4-018. アカデミアの奇人②
猿の咆哮と共に、赤い魔法陣から炎が飛び出した。
「ネフラ!」
「はいっ」
俺は声掛けと同時に足を止め、ネフラは本を開いて俺の前へ。
そこにめがけて熱殺火槍が飛んでくるも――
「無駄よ!」
――炎はたちまちネフラの本へと吸い込まれて消えた。
その光景を目の当たりにして、猿は困惑している様子だ。
魔法が無効化されるなんて稀有な体験をすれば、誰だってそうなるわな。
次は、こちらの攻撃と行こう。
「隙だらけだっ」
ネフラの横から飛び出し、棒立ちとなっている猿へとミスリル銃を構える。
狙いは、その超重量を支える足の膝関節だ。
「食らえ!!」
引き金を引いた直後、銃口から放たれた橙黄色の光線が標的を貫く。
「アガァァァッ!」
猿が悲鳴をあげながら横転した。
膝にはぽっかりと拳大の穴が空いており、煙を上げている。
「やった!」
「まだだ。油断するなネフラ!」
ぴょん、と飛び跳ねて喜ぶネフラを即座に諫める。
魔法が使えることがわかった以上、奴はただの猿じゃない。
どれだけ状況が優勢であっても、魔法攻撃は一撃食らえば逆転されるほどの威力を持っているのだ。
「ごめんなさい……」
「慎重に距離を詰めるんだ。相手は一匹、油断しなければ制圧はすぐだ」
俺は銃口を向けながら。
ネフラは新しいページをめくりながら。
ぞれぞれ猿との距離を詰めていった。
「アガガッ……!!」
痛みにうめいていた猿が俺達の近づく気配に気付いた。
しかし、片膝を撃ち抜かれてしまっては立ち上がることなどできまい。
引き金を引き、猿が握っていた宝飾杖を即座に破壊する。
先端に備え付けられていた宝石を砕いた今、もう魔法は使えない。
「ガアアァァッッ!!」
叫んで威嚇したって怖くもなんともない。
身動きも取れず、魔法も封じられた今のお前は、ただの猿なんだからな!
「グウオオォォォォッッ!!」
……と思ったら、猿め。
背中の大剣を引き抜いて、それを杖代わりにして立ち上がってしまった。
まだ抵抗する気力が残っているのか。
「グウウゥゥ……ッ」
猿は左手で貫かれた膝を押さえながら、右手で大剣を振りかぶった。
片腕だけであの大きさの剣を持ち上げるとは……。
「ネフラ、離れろ!」
ネフラに声をかけた後、俺は弧を描くようにして猿の背後へと回り込んだ。
あの腕力は驚異だが、俺は何も力比べをしたいわけじゃない。
あとは剣の持ち手を撃ち抜いて制圧完了だ。
「大人しくしろっ」
猿の背後から、大剣を握る右手を撃ち抜く。
手のひらには穴が空き、指先の力を失った猿は大剣をポロリと取り落とした。
これで終わりだ。
俺がそう確信した直後――
「グオオオッ!!」
――猿は身を捻るようにして俺へと振り返り、左手で空中を落ちていく大剣の剣身を鷲掴みにした。
そして、刃が指に食い込むのも構わず、大剣の腹で俺を殴りつけた。
「ぐあっ!」
とっさにミスリル銃の銃身で防御したものの、その力は凄まじく、俺は勢いよく吹き飛ばされてしまった。
かろうじて頭からの墜落は避けたものの、背中から落ちて呼吸ができない。
「げほっ、げほっ! ……ぐっ……うぅ」
なんとか呼吸が回復したので立ち上がった。
猿の方は、足を引きずりながらも俺へと向かってきていた。
「グルルルッ……!」
口からはよだれを垂れ流し、興奮のあまり白目を向いている。
どう見ても正気を失っているようにしか見えない。
「武器を捨てて動くな! これ以上やるなら殺すことになる!!」
この猿は、見た目は猿だが中身はゴブリンだったはず。
それを思い出し、言葉での説得を試みるが――
「ゴルルルァァァッッ!!」
――どうやらダメなようだ。
猿は自分に向けられた銃口に怯む様子も見せず、大剣を振り下ろしてきた。
とっさに後ろに飛び退いて直撃は免れたが、大剣の腹が地面を抉り、大量の雑草と土が巻き上げられて俺の視界を覆い隠してしまった。
さらに、追い打ちをかけるように――
「ゴルルルァァァァッッ!!!!」
――猿の馬鹿でかい声が、俺の鼓膜を揺さぶる。
その音に、わずかに反応が遅れた。
視界を塞ぐ土埃を振り払った時には、俺の前まで距離を詰めた猿が大剣を振り上げていた。
「マジかよ」
一瞬、背筋が凍る。
俺がつま先に力を入れるよりも早く、猿は大剣を振り下ろした。
とてもじゃないが今の体勢では躱すのは無理だ。
一方で、猿の方も万全の一撃じゃない。
ならば――
「受け止めてやるっ!!」
――俺の頭へと振り下ろされる刃に、ミスリル銃を横にして突き上げた。
ガァンッ、という衝突音と共に、凄まじい衝撃が俺を襲う。
銃身を突き出した両手を。
それを支える両腕を。両肩を。胴体を。
そして両足へと、一瞬にして衝撃が貫いていった。
「ぐぐううぅぅ……っ!!」
これ以上ないほどに歯を食いしばり。
骨が砕けたのではないかと思うほどの痛みを耐えて。
かろうじて、なんとか、ミスリル銃で猿の痛烈な一撃を受け止めた。
だが、その代償はなかなかに大きい。
……足が動かねぇっ!
