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第五話 食事、入浴、スティフ


 錬が帰宅すると、ちょうど待っていましたと言わんばかりにスティフが玄関先で出迎えた。

 彼と同じ銀の前髪の下から、光を反射しない特徴的な黒い瞳が無機質に彼を見上げる。


「む、ただいま。もしかして長い時間待たせてしまっていたか」

「否定。当機は貴方の情報を常時【満天眼(サテライト)】にて現実世界・虚空領域の双方で確認している。貴方の当座標への接近を感知し、約21秒前に玄関に出た。おかえりなさい、我が主」


 ぺこりと頭を下げて畏まる少女に「止めてくれ」と軽く言葉を投げつつ、錬は自動で開くという記憶にない機能の付いた扉の奥に進んだ。

 なお、例によって謎の単語が放たれたが、触れると面倒なことになりかねないと既に理解していた錬がその点に言及することはなかった。


「提案。当機が脱靴を補助する」

「結構。靴くらい自分で脱ぐ」


 脱いだ靴を揃えながら、錬はスティフの全身をざっと見る。

 今の彼女は裸にTシャツ一枚だった昨晩とは違い、きちんと年頃の少女然とした服装を身に着けている。

 白を基調としたフリル付きのブラウスと、腰から肩に紐が伸びた濃いピンク色のジャンパースカート。加えて膝上丈の白無地ソックス。

 そして、リボンで両サイドを簡単に留めたお下げが肩から垂らされている。

 これで死んだ魚のような瞳さえなければ、人間の幼女と変わりないように見える。


「サイズに問題はなかったか。通販サイトでは実際に合わせることは出来ないからな」

「回答。問題は既に修正した。僅かに窮屈だったが、当機が手直しした」

「アカシックレコードは縫製の技術まで教えてくれるのか?」

「否定。貴方の部屋に設置されていた情報機器を介して、現代のインターネットに接続、検索した」

「……まさか、自分のパソコンを使用したのか?」


 錬は年頃の男子であるが故に、他人――特に女子に閲覧されることを躊躇するようなデータも所持している。

 目の前のスティフは兵器を自称しているものの、外見は通常の少女と大差がない。

 そのような彼女に見られたとあっては、錬個人の沽券に関わる問題となるのは間違いなかった。


「肯定。家のものは好きに使ってよい、と許可された」

「確かにそう言ったが……パスワードがかかっていたはずだが、それはどうした」

「回答。認証コードのことならば、当機が解除した。八桁の記号列程度、当機の演算能力ならば分析は容易い。より複雑な暗号の使用を提案する」


 無表情ながら僅かに自慢が見えるスティフをよそに、戦々恐々とした錬の精神には少しずつ罅割れの音が響きつつあった。


「確認。発汗及び急激な体温の上昇。我が主、何か健康を害した?」

「し、心配は無用だ。それよりも、中の余計なデータは見たか」

「疑問。余計なデータとは?」

「いや、それはだな……」


 言い淀む錬を不思議そうに見つめながら、スティフは平然とトドメの一撃を振り下ろした。


「害意情報次元体――マルウェアのことならば、当機は存在を検知していない。貴方のパソコンの全記憶領域を精査した(・・・・・・・・・・)が、当機は悪意あるソフトウェアを認識しなかった」


 それを聞いて、錬はガクリとその場に崩れ落ちるのだった。

 パソコンのストレージを全て見た、ということはつまり錬の秘密のフォルダも全て詳らかにされたことを意味する。

 自身の性癖が0から1に至るまで、完全に眼前の幼女に把握された事実を認識して、錬のプライドはもはや限界を迎えていた。


「我が主? 身体に問題が発生しているならば、当機が治療を――」

「なんでもないから、放置しておいてくれ。頼むから……」


 必死になって意識を繋ぎとめようとする錬の鼻に、ふと、塩っ気のある良い香りが届く。


「ん、これは……?」


 その暖かい匂いにつられてリビングへと向かうと、台所に備え付けのコンロの上で鍋が一つ、ことことと火にかけられている。

 焦げを防ぐためか自動的に回っている魔法のお玉を傍目に流しつつ、錬は白くとろみのついた中身を覗き込む。


「シチューか?」

「肯定。冷蔵庫にあった豚肉、じゃが芋、玉ねぎ、にんじん、牛乳。消費期限の近いものを万遍なく使用出来る」

「なるほど。無難な判断だ」


 見慣れた野菜が、良い雰囲気のスープの中に浮かんでいる。

 特に異常な姿は――未だに回り続けるお玉を除いて――なさそうだと、彼は胸を撫でおろす。

 そうして安堵を覚えた途端、疲労困憊の錬の心にシチューの甘みのある香りが染み渡り、急に身体が空腹を訴え始めた。


「美味しそうだな……」

「失礼、我が主。当機は先刻、貴方を御迎する際に宣告すべき文言を失念した」

「なんだ?」

「――食事か。入浴か。それとも当機か」


 余りに簡略化された物言いに、錬は咄嗟にスティフの言いたいことを理解出来なかった。

 だが、すぐに脳内に浮かんだちび陽菜(ひな)が彼女の台詞を補足した。

 ――ほら、この間教えたばかりですよ!

