表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/37

第六話 スティフの在り方


 スティフの口から次から次へと飛び出る話題への対応に四苦八苦しながらも、食後を迎えた錬。

 なんだかんだと彼女の手料理にたっぷりと舌鼓を打った彼は、満足げに膨れたお腹を擦っていた。


「ふぅ、心も体も満腹だ。まさかこれほどの出来栄えだとは思ってもみなかった」

「無論。当機の情報収集は完璧」


 徹頭徹尾丁寧な処理が施されたシチューには素人料理にありがちな雑味がまったくと言っていいほど存在せず、錬は予想の遥か上を行く感動を与えられていた。

 お世辞なしに、自分で作った料理とはまさに天と地ほどの差がある――と思わせるほどに。


「本当に、同じ素材を調理したとは思えない味だ。これならば、料理は錬金術というのも頷ける」


 舌に残る余韻を確かめるように目を閉じる錬の正面で、スティフが僅かに眉を動かす。


「驚愕。当機の隠し味、言及する以前に察知された」

「……待て、なにをした」


 さらりと告げられた一言に、嫌な予感が錬の頭を過ぎる。

 彼女の言う隠し味が何を意味するのか、恐る恐る問いかける。


「修正。冷凍肉の解凍時に発生する劣化、収穫後の野菜の萎れ、傷みを【後清式(ホーチンシィ・)錬源術(リャンジンュウ)】で復元した」

「既に色々と問い詰めたい気分だ。それで、まだあるのか?」

「胡椒の湿気、余分な油分を【虚空魔導式(ゼノマギクス)】にて抽出及び廃棄した。また【量子美食学クァンタム・ガストロノミー】に基づき、タンパク質、脂質等の過加熱変化に注意し、モンゴロイドの味覚に適合する状態で変化を停止した」

「……不可思議単語の濁流は相変わらずだが、一応どのような工夫を施したのかは分かった。その程度なら、注意する必要はないか」


 錬はてっきり、スティフが自慢の錬金術で新しい生物の肉でも錬成したのかと想像していた。

 戦国時代の男色を持ち出した件と言い、彼女の時間感覚は多少なりともズレていることは否めない。

 ツグミのような一昔前まで食べられていた禁鳥ならばともかく、未知の培養肉でも突っ込まれていた暁にはトイレに駆け込んでモザイク処理が必要な物体Xを吐き出すことすら覚悟していた。

 それに比べれば、なんと普通な工夫だろうか。

 ――それでも世間一般とかけ離れていることはさておいて、錬はほっと胸を撫でおろした。


「謝罪。本来、当機は煮込み料理に理想的な肉類の錬成を予定。しかし、我が主の味覚分析が不完全のため、調理対象を無難な一品に決定した」

「むむっ。やろうとはしていたのか……」

「駄目?」


 顔を渋くした錬に、スティフが目を伏せる。

 その悲しそうな仕草に、思わず彼の胸に罪悪感が沸き上がる。


「いや、そんなことはない! ……君は、自分のために美味しい料理を作ろうとしてくれたのだろう」

「肯定」

「なら、責めはしない。ただ、新しい料理を作る時は一言教えてくれると、自分としても助かる。君の美味な皿を前にして、顔を顰める失礼はすべきではないからな」


 錬の誉め言葉も交えた慌てながらの説明を聞いて、スティフは小さく頷いた。


「了解。明日からは貴方の通信端末に料理の予定を予め送付する」

「分かった。あと、何か不足しているものがあれば一緒に連絡してくれ。自分が買って来よう」


 その提案に、スティフは首を振った。


「何故。我が主への雑事委任は許容できない。外見は幼くとも、食物の運搬程度は当機には些事」


 むん、と彼女は食卓を片手で持ち上げて可愛らしくアピールする。

 それでも錬は彼女の言い分を認めようとはしなかった。

 ひとまず机を下ろすように手で押さえながら、彼はゆっくりと説明を始めた。


「それでもだ。見た目が幼女の君を一人で買い物に行かせると、世間の目が厳しい。すぐに変な噂が立つことは想像に難くない」

「変な噂、とは?」

「児童虐待などは、今の社会では大きな問題になっている。公権力に通報されると、戸籍のない君を匿うことも困難となりかねない」

「検索……理解。当機の外見は、当世に不適格。貴方を失望させた?」

「そこまでは言ってはいない。少なくとも、自分は……その見た目は愛らしいと思う。故に、そこまで考えこむことはない。今の君の姿は決して何物にも劣らない。ただ、誰にも適不適はあるものだ」