一撃で押し潰されるのは免れた。
しかし、いまだに危機は去っていない。
「ゴルルァァッッ!!」
猿が俺の筋力を遥かに超える膂力で、ミスリル銃へと大剣を押し込んでくる。
体へと圧し掛かる重みがどんどん増していく。
俺は片膝をつき、そしてすぐにもう片方の膝も地面につくはめになった。
このままでは押し潰されるのは時間の問題だ。
「な、ん、で、お、れ、は……!」
なんで俺は、こんな馬鹿でかい猿と力比べをしているんだ。
背後を取ったとはいえ、うかつに猿に近づいたのは俺の失策だった。
その結果、こんな格下の相手にこの様とは……。
「うおおお……!」
「ゴルルルアアァァッッ!!」
こんな無様な姿、あいつらに見られでもしたら――
クリスタなら、蔑みの表情を浮かべて眺めているだろう。
ゾイサイトなら、呆れ果てて立ち去るだろう。
クロードなら、やれやれと言いつつ助けてくれるだろうか。
ジャスファなら、笑いながら石でも投げつけてくるに違いない。
――情けない。
次期ギルドマスターともあろう者が!
「ぐぐぐぐっ」
こんなつまらんことで、やられてたまるかっ!!
「ぐがあぁああ――」
全身全霊を懸けて俺は左腕を押し上げた。
ゆっくりと銃身が傾いていき――
「――あああぁぁっ!!」
――圧し掛かっていた大剣を、銃身で滑らせることに成功した。
銃身を伝って斜めに滑り落ちた刃先は、俺の右肩をかすめて地面へとめり込む。
さらに、勢い余った猿が足を滑らせてその場に横転。
これ以上ない好機だ。
「悪いな。その腕いただくぜ」
俺は痺れる指先をかろうじて動かし、地面に向かって引き金を引いた。
引くだけではない。引き続けた。
それによって銃口から射出される光線は維持され、そのまま横薙ぎに動かす。
地面を焼く光線は、倒れていた猿の左腕を二の腕から切断した。
「グガアアアァァァッッ!!」
焼き切れた腕が地面に転がる。
猿が激痛に身を震わせ、地面の上を駄々をこねるように暴れ始めた。
「元気があり余っているな、お前」
斬り撃ちによって破損した宝石を装填口から捨て、新しい宝石に入れ替える。
そして、暴れる猿の頭部へと銃口を向けた。
だが――
「……くっ」
――引き金は引けなかった。
この猿は、猿じゃない。
イカれた錬金術師によって、ゴブリンの脳に入れ替えられた哀れな動物なのだ。
否。脳がゴブリンなら、人……なのか?
