4-017. アカデミアの奇人①
海峡都市ブリッジとは、アムアシア大陸を西と東に隔てる大塩湖の上に造られた湖上交流都市だ。
グランソルト海の中央に位置するその都市は、エル・ロワとドラゴグを始め東西のアムアシア文化が集結する世界のへそとでも言うべき場所。
両国を最短で結ぶ国境としても機能しており、通行税は極めて高い。
「〈ジンカイト〉の冒険者がご来訪とはな。まさか観光ではなかろう?」
「そりゃあね」
髭を蓄えた壮年の門兵が、俺の顔と手渡した通行証を交互に見ながら言った。
今、俺達はブリッジ西門の関所で審査を受けている。
王都や衛星都市と違って、国境の役割を果たすブリッジは通行証を手渡してすぐに通ってよし、と言うわけにはいかない。
当然、門兵からは来訪理由を問われる。
「ブリッジにはどういった目的で?」
「俺とネフラは人捜しだ。錬金術師学会のある大学を訪ねたい」
「冒険者が大学に? 錬金術師のスカウトかね」
「さてね。それより、その通行証で中央区画には入れるよな?」
「質問しているのはこちらだが……。心配するな、この通行証なら中央区画への出入りも許可される」
門兵は次にクリスタへと視線を向けた。
クリスタは艶っぽい笑みを浮かべながら門兵へ歩み寄ると――
「私はドラゴグへの入国が目的よ。すぐに向こうへ渡る手続きをしていただけないかしら?」
――上目遣いで、門兵に図々しい注文までしてのけた。
「あ、ああ。なんとかしてみよう。少々時間が必要なので、後でまた来てもらうことになるが構わないかね?」
「わかったわ。お願いね」
その場の門兵全員が、クリスタの色香に惑わされて見惚れてしまっている。
以前クリスタが言った通り、彼女ほどの美貌ともなると魅了の魔法など必要ないらしい。
聴取はその後も続いた。
宝石強盗の件もあるので、長くなるものと思っていたが――
「外交官代理特権によって通行税は免除。ジルコ・ブレドウィナー殿。ネフラ・エヴァーグリン殿。クリスタリオス・ルーナリア・パープルオーブ殿。以上三名、ブリッジへの入場を許可する。ようこそ、ブリッジへ!」
――案外、早く解放されることになった。
通行証は印章を押された後に返却され、俺達は若い門兵の案内で関所の奥へと通された。
「市内には定期的に潮風が吹きますので、貴金属の腐食には十分ご注意ください」
「忠告どうも」
「ご要望があれば、マントを提供いたしますが」
「それって有料だろう?」
「はい」
「必要ない」
関所を通り抜けた直後。
空から強い日差しを受けたのと同時に、塩の香りが俺の鼻をついた。
ブリッジは、その名の通りグランソルト海に渡された巨大な吊り橋の上に建てられている。
そのため、都の外側に位置している周縁区画では塩の臭いが絶えない。
橋の南側と北側には風避けの壁が設置されているにも関わらず、平然と市内まで吹き込んでくる潮風には困ったものだ。
「今度こそお別れだなクリスタリオス」
「そうね」
クリスタリオスが口元を押さえながら答えた。
さすがの彼女も、この都の塩気は耐えがたいらしい。
「できればドラゴグまでお供したかったがな」
「嘘。そんな気さらさらないくせに」
俺を一瞥した後、クリスタはケープを頭にかぶせて歩きだした。
「クリスタリオス! 魔物の討伐、気をつけろよ!」
俺の声は届いたはずなのに、彼女は振り返ることもなく歩き去ってしまった。
しかし、これでようやく魔女の縛りから解放されたわけだ。
「少しは気持ちが軽くなったかな」
「私も」
ネフラと笑い合った後、俺達は中央区画を目指した。
◇
吹きつける潮風を建物の陰で躱しながら、俺とネフラは中央区画へと入った。
ここまでくると潮風が届かなくなり、塩の臭いもしない。
王都やヴァーチュと同じ雰囲気の街並みが見られるようになったのも、中央区画に足を踏み入れてからのことだ。
「凄い人の数だね。周縁区画とはまるで雰囲気が違う」
「ブリッジの人口密度は王都よりも遥かに多いからな。それに大陸の経済はこの都を中心に活気を取り戻しつつあるらしいぞ」
ネフラが混雑する街路を見て感嘆としている。
それもそのはず、ブリッジには各地から様々な人種が集まっているのだ。
ヒトやセリアンは当然として、ちらほらとエルフやドワーフの姿が。
さらには、ゴブリンやリザードの姿まで見られた。
蛮族と呼ばれる彼らも、常に人手が足りないとされるこの都では貴重な労働力として重宝されているわけか。
