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第三十四話 四海を呑み干す竜の小瓶


 物憂げに沈滞していた暗雲が消失し、世界は雨上がりのような爽やかな目覚めを迎えていた。

 澄み渡った青空に昇る日の光が石積みの街を隅から隅まで照らし出し、清涼な朝風が挨拶するようにそっと人々の隙間を吹き抜けていく。

 先刻までとは全く異なる様相を見出させられたロンドンの街並みと、それを為した極光の乱流に、アルフレッドは暫し呆然とせざるを得なかった。

 そして、その天変の中心核であった当のスティフはといえば、もはや自身の異常性を偽ることともせず、中天に座した太陽を背にして宙に浮遊していた。

 世界の有様を書き換えるほどの魔力を放った割には、彼女の外見にはさほどの変化は見られない。

 そう、こけおどしかと拍子抜けしかけたアルフレッドの瞳に、はらりとスティフの身体に纏われた新雪のように白い帯が映る。


「エ……あ、あれハ……?」 


 日輪と重なりあい、後光のようにも見える光の羽衣。

 それを従えながら下界を見下ろす今の彼女の姿は、まさに屏風に描かれた天女の降臨そのものだ。


「……Beautiful(美しイ)……イエ、それよりもアレは……な、なッ……嘘でショウ!?」


 その姿に見惚れたのも束の間、彼の鑑定眼がすぐさまスティフの羽衣の価値を看破する。

 それと同時に、彼はあんぐりと顎が外れそうなほどに口を開けて呆けた。

 触れただけで雪のように溶けてしまいそうな儚さとは裏腹に、恐ろしいほど濃密な魔力が秘められた代物。その顕現の際の余波で放たれた魔力総量だけでも彼からしてみれば驚愕に値するというのに、それを鼻で笑うほどの力を内包している。

 その光輝さは、かつて彼が宝物蔵で目にしたアンブローズ家の蒐集品と比較してもなんら遜色ない。

 何故名のある英雄や悪魔が振るうような遺物を所有しているのか――その疑問が彼の口をついて出るより先に、続く第二の兵装が構築される。


「展開。【姫兵装束(アルマージュ)】吉〇一号、【四海瓶(シィカイピィン)】」


 彼女の周囲に漂う虚子(イデオン)から瞬時に魔法陣が組み上がる。その内から放射された光線が宙に設計図を描き、そのまま色と質量を持った一つの造形物を織り成す。

 そこに産み落とされたのは、竜を模した細工が施された小さな硝子の小瓶だった。

 それもまた、アルフレッドの目には羽衣と同じく金には変えられない価値を有する宝物に見えていた。


「アノ子、どこまで普通デハないというのデスか!?」


 錬によれば、彼らは少しばかり魔法の世界と縁があるだけだと言う。

 しかし、明らかにそれどころでは済まされない光景を次から次へと見せつけられて、アルフレッドは憤っていた。一つの魔法体系として確立されているであろう、千年を超えるアンブローズ家ですら知識のない未知の術式が眼前で悠々と走っていることに、彼はここにいない錬に「騙しまマシタね!」と悪態をつきたい気分でいっぱいだった。


「これ以上ナニをしようと――イエ、それでもここはワタシの世界。未知の魔法であろうト、世の理デある以上はワタシの支配下にあるハズ。夢魔の支配する夢の中デ、そう易々と勝利を手にすることが出来るトデモ思っていマシタか!」


 混乱する頭を一度落ち着けて、アルフレッドは素早く判断を下す。

 ――とにかく、あの術式の分析を終えるより先に止めねばならない。

 魔法戦闘において、術式は発動前に潰してしまうのが定石。いかなる魔法であろうと、発動させなければ何も起こらないのと同じことだ。そう、アルフレッドは意識を大きく集中させて、スティフの周囲の魔力の流れを停止させるように働きかけた。

 いくら両者の記憶を元に構築する世界とは言え、この夢の世界を形作っている術者はアルフレッドだ。空間支配の優先権は彼にこそ存在するのであり、やろうと思えば今更魔法術式を編むまでもなく、この世界の一切合切全てを聖書の神のように大雨で押し流すことすら可能である。――もっとも、そんなことをすれば脳の処理機能が限界を迎えて廃人ならぬ廃夢魔になってしまうが。

 とはいえ、ごく限られた数メートル圏内の操作であれば赤子の手を捻るより容易い。

 彼は慣れたように、夢魔としての能力を行使しようとして――。


「エ……動かせなナイ……? 何故……そんなッ!」


 スティフの周囲に対して、アルフレッドは一切干渉することが出来なかった。

 まるで山を相手にしているかのように、一ミリたりとも動かすことが叶わない。

 彼に走った衝撃を知らぬ存ぜぬと言わんばかりに、スティフは悠々と己の周囲に再び魔法の演算術式を編纂していく。


「ッ、それナラば!」


 驚愕に思考を停止させたのも束の間、冷静な魔法使いとしての思考がアルフレッドにすぐさま次の手段を行使させた。

 ならば、干渉不能の領域を外側から丸ごと覆うように隔離し、そのまま世界の彼方へと遠ざけてしまえばいいのだ、と。

 ――だが、それもまた不可能だった。


「命令。【水蟲精霊(アグバフェル)】、外虚膜硬化」


 スティフがアルフレッドを一瞥し、小さな声で下命した。

 すると、まるでこの世界を構成する歯車の全てががちりと固まってしまったように、スティフの周囲どころか、アルフレッド自身の身体までもが指一つ動かせなくなる。

 その正体は、彼の体内に張り巡らされていたスティフの【精霊使役術(フェルフォルジュ)】だった。先ほど彼を襲った不快感の原因である線形虫を模した精霊がアルフレッドの内部で硬質化したことで、彼の意識体はその場で完全に縫い留められてしまっていた。


