4-012. 東へ!
サルファー伯爵から証文と通行証を受け取った俺は、その足で最寄りの駅逓館に立ち寄っていた。
ネフラには先にギルドへと戻って旅支度を整えてもらっている。
海峡都市で競売が開かれるのは来週。
ヴァーチュを中継してブリッジまでの道のりとなると、駅馬車を乗り継いでも最短で七日はかかるだろう。
明日にでも王都を発たなければ時間的に心もとない。
「こりゃ親方に銃の整備をしてもらう余裕はないな」
なんだかんだで、頼めば対応してくれるのが親方の甘いところ。
しかしさすがに今回は時間がない。
親方がもっと早く帰ってきてくれていたら、整備を頼むことができたのに。
俺が東門付近の駅逓館に足を踏み入れると、館内は嫌に騒がしかった。
「これは何の騒ぎだ?」
駅員に尋ねると事情を教えてくれた。
「東への街道で賊に襲われる馬車が増えていましてね。それもあって、傭兵ギルドの連中が商人や郵便屋に売り込みをかけにきて、この騒ぎですよ」
「なるほどね」
やけに武装した連中が多いと思ったら、こいつら傭兵だったのか。
冒険者と同様、彼らの商売も平和な時代には閑古鳥が鳴く。
稼ぐために必死というわけだ。
「それはないですよぉ!」
「すまねぇな。こっちも生活かかってるもんで」
「これからすぐに出発しないと、間に合わないんですよ!?」
「他を当たれって言ってんだろっ!!」
何やら言い争いまで聞こえてきた。
郵便屋らしき男が傭兵に詰め寄っている姿が見える。
きっと護衛の約束を反故にでもされたのだろう。
「他人にかまっている場合じゃないな」
俺は駅逓館の受付へと向かった。
受付カウンターがちょうど一席空いたので、そこへと駆け込む。
「いらっしゃいませ。馬車のご予約でしょうか? それともご郵便? ワイバーン便なら、郵便鳩と違って重いお荷物を長距離最短でお届けできます」
向かい合うなり、受付の女性が聞いてもいない宣伝文句をうたい始めた。
「ブリッジまでの馬車を予約したい。ヴァーチュまででもいい」
「ブリッジですか。ご存じないかもしれませんが、東の街道は盗賊が出没しておりまして、別口で護衛が必須となりますが」
「これでも冒険者なんだ。護衛は不要!」
俺は首元の冒険者タグを見せる。
まぁ、本当に見せたいのは記章の方なんだけども。
「……あっ! 〈ジンカイト〉の冒険者の方ですか!?」
やっぱり効果てきめん。
これで話が早く進むだろう。
「悪いけど急ぎなんだ。明日の朝一で動ける馬車を手配してもらいたい」
「あ、あのぅ、誠に申し訳ございませんが――」
受付の女性が、言いにくそうな顔で続ける。
「――冒険者よりも、商人や郵便屋を優先しろとのお達しでして」
……話が早く進むどころじゃなかった。
復興の時代に活躍の場が薄れてきたとは言え、冒険者の扱いの悪さをひしひしと感じる。
「割と火急の用件なんだけど」
「申し訳ございませんが、明日明後日の便をご用意するのはちょっと」
「どうしても?」
「は、はい……」
これはいくら粘ってもダメそうだ。
復興の時代になって各都市の往復が盛んな上、賊の出没のせいで普段以上に過敏になっている。
しかし、駅逓館の馬車が使えないとなるとどうするか。
今さらサルファー伯爵に馬車を借りるのも決まりが悪い。
「最速でいつくらいに用意できそう?」
「えぇと……。四日後の朝出発の便ならねじ込めるかと」
さすがに四日後じゃ遅すぎる。
とてもブリッジの競売には間に合わない。
「……わかった。ありがとう」
「お力になれず申し訳ございません」
深々と頭を下げる女性を尻目に、俺は館内を歩き始めた。
とんとん拍子に事が進んできたのに、ここにきて足止めを食らうとは。
こうなれば、伯爵に頼んで馬車を出してもらうしかない。
そう思っていると――
「そこをなんとか!」
「悪いけど仕事なもんでね。金払いの良い方につくのが当然てもんさ」
――先ほどの郵便屋が別の傭兵と口論していた。
「僕はヴァーチュ含めて四ヵ所の町を経由しなけりゃならないんです! 予定よりもう半日も遅れてるんですよ、どうかお願いしますっ」
「ダメったらダメだ! 悪いな、あんちゃん!」
結局、彼は交渉に失敗したようだ。
歩き去る傭兵の後ろ姿を見送りながら、がくっと肩を落としている。
……この男、ヴァーチュ方面に用があるのか。
郵便屋なら仕事のための郵便馬車を所有しているはず。
ということは、彼の傭兵役を買って出れば目下の悩みは解決するじゃないか!