 落ち込んだ様子の彼女をなんとか言葉で慰めつつ、錬は再度念を押す。


「当機は、貴方にとって魅力的?」

「……まあ、そうだ」

「当機の規格は、貴方の嗜好に合致する?」

「……ああ。可愛いと思う。同世代の子どもたちよりも頭一つ抜きんでるくらいには」

「貴方は当機の性欲の対象と認識している?」

「それは違う。何故君は毎度、最後にはそちらの方面に思考を飛躍させる?」


 ころころと坂を下る大岩のように極端な話に走りがちな彼女の頭をぺちん、と軽く叩く。


「どちらかと言えば君は妹のようなものだ。そう言った方面の対象ではない。ともかく、買い物は自分に任せてくれ。一切合切家事に携わらないのも、気まずいのでな」

「……了解。貴方の意向に、当機は従属する」

「うむ。基本的な家事……自分の命綱は君に任せていることに変わりない。この調子で、これからもよろしく頼む」


 最後にぽんぽんと軽く撫でると、スティフは確かに頷いた。

 その表情は、先ほどまでと比べてやや和らいだように見えた。


「判断。当機は貴方の欲求を充足すべき……改善が必要。目標達成のため、情報の収集が不可欠」

「ん、勉強するのなら、皿洗いは自分がやろう」


 そう身体を起こそうとする錬の袖を、スティフは掴んで引き留めた。


「問題はない。当機が並行して処理する。食器の洗浄を開始――起動、【風妖精霊(フールフェル)】」


 彼女が呟くと共に、ふよふよと自動的に皿や箸が宙に浮いてシンクへと運ばれていく。

 そのまま自動的に蛇口が水を吐き出し、スポンジが洗剤を着けて泡を立て始めた。

 錬はその一連の流れを唖然とした様子で見届ける。


「……便利なものだ。今のは念動力の類か?」

「否定。これは【精霊使役術(フェルフォルジュ)】。現代より300年後に普及する、【簡易虚空魔導式(ソロ・ゼノマギクス)】の一つ」

「今の光景が一般的になるとは、君にはつくづく驚かされる」


 水桶の中で自在に踊るスポンジを眺めつつ、錬はふと思い出す。


「スティフ。自分と会話する余力はあるか。一つ、質問したいのだが」

「承認。常識の蒐集を第二目標に設定。貴方への解答を優先する」

「済まない。実はだな、呪力……というものは存在するのだろうか」

「肯定」


 彼女は視線を宙に浮かせたまま、錬の問いに答えた。

 その瞳の中には、彼には解読不能な無数の文字の嵐が吹き荒れている。


「呪力とは生命力、霊子、プラーナ、魔力、気功――様々に表現が置換される、虚空領域の素子。肉体と座標を同じくする、宇宙開闢の先に在る非物質。真体(イデア)を構成する情報素子。以上の総称として、存在せざる素子エクリプス・エレメント、【虚子(イデオン)】とも呼称される」

「ともかく、本当に実在するとの認識が正しいのだな」

「肯定。……我が主の緊張を確認。当機は心配」


 昼間の先輩の語りが真実であった可能性が浮かび上がり、錬の背中に冷や汗が再び流れる。

 その変化を感知したスティフの言葉に、彼は今日あったことの全てを話すことを決めた。


「実は、相談に乗って欲しいことがある。本日、自分は呪力の匂いが分かるという人に出会ったのだ――」


 錬は端的に、大学で自分に起きた出来事を説明した。

 突然謎の先輩に腕を掴まれて、部室へ連れ込まれたこと。

 自分の身体から、呪力の香りがすると言われたこと。

 そして、その異様な雰囲気に危機感を覚え、すぐさま脱出したことを。


「理解。呪力を嗅覚で知覚する未知の対象α。貴方はαとの関係の構築を希望しない?」

「そうだ。実際に危険人物かどうかはさておき、関わらずに距離を保つ方が無難だろう」

「同意。貴方の賢明な判断を、当機は尊重する」


 スティフはぐいっと錬に目を向けた後、いくつかの半透明な画面を宙に浮かべた。

 もはや驚くこともなく、錬がその鏡のように反転した内容を裏から眺めていると、唐突に表と裏が切り替わる。

 恐らくは読め、と言いたいのだろうが――。


「済まない、スティフ。恐らくは日本語と推測するが、自分はこれほどの達筆な古文は読めん」

「失敗。直ちに翻訳を開始」


 ざざーっ……と、文面に波打つようにノイズが走り、瞬く間に錬の見慣れた現代の文章が浮かび直した。

 ご丁寧に読み仮名まで振ってある親切さに感心しながら、目を走らせる。


「なになに……『(しゅ)(みち)光輝(こうき)()く、只々(ただただ)無間(むけん)暗獄(あんごく)虜囚(りょしゅう)とならん。努々(ゆめゆめ)(わす)るることなかれ』……警告文か」

