4-013. エンカウント
今、俺とネフラはスロウの馬車に揺られている。
見上げれば曇り空。
振り返れば地平線の彼方に王都の外郭。
前を向けば――
「ジルコさん! 前方から妙な馬車が!!」
――御者台で慌てふためくスロウ。
その遥か前方には、馬車が二両こちらへと近づいてくる。
「こっちに銃を向けているな」
「ええっ!?」
王都を出て30分も経っていないんだぞ……。
この辺りはまだ王国兵の巡回範囲だろうに、ずいぶん強気な賊がいたものだ。
揺れる荷台の上で、俺とネフラは身構えた。
しかし、相手が銃となると今回はネフラの出番はない。
「ジルコさん、引き返しますか!?」
「このまま進んでくれ」
「でも、狙撃されちゃいますよ! 死にますよ!?」
「黙って俺に任せりゃいい」
俺が右足のホルスターからミスリル銃を引き抜いた時、銃声が高らかに鳴り響いた。
その直後、荷台の仕切り板が砕け散る。
「うわあっ!!」
「落ち着けよ。弾がかすっただけだ」
「で、でもぉぉっ!」
「大事な積み荷を失いたくなかったら、しっかり馬を操ってくれよ」
取り乱し過ぎだ、スロウ。
馬にも乗り手の緊張が伝わるっていうのに……。
「大丈夫?」
荷物の陰から、ネフラがひょこっと顔を出した。
「賊にしてはけっこう精密な射撃をしてくる奴だ」
「ジルコくんよりも?」
「まさか。銃の扱いなら誰にも負けないさ」
とはいえ、このまま街道を走っていれば馬を撃たれかねない。
さすがにこのまま直進するのは賢くないな。
「ネフラ、伏せていろ」
ネフラが荷物の陰に隠れたのを見て、次にスロウへ指示を出す。
「スロウ、街道から逸れて二時の方向を走ってくれ」
「なんでわざわざ!? そんなことしたら、速度が落ちちゃいますよ!」
「俺を信じろ。これでも冒険者歴はそれなりなんだ」
「ぐうぅっ……! わかりました、頼みますよ!!」
スロウは手綱を操って、馬を街道から逸らした。
ぴたり二時の方向とはいかなかったが、街道から逸れるのが目的なので問題ない。
「うわわっ。荷物、大丈夫ですかっ!?」
街道から外れた途端、激しい揺れが車体を襲う。
都市間の街道は最低限の舗装がされているが、街道から少しでも外れれば雑草が生い茂り、砂利が転がる荒地になる。
よほどバランス感覚の優れた馬乗りでもなければ、走ろうとは思わないだろう。
「正面に見えてきた藪を右から回り込んでくれ」
「そんな無茶な!」
「このまま賊の弾を食らうのと、多少馬車を痛めるの、どっちがいい!?」
「わかりましたよっ」
馬車は背の高い雑草を掻き分けながら、藪を回り込み始めた。
さらに車体の揺れが増す。
「速度を落とさないと横転しますっ」
「このままでいい」
「そんなぁ!」
その時、再び銃声が響き渡った。
「ひいっ!」
御者台にいるスロウが縮こまるが、危険はない。
弾は車体をかすめることもなく、見当違いの方向へと飛んで行った。
「あ、あれ……?」
「相手が使っているのは雷管式ライフル銃だ。100m以上離れていてこの悪路なら、止まった的にだって当たりっこない」
「よくご存じで……」
「これでも銃士なもんで」
その直後、賊は二手に分かれた。
一両は街道を逸れて俺達を追ってきている。
狙撃手はこの車両に乗っている銃士だ。
もう一両は街道に残って様子をうかがっている。
挟み撃ちをするつもりか、味方の動向を見守るつもりか……。
何にせよ、警戒する馬車が一両になるのなら楽だ。
「見た限り、どっちの馬車にも魔導士は乗っていないみたいだ」
「もしもの時は私に任せて」
ネフラが荷台にしがみつきながら、頼もしいことを言ってくれる。
だが、この悪路は少々ネフラには辛そうだ。
早く街道に戻りたいが、まずは……。
「取り急ぎ、追ってくる一両を潰すか」
俺は揺れる荷台の仕切り板に片足を乗せた。
左手で銃身を支え、右手の指先は用心金に。