「なぁ、あんた郵便屋だろう」
「え? なんです、あなた」
俺が話しかけると、男はビクッとして警戒する視線を向けてきた。
「俺は冒険者だ。ヴァーチュへ行くなら俺を護衛にしてほしい。傭兵の代わりくらいはできる」
「本当ですか!? 助かりますっ!!」
一瞬で男の警戒が解けたかと思うと、コロッと態度を変えてすり寄ってくる。
その変わり身の早さに、俺は驚かされた。
「お、お互いの利害が一致する以上、助け合わないのは損だからな」
「でも僕、あまり高い護衛料は払えませんよ?」
「理由あってヴァーチュに急いでいるんだ。金なんていらない」
「ああっ! なんて良い人なんだ、あなたは!!」
ぴょんぴょん飛び跳ねながら、男が喜びの気持ちを示した。
彼の黒い髪からは、白くて長い耳がピンと持ち上がっている。
……そう。
この男、セリアンのウサギ族なのだ。
感情豊かで快活なウサギ族は、全身で気持ちを表現するので騒がしい。
しかし、荒々しいクマ族、寡黙なトラ族、神経質なオオカミ族に比べれば、ずっと可愛くて御しやすい。
「交渉成立ってことで良さそうだな」
「もちろんです!」
男は俺の手を取って上下に振りながら、満面の笑みを向けてくる。
その柔らかそうな鼻をつつきたい衝動に駆られるが、今はそんなことをしている場合じゃないな。
「僕はスロウ・ザウェイと申します!」
「〈ジンカイト〉のジルコ・ブレドウィナーだ。連れが一人いるんだが大丈夫か?」
「護衛は多いほど安心です。僕の郵便馬車はそこそこ大型なので、二、三人は大丈夫ですよ」
「それじゃ出発の時間を決めてくれ。それまでにはこっちも――」
「今すぐです!」
「え?」
「今すぐにでも王都を出発しないと、日が暮れるまでに最初の町までたどり着けません。約束の期日までにお手紙を届けられないと、お客様からの信頼が損なわれてしまうんです!」
急いでいるとは言っていたが、まさか今すぐとは……。
「僕ら〈クロックラビット郵便〉は、配達の遅れが少ないことが強みなのです! その利点を損ねれば、競合ひしめくこの時代に食ってはいけませんっ」
「わかった。すぐに準備してくる」
「では、東門の前で待っています。僕の馬車は、白いウサギのシンボルが描かれたものなのですぐにわかると思います!」
スロウは身をひるがえすや、駆け足で駅逓館から出て行ってしまった。
さすがウサギ族というべきか、たいした俊足だ。
……感心している場合じゃなかった。
「ウサギに負けていられない」
俺は駅逓館を出た後、ギルドへと急いだ。
◇
「えっ。今すぐ?」
ギルドに到着するや、俺はネフラに事の次第を伝えた。
あまりにも急な出発となったことでネフラも面食らっている。
「郵便屋の護衛をしながらだけど、俺達が馬を走らせるよりもずっと速い」
「わかった。実はもう準備はできてる」
ネフラが酒場の隅を指さす。
そこには、俺と彼女の二人分の携帯リュックが用意されていた。
さすがネフラだと頭を撫でてやりたいところだが、それはまた今度。
「助かる! 俺は執務室に寄ってくるから、ここで待っていてくれ」
俺はネフラに言いつけてすぐ、駆け足で二階の執務室へと向かった。
部屋に入るや、壁際の本棚をずらして床板を引き剥がす。
すると床下から鋼鉄の箱が露に。
これこそ歴代ギルドマスターのみぞ知る床下の隠し金庫だ。
「さすがに手持ちの屑石だけじゃ不安だからな」
ごちゃごちゃ物が詰まっている金庫から、布に包まれたダイヤモンドとルビーを取り上げる。
それらを宝石袋に入れてコートの内ポケットにしまう間、俺の目は金庫内の別の物に向いていた。
紫色の液体が入ったガラス容器――ゾンビポーションだ。
「念には念を、の精神で行くか」
クロードが残したこのポーションも残りは2本。
感情を失うという後遺症の話も聞いているので、あまり使いたくはない代物だ。
しかし、万が一の事態に備えて1本だけ持っていくことにした。
……ネフラには見つからないようにしないとな。
隠し金庫を元通りにした後、俺はすぐに階下へ戻った。
「ネフラ、行くぞ」
「はい」
ネフラを連れて外に出ようとした時――
「あれ。ジルコさん出かけるの?」
――酒場を掃除中のアンに声をかけられた。
「ああ。急ぎの用で、ちょっと王都を出る」
「そうなんだ」
「すぐ戻るさ」
「うん。楽しみにしてるからね!」
楽しみって、何をだ……?
