4-015. 親友の形見
王都を発ってから三日。
途中、四つの町を経由して、俺達はヴァーチュへとたどり着いた。
すでに太陽は西へと傾き、夕焼けが街を赤く照らしている。
「ジルコさん。ネフラさん。クリスタリオスさん! 道中の護衛、本当にありがとうございました!」
門の前の広場でスロウが深々と頭を下げる。
「礼を言うのは俺の方だよ。ここまでありがとうな、スロウ」
「ありがとう、スロウさん」
えへへ、と照れくさそうに頭を掻くスロウ。
そこへクリスタが近づいていき――
「ご苦労様。あなた、なかなか早い足だったわ」
――スロウの額をすりすりと撫でる。
「あふっ」
スロウがおかしな声を上げたかと思うと、撫でられるうちにうっとりした表情へと変わっていく。
「また私の足として使ってあげるわ、ウサギさん」
「こ、光栄ですぅ……クリスタリオス様っ」
いつの間にか、様付けになっているし……。
クリスタが手を離すと、スロウは名残惜しそうな顔で彼女を見つめる。
その瞳は、もっと撫でて! とでも訴えているかのようだ。
……こいつ、本物のウサギにでもなったつもりか。
「……はっ! そ、それでは僕はこれにてっ」
我に返ったスロウが馬を引いて街路を歩き去って行く。
「きみが男に色目を使うのは珍しいな」
「いざと言う時に利用できるでしょう。使える足は多いに越したことはないもの」
今の言い方から察するに、他にも骨抜きにされた男がいるのか。
なんて恐ろしい女だ……。
その時、コートの袖をネフラが引っ張ってきた。
ネフラの顔を覗き込むと、彼女は何か言いたげな様子で俺を見上げていた。
……何が言いたいかはわかる。
「あ~。クリスタリオス、ここでお別れだな」
「どうして?」
「どうしてって……。きみはヴァーチュに用があったんじゃないのか?」
「そんなこと言った覚えはないけれど」
「そりゃそうだけど……」
「私の目的地を勝手に決めないでくれる?」
「ご、ごめん」
今さっきまで穏やかだった表情が急にツンとしてしまった。
確かに目的地がどこかとは聞いていないが、俺達に同行している以上ヴァーチュが目的地だと思ったって仕方ないじゃないか。
「それより、もうしばらくあなた達とお供させてもらうわ」
「なんでだよ!」
「道中、話し相手がいた方が有意義でしょう」
「そうじゃなくて、なんでまだついてくるんだよ!?」
「あら。嫌なの? どうせヴァーチュは寄り道なのではなくて?」
「ぐっ……」
……さすがクリスタというべきか。
ヴァーチュが俺達の目的地ではないことなど、とっくに勘付かれていた。
かと言って、ブリッジが本命だと教えていいものか?
ちらりとネフラを見やると、彼女は地面を見下ろしてうつむいている。
ここは自分でなんとかしろと言うわけだな……。
「ブリッジが最終的な目的地だ。ヴァーチュには墓参りで立ち寄ったんだ」
「ふぅん。行き先がブリッジとは奇遇ね」
そう言われて、俺はドキッとした。
まさかこの女もブリッジに用があるんじゃなかろうな!?
「隣の国――ドラゴグで、魔物の被害が出ているのはご存じ?」
「へ? ドラゴグ?」
「あちらの国営ギルドから、名指しで依頼があったのよ。魔物の討伐隊に加わってほしいとね」
「そういうことだったのか」
「だからブリッジまではご一緒しましょうよ」
クリスタの目的地がドラゴグであることを知って、俺はホッとした。
「それじゃ馬車の予約はお任せするわ。出発時刻は明日の朝6時にしましょう」
「え。ちょ……」
「それじゃ、また明日」
「ちょ、待てよ!」
クリスタは俺の声に振り返ることなく、赤く照らしだされた街路を歩いて行ってしまった。
……勝手すぎる。なんて身勝手な奴なんだ!
