4-011. 伯爵の依頼
俺とネフラがギルドに戻ると、門扉の前に人だかりができていた。
雑踏を掻き分けていくと、二頭の白い馬と共に大型四輪の箱馬車が停まっている。
「どこのお偉いさんの馬車だ?」
これほど見事な箱馬車ともなれば、乗っているのは貴族か聖職者だ。
まさかサルファー伯爵では……と思っていると、馬車の裏から見覚えのある人物が顔を出した。
「げっ」
その人物の蛇のような顔は、忘れたくても忘れられない。
確か神聖騎士団の自称・最強の矛――
「あんた、なんで……!?」
「うぬっ! き、貴様は……!!」
向こうも俺の存在に気づき、ばつの悪い顔をする。
「えぇと、名前は……」
「カイヤ・グリンスケイルだ! 覚えておけっ」
「こんなところで教皇庁の騎士が何をやっているんだ?」
「貴様に用はない! 客人を送り届けただけだ!」
「客人?」
ギルドの建物から笑い声が聞こえてくる。
耳を澄ませてみると、それは聞き覚えのある声だった。
……親方だ。
昨日の夜に伝書鳩で届いた手紙には、二、三日中に帰ると書かれていたが、今日のお帰りだったか。
「親方を送り届けてくれたのか」
「そうだ。さっさと顔を合わせてくるがいい」
カイヤがむすっとした表情で、しっしっと俺を追い払うようなしぐさを見せる。
ずいぶん嫌われたもんだな……。
気を取り直して俺はネフラと共に門扉をくぐった。
冷たい視線を背中に感じながらも、庭を抜けてギルドの扉を開くと――
「おお、ジル坊!」
――親方の大きな声が屋内に響いた。
声の張りから察するに、旅の疲れはなく元気いっぱいのようだ。
「お帰り親方。二週間近くのお勤めご苦労様!」
親方と目が合ってすぐ、俺は労いの言葉を贈った。
なんと言っても、俺のせいで教皇領に缶詰めだったわけだからな。
出迎え方によっては殴られるかも――
「この馬鹿野郎っ!」
――と思ったそばから、頭を拳骨で殴られた。
「痛ぇな、いきなり何するんだよ!?」
「お前さんの尻ぬぐいで虹の都くんだりまで行って、一週間缶詰めだったんだぞ!?」
「それは仕方ないだろ! 親方しか勇者の聖剣を修復できるような職人はいないんだから!」
「おかげで得意先から依頼されてた仕事が全部まとめて後回しだ!」
「そ、それは悪かったよ」
……ああ。やっぱり雷が落ちた。
俺は大きなたんこぶができていそうな頭を撫でながら、その場に居るもう一人の騎士の存在に気がついた。
「ん……? ヘリオ!?」
「お久しぶりです、ジルコさん!」
ヘリオまで親方の送迎に加わってくれていたのか。
相変わらず善性マックスのオーラを放っている――ように感じる――な。
「ギルドの貴重な職人を長々とお借りして、誠に申し訳ありませんでした!」
「気にすることないさ。元は俺が勇者の聖剣を完全な形で回収できなかったことが原因なんだし」
「それだけでなく、ブラドさんには我々神聖騎士団の武具まで見ていただいて、感服しております!」
なんだって!