汗水流して働く者に赤い血も青い血もない――とは商人ギルドの創設者の言葉だそうだが、大陸でもこれほど人種差別のない場所は類を見ないだろう。
「大学の場所はわかったか?」
「う~ん……。場所はわかったんだけど――」
ネフラが地図と睨めっこしながら、眉をひそめている。
「――この地図、古いみたいで載ってない道がいくつもある。それどころか、あるはずの道がなかったり」
「ブリッジは人の流入が多くて、常にどこかしらで通路や建物の突貫工事が行われているらしいからな……。地図の更新が追いつかないんだろう」
「買ったばかりなのに」
「仕方ない。目的地はわかったんだし、そこへ通じる道を探していこう」
ネフラはがっかりした様子で地図を丸めると、リュックへと押し込んだ。
この地図は道すがら露天商から買ったものだが、あの商人も不備をわかった上で売ったに違いない。
世界のへそには大陸中から様々な品物が集まってくるが、詐欺師まがいの商人も集まってきているようだ。
◇
迷宮というものは、冒険者の好奇心をくすぐるものだが――
「ようやく大学にたどり着いたな……」
「この都、意味がわからない。どうしてたった100mの距離を七度も曲がらせるの……」
――まさかブリッジに迷宮顔負けの迷路があるとは思わなかった。
これが通路や建物の改築と改修を繰り返してきた結果か……。
おかげで、目的地にたどり着くまでにずいぶん日が落ちてしまった。
「その身なり……もしや冒険者の方ですか?」
大学の敷地内に入るや、学生らしき青年が話しかけてきた。
脇に抱えているぶ厚い写本。
ツギハギだらけの学士服。
耳が隠れるほど、ぶかぶかでサイズの合わない学士帽。
服の上からでもハッキリとわかる、病的なほどガリガリの細身。
顔色もすこぶる悪く、それを隠すかのように黄緑色の長い髪の毛が首周りにぐるぐると巻かれている。
……まるでマフラーだ。
その異様な恰好を目にして、俺は思わず閉口してしまった。
特に、奇抜すぎるヘアスタイルには度肝を抜かれた。
「ここはヘルメギストス大学で間違いないよな?」
「間違いありませんよ」
ちゃんとした返答が帰ってきてホッとした。
見た目はこんなだが、ちゃんと理性ある人間だった。
「この大学の錬金術師学会に、商人ギルドと交渉している錬金術師がいるはずなんだが知らないか?」
「商人ギルドと交渉、ですか」
「たぶん偏屈な人だと思うんだけど」
「誰だろう。錬金術師には偏屈な人は大勢いますからね」
……そうだろうよ。
「あと、男だ」
「……ああ。もしかしたら、クランク教授のことかもしれませんね」
「クランク教授?」
「はい。実績でいえば、この大学で間違いなくナンバーワンです。最近、商人ギルドの人達が教授の研究室を訪ねているのを見ました」
どうやらその人物で間違いなさそうだ。
捜し求めている相手が大学の有名人で助かった。
あのクロードが弟子入りするほどの人物だから、有名なのは想定できたけどな。
「ありがとう。その教授の研究室まで案内を頼めないか?」
「喜んで。しかし、もう少し後にした方がいいですよ」
「なんで?」
「この時間、実験の最中だと思うので」
「実験中ってことなら、部屋の外でいくらでも待つけど」
「それでも危ないと思いますよ」
「危ないって……何が?」
「大学では公然の秘密なんですけどね。教授は今――」
ドォン、という大きな破壊音が青年の言葉を遮った。
俺が音のした方に顔を向けると、校舎の壁に大きな穴が空いているのが見えた。
庭から学生達の悲鳴が聞こえる中、その穴からは――
「な、なんだありゃあ!?」
――巨大な猿らしき生物が飛び出してきた。
その猿は目測で3m超はある巨躯で、背中には身の丈ほどの大剣を背負っている。
「ああー。やっぱり失敗したか」
青年が他人事のようにつぶやくのが聞こえた。
庭に出た猿は即刻、槍を構える衛兵達に取り囲まれた。
しかし、彼らは次々と猿の剛腕によって薙ぎ払われていく。
衛兵が全員昏倒すると、猿は指背歩行でのそのそと敷地内を徘徊し始めた。
「一体なんなんだ、あれ!?」
「クランク教授は人造人間の研究過程で、生物の脳についても研究を重ねていて」
「それと猿と何の関係がある!?」
「教授は、将来完成させた人造人間に自分の脳を移植させようと考えていましてね。それで、ギガントエイプにゴブリンの脳を移植する実験を行ったのですが――」
……正気じゃない。
猿にゴブリンの脳を移植だって?
