4-020. 商人ギルドの歓迎
大学を出た後、俺とネフラは商人ギルドの本部を目指して塩の道を歩いていた。
塩の道とは、ブリッジの中央区画を走る目抜き通りだ。
商人ギルドの本部はこの通りの中腹に建つ時計塔にある。
「商人ギルドが時計塔を丸ごと所有しているとは驚きだな」
「地図を見る限り、時計塔を含めた周辺区画が商人ギルドの所有地みたい」
「へぇぇ。金ってのはあるところにはあるもんだなぁ」
塩の道では、人種を問わず多種多様な人々とすれ違う。
貴族。行商。冒険者など。
中には、明らかに堅気ではない連中の姿もあるが、世界各地から人が集まっている光景を見ると、心の内がわくわくしてくる。
「兄ちゃん、塩、買わない!?」
道すがら、子供に声をかけられた。
「塩?」
「グランソルト海産の塩! 他の店より安くしとくよ!」
「悪いが塩は求めていない」
「そんなこと言わずにっ」
「悪いな」
その子は不満げな顔で俺を一瞥するや、他の客を求めて走り去ってしまった。
見れば、目抜き通りには塩の販売店が立ち並んでおり、それぞれの店が声を上げて客引きに勤しんでいる。
今の子供も塩屋の丁稚なのだろう。
「さすが大いなる塩の都だ。塩屋だらけじゃないか」
「どこも同じ値段みたい」
「g単位で競っているみたいだな。隣の店が1g足せば、自分の店は2g足す。我慢比べってわけだ」
「王都で買うよりずいぶんお得な値段」
「それはどうかな。コネがなければ、ブリッジに入るだけで高い通行税を取られるんだ。塩目当てにやってくる奴なんていやしないよ」
「それもそう」
「それに、売る側だって商人ギルドの奴隷みたいなものさ。塩の取引量は統制され、売り上げの何パーセントかは連中にはねられる。真下に巨大な塩湖があっても利権はすべて商人ギルドに集中。損失は現場が被るはめになるんだ」
「ジルコくん、詳しいね」
「……まぁな」
俺の父親も商人だったからな。
……商人ギルド末端の。
◇
時計塔に到着した時、まず最初に天秤の紋章が目に入った。
商人ギルドのシンボル――それが天秤だ。
時計塔の外壁に描かれたその紋章は金メッキでも加工されているのか、赤焼けに照らされてキラキラと輝いていた。
「ここが本部か。忙しない場所だな……」
時計塔前の広場には数えきれないほどの荷馬車が停まっている。
行商らしき連中が、荷台から車輪のついた台車へと積み荷の入れ替えを行っていて、非常に忙しない。
そんな中、ネフラはじっと時計塔を見上げていた。
「凄く大きい」
「ああ。教皇領の聖堂宮よりずっとでかいな」
「高さは60mくらいはありそう」
「王都の時計塔も同じくらいあったっけか」
「ここと王都にある時計塔は、ドラゴグが寄贈したものなんだって」
「そうなのか」
「ドラゴグの帝都には、さらに尖塔が加えられた90mほどの時計塔があるみたい。いつか見てみたいな」
「詳しいな」
「本に書いてあった」
その時、時計塔から鐘の音が響き始めた。
文字盤を見ると、短針がちょうど五時を指していた。
……夜も近い。
周囲を見渡せば、いつの間にか時計塔が街に大きな影を作っている。
あと一時間も経つ頃には、ブリッジは闇に包まれているだろう。
「さっさと用を済ませて、宿を探すか」
「うん」
かつて父を死なせる元凶となった商人ギルド。
まさか頼みごとを抱えて、その本部にまで足を運ぶことになろうとは、な。
まさに人の運命とは、まこと揺蕩う波間の如し、だ。
◇
時計塔の玄関口を通った先は広いホールになっていた。
規則的に並べられた机。
その上に山積みとなっている書簡や物品。
さらには、忙しなくホールを駆け回る丁稚。
それらのせいで、広いはずのホールもずいぶん手狭に感じられる。
俺は、天秤のワッペンが縫われた縁なし帽の人間を捜した。
その帽子をかぶった人物が商人ギルドの職員なのだ。
まずはそいつと話をしないことには始まらない。
だが、どいつもこいつも忙しそうにしていて、話しかけづらいったらない。
そんな中、壁際で羊皮紙と睨めっこしている縁なし帽の女性に目が留まった。
「失礼。責任者と話がしたいんだけど」
なんとはなしにその女性に声をかけると、怪訝な表情をされた。
「……アポは取られましたか?」
「アポ? アポってどういう意味だい」
「事前に面会の約束は取られましたか?」
「いや。取っていない」
「では、1番窓口に並んで要件書と身分証明証を提出し、信用調査と適正審査を受けた上で後日改めてご来訪ください」
そう言い捨てるや、彼女は再び羊皮紙に目を落とした。
……なんだ、このいいかげんな態度は。
それに役人じゃあるまいし、身分証明証なんてどうしろと?
