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第九話 週末の予定と忍び寄る声


 スティフお手製のお守りの効果を実感して以降、錬は日々それを使用することで先輩の執拗なストーキングから身を躱していた。

 効果が続いている間は相変わらず異様な感覚に鳥肌が立つものの、割り切ってしまえば我慢することも難しくはない。

 数日経てば、錬の身体はこの奇妙な肌寒さに自然と順応していた。

 陽菜(ひな)も件の先輩の錬だけを見失う様子に首を傾げていたものの、今ではすっかり慣れてしまったのか、深くは考えないようにしているようだ。

 そうして順調に一週間を終え、気づけば彼らは華の週末を目前にしていた。


「今週もお疲れさまでした、錬。(わたくし)もくたくたですよ、高校生の時よりは授業時間も短いはずなんですけどね、何故でしょう? 奇妙だとは思いませんか、あははっ!」

「その分だけ内容が濃密ということだ。暗記は苦痛だが、思考を巡らせるのにも同じくエネルギーを使うからな」

「なるほど。では、ご褒美として土日はぱーっと遊ぼうではありませんか! 先週よりも慣れた分、遊ぶ余裕はありますからねっ!」

「ああ。とはいえ、生憎と大学生らしく酒を呑むわけにはいかないが」


 既に瑞々しい緑色を見せ始めた桜並木のベンチで、会話を弾ませる錬と陽菜。

 視界の端には、これ見よがしに飲酒への警告が張り出されている。

 新入生の二人は未だ二十歳未満であり、アルコールで疲れを吹き飛ばすにはまだ一年弱の猶予を必要としていた。


「そんなもの、外へ出なければわかりませんって! ご家族の方ももう帰っているでしょう、貴方の自宅でなら好きなだけ呑めますよ!」

「駄目だ。見られていないからと法律を破って良い理由にはならない。せっかく出来た友人だ、自分は見捨てるようなことはしない」

「ふふっ、錬は真面目ですね。ま、そこが良い所なのですけど」


 くぴっ、と炭酸飲料を傾けながら、陽菜はからからと笑う。


「嘘ですよ、今しばらくはこちらに甘んじましょう。私だってせっかく実家から出られた好機を、退学なんてみっともない形で終わりにしたくありませんからね!」


 彼女はそう言って、空っぽになった缶を五メートル先の籠に投げ入れた。


「お見事。それで、結局のところ君はどうする予定だ?」

「そういう錬はどうなのです?」

「自分は今のところ、予定は入っていない。自分のサークルは歓迎会をゴールデンウィークに開くようだし、それまでは自由だ」

「それは私の方もまだ先ですね。四月いっぱいは新入生を探す方針のようですし」

「では、家族もいない以上自分たちでお楽しみの予定を立てなければならないな」


 うむむ、と錬は顎に手を当てて考える。


「とはいえ、どうしたものか。まずはこの辺りの地理を調査した上で良い評判の多い場所を選ぶとして、うまく回り切れるよう時間を調整して……」


 至って真剣に考える錬にくすっと笑いながら、陽菜は声をかけた。


「……あのですね、錬。そこまで肩ひじを張ったところで楽しむものも楽しめませんよ?」

「そうなのか?」

「ええ。こう言ったものは適当に済ますのが吉なのです。という訳で、今週末……正確には明日ですが、一緒にお出かけしませんか?」

「なにがという訳なのかは不明だが。それはいわゆる、デートのお誘いと理解すれば良いのか?」


 真剣に首を傾げた錬に、陽菜は慌てて頬を桜色に染めた。


「でででデート!? 違いますよ、そんな邪な話ではありません! そういうのはもっと順序だてたイベントを踏んでからでないと――!」

「冗談だが、そこまで慌てなくても良いだろうに」

「乙女には言って良いことと悪いことがあるんですよ!」


 ぷんすかと頬を膨らませながら迫る彼女に、錬は謝罪の意を込めて軽く頭を下げた。


「変なことを言わないでくださいよ。ほら、そんなことではなくてですね。以前食事を一度奢っていただけると約束したでしょう? そのついでにどこかで遊ばないか、という話です」

「そういうことか。とはいえ、自分は友人とどのような所へ遊びに行けばいいのか詳しくはないのだが。つまらなくさせてしまうかもしれないぞ」

「なに、大丈夫ですよ。そこまで深く考えなくても。場所はそうですね、この近くには遊園地があるはずです。そちらに行ってみましょう! 電車の中から見えていた観覧車が気になっていたのですよ」

「遊園地か、行ったことが無いな」

「ふふっ、私もです! ジェットコースターにティーカップ、メリーゴーランド、一度は体験してみたいので楽しみです!」


 錬としてもそう言った類の遊興に触れたことが無い分、彼女の勢いに乗せられて気分が高揚していた。


「分かった。君の様子を見ていると、自分としても興味が湧いてきたからな」

「では決まりですね。集合時間などは改めて連絡しますね」

「そうだな。食事は……中で取れば良いだろう。遊興施設ならば、食事処くらいはあるに違いない」


 約束を交わして、善は急げと言わんばかりに錬は席を立つ。


「今日は早めに寝なければな。さっさと帰るとしよう……そう言えば」

「どうしました?」

「今日は先輩を見なかったなと、ふと思ってな。自分の記憶が正しければ、教室の外でも見かけなかったと思う」


 眼を閉じて記憶を思い返してみても、錬には今日に限って例の不穏な黒い影を見た覚えがない。

 それは傍に座る陽菜も同じようで、意外そうに目をぱちくりとさせている。


「……確かにそうですね。いい加減諦めたのではないですか?」

「そうか。そうかもしれないな」

「目の前を通っても錬のことが見えていないようでしたし、気が狂って病院にでも運ばれたのではありませんか。ともかく、せっかくの気晴らしに憂鬱の原因のことを考えても仕方ありません。いなくなったのなら、忘れてしまった方が良いですよ」

「……ああ。それでは明日を楽しみにしている。良い夢を、陽菜」

「貴方も。また明日よろしくお願いしますね、錬。楽しみで寝付けなくなって、寝坊することは許しませんよ?」

「それはこちらの台詞だ」


 小さく顔の横で手を振って、錬はその場から遠ざかっていく。

 あとに残された陽菜はぐぐーっと大きく背伸びをして、よいしょっ、と勢いよく身体を跳ね起こした。


「さてさて、初めての友人とのお出かけですか。これは気合を入れて準備しなければなりませんね。遊園地と言えば、なにが必要なのでしょうか?」


 声を弾ませながら、彼女は錬のことについて考える。

 どうせ一緒に出掛けるのなら、相手()自分(陽菜)も精一杯楽しめることが一番だ。

 陽菜が楽しんでいれば、自然と錬の固い顔も崩れるに違いない。

 ――否、絶対に崩してみせましょう!

 そう、るんるんと軽い足取りで陽菜は校門へと向かう。


「お誘いをかけた者として、あの手この手で錬に思いっきり羽を伸ばさせてあげましょう!」


 その背に伸ばされた声が、一つ。


「……ねぇ、そこの貴女。ちょっと……良いかしら?」

「ん! その声は――」


 ――数多の学生が行き交う場所で、二人の姿が唐突に掻き消える。

 されど自分たちのことで手いっぱいな他の人間が、それに気づくことはなく。

 もちろん一人で帰宅する今の錬もまた、その時陽菜に起きたことを知る由もなかった。



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