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第三十五話 真の終息を見据えて


 ――伸ばされたスティフの細腕は、ただ静かにアルフレッドの肩に乗せられる。

 その羽根のような優しい感触に、彼は思わず目を見開いた。

 てっきり彼女の手は自身の喉元か心臓、もしくはいずれかの急所を穿ち、この命を奪うのだと予想していたからだ。


「……ワタシを殺さナイのデスか?」

「肯定。当機(スティフ)はアルフレッド・アンブローズを殺害対象として認定していない」


 スティフは彼の疑問に回答した後、そのまま自らの要求を速やかに突きつけた。


「勝利。現時刻を以て、鬼ごっこは終了した」

「……ハイ?」

「説明。一般に、鬼ごっこでは身体接触が捕縛の代替行為として見做される。当機(スティフ)は貴方の右肩に接触した。故に、この遊戯の勝者は当機(スティフ)となる。報酬として提示された爆弾の解除は、これより貴方が遂行すべき義務となる」


 彼の目前で行使された想像を絶する魔法とは裏腹に、彼女がいたって普通の報酬しか望まなかった。

 ここで彼はようやく、自分たちが鬼ごっこを行っていたことを思い出した。

 ――余りに非常識な光景に忘れていたが、確かに自分はそんな約束をしていた。

 だが、それにしても。求めるものとその過程で成したものの差が大きすぎやしないだろうか。

 拍子抜けしたのも束の間、その天と地ほどの差異にアルフレッドは思わず叫ばざるをえなかった。


「確かに、これでワタシの負けデスが……いえ、ソーなんデスけれどっ、そうデハなくッテ!」


 スティフのどこまでも平坦な声の抑揚に対し、アルフレッドは己の内側に荒ぶる疑問をそっくりそのまままくしたてた。


「アナタ、レンと同じで普通ノ人間ではなかったのデスか!?」

「肯定。当機(スティフ)を博物学的見地から分類した場合、ホモ・サピエンスには該当しない」

「ワタシが聞きたいノハそういうコトでは――! イエ、それでもアナタはレンの妹と言っていマシタ! 実はそうデハないトでもいうのデスか!? 」

「概説。今回の外出にあたり、我が主()当機(スティフ)は日守陽菜等の第三者による不審を防止するために複数の詐称を適応した。血縁関係の偽装構築及び、呼称の変化などが該当する。その仮装上の関係の順守により、当機(スティフ)我が主()の妹であると主張する」


 しかし彼女はご丁寧にも、主張以前にその中身が虚偽であるとアルフレッドに伝えている。

 そのあからさまな暴露に、彼は唖然とするほかなかった。


「詐称に偽装!? で、ではホントのアナタはいったい何者だというのデース!?」

「秘密。当機(スティフ)単体による詳細な情報開示は禁止と約束した」

「禁止ッて、これだけのコトをしでかしておいて隠すも何モないでショーに……!」

「……?」

「そこで不思議ソウな顔をしないでくれマスか!? 一人デ慌てているワタシが惨めになるだけなのですヨー!」


 アルフレッドにとっては衝撃的なことであっても、スティフにとっては大したことではないようだ。

 そんな思考を言動の端々からひしひしと感じさせられて、彼は頬を引きつらせた。

 

「……夢魔の魔法領域に領域内から干渉するナド、そんじょそこらの人間に出来てイイ芸当ではありまセーン! 精霊デスか? それトモ神種の断片? No, (いいえ、)no, (いいえ、)no(いいえ)……それならバ、ワタシに分からナイわけがないデスし……ああ、モウわけが分かりマセーン!」