これは聞き捨てならない。
帰りが遅いとは思っていたが、神聖騎士団の武具まで整備してきたのか……。
「親方ぁ?」
「ま、まぁいいじゃないか。こいつら、なかなか良い装備をしていたもんでな」
「……呆れた。だから帰ってくるのにこんなに時間がかかったのか」
「借りはしっかり返すもんだ。ウチのギルドの連中が迷惑をかけたわけだしな」
それを言われると弱い……。
教皇庁には貸し借りなしになっても、親方にはまた俺の貸しが増えてしまう。
「それでは、僕らはこれで失礼します」
「もう行くのか?」
「ええ。早急に対策を練るべき懸案がありまして」
「何かあったのか」
「実は、最近になって聖職者の強盗被害が相次いでいまして。その対策を練らなければならないのです」
「強盗被害……」
それを聞いて、すぐに〈バロック〉による宝石強奪ではないかと思い至った。
聖職者ならば高価な宝石を持っていて当然。
宝石を掻き集めているらしい〈バロック〉がそれを強奪したがるのは必然だ。
「そうか。気を付けろよ」
「ご心配なく! 我ら神聖騎士団は教皇庁最強の騎士団ですから、賊などに遅れは取りません!」
ドン、と鎧の胸当てを叩くヘリオ。
俺達への挨拶を済ませると、ヘリオは踵を返してギルドから出て行った。
その背中を見送る際、箱馬車の御者台に座るカイヤと目が合うも、すぐにそっぽを向かれてしまった。
……露骨にそういう態度取るのやめてくれないかな。
「皆さん、また会いましょう!」
ヘリオが箱馬車の窓から顔を出して、手を振っている。
俺が手を上げたのと同時に、馬車は街路を走り出し、あっという間に視界から消えてしまった。
「ヘリオさんが言っていたのは、きっと〈バロック〉のことだよね?」
入り口の扉を閉めるや、ネフラが話しかけてきた。
「だろうな。直接動いているのは末端の雑兵だろうけど」
「教皇領の近隣にも現れたとなると、〈バロック〉はエル・ロワの国内全域で幅広く活動しているみたい」
「ああ。目を付けられたら厄介そうだ」
不安げな顔を見せるネフラの頭を撫でると、俺は親方のもとに向かった。
ネフラのぶー垂れ顔をしばらく眺めていたかったが、俺は早急に親方に確認しなければならないことがある。
「親方、帰ってきてさっそくで悪いけ――」
「お前さんの銃の整備は後だ後!」
最後まで言う前に、話の腰を折られた。
ミスリル銃の整備もしてほしいけど、今はその話をしたいわけじゃないんだ。
「整備の話じゃないよ」
「他に何の用があるってんだ?」
「ブリッジにツテのある貴族とか知り合いにいない?」
「……海峡都市に? 突然どうしたんだ」
突然の尋ね事に、親方が怪訝な表情を浮かべる。
「ブリッジに行く必要ができたんだ。でも、あそこは通行税が馬鹿高いだろ? コネのある貴族がいれば、通行証を発行してもらいたいんだ」
「当てがないことはないが……。この時期にわざわざブリッジへ行くのか?」
「実は――」
酒場にゾイサイトや他の冒険者がいないことを確認して、話を続ける。
「――解雇通告を進めるに当たって必要な物ができて、それをブリッジで手に入れることができそうなんだ」
「なるほどな」
「当てがあるなら教えてほしい!」
「ふむ……」
親方は腕を組むと、うんうん唸りながら考え始めた。
……当てがあると言った割には、ちょっと難しそうな顔をしていないか?
「確かに当てはある」
「教えて!」
「だがなぁ……。あまり借りを作りたくない御仁なんだよなぁ」
「誰でもいいから教えてくれ!」
「サルファー伯爵だ」
……マジか。
俺の脳裏に、あのいけ好かないオッサンの所業が思い起こされる。
「あの人かぁ」
「さっきアンから聞いたが、昨日、伯爵が訪ねてきたんだってな」
「ああ。大事件が起きかけたよ」
「まぁ、そういうトラブルを起こす人物だ。借りを作るのはうまくねぇぞ」
「う~ん……」
悩むところだが、背に腹はかえられない。
こちとら俺の未来がかかっているのだ。
「仕方ない。伯爵に頭を下げてくるよ」
「あまり勧められないがな」
よりによって頼みの綱があのサルファー伯爵とは。
俺は渋々ながら、ネフラと共に伯爵邸を訪ねることに決めた。
◇
サルファー伯爵の邸宅は、ゴールドヴィアの一番地にあった。
ゴールドヴィアに自分の屋敷を持っているとは、さすが腐っても伯爵か。
俺とネフラは伯爵の屋敷を訪ねるや、衛兵や執事からさんざん身体検査と来訪理由を尋ねられ、やっとこさ応接室へと通された。
「旦那様は直に参られます」
……案内役のメイドにそう言われてから一時間は経っただろうか。