ギルドの記章でもいいのか?
「あー。えぇと、ギルド記章しかないんだけど、いいのかな」
「ですから、まずは1番窓口で――」
と言ったところで、彼女の口が止まる。
「――じ、〈ジンカイト〉の方ですかっ!?」
女性が大声で叫んだ。
そのせいで、騒がしかったホールがシンと静まり返ってしまう。
……背中に多くの視線が集まっているのを感じる。
こんな悪目立ちするはずじゃなかったのに。
「申し訳ありません! すぐに応接室へお通ししますっ」
数秒前とは別人のように顔色を変えて、傍にいた丁稚にあれこれと指示する。
俺とネフラはあっという間に応接室へと案内された。
冷えた水の入ったグラスまで出されて……。
〈ジンカイト〉の威光には毎度のことながら世話になるなぁ。
グラスをあおりながら、つくづくそう思う。
◇
「……遅いな」
応接室に案内されてから30分近く経ち、俺はぼやいていた。
「どうしたのかな」
「急に俺達が訪ねてきて揉めているのかもな」
「どうして?」
「〈ジンカイト〉がギルドの偉い人を訊ねてくるなんて、ただ事じゃないからな」
俺とネフラは、二人並んでソファーに腰を下ろしていた。
ちらりとガラス窓の外を見やると、夕日が建物の影に隠れ始めている。
夜通し宿を探すはめにならなければいいけど……。
「ジルコくん。何か聞こえない?」
「え?」
「何か……床下から音が聞こえるような気が……」
「まさかネズミか?」
「違う。天井が軋む音も聞こえてきた」
「今度は天井?」
俺は床や天井を交互に見てみたが、特に何もない。
耳にも気になるような音は聞こえないが……。
「気のせいじゃないのか」
「ううん。後ろの壁からも聞こえる。何かが……くる」
その時、ソファーの後ろの壁、床、天井が同時に開き――
「!?」
――それぞれの穴から、黒頭巾に黒装束の男達が飛び出してきた。
全員、その手に短剣を握って。
「避けろネフラ!」
とっさにネフラの胸を押し飛ばす。
間一髪、ネフラの座っていたソファーに黒頭巾の短剣が突き刺さった。
「なんだお前ら!?」
俺が右足のホルスターからミスリル銃を抜こうとした時、黒頭巾の一人が放った鞭が銃身へと絡まる。
そして力任せに引っ張られて、手元から銃を奪われてしまった。
「しまっ――」
手ぶらになった俺に、左右から二人の黒頭巾が迫る。
一方、床に尻もちをついているネフラには、俺から銃を取り上げた黒頭巾が短剣片手に駆け寄っていった。
……ネフラが危ない!
「本を使えっ!!」
とっさにそう叫ぶのが限界だった。
ネフラは脇に抱えていたミスリルカバーの本を掲げて、かろうじて黒頭巾の短剣を受け止めた。
彼女の無事を確認しつつ、俺は左右から攻め立てる黒頭巾の斬撃を躱す。
二人の黒頭巾の短剣が右頬と左肩をかすめた。
「くっ」
息もつかさず、黒頭巾が追撃してくる。
ネフラの方へと飛び込みたいが、今それは賢くない。
俺は後ろに飛び退き、二人の黒頭巾を誘う。
目論見通り、壁に背をついた俺を黒頭巾が二人がかりで追ってきた。
左足のホルスターからコルク銃を引き抜いて――
「かかったな!」
――先頭の黒頭巾めがけて、引き金を引いた。
銃口から空気圧で飛び出したコルク栓が、上手い具合に黒頭巾の額に命中した。
黒頭巾は体を仰け反らせ、背中から後ろへ倒れていく。
鉛が仕込まれたコルク栓を額に受けた以上、もう意識はあるまい。
だが、まだ脅威は残っていた。
仰け反る黒頭巾を押し退けて、後方にいたもう一人の黒頭巾が俺に向かって短剣を突き出してきたのだ。
その刺突は軌道が直線的で読みやすい。
躱すのは容易だが、俺はあえて躱さなかった。
黒頭巾の突き出してきた手首を右手で掴み、さらに左手で短剣の柄を押さえる。
直後に勢いよく手首を捻り、短剣を弾くと――
「舐めるな!!」
――頭から床へと投げ落としてやった。
「銃士だからって、近づけば倒せると思うなよ!」
床にダウンしている二人を見下ろしながら、一言決めてやった。
……って、そんなこと言っている場合じゃない。
ネフラは!?