しかし激しく上下する荷台からでは、俺でも100m先の的に当てるのは困難。
だから――
「ああっ!? ジルコさん、藪の先に……!」
――平坦な足場に戻った後に、引き金を引けばいい。
「な、なんでこんなところに町がっ!?」
東の街道をさらに南東に進むと、藪の先には小さな廃墟がある。
数十年前までは人が住んでいたが、闇の時代に魔物の被害に遭って放棄された町のひとつだ。
「町の中を突っ切れ!」
廃墟の町に遺された石畳の街路。
そこを走る俺達の馬車は、思った通り振動が安定している。
これならば荷台からの狙撃は十分可能だ。
三度銃声が響いたが、馬車の真横の石畳を吹き飛ばすだけだった。
賊の馬車はまだ悪路を走っているのだから命中率は著しく落ちる。
ましてや雷管式ライフル銃の精度ではなおのこと。
「相手が悪かったな!」
狙いは賊を乗せた馬車の車輪だ。
俺がミスリル銃の引き金を引くと同時に、銃口から橙黄色の光線が射出される。
光線は一瞬で100m先の標的まで到達した。
車輪が吹っ飛ぶと同時に、バランスを失った車体は引き千切れた。
荷台の上にいた賊は、なす術もなく全員地面へと投げ出されたことだろう。
死にはしないと思うが、もう追ってはこれまい。
「この先の十字路を回って、また元の街道に戻ってくれ」
「もう一両の連中は……」
「まだ街道に残っているようなら、すぐに撃ち抜いてやるさ」
銃で肩を叩きながら俺は荷台に座り込んだ。
ちょっと心配だったのだが、ちゃんと銃が機能してくれてよかった。
「それにしても、よくこんな場所を知ってましたね」
スロウが感心した様子で話しかけてきた。
一難去って、彼の動揺もようやく収まったようだ。
「僕はしょっちゅうあの街道を通ってますけど、道外れにこんな廃墟があるなんて知りませんでした」
「狙撃に適した場所は、事前に調べておくのが銃士の常識だからな」
過去、魔物がエル・ロワにまで侵攻してきたことは何度かあった。
東から襲来する魔物討伐の際、俺が迎撃に重宝したのがこの廃墟なのだ。
……それにしても、だ。
当時を思い出すと、どうしてもあいつの顔がチラついてしまう。
「懐かしいな」
「どうしたの?」
「いや」
思わず口から漏れた言葉をネフラに拾われて、俺は口ごもってしまった。
今さらあいつのことを思い出していたとは言えない。
「懐かしいだけの思い出は、そろそろ忘れないとな」
「?」
ネフラがキョトンとした顔で俺を見上げている。
俺は彼女に笑いかけた後、空を見上げた。
今にも雨が降りそうな曇り空だった。
◇
結局、もう一両の馬車が俺達と矛を交えることはなかった。
俺達が街道に戻ってきた時には、奴らの馬車が地平線の彼方へと消えて行くのが見えたから。
「ひとまず助かったみたいですね」
「賊の一人が望遠鏡を持っていたからな。仲間がやられたのが見えたんだろう」
「よく見えましたね、あの距離で……」
スロウが呆れた眼差しを俺に向けている。
仮にも命の恩人にする顔じゃないだろう……。
その触り心地の良さそうな鼻をつついてやろうかと思ったが、ネフラの手前やめておくことにした。
「でも、あんなに見境なく襲ってくるなんて思わなかった」
ネフラの見解には俺も同意する。
郵便馬車に対して脅しもなくいきなり攻撃をしかけてくるなんて、賊は賊でもかなりの過激派だ。
「この状況、似てると思わない?」
「何に?」
「以前、教皇領に向かう途中に襲ってきた賊がいたでしょう」
そういえばそんなこともあったな。
街道を走っている俺達を、いきなり魔法で不意打ちしてきた連中だ。
おかげで、教皇庁の豪華な馬車が二両もダメにされた。
「何か気づいた事でもあったか?」
「……もしかすると――」
ネフラが不安そうな顔になって続ける。
「――あの時の賊は、私達〈ジンカイト〉の冒険者タグが目当てだったのかも」