 ついにアルフレッドは、大げさに両手を上げて全身で降参の意を示した。

 スティフの説明を何度頭の中で反芻しようと一切合切が不明なままであることに変わりはなく、むしろ深く考えたところで更に謎が謎を呼び、混乱が深まるだけだと彼は悟った。

 ――そもそも説明を受けたところで彼の理解の及ぶ話ではないだろう。

 なにせ、彼女の設計思想は現代からは想像もつかないほどの時間を超えた未来、悠久に悠久を幾度となく重ねた先の知性体によるものなのだから。

 錬が偶然、宝くじの一等を連続で当てるよりも低い確率を引き当てさえしなければ。

 手で机を叩いた際にすり抜ける確率よりも更に低い確率を引き当ててさえいなければ、絶対に生まれ得なかった奇跡を越えた存在。

 それが魔導戦姫たるスティフの正体だった。


「……」

「……黙ってみてナイデ、ナニカ言ってくだサイよ」

「困惑。これ以上の説明が不可能故に、当機(スティフ)は会話も無用と判断した」

「ンー、不器用ッ! 話下手にもホドがありマスっ!」


 唯一彼の知り得たことを述べるならば、「目の前に立つ幼女は決して敵対してはならない存在である」という事実だろう。

 それだけは、アルフレッドの心と身体に強く刻み込まれていた。


「……分かりまセンが、分かりマシタ。とにかく、スティちゃんはメチャンコ強いんデスね。まっタク、レンが普通と違うのは分かりましたガ、妹サンも別のベクトルで常識外レだったトハ」


 ぐったりと疲れたようにその場に倒れ込み、アルフレッドは考えるのを止めた顔で苦笑する。


「色々と悩んでいたモノが世界ゴト吹き飛ばされテ、ある意味スッキリした気分デスよ。エエ、分かりました。ワタシの負けデース。爆弾はちゃんと解除しマスよ。……というワケで、この世界カラ出してくれませんカ? もうこの魔法は実質的に、アナタが支配しているのでショ? アンブローズ家の秘伝だったんデスけどネェ……」


 完全に敗北者の様相を見せて、諦観するアルフレッド。

 これではもはや錬と陽菜に頼ることなど出来やしないと、彼は落胆を隠せなかった。

 未だ錬とスティフの抱える内密の繋がりは見えないが、恐らく彼女は錬にかけられた夢の魔法もさほど経たぬうちに解除するに違いない。そうすれば先ほどアルフレッドが彼と交わした約束も、ご破算になる。

 ――結局自分はこのまま、魔法使いとしても仕損じた半端者の烙印を押されたまま惨めに一生を終えるのだろうか。とはいえ、それもまた自業自得に過ぎないと彼はひっそりと自虐する。


「否定。貴方の遂行すべき事柄は未だ残存している」


 しかし、スティフは首を振るばかりで彼の魔法を解除する素振りは見せなかった。


「これホドまでにナイ、完膚なきマデの敗北を突きつけラレて、まだナニをしろトいうのデスか?」


 彼の曇りかけた瞳に向けて、彼女は語る。


「提言。我が主()はアルフレッド・アンブローズへの助力を希望した。しかし、当機(スティフ)への勝利報酬の遂行によって事態が終結した場合、貴方が我が主()の助力による救済を獲得することが不可能となる。故に、貴方は我が主()と陽菜の世界に転移すべき」

「エ……?」


 そう言われて、彼は初めスティフが何を言っているのか分からなかった。

 とうにこの世界の主導権は彼女に握られているのだから、錬たちの世界に意識を移そうとも不可能だろうと考えていた。

 しかし、スティフにびしりと胸の中心に指を突きつけられ、そこに感覚を集中させてようやく彼ははたと気が付いた。

 彼の魂魄には未だ、彼らと結んだ世界の掛け橋がなんの損傷もなく残されているということに。


「暴露。朱鶴遊園地爆破事件の完全収束は、当機単体では不可能」

「ナニを……これホドの力があれバ、大体のコトなんてお茶の子さいさいでショウに……」

「否定。今事件が完全な収束へと移行するには、犯人であるアルフレッド・アンブローズの抱える心の悲観を完全に排除することが絶対条件であると当機は分析する。そして、当条件を満たすことが可能なのは当人と親交のある我が主()と陽菜のみ。人格形成が未熟である当機には、貴方の精神を治癒する能力が存在しない。故に、貴方は早急に他の世界へ移動すべき」


 それっきり、スティフは用を済ませたと暗に示すかのようにアルフレッドに背を向けて手元でなんらかの作業を始めた。

 再び無数の魔導式が展開されるのを眺めながら、彼は諦めたように肩をすくめる。


「……分かりマシタ。いずれにセヨ、敗者は勝者の言うコトに従うだけデース。受け入れないわけニモいきマセン。アナタのお言葉に甘えテ、ワタシは彼らニ思う存分頼ってくるトしマス。それに陽菜ニ説明もしないママ終わる、というのは流石に釈然としませんでしたカラ」