メイドは壁際に立ったまま微動だにせず、肝心のサルファー伯爵はいまだ現れない。
「伯爵まだかな」
「遅いな」
ふかふかのソファの座り心地にも飽きてきた頃。
扉を隔てて、廊下から何人かの足音が聞こえてきた。
「待たせたなブレドウィナー!」
扉が開かれると同時に名前を呼ばれた。
「わざわざ来てくれるとは、またそちらへ出向く手間が省けたわ」
ズカズカと応接室に入ってきた伯爵は、俺達の対面のソファへと腰を下ろす。
部屋の中には甲冑姿の身辺警護が数名ほど入ってきて、伯爵や俺達を物々しく取り囲んだ。
昨日の今日で、警戒されているのだろうか。
「遅れてすまなかったな! この子がなかなかしっしをしてくれないものでな」
伯爵の腕には白い猫が抱かれていた。
なんで客前に猫を抱いてくるんだ、この人……。
「しっし?」
困惑しながらも、聞き慣れない言葉に疑問符を浮かべていると――
「猫のおしっこのこと」
――隣に座るネフラから、小声でぼそりとつぶやかれた。
「……お忙しいところ、突然の訪問をお許しください」
「良い良い! 先日の件もあって、しばらくお前のギルドには近寄りたくないからな!」
……そりゃそうだろうな。
「実は――」
「先日の用件だがな!」
俺が話を切り出そうとした瞬間、伯爵にかぶされてしまった。
やっぱりこの人は間が悪い……。
「お前にあるイベントに参加してもらいたいのだ」
「イベント、ですか?」
「来週、海峡都市ブリッジにおいて競売が開かれる。そこで出品される宝石をいくつか競り落としたいのだが、最近は宝石狙いの賊が出ると聞く――」
ブリッジ、競売、宝石、と聞いて俺は目を丸くした。
まさか伯爵の用件というのは……。
「――そんな物騒な中、遠出をするわけにもいかん。お前にはわしの代わりに競売に参加し、わしの望む宝石を落札してもらいたいのだ」
「競売の代行ですか」
「最強のギルドには簡単すぎる依頼であろうが、やってくれような?」
「喜んでやらせていただきます!」
俺は即答した。
伯爵の依頼を断る理由はない。
なぜなら――
「しかし、ブリッジに入るには多額の通行税がかかります。ギルドとしては金銭面の援助をお願いしたく存じます」
「みなまで言うな! 金など払わずとも、わしが通行証を発行してやれば済む話だ!」
――まさかまさかの通行証ゲットッ!!
よもや伯爵の方からブリッジへ行く都合をつけてくれるなんて、夢にも思わなかった展開だ。
「ありがとうございます。ところで報酬といったものはあるのでしょうか?」
「もちろんだ。友人がギルドに少々頼み事をしたいと言っていてな。わしから〈ジンカイト〉を勧めておこう」
うはっ。よもやよもやだ。
余計な借りを作らずにブリッジの通行証を得られて、さらにギルドの新しい客まで紹介してくれるとは、なんたる幸運!
「感謝します、伯爵」
「目当ての品を落札できなんだら、どうなるかわかっておろうな?」
「必ず達成しますのでご安心ください」
伯爵の目が笑っていない……。
これは万が一にでも、目的の品を落札し損ねるわけにはいかないな。
◇
その後、落札対象の宝石と競売の資金について説明を受け、契約書にサインを済ませた。
今は伯爵のつまらない愚痴を聞かされながら、通行証が発行されるのを待っているところだ。
「――などと、たわけたことを抜かしおってな。……ん?」
話の途中で、突然、伯爵の猫が暴れ出した。
前足を空中に向けて、何度も素振りするようなしぐさを見せている。
「どうしたのだリボン!?」
腕の中で暴れる猫を伯爵がたまらず放り出した。
主から解放された猫は、何かを追うようにして応接室を跳ねまわる。
「一体なんだ……!?」
「ハエ、ですね」
猫が追いかけまわしているのは小さなハエだった。
どこから入ったのか、ハエの動きに惹かれてじゃれついていたのだ。
何度目かの跳躍で猫の手がハエを叩いた。
ハエはその一撃で床へと墜落し、その後は猫につんつんと弄ばれる運命だった。
「不愉快なっ!」
伯爵が顔を真っ赤にして、メイドを怒鳴りつけた。
「わしの屋敷をこんな虫けらが飛び回るとは、お前達まさか掃除を怠けていたのではあるまいなっ!?」
怒鳴られたメイドは、ただただ平謝りするだけだった。
しかし伯爵の怒りは収まらず、罵声となってメイドへと向けられ始めた。
泣いて詫びても罵られるメイドがあまりに不憫。
未来の俺がこんな目に遭う可能性もあるのだから他人ごとじゃない。
一方、ハエで遊び飽きた猫は床に寝そべってあくびをしている。
まったく主人に似てふてぶてしい猫ったらない。