「あの女、置いてきぼりにしてやろうか!」
「……それは勧められない」
ネフラが眉をひそめて言った。
「とりあえず駅逓館に行って、馬車の予約をしてこよう。そもそも今からじゃ三人乗れるような馬車をオーダーできるか怪しいけど……」
「それなら大丈夫――」
ネフラがニコニコしながら続ける。
「――実は途中の町で、ヴァーチュの駅逓館に伝書鳩を飛ばしてある」
「てことは……!」
「今日から数日間、私の名前でブリッジ行きの馬車を押さえてある。もちろん出発時間も自由に決められる手筈」
「グッドだ、ネフラ!」
予想外の吉報を受けて、俺は思わずネフラの両肩を掴んだ。
いきなりそんなことをしたものだから、ネフラはびっくりして顔をうつむかせてしまった。
……ちょっと驚かせちゃったな。
「悪い」
俺が慌ててネフラから手を離すと、彼女はいつもと変わらぬ澄ました顔で俺を見上げた。
「ううん。ジルコくんが喜んでくれて嬉しい」
「ネフラのおかげで、ブリッジへの旅程は滞りなく進みそうだな」
「それに、馬車の移動中も気持ちよく過ごせるように配慮したつもり」
「? どういう意味だ?」
ネフラがらしくなく悪そうな笑みを浮かべる。
「こうなることを予期して、馬車は二人乗りの客車を二両オーダーしてある」
「なんでわざわざそんなオーダーを……あっ!」
俺はピンときた。
二人乗りの客車が二両ということは、二人と一人の組み分けになるのだ。
「まさかネフラ、お前――」
「そう。私とジルコくんで先に馬車に乗り込んでしまえば、クリスタリオスを一人で馬車に押し込むことができる」
「そりゃ確かにそうだけど……」
「これで私とジルコくんは、静かに、穏やかに、気持ちよく旅ができる。クリスタリオスはごちゃごちゃうるさいから、一人で過ごしてもらう」
なんとまぁ、ネフラらしくない策謀だこと。
一体どうしたんだこの子……?
「大丈夫か? そんなことしてクリスタの逆鱗にでも触れたら偉いことに……」
「私達は彼女の言っていた出発時間よりたまたま早く駅逓館に到着する。ただそれだけのこと」
「ははっ。お前も言うようになったな!」
確かにクリスタのウザ絡みは神経をすり減らす。
それが狭い閉鎖空間なら尚更だ。
あいつと顔を合わせない時間が少しでも確保できるなら、ネフラのこの策謀は大いにありだ。
「あいつには、いつもしてやられているからな。たまにはいいか!」
「ふふっ。いい気味!」
そう言いながら、ネフラは満面の笑みをたたえた。
……やっぱり可愛い。
「本当、お前は頼りになる相棒だよ」
ネフラの頭を撫でようとすると、するりと躱されてしまった。
「もうすぐ日が暮れる。暗くなる前に、駅逓館で正式な契約を済ませちゃおう」
「そうだな。それに今日中に寄りたいところもあるしな」
それはメテウスが雇われていた鍛冶工房だ。
あいつに何があったのか、その最期くらいは知っておきたい。
そう思った時――
「……ん?」
――突然、俺の鼻先を何かがかすめた。
「どうしたの?」
「いや。……なんだ、ハエか」
ハエがぶんぶんと俺の周りを飛び回っている。
はたき落とそうにも、すいすいと避けられてしまう。
かと言って、離れたと思ったら再び鼻先に近寄ってくるこのウザさ……。
「なんだよこいつ! あっち行けっ!!」
しばらく攻防を繰り返していたが、結局ハエは仕留められずにいずこかへ去って行ってしまった。
「くそっ。なんで俺、ハエにたかられることが多いんだ」
「……ジルコくん、ちゃんと体洗ってる?」
ネフラが俺の服の臭いを嗅ごうと、鼻を近づけてくる。
俺はとっさに街路を駆けだし、彼女に臭いを嗅がれまいと抵抗した。
結局、宿でしっかり体を洗うように言われたけどな。
◇
駅逓館でブリッジ行きの駅馬車契約を結んだ後、俺達はある鍛冶工房を訪ねていた。
工房の名は〈ムラクモ〉といい、サンライズヴィアの一角にあった。
メテウスが〈ジンカイト〉の専属鍛冶師を辞めた後、親方のツテで雇われることになったヴァーチュ屈指の鍛冶工房だ。
工房の受付で待っていると、重い扉が開く音が聞こえてくる。
しばらくして、受付の仕切り板の裏から筋骨隆々の男が出てきた。
受付の女性と会話を交わした後、男はタオルで顔の汗を拭いながら俺達へと近づいてくる。
「こんな格好で申し訳ない。きみがジルコ?」
「はい。あなたが手紙を送ってくれたアマノさんですか」
