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第八話 在らずして在る


「ううむ……未だに目がチカチカする」


 帰宅の道を歩きながら、錬は眼をごしごしと(こす)っていた。

 陽菜(ひな)の口車に乗せられて、あれよあれよという間にゲームサークル【星遊会】で開催されていた体験参加型のイベントに無理やり参加させられた錬。

 彼女の溜まった鬱憤を解消するには中途半端なピコピコだけでは足りず、彼は伝統的なロールプレイングから身体全体を使うダンスアクションまで散々付き合わされた。

 おかげで気分は完全に晴れたものの、慣れない遊びに錬は大きく疲弊していた。

 スティフに頼まれた買い物袋も、大した量ではないにも関わらず、やたらと重く感じられる。


「ふう。ただいま、スティフ」

「挨拶。当機は無事の帰宅を歓迎する」


 玄関先には既に彼女が用意した夕食の良い匂いが漂っている。

 その匂いに、思わず錬の腹の虫が大きく鳴き声を上げた。


「確認。空腹?」

「……聞かなかったことにしてくれ」


 羞恥心に顔を赤くしながら、錬はリビングに入った。

 そして、その先に待っていた光景に、思わず下がりかけていた瞼が見開かれた。


「……あれは、なにをしている?」


 視界に入ったものに錬が疑問を抱くのも無理はない。

 なにせ、リビングの片隅に設置されたエアコンが文字通りの空中分解を遂げていたのだから。

 数多のパーツが空中に散乱し、時折得体のしれない光に包まれては形を変えて、自動的に組み替えられている。


「回答。当機は現在、現代常識の習熟を実行中」

「理解した、だが、それがエアコンの分解に繋がるまでの思考回路を教えてくれないか?」


 彼女はとんっ、と軽く床を蹴り、宙をふよふよと浮いてエアコンだった物体の元へと飛翔した。

 そこに手を翳して、浮かべた魔法陣を一瞥しながら事情を述べる。


「肯定。この二日間で、当機は当世の常識の欠如を自認した。故に、現代知識の学習及び実施の必要性を認識した」

「ふむ、それで?」

「現代では節電が重要事項であるとの知識を入手した」

「……確かに。環境問題も騒がしく、なにより家計の一助となり得るからな」

「よって当機は、貴方の家電への永久機関の搭載を判断した」

「なるほど。止めてくれ」

「何故?」


 ギギギ、と機械らしい鈍い動きでスティフは錬を見上げる。

 彼は気まずそうな表情を浮かべながら理由を説明した。


「節電は重要だが、まったく電気を使わないとなるとそれはそれで大家に怪しまれる。現代人には、一切の電気の使用なしの生活は不可能故にな」

「……謝罪。命令、受諾。改造を中止する」


 しょぼんとする彼女の頭を、錬はそっと撫でる。


「張り切ってくれたのは感謝するが、ほどほどにな」

「理解。明日、再度改修を実行する。今度は誤差の範疇に留める」

「ありがとう。自分としては、電気の消し忘れが起きない機能などが追加されると望ましい。人の気配を感知し、自動で消灯するセンサーなどは付けられるか?」

「可能。明日中に改修を終了する。次は失敗しない」

「ありがとう。よし、それでは食事にしよう。……なに、失敗は誰にでもある。気にするな」


 こくり、と頷くスティフ。

 元より自分のためにしてくれたこと故に、錬も深く責めることはしなかった。


「今日の夕食の献立はなんだ?」

「回答。豚カツ、サラダ、トマトスープ、大根菜の混ぜご飯」

「おお、それは美味そうだ。ところでこの荷物はどちらに置けばいい?」

「受領。当機が片付ける――【風妖精霊(フールフェル)】」


 受け取った買い物袋の中身を、彼女が召喚した風の精霊が棚の中へと仕分けして収めていく。

 その様子を横に置きながら、スティフが盛りつけた皿を錬が食卓へと運んでいく。

 ほかほかと湯気を立てた料理は、実に錬の食欲を刺激する。


「では、いただくとしよう」

「制止。後三十秒の辛抱を希望する」

「――この光景を前に我慢しろと言うのか」

「謝罪。最後の行程を今、実行する」


 全て運び終えたかと思えば、まだスティフが台所で何かをやっている。

 錬が様子を見に行くと、彼女は黒い粘性の液体に先ほど彼が買ってきたスパイスを細かく計量して混ぜていた。

 ぷぅんと香る、辛さと甘さが混じった良い匂い。

 複雑に交じり合い、更に食欲をそそるその正体は――。


「なんだ、わざわざソースまで自作したのか?」

「否定。これは冷蔵庫に存在したウスターソース。ただし、雑味を抽出した上で当機が酸味と辛味を香辛料で追加した」


 やがてスティフは納得のいった様子でソースを小鉢に入れて食卓へと運んだ。


「完了」

「では、いただきます」


 錬は早速、男の子らしく綺麗なきつね色のカツへと箸を伸ばした。

 ざくりとした心地よい触感と共に、すんなりと噛み千切れる柔らかい豚肉。

 そして、奥歯でそれを噛み締める度に熱い脂と肉汁がじんわりと滲み出て、錬の舌を躍らせる。

 ごくんと飲み干せば、自然と彼の右手は白く輝くご飯へと伸びていった。


「美味いぞスティフ。美味すぎる」

「感謝。――当機も、いただきます」

 