「肯定。呪力の名称を使用する術者を呪術師と呼称する。呪術は幸福も不幸も招来可能。しかし、生贄及び寿命の減少等の危険な代償を要求する。以毒(どくをもって)制毒(どくをせいする)に魅了された術者は、何時しか脱出不能な深淵へと自ら沈降する」

「なるほど。早々に部屋から脱出して正解だったということか」


 まさか大学でそのような手合いに出くわすとは思っていなかった錬。

 今日は運よく逃げ切ることが出来たが、あの様子では確実に目をつけられたと考えてしかるべきだ。

 はてさて明日からどうしたものか、まさか講義を休むわけにもいくまい――顎に手を当てて悩まし気にしていると、スティフは表情を変えぬまま端的に解決策を申し出た。


「提案。――対象の排除を早期に実施すべき」

「……排除、と言ったか」


 その場の空気が、急激に冷え込む。


「随分と手荒な表現だが、まさかスティフ……殺すつもりか?」

「肯定。対象の殺害が、最も簡易に解決する」


 平然と殺人を勧める彼女に、錬は心臓を掴まれたような感覚を抱く。

 ――そう、如何に美味しい食事を作れるとはいえ、彼女は初めて顔を合わせた時に自身をなんといったか?

 魔導兵器(・・)、【戦姫】シリーズ。


「……駄目だ。人殺しは良くないことだ、スティフ」

「何故。当機は貴方の生活に一切の支障なく、暗殺を実行可能」


 スティフは錬の懸念を一切理解していない。

 錬は自分が警察の捜査線上に浮かび上がるような、自身の将来に懸念を残すことを憂いているのではない。

 ーー彼がこれまでに培った倫理観が、ただ純粋に、自分のために他人の命を奪う行為を許してはならないと心の中で叫んでいた。


「自分は、彼女にはまだ何もされていない。何か害を為したわけでもない相手をこちらから害することは道理に反する」

「忠告。現代の呪術、魔術の界隈は未だ実力が法律を超越する。貴方の綺麗事は通用しない」

「それでもだ。こちらからの手出し、特に殺害は禁止だ。――頼む、スティフ」


 錬はがばりと頭を勢いよく下げて、床に擦り付ける勢いで彼女に頼み込んだ。

 

「君は、己のことを兵器だと言う。しかし、自分は君に兵器としての在り方を求めない」


 意識だけを彼女へと向けて、錬は彼女に対する自分の願いを紡ぐ。


「綺麗事と嘲笑されようが、自分は君に暴力装置としてでなく、調和と平和を導く者としての存在意義を持ってもらいたい。だから、簡単に人を殺すと提言しないでくれ」


 必死になって願う錬。

 その様子を観察していたスティフは、ふと、その小さな手を彼の頬へと差し出した。

 ぴとっ、と優しく触れた白く暖かな手のひらが、彼の緊張した顔の筋肉を和らげる。


「受諾。当機は貴方の意思に従属する。貴方の希望を当機は希望する。故に、当機は対象の殺害を棄却する」

「……すまない、スティフ」

「検索……代替として、対象を限定した人避けの【護石(タリスマン)】を作成する。所持することにより、懸念対象は貴方の認知が不可能になる」

「ありがとう。君には本当に助けられる」


 身体を起こし、錬は彼女の頭を感謝の印として再び撫でる。

 それを受けて優し気な、年相応にも見える笑みが一瞬だけ浮かんだように見えた。

 その顔が血塗られた恐ろしいものに変貌しないことを願って、彼は無意識の内に、少しだけ頭を撫でる力を強めるのだった。



 ■■■



「さて、名残惜しいが、そろそろ風呂のお湯を沸かすとしよう。今日も一日疲れたからな」

「提案。当機が貴方の身体を洗浄する。完璧な老廃物の除去に全力を尽くす」

「……いや、それも出来れば勘弁願いたいのだが」

「何故。当機は兵器以外の役割の一つに、入浴の補助が可能。性的接触は実行しない」

「それでもだな……色々とマズいのだ、うむ。たとえ誰かに見られるわけではないにしても……」

「何故。浄化行為が拒否される具体的な根拠を要求する。……何故?」


 ジト目で追及するスティフを何とか口八丁で交わしつつ、錬は現実逃避しようと鞄の中から教授より課された本日の課題を引っ張り出すのだった。

 彼女へ男性の自尊心について説明することと比較すれば、未だ慣れない数千字のレポートの方が至極簡単に思えてならない錬だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