「いかにも。〈ムラクモ〉の工房長をしているタケル・アマノだ」
黒い散切り髪に鼻の低い平面的な顔。
その特徴から、彼がアマクニの民の生き残りであることは明白だった。
「メテウスの最期を聞かせてもらいたくて、立ち寄りました」
「そうか……。きみのことはメテウスからもよく聞いているよ。親友だったんだってな」
俺がこくりと頷くと、アマノさんは物憂げな表情で続けた。
「一ヵ月ほど前だったか。サンライズヴィアで捕り物があってな」
「捕り物?」
「王国兵が逃げるコソ泥を追っていたのさ。そいつに雷管式ライフル銃で威嚇射撃した時、近くに停まっていた馬車馬が驚いちまってな」
「まさかそれが原因で?」
「ああ。運悪く近くにいたメテウスが、暴走した馬車に轢かれちまったんだ」
「そんな……」
「連絡を受けて俺が駆けつけた時には、担架で運ばれていくところだったよ。顔はぐしゃぐしゃで、見れたものじゃなかった」
長いこと冒険者をやっていれば、凄惨な死に様には慣れてくる。
しかし、それが親友ともなればすんなり受け入れられるものじゃない。
友との死に別れは、重い喪失感として圧し掛かってくるのだ。
「なんて運の悪い奴……」
「ブラドさんの弟子だけあって、あいつはまだまだ伸び代があった。それだけに残念だよ」
「俺もそう思います」
「そうだ!」
アマノさんは、何かを思い出したように工房の奥へと戻って行ってしまった。
しばらくして彼が戻ってくると――
「これをきみにもらってほしい。形見分けだ」
――そう言って、俺にナイフ大の鞘を二本、手渡してきた。
「形見分けって?」
「アマクニの風習でな。故人の形見を親しい者で分け合うのさ」
俺が受け取った鞘は、コートの裏ポケットに仕込んだナイフがちょうど収まるくらいのサイズだった。
そして、この皮の感触……今まで触れたことのない材質だ。
「アマクニの伝説の妖怪――雷獣から剥いだ皮で造られた鞘だ。ここに移ってくる前から、メテウスが何年もかけてこしらえていたものらしい」
「雷をまとうっていう、あの……!?」
「あいつが言っていたんだ。最高のナイフを作り上げた時、まとめて親友にくれてやるんだってな」
それを聞いて、俺は涙腺が緩むのを必死にこらえた。
かつての約束をあいつも忘れていたわけではなかったのだ。
ただ、時と運が足りなかった……。
「ありがとうございます」
「メテウスが埋葬されているのは市内にある庭園墓地だ。顔を出してやれば、あいつも喜ぶだろう」
「もちろんです」
「メテウスは辛気臭いのが苦手だ。墓参りをするなら、笑顔で花を手向けてやってくれ」
「はい!」
工房を出た後、俺達はすぐに庭園墓地へと向かった。
墓地でメテウスの墓の見つけるや、俺はさっそく花を手向けた。
そして、墓石の前でメテウスの鞘を二本ともコートの裏に備え付け、そこに改めてナイフを納めた。
今の俺をお前が見ているのかはわからない。
だけどこの場で武装することが俺からのせめてもの礼儀だ。
「メテウス。お前の気持ち、確かに受け取ったぜ」
親友の形見を身につけると気持ちも新たになる。
俺はメテウスに別れを告げ、霊園を後にした。
◇
翌日――まだ霧がかった早朝。
俺とネフラが駅逓館の前に訪れた時、目に映った光景に愕然とした。
「おはよう二人とも。今朝は良い天気ね」
クリスタが先に一人で馬車へと乗っていたのだ。
「クリスタリオス!? なんで……」
「何がおかしいの? たまたま早く起きたから、少し早めに現着しただけのことよ」
今は5時だぞ!?
示し合わせた集合時間より一時間も早いのに、たまたま早く起きたからって。
俺達の魂胆を見抜いていたとしか思えない!
「同席お願いできるかしら、ジルコ? 少し話があるの」
俺は隣にいるネフラと顔を見合わせる。
ネフラは……静かに首を横に振って、一人でもう一両の馬車へと向かった。
「……マジかよ」
次の町まで何時間かかる?
そんな長時間、クリスタと二人きりでいたら俺はどうなっちまうんだ……?
「ジルコ――」
俺に投げかけられるクリスタの声には、どことなく悪意が感じられる。
「――おいで」
凍えるような寒気を感じる妖艶な笑み。
俺の額に冷や汗が滲んだ。
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