アンの発言の意図を考えあぐねていると、彼女の後ろから親方が歩いてきた。
「もう行くのか?」
「ああ。ちょっとドタバタしててね」
「そうか。なら、こいつを持っていけ」
親方が、皮の鞘に納められた二本のナイフを俺に投げてよこした。
「これは?」
「投擲用ナイフだ。前にジャスファから発注があって作っておいた物だが、お前さんにくれてやる」
「ありがとう!」
俺は受け取ったナイフの鞘をコートの内ポケットに備え付けた。
防刃コートなので胸部や腹部の防御はこれ以上必要ないが、とっさに投擲する時にこの位置にあると都合がいい。
「ミスリル銃の方は大丈夫か?」
「大丈夫。何度か試射してみたけど、問題なく撃てたから」
「そうか。あまり乱暴に扱うなよ」
「わかってるって! 信用してくれよ」
言いながら、俺は親方とアンに手を振って外へ出た。
「どこに行くの?」
行きがけに、俺の背中へとアンの質問が飛んできたので――
「ヴァーチュ! 再来週には戻る」
――と答えると、アンが何やら大声で叫び始めた。
すでに庭を出て街路を走り出していた俺には何を言っているのか聞き取れなかったが、そのまま無視することにした。
悪いけど、本当に急いでいるんだ。
「アン、どうして怒ってたの?」
「えっ。怒っていたのか?」
隣を走るネフラに言われて、初めてそれに気がついた。
なぜ急にアンが怒りだしたのか、俺にはまるで見当がつかない。
はて、何か忘れていることがあるような……?
◇
王都外郭の東門までたどり着くと、門の前は人混みでごった返していた。
混雑の原因は、東門で行われている検問にあるようだ。
門から数十mにも及んで街路に馬車の列ができている。
「スロウはどこだ?」
スロウの姿を捜していると、馬車の列から俺の名を呼ぶ声が聞こえてくる。
「ジルコさん! こっちです、こっち!」
声に向き直ると、車体にウサギの絵が描かれた荷馬車が目についた。
御者台にはスロウが座っており、こちらを手招きしている。
こいつ、俺達を待たずに馬車を検問の列に並べていたのか……。
「よかった。間に合わなかったらどうしようかと思っていました」
俺とネフラが馬車へ駆け寄ると、スロウがぬけぬけと言い放った。
「せっかちな奴だな! 俺達を置いて外に出る気か!?」
「そういう性分でして、はい」
鼻先をつついてやろうか、と思いつつも俺は荷台へと飛び乗った。
荷台には積み荷がぎゅうぎゅうに乗せられていたが、幸い人間二人が収まる隙間は残されていた。
「僕はスロウと申します。可愛らしいお嬢さん」
「ネフラです。よろしく」
ネフラは素っ気ない挨拶を返すや、荷台によじ登った。
「しかし、ずいぶん物々しい検問をやっているな」
「最近物騒ですからね」
外郭門の検問は、身分証の提示と通行税の支払いでササッと通れるものだが、やけに厳しいことに違和感を覚える。
どうやら最近になって王国兵の目に余るような事態があったようだ。
「何があったか知っているか?」
「先週、貴族邸に強盗が入ったそうですよ。宝石をごっそり盗られたとか」
「そりゃあ治安部隊の沽券に関わるな。検問が厳しくなるわけだ」
検問をパスした馬車が一両ずつ門を通される中、いよいよ俺達の馬車が呼びつけられた。
その時、スロウが何かを期待するような眼差しを向けてきた。
「あの……」
「なんだ?」
「〈ジンカイト〉様の権威で、通行税が免除されたりしませんかね?」
「無理だな」
「ですよね」
それは俺だって期待していたことだ。
まったく税収ってのは、人間の生み出した史上最悪の文化だよ。