 ぶんぶんと飛び回るそれを知ったことかと振り払いつつ、錬は顔を顰めつつ問い直す。


「……その意味を理解した上で言ったのか」

「肯定。帰宅した男性を出迎える時の決まり文句である、と当機は学んだ。当機を選択した場合、好みの内部構造の再現のために五分弱の質疑時間が必要」

「食事だ。食事にしてくれ……」


 もはや色々と説明する気力の失せた錬は鞄を放り投げた後に食事の準備を始めた。

 食器棚の中から深皿とスプーンを二つずつ取り出し、それぞれシンクとテーブルの上に並べていく。

 その姿を見て、スティフがくいくいっと錬の袖を引っ張った。


「なんだ」

「質問。今日は来客が存在する?」

「いや、これはスティフの分だが……」

「謝罪。必要事項の伝達を忘却していた。当機は食事を必要としないために、食器は一人分で事足りる」


 唐突にそう申し出たスティフに、錬は首を傾げた。


「む。ならば今朝は……」


 錬は今朝の様子を思い出す。

 精神的に疲れていた彼は熟睡しており、起床したのは大学に遅刻しないギリギリの時間だった。


「そういえば、寝坊で時間が足りないからと朝食を抜いたのだったか。ともかく、食事が要らないのならば活動に必要なエネルギーは何処から得ているんだ」

「当機は【エクィヌス・ディル・トラキシマキア】――第六種永久機関を搭載している。現行の地球知性体の次代文明が開発した疑似永久機関により、当機は外部からエネルギーを供給されずとも永久稼働が可能。故に、外部からのエネルギー摂取は不要」

「……待て、待ってくれ」


 安寧を取り戻しかけていた錬の頭に、再び爆弾が投げ込まれる。

 永久機関については、高校を卒業したばかりの錬もある程度の知識を持っている。

 永遠にエネルギーを取り出すことが出来ると謳われる、空想上の存在としてだが。

 それが現実に存在していると言われたならば、流石に口を挟まないわけにはいかなかった。


「自分の知る限りだと、永久機関は理論的に不可能だと聞いているが」

「肯定。第六種永久機関は、半永久機関。しかし、この宇宙が存在する限り稼働を継続するため、永久機関の一つと呼称して差し支えないと判断される」


 スティフは呆気にとられた様子の錬を横に、鍋の火を調節しながら話を続ける。


「次世代の知性体は、己の種族の死滅まで稼働を継続出来るエネルギー供給体を永久機関と定義した。彼らは宇宙の膨張現象に着眼し、【虚空空間力学(ゼノンダイナ)】から現実空間に於ける【現実空間の特異点アルファル・クロノミー】を導出した。そこに打ち込んだ【虚数観測針(ゼロウ・ストラトレム)】から相対的に導き出される位相差から……」

「これ以上の説明は不要だ。ともかく、君は飯が食べられないのか?」

「我が主の遺伝子情報をモデルとした以上、生体機能も搭載されている。故に、疑似的な食事行為は可能。その場合、摂取した物質は――」

「それならば、一緒に食事を取ろう」


 彼女の説明を無視する形で提案した錬に、スティフが不思議そうに首を傾げた。


「二人分の食費がかかることは非合理的。当機には理解不能、説明を要求する」

「余計な出費なのは分かっている。が、自分には女の子を放置して一人で食事するのは無理だ」

「当機は生体機械であり、貴方の想像する人類とは異なる。故に――」

「それに、一人で食べることほど寂しいことはない。君が必要でなくとも、自分が君と共に食事をしたい。どうか、受諾してはくれないか?」


 錬は自分で調理を始めてから、コンビニ弁当を食べていた時よりは充実した気分を味わっていた。

 それでも、彼の舌や心は何かが足りないと訴えていた。

 だからこそ、懐かしい母の味を――共に誰かと食卓を囲んだ時の味を、求めた。

 自炊を始めて数日、彼は一人で食べることの寂しさを思い知ったのだった。


「受諾。……もとより、当機の辞書に拒否の二文字はない」

「ふっ、そんな言い回しもインターネットで学んだか。ただ意思疎通を図るだけでは不要だろうに」

「それは、このような言い方が当世では流行していると認識したが故に、貴方との意思疎通の強化を図る上で――」

「仲を深めたいというならば、共に食事を取ることも不可欠だ。同じ釜の飯を食う、という表現はなかったか?」

「検索――理解。判断を修正。当機は貴方と食事を行うことを合理的と判断した。よって、一緒にシチューを摂取する」

「良し」


 スティフは上書きされた自身の判断に素直に従って、錬と共に二人分の食事を準備する。

 シチューの盛りつけられた皿と共に、彼らは机の前に対面になって座った。


「いただきます」

「検索――挨拶の必要性を確認。いただきます」


 両手を合わせて一礼し、二人は改めて食事を始めた。


「ぱくっ……うむ」

「……」

「うむ、うむ! ごくっ……美味しいぞ、スティフ」

「感謝」


 ようやく朗らかな顔を見せた錬に、スティフもまたスプーンを手に取ってシチューを口に運び出す。

 と、その先が彼女の小さな唇に触れる前に――静止する。


「……我が主」

「どうした?」

「確認。検索の中で、主従の親交を深めるには性交が不可欠であるとの情報を入手した。やはり性的交渉は必要な行為であると、当機は再提案する」

「ぶふっ……ごほっ、ごほっ。いったいどこからそんな情報を持ってきた?」

「説明。約500年前より継続する日本の伝統文化。同性間でも積極的に行われたと記録がある。同性間でも効能が認められたのなら、当機と貴方との間でも親交が育まれると類推する」


 平然とした表情で危ないことを口にする純粋な彼女に、錬は思わず目を見開いた。


「……まったく、いつの話をしているスティフ。確かにかの有名な織田信長公もやっていたというが、それはだな――」


 吹き出しかけたシチューを何とか呑み込むと共に、錬は苦笑しながら彼女へ説明を始める。

 その途中では、食事中に相応しくない生々しい表現もいくらか登場したものの、彼は終始楽しんだ様子であった――そう、スティフは自身の記憶領域に書き込んだ。



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