 アルフレッドが腕を一振りすると、その隣に陽菜の世界へと続く光の門が出現した。

 確かな魔法の手応えにほっとしながら門の中へと足を踏み込みかけたところで、彼はふと立ち止まった。


「オット、最後に一つだけ聞かせてほしいのデスが……ナンでワタシの魔法を最初カラ破棄しなかったのデスか? アナタならそれが出来たでショウ。いくらレンの意を汲んだとはイエ、私の魔法ガ彼に危険を及ぼすトハ考えなかったのデスか?」


 彼女は振り抜かないまま、アルフレッドの疑問に答えた。


「回答。アルフレッドの行動に害意性は存在しなかった。故に見逃す判断を下した」

「害意? 確かにレンたちを傷付けるつもりハありませんでシタが……その眼はそんなコトまで見分けられるのデスか?」

「否定。人は害意を抱く際、複数の特徴を表面化させる。特有の臭気、瞳孔の拡大など。アルフレッドからはそれらの特徴が確認出来なかった」

「イエ、それデモワタシの魔法は失敗すれバ、永遠に夢の虜囚トなって廃人になるコトもあり得るのデスが……」

「杞憂。その程度、当機(スティフ)の前には問題ではない。我が主()が希望するならば、当機(スティフ)は如何なる巨壁難題も切り拓く」


 スティフは、アルフレッドの仮定など爪の先ほども考慮するに値しないと切って捨てる。

 彼にはいかなる知識を以てすれば廃人の可能性が些事と言い切れるのか一切見当がつかないものの、恐らくはその言葉が彼女にとって真実その通りなのだろうということはこの短時間で身に染みていた。

 つくづく出鱈目な存在だと最後まで認識させられながら、彼は止めていた足を再び前へ動かし始めた。


「……そうデスネ。ワタシみたいなのが気を掛けるなんて、スティフちゃんニハ無駄でしたネ」


 そうして彼の身体が半分ほど光に呑まれたところで、再びアルフレッドが振り返る。


「――デハ、これで本当に最後デス。本当にありがとうございマシタ、スティフちゃん」

「疑問。当機(スティフ)に感謝されるいわれはない。我が主()の意志の下に行動したに過ぎない」

「それでも、レンの意を汲んだだけとはいえ、スティフちゃんもこうしてワタシを送り出してくれましたカラ。ワタシにとっては、アナタも変わらず感謝ノ対象なのデース! あっ、接吻(キス)抱擁(ハグ)をした方が良かったデスか?」

「不要。早急に転移せよ」

「ンモー、冷たいデスネー!」


 最後にそうカラカラと笑いながら、彼は陽菜の待つ光の向こうへと消えていった。

 光の門が粒子となって消えていくのを知覚しながら、スティフは最後のアルフレッドの言葉について、思考領域の隅っこで考える。 


「……感謝とは」


 彼女自身、アルフレッドの出している心の悲鳴の一切を無視して強引に解決を図るよりは、錬の求めたように彼女ごと全てを助けることの方が良いということは理解可能だった。

 しかし、あくまでも彼女にとって優先されるのは錬であり、客観的な全体の最善ではない。

 スティフ自身は、アルフレッドの在り方なぞはどうでもよかった。

 ただ彼を救えず、錬が悲しむ結果を回避するため――それだけの原理で行動する自分が、果たしてアルフレッド本人に感謝されるべきなのだろうか。

 ――そこで彼女の思考回路は、この場における優先順序を思い出す。


「思考領域一時停止……疑似魔導式計算領域へと変格」


 最後のアルフレッドの言葉については二の次、今はこの眼前の中途な解凍作業を遂行すべし。

 そう、彼女は今度はたかが乱気流程度ではない――この空白となった世界の全てを覆いつくすほどの天変地異的な魔導式を展開し始めた。

 指数関数的に増殖していく文字列の中に、スティフの身に纏っていた羽衣と小瓶も一度解けて消えていく。

 星すら堕とすと豪語する魔導戦姫の指定領域戦特化兵装、【戦姫装衣(ドレスコード)】。

 その真の目覚めには、彼女とて今しばらくの時間を要せざるを得なかった。


「拡張兵装【戦姫装衣(ドレスコード)】〇〇三、解凍再開……」


 再び光の繭に包まれたスティフ。

 その真体が芽吹くのは――そう遠いことではない。


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