 あまりの美味しさに、錬の口はそれ以上の言葉を交わすよりも先に皿の中身を求めてしまう。

 静かになった食卓の上で、小さな咀嚼の音だけが響く。

 雑談をする暇もなく、彼の手は恐ろしい速さで皿の上の料理を次から次へと口の中に収めていった。

 その様子を眺めながら、スティフもまた自分の分を丁寧に箸で千切っては口の中に運ぶ。

 もきゅもきゅと小さく口を動かす姿は、まるでハムスターのようだ。

 口元をもぐもぐと動かしながら、視線だけは真正面に座る錬のことを静かに観察している。

 彼女の表情には相変わらず変化が見られなかったが、その顔は先ほどよりもどことなく、満足感を覚えているように見えた。

 ――やがて、備え付けのキャベツすらも一欠けらも残さず食べ尽くした綺麗な皿を見つめながら、錬は一息つくようにそっと自らの腹を撫でた。


「ごちそうさまでした」

「挨拶。ごちそうさまでした」


 同時に手を合わせ、二人は食事を終えた。

 空の皿が自動でシンクに飛んでいく光景を眺めながら、錬は改めて感想を述べた。


「それにしても、君の腕前は本当に素晴らしい。まるで専門店で食べたかのようだ」

「説明。当機はインターネットに掲載された調理過程を再現したに過ぎない」

「ふむ。それだけでこんなにうまく出来るものなのか?」

「植物油の温度管理、肉の厚みに対する揚げ衣の厚みの比率、キャベツの千切り。理想の湿度に皿の温度まで、再現可能の技術を模倣した」

「……そ、そうか」


 恐らく彼女の言っていることは、技術を丸パクリしたということに違いない。

 それは昨今大きな論争の火種となりがちな著作権侵害に当たるのではと錬は訝しんだが、まあ他者に販売するわけでもなしと結論付けた。


「と、そういえば。君のくれたお守りのおかげで先輩からは無事逃げおおせることが出来た。その礼を述べるのを忘れていた。すまない、そして改めてありがとうスティフ。おかげで助かった」

「受理」

「ところで、あれにはいったいどのような理屈が働いているのだろうか」

「回答。【揺れる子猫の気まぐれニャンニャン・ペンデュラム】の説明を開始する」


 その意外な名前に、思わず食後のコーヒーを傾けていた錬はむせた。


「ごほっ、ごほっ……」

「問題発生?」

「いや、大丈夫だ。その、ニャンニャン……というのも、何らかの物理学的な用語なのか?」

「否定。子猫の鳴き声の擬音」

「そ、そうか。意外と可愛らしい名前だな……」


 唐突な名づけの法則性の変化球に、錬の頭は早速混乱することになった。


「確認。貴方は量子論について、如何ほどの知識を有しているか」

「んむ。あいにくと、文系大学生には現代物理学の最先端はさっぱりだ」


 自虐するように肩を竦める錬。

 だがその反応も予測していたのか、スティフは噛み砕いて説明を始めた。


「理解。では、簡単に説明する。そのお守りの効果は、虚子(イデオン)能力者の観測を妨害する」

「虚子能力者……先輩のことか。だが、観測できないだと? 先輩には自分が見えていなかった、という理解で良いのか」

「肯定」


 錬は、あの時の先輩の様子を思い出す。

 自分を見えていないような視線の動きを。


「説明を継続。虚子能力者は五感にも虚空世界の影響が及ぶことは、既に貴方は理解した」

「ああ、他ならぬ当人が述べていた故にな」

「通常の感覚に虚子の感知が追加された能力者は、現実世界の変化以上に虚空世界の変化を重視する傾向にある。故に虚空世界における貴方の定義を希薄化し、現実世界における定義を明確化することで、能力者は事実上、貴方を認識不能の状態に陥る。ただし、一般人には変わらず視認可能」

「だから陽菜は変わらず自分のことが認識出来ていたのだな……」

「能力者にとって、貴方は存在すると同時に存在しない。物理的には認識可能だが、意識が認識しない。本人が意識しない物体は、存在しないと同意義」

「……難しいな」

「提案。完全な理解を希望するならば、貴方の記憶領域に直接知識を注入する方が早い」

「それは流石に恐ろしくて出来ないな。止めておこう、うむ」


 流石に脳を弄ってまで理解したいわけでもなく、そういうものなのだと錬は適当に納得した。

 元より食後の満足感から何となく興味が湧いただけの話であり、完全に理解するつもりはなかった。


「一応これだけは確認しておくが、自分にデメリットはないのだな?」

「肯定」

「ならば良し。あの先輩が自分のことを諦めるまでは、これに頼らせてもらうとしよう」


 いちいちスイッチを切り替える面倒くささは残っているものの、この【揺れる子猫の気まぐれニャンニャン・ペンデュラム】があれば当面の問題は解決されたに等しい。

 既に【黙示録の集いノーツ・オブ・アポカリプス】の件は終わったことだと脳内で結論付けた錬は、宿題を片付けるためにいそいそと自室へと戻っていった。



 ■■■



 ――居間に残されたスティフは一人、宙に視線を彷徨わせながら小さく呟く。


「……呪術者が目的を放棄する確率を検索……ゼロに近似するが、ゼロに非ず。当機の存在意義は、我が主の剣であり盾……」


 虚空を彷徨うように見える彼女の視線は今、主である錬の理解の遠く及ばない世界の記録を眺めている。


「……適応武装の検索を開始する」


 彼女の瞳の裏側では静かに、幾星霜の文明が積み重ねた破滅の輝きが踊り出していた。



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