それって、猿がゴブリンになるってことか?
それとも、ゴブリンが猿に……?
想像を超えたおぞましい話に、俺は身震いしてきた。
そのクランクとかいう教授は頭がおかしいとしか思えない。
「――あれは、たぶん覚醒と同時に気が狂ってしまったんでしょうね」
「大学の連中は、そんな実験ばかりしているのか!?」
「そんな実験ができるのは教授だけですよ。そもそも人造人間の研究が公になれば大学だって閉鎖されかねません」
さすがクロードの師匠……としか言いようがない。
商人ギルドが交渉に手こずるわけだ。
「この事態を通報しようものなら教授は監獄行きだろうな」
「そうなりますかねぇ」
俺は深い溜め息をついた。
その教授は監獄に入れた方が世のためだが、今はまずい。
遠路はるばる若返りの秘薬を手に入れるためにやってきたのに、手ぶらで帰れるわけがない。
見たところ、地面に伸びている衛兵達のほかに武装した連中はいないようだ。
こうなっては、もう俺がやるしかないじゃないか。
「きみはこの場を離れろ。あの猿は俺が止める!」
「それは……無理じゃないかなぁ」
「ただでかいだけの猿なら、大人しくさせるのは難しくないさ」
俺はホルスターからミスリル銃を抜いて、暴れまわる猿へと構えた。
猿との距離は150mほどだが、あのサイズと鈍重さなら、ここからでも十分に狙撃できる。
一方、猿はますます興奮し、庭にいる連中を脅かし始めた。
男には棒切れを振り回して威嚇し、女には掴みかかろうと追い回している。
……中身、本当にゴブリンなのか?
「もう少しだけ踏ん張ってくれよ、学生諸君」
照準を合わせ、引き金を引こうとしたその時――
「!?」
――なんと、猿が空中に魔法陣を描き始めた。
棒切れだと思っていた物は宝飾杖だったのだ。
赤い魔法陣が完成するや、熱殺火槍が顕現して校舎へと突き刺さった。
壁には炎が燃え広がり、校舎の窓から学生達の慌てふためく姿が見える。
「なんで猿が魔法を!?」
昔ボードゲームで遊ぶ猿の噂を耳にしたことがある。
だが、魔法を使う猿なんて聞いたこともない。
直後、運悪く猿が俺の方へと振り返ってしまった。
……まずい。
銃を向けているのを見られた。
「ネフラ、離れていろっ!!」
俺が叫ぶと同時に、猿がこちらに向けて魔法陣を描き始めた。
恐ろしく丁寧な魔法陣を描きやがる。
あれだと命中精度がやたら高い魔法が飛んでくるぞ。
「じっとしていたら、やられるっ」
俺は地面を蹴り、猿に向かって駆けだした。
その時――
「魔法を使う相手なら私も力になれる!」
――ネフラが俺の後をついて走ってくる。
「ネフラ!」
「私はあなたの相棒。一緒に戦う!」
敵が魔法を使うなら、ネフラほど心強い味方はいない。
それに、そんな強い眼差しで見つめられては断るなんて野暮だ。
「よし。防御は任せた!!」
俺とネフラが並んで走りだした時、猿の魔法陣が完成した。