「うぼぁっ!」
聞くに堪えないうめき声が聞こえた。
と同時に、残りの黒頭巾がソファーの上へと仰向けに倒れてきた。
「ネフラ?」
ネフラへと視線を向けると、彼女はぐるぐると回転していた。
本のしおり紐を握って、自ら回転することでミスリルカバーの本を駒のようにぶん回していたのだ。
前にも同じ攻撃方法を見たことがあるが、今回のは遠心力をフルに活かした会心の一撃と言っても差し支えない威力のようだ。
ソファーに寝ている黒頭巾には同情してしまう。
「お前ら、どこの殺し屋だっ!? 誰の命令でこんな真似を!?」
足元に倒れている黒頭巾の胸元を掴み上げ、黒幕を聞き出そうとすると――
「そこまでだ!」
――誰かの声と共に、応接室の扉が開いた。
「すまなかったな。きみ達が本物の〈ジンカイト〉の冒険者か試させたのだ」
「なんだって!?」
部屋に入ってきたのは、左目に眼帯をした強面の壮年男だった。
斑模様のサーコートの上から、緑色のケープを羽織り、両手には白い手袋をしている。
さらに、金色に彩色された羽根つき縁なし帽をかぶっていることから、彼が商人ギルドのお偉いさんであることは明白だった。
「私はギルド幹部のゴールドマンだ」
「ゴールドマン……!?」
その名を聞いて、俺は目を見張った。
ゴールドマンといえば、ブリッジとその周辺の商会を仕切るギルドの大物だ。
「あんた、さっき俺達を試したと言っていたな。もう少し穏便な方法を選べなかったのか!?」
「きみ達が怒るのも無理はない。ただ最近いろいろと物騒でね。我々としても最低限の備えをしていたのだ」
「今のが最低限ですか。一歩間違えたら、ただじゃ済まなかった」
「きみ達が無事でいるというのが、最強のギルド〈ジンカイト〉の冒険者であるという証明にはならないかね?」
……このタヌキ親父め。
殺す気でけしかけてきて、よく言うぜ。
俺は床に落ちたミスリル銃とコルク銃を拾い上げて、ホルスターへと戻した。
そしてソファーに倒れている黒頭巾を押し飛ばし、そこへと腰を下ろす。
隣には、本を抱きかかえたネフラがちょこんと座った。
「とんだ歓迎だな! いまだ物騒な世の中だってのはわかるが、襲われた方としちゃ、はいそうですかとはいかない」
「詫びは用意しよう」
ゴールドマンは俺達の対面のソファーへと座った。
その後、一緒に部屋に入ってきた商人達に目配せして、倒れている三人の黒頭巾を外へと運ばせた。
「商人ギルドの本部は、カラクリ屋敷にでもなっているんですか?」
「時計塔のギミックと同じ要領で、いろいろ仕掛けてあるよ。不測の事態に備えてね」
「それはすごい。ウチのギルドも見習いたいですね」
「相談してくれれば、優秀なカラクリ技師を紹介しよう」
俺の皮肉にも怯まず、真っ向から切り返してくる。
……なるほど。
これが泣く子も黙る商人ギルドの重鎮――ゴールドマンか。
応接室が落ち着きを取り戻した時。
室内に残ったのは、俺とネフラ、ゴールドマンとその付き人の四人だけとなった。
「さて――」
こほん、とゴールドマンが大げさに咳き込む。
「――本日はどういった取引をご所望かな?」