何にせよ、戦闘不能に陥った猿にとどめを刺す気は失せた。
一方で、言いようのない感情が込み上げてくる。
「なぜ、とどめを刺さない?」
突然、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには顔色の悪い奇抜なヘアスタイルの学生が立っていた。
何やらさっきと様子が違う印象だ。
「放っておいても何もできやしない」
「失敗作なわけだから、とどめを刺してもらって構わないんだが」
「お前なぁ! この猿がこんなことになったのも、元はと言えばクランク教授とやらのせいだろうが!」
「だからといって、どうしろと?」
「今すぐ教授を連れてきてくれ! そいつにこの猿を治療させた後、謝罪させてやる!!」
「治療も謝罪もする理由なんてあるか?」
「とにかく連れてきてくれ! 絶対に謝らせてやる!!」
「僕は悪くない」
「え」
学生が露骨に不愉快そうな顔を浮かべている。
そして、今の言葉――
「お前、まさか」
「学生の芝居が堂に入っていたかな?」
――この学生と俺の認識にはズレがあった。
「お前が――」
「今頃気づくとは勘が鈍い。僕がクランクだ」
その刹那。
俺の中の言いようのない感情が怒りとなって爆発した。
「てめぇがぁぁっ!!」
言うが早いか、俺は銃を放り出して目の前の男の胸倉を掴み上げていた。
「な、何をするっ」
「猿も、ゴブリンも、てめぇの実験道具じゃねぇんだぞ!!」
「何を言うっ! 猿も、ゴブリンも、僕が金で買ったものだ! 自分の所有物を何に使おうが、僕の自由じゃないか!!」
「……!」
猿はともかく、ゴブリンも金で買ったって言うのか?
ゴブリンも人間だっていうのに、金で命を自由に扱えると思っているのか、このイカレ野郎がっ!!
「ゴブリンの命は、何グロウだ……? てめぇの命は、何グロウだ……っ!?」
「あばばばばば……っ。や、やめ……くるし……っ」
クランクの青白い顔が、一層青くなっていく。
このまま理性を捨て去って絞め殺してやりたいところだが――
「ジルコくん、やりすぎっ!」
――ネフラの声が耳に届いて、俺はパッと両手を離した。
「あばっ」
クランクは背中から地面に倒れ、白目を剥いて泡を吹き出した。
ビクビクと痙攣しているが……まぁ死にはしないだろう。
「少しは反省しろ、イカレ野郎」
「ジルコくん……」
傍に立つネフラが怯えたような顔で俺を見上げている。
今の俺、ずいぶん怖い顔しているんだろうなぁ。
……気まずいな、くそっ。
「なぁ、大学には常駐の癒し手はいないのか!?」
周りで腰を抜かしている学生達に尋ねるも、誰も返答してくれない。
猿の脅威はもうなくなったって言うのに……。
まさか教授を昏倒させた俺を怖がっているんじゃないだろうな。
「このまま猿を放置したら失血死しちまうぞ……!」
今はもう猿は大人しくなり、小さくうめくだけに留まっている。
……出血し過ぎて、意識が朦朧としているのだろう。
いっそのこと、頭を撃ち抜いてやれば楽に死ねるか?
でも、それではあまりにこの猿が――ゴブリンが報われない。
俺が歯噛みしていると――
「出迎えがないと思ったら、なんだいこの騒ぎは」
――女性の声が近づいてきた。
「おやおや。クランクが白目剥いて倒れてら! その近くには大きなお猿さんまで」
どこかで聞き覚えがある声。
声の主に向き直ると、俺は驚いた。
「ん、きみが犯人か。猿殺し? クランク殺し? どっち? どっちも?」
俺はこの女性に見覚えがある。
体にフィットしたワンピースを着て、その上から白衣を羽織った女性。
雪のような白い肌に、グラマーな体型。
透き通るような碧色の目は寝惚け眼で、なびく金色の髪はボサボサだ。
耳の先は尖っていて、両の耳たぶにサファイヤのイヤリングをつけている。
クロードの記憶の中で見た彼女にそっくりだ。
否。絶対に本人だ。
「ザナイト……教授?」
「いかにも! 私が霊性生命神秘学の権威、ザナイトだ!!」
不意にその名を口走ってしまった俺に、彼女は大きな胸を張って自己紹介を始めた。
「ところで、きみは誰?」
「あ」
……しまった。
俺は彼女のことを知っているけど、彼女は俺を知らないのだった。
「きみ、私のこと知ってるのかい? どこかで会ったかな?」
「あー。えぇと……」
「どうも私の記憶にはない顔だなぁ」
ザナイト教授が、ぬっと顔を近づけてきた。
息がかかるほど間近で顔を見上げてくるザナイト教授に、俺は――
「……!」
――不覚にも、ワンピースの開けた胸元から覗かせるたわわな胸の谷間に目が行ってしまった。
いや、しかし、これは不可抗力というものだ!
その時、ドスン、という音が聞こえた。
「ジルコくん――」
俺の背中に、よく聞き知った声と刺すような視線が届く。
「――少し、近いんじゃないかな」
落ち着いているようで、にわかに怒気を含んでいるネフラの声。
きっと彼女の足元には本が落ちているのだろう。
その顔は……たぶん笑っていない。