言のネフラに不安を感じた俺は、再び声を上げた。
このままゴールドマンのペースでは、ネフラが承諾しかねない。
なんとか流れを断ち切りたい一心だったのだが――
「落ち着きたまえ。この程度のことで狼狽えるなど、底が知れるぞ次期ギルドマスター」
「……!」
――軽くあしらわれてしまった。
「この取引は私が部屋にいる間だけとしよう。きみの口から答えを聞かせてくれるかな、ネフラくん」
ゴールドマンが急かしても、ネフラは黙り込んだまま。
俺は、自分にはどうしようもない流れに身を置きながら、胸を襲う焦燥感に困惑していた。
……この不安はなんだ?
「ゴールドマン様。そろそろ侯爵との会食のお時間が」
「もうそんな時間か。確かに夕餉の時間にはちょうどよい頃合いか」
窓の外の真っ赤に染まった街並みを見て、ゴールドマンが言った。
取引の時間はもう終わりということだ。
「さて、そろそろ答えは出たかね」
ゴールドマンが言うのと、ネフラが顔を上げたのは同時だった。
その時のネフラは――
「はい」
――意を決したような覚悟の表情を見せていた。
……まさか。
ギルドの――俺のために、自分の身を犠牲にするなんてことはないよな?
「お断りします」
彼女はキッパリと言ってのけた。
その言葉を聞いて、俺はホッと胸を撫でおろした。
一方、ゴールドマンは顔をしかめる。
「良い条件だと思うのだがね」
「申し訳ありませんが、私にその条件は飲めません」
「なぜ?」
「……」
しばらく沈黙した後、ネフラは答えた。
「私の道は、私が決めます。忖度で伴侶を選ぶほど、私の意思は弱くありません」
良い答えだ。
俺は心からそう思った。
「そうか、ならば仕方あるまい。取引は無かったことにしよう」
当然そうなる。
自分に利するところがないのであれば、即座に交渉を打ち切る。
ゴールドマンは商人として正しい決断をした。
……だが、このまま取引がとん挫したらどうなる?
きっとネフラの心にはしこりを残したままになるだろう。
そんなことにはさせない。
「時は金なりと言うが……時間を無駄にしたようだ」
「いいえ、ゴールドマンさん。あなたの時間は無駄にはならない」
立ち上がろうとしたゴールドマンをけん制し、俺はミスリル銃を机の上に置いた。
「これとの交換ならいかがです?」
ネフラは驚愕の顔を浮かべ、ゴールドマンは目を見開いた。
「記録を読む限り、きみはその銃を手に入れてから前線で戦えるようになったはず。それを手離す意味がわかっているのかね」
「もちろん。俺が今ここに居るのも、ミスリル銃があったからこそです。でも、相棒を――」
チラリとネフラを見やる。
その顔には、ありありと不安の色が見て取れた。
「――彼女を犠牲にするくらいなら、ミスリル銃を手離す方がいい」
ミスリル銃とネフラ。
どちらも俺の大切な相棒だが、どちらを犠牲にするかと問われれば……答えは明らかだった。
「覚悟の上か」
「俺に交渉ごとなんて向いていない。なら、もう覚悟を示すしかないでしょう」
「ふむ……」
「鬼才ブラド製作――世界にただひとつの宝飾銃の完成品。これ以上の品物は、そうそうないと断言できます」
「素晴らしいな。ブラドの名だけでも、十分に箔がつく」
「銃身にはミスリルを、内部のカラクリにはダイヤモンドをふんだんに使い、製造には120万グロウかかっています。バラせば、それらの素材も手に入る」
「魅力的だ」
「俺の功績を考えれば、その価値は120万でも安すぎるのでは?」
「その通りだ。英雄愛用の武器ならば計り知れん価値となろう」
そこまで言ったところで、ネフラが俺の体を揺さぶった。
「ミスリル銃を差し出すなんてダメ、絶対! ジルコくんの相棒でしょ!?」
「俺の相棒はお前だよ、ネフラ」
そう言うと、ネフラは唇を噛んでうつむいてしまった。
「私は少々きみを見誤っていたのかな」
ゴールドマンは右手の白い手袋を取って――
「交渉成立といこう」
――俺に握手を求めた。