「ッ、っ……!」


 自分が絶句しているのか、絶句しかできないようにさせられているのか、今の彼には分からない。

 いつの間にか、この世界における支配と従属の彼我関係は完全に逆転していた。

 もはやアルフレッドには、ただただスティフの一挙一動を傍観することしか認可されていない。


「……! ……!」

「――【四海瓶(シィカイピィン)】、権能解放」


 アルフレッドの心の叫びを無視して、スティフは持っていた小瓶の栓をきゅぽんと引き抜く。

 可愛らしい開栓の音とは裏腹に、竜の顎を模した瓶の口ががぱりと大きく開き――咆哮した。


「――Gxu(ギュ)Ru()Oooo(オォォォ)Aaaooo(アァァォォォ)!!」


 雷鳴の如く轟く竜の雄叫びは、聞く者を単に震え上がらせるだけには終わらない。

 その咆哮を中心として、世界全体に異様な変化が波及していく。

 スティフの周囲に存在していた喫茶店に始まり、視界に映るありとあらゆる存在がアルフレッドと同じように緩やかに停止を始めた。

 公園のベンチで本を捲る古式ゆかしい老紳士の手が、楽し気な会話をする女子大生の笑顔が、交差点を渡ろうとするサッカーボールを持った子供の足が……絵画で切り取ったかのように凍りつく。

 騒がしい車のクラクションが、ビー……と壊れたラジオのように一つの音を鳴らし続ける。

 机の上のアツアツの紅茶から立ち昇る湯煙が、ぴたりと宙に浮いた。


「術式【陰陽まぐわう、ノクティム・ヴィールム・愛と夢想の揺籃エクス・ヘルマプロデュートス】の凍結を確認。宝具、正常起動中」


 その中でただ一人だけ、淡々とスティフは言葉を響かせる。


「権能への干渉を開始。魔法構築式の分析段階に介入。当機が指定した術式領域を置換。【四海瓶(シィカイピィン)】、術式対象範囲を選定、入力開始……終了。術式の余剰部分を切除、虚子(イデオン)単位への分解を開始する」


 停止した、五感を構成する全ての情報――それらが、透明な竜眼が輝くと同時に、輪郭から解けるようにゆっくりと崩壊を始めた。

 この夢の都を構成するありとあらゆる情報が、竜の怒りに怯えるかのように震えたかと思えば、微細な0と1の粒子となって蒸発していく。

 色彩や造形といった目に見えるものから、匂いや音といった細かいものまで、その全てがただの記録へと分解されて消え去っていく。

 アルフレッドの記憶から編まれていたそれらの幻想の断片は、やがて渦を巻くようにスティフの手の中の小瓶に吞み込まれていった。

 一つの世界が終焉を迎えるには、あまりにも淡泊な光景。

 敵方の抵抗などを一切考慮に含めていない、圧倒的な暴威に蹂躙されるだけのどこか空しささえ感じさせる情景を、アルフレッドはただ静かに見届けさせられていた。


「……再現宝具、解放終了。待機形態へ移行する」


 スティフが栓を元に戻し、付随していた赤い紐飾りで竜の顎をぎちりと縛る。

 やがて最後に残されたのは、世界を彩る一切合切が消えた無味乾燥な空間だった。

 何処までも純粋な白が続くだけの、平坦な夢の世界の地盤。

 そこに存在する異物はたった二つ――アルフレッドとスティフだけだ。


「……」


 ぱちん、とスティフが小さく指を鳴らす。

 それと同時に、アルフレッドの凍り付いていた時計の針が再び動き始めた。


「……はっ! はっ、はっ、はぁーっ、はぁーっ……」


 がくりと膝から崩れ落ち、止まっていた分の呼吸を埋めるように彼の肺が酸素を求めて喘ぐ。

 そこで彼は、ようやく自身の身体を支配していた束縛感から解放されたことに気づいた。

 息が出来る。手足が動く。きちんと己の意思に従って、己の身体が熱を持つ。

 アルフレッドがそんな当たり前のことを強く実感していると、ふと、目の前に影が出来る。

 そちらを見上げれば、気づかぬうちに近づいてきていたスティフが彼を見下ろすように立っていた。


「……」


 彼女がアルフレッドに向けるのは、変わらぬ二つの無機質な瞳。

 それは私情を挟まない、冷徹な戦う者としてのものか。

 それとも単に、彼に対する感情を持たないが故の無関心の極致か。


「え、エエっと……?」


 ――散々この世界を搔き回しておいて、これ以上何をしようというのか。

 スティフについての判断材料がほぼ存在しないために、彼はその真意を測りかねている。

 自身に向けられた視線への戸惑いに、アルフレッドはごくりと唾を飲む。

 そんな彼に、彼女がそっと手を伸ばす。

 今の彼にはどうしても、その細くたおやかな腕が死神の鎌に等しいものに見えてならなかった。


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