「あの頃からすでに宝石強盗は起こっていたってことか」
「宝石目当てなら、私達を狙ってきてもおかしくないから」
ネフラの言う通りかもしれない。
等級の高い冒険者のタグは宝石が加工されている。
S級ならダイヤモンド、A級ならルビー、といった具合に。
賊が〈ジンカイト〉だと知って襲ってきたのなら、最低でもルビーが手に入ると踏んでのことだろう。
何せ〈ジンカイト〉には等級A以上の冒険者しかいないからな。
「でも、あの件は英雄不要論の提唱者が黒幕じゃないか、って話だったよな」
「うん。でも〈バロック〉の存在を知ったら、あんな強引な襲撃は宝石収集の方がしっくりくるかなって」
「さすがに考えすぎじゃないか。それじゃ英雄不要論者が〈バロック〉の関係者だって推論まで成り立つだろう」
「うん」
「まさか」
「うん……」
「まさかだよな……」
ネフラの表情が不安げだ。
まさかとは思うが――
英雄不要論の提唱者は〈バロック〉のメンバー。
その人物は事前に〈ジンカイト〉の足取りを調べ上げ、街道で待ち伏せさせた賊に俺達を襲わせた。
目的は冒険者タグの宝石の強奪。
もしや昨今のギルド弱体化を促す流れも、冒険者を孤立させて宝石を奪い取る機会を作り出すため……?
――だったりして、な。
状況証拠だけでは確証には至らない。
考えるだけドツボにハマりそうだから、この話は置いておこう。
「考えすぎだよ」
「そうかな」
「一応、頭の隅には入れておく」
「それがよさそう」
俺がネフラの胸――じゃなくて、首から下がった冒険者タグを見つめていると、背後からスロウに呼びかけられた。
「ジルコさん、この旅は幸先よくないかもしれません……」
「何言ってんだよスロウ。もうとっくに幸先なんて――」
スロウに向き直った直後、俺の視界にとんでもない光景が目に入った。
遥か地平線の彼方から曇り空まで届きそうなほどの火柱が上がっていたのだ。
「な、なんでしょう……あれ?」
「なんでも何も、魔法だろう。火属性体系の……それも極大級の」
火柱は地上から空を貫かんとするほどの勢いで立ち上がっている。
おそらくこの場から1000mほど先で、だ。
もしや逃げて行った賊があの火柱の下にいるのか?
「こ、ここ、このまま進んでも、大丈夫ですかっ!?」
「……たぶん、な」
「たぶんて! たぶんてっ!」
またスロウが騒ぎ始める。
まぁ、火柱を見れば誰だって怖がるよな。
しかし、俺は過去にまったく同じものを見たことがある。
あの火柱を起こした人物に心当たりがあるのだ。
「ジルコくん……」
ネフラに振り返ると、彼女が一層不安げな表情を浮かべている。
きっと俺と同じことを考えているのだろう。
この先に進めば、あの女と出会ってしまうであろうことを……。
「スロウ! ちょっと道を変えよう」
「そ、そうですね」
「ここから少し北上すれば、農村から引かれている細道があったはず」
「わかりました。なんとかこの馬車でも通れるでしょうから、そっちへ向かいます」
再び街道を逸れた俺達は、そのまましばらく北へ向かった。
その時、俺は気づいてしまった。
馬車の後ろに、ずっと付きまとっている影があることに……。
「ネフラ。念のため、いつでも本を開けるようにしておいてくれ」
「え? どうして?」
俺は恐る恐る影の上――空を見上げた。
「あ……ああ……!」
想像した通り、そこには彼女の姿があった。
「もしやと思ったけれど、やっぱりあなた達だったのね――」
空に浮かんだ女が、俺達をじっと見下ろしている。
「――いけずな人。私の仕業と知って、わざわざ道を変えるなんて」
風に揺れる紫色の長い髪。
露出の激しい魔法装束。
右手にはブラックダイヤが光る宝飾杖。
そして、胸元に虹色の輝きをたたえる冒険者タグ。
「クリスタリオス……!」
「私も同行してよろしいかしら?」
最悪のタイミングで、最悪の魔女に見つかってしまった。