第二十三話 ラプラスの人間
「肯定。犯人は――」
そのまま事件の全容を解説しようとするスティフを、錬は手を伸ばして差し止めた。
「待て。そこを下手に聞くと、陽菜との会話の際にうっかりと顔に出してしまう可能性がある。彼女に怪しまれる可能性を減らすためにも、そこはまだ君の胸の内に秘めておいてくれ」
「了解」
「それよりも自分が聞きたいのは、君はアカシックレコードで未来を見ることが出来るのだろう。その内に秘めた永久機関の件のように。ならば、今日この遊園地で事件が発生することを予測することも出来たはずだ。違うか」
「肯定。当機には未来を観測することが可能」
スティフのその言葉に、錬は恨めし気に自身の疑問をぶつけた。
「では、なぜそれをあらかじめ自分に伝えなかった。このようなことになると知っていれば、自分はなんとかして別の安全な場所へ陽菜を誘導したはずだ」
「回答。当機は未来の観測が可能だが、観測結果は不確定。常に可能性が揺蕩う未来の観測は、基本的に人間に対して意味を為さない。故に当機は実行しない」
黙って説明を求める視線を向ける彼に、スティフは続けた。
「説明。未来Aを観測した者は例外なく、より幸福度の高い未来A´を目指して動く。その行動により確定した未来A´を観測すれば、より幸福度の高いA´´を目指す。そのA´´を観測すれば、更なるA´´´を追及する。これを【ラプラスの悪魔】にならい、【ラプラスの人間】と呼称する。人はかける努力と得られる結果の天秤から最適を見抜くことが出来ず、それに忠実な悪魔とは異なり、運命を変革する努力を絶えず惜しまない。それ故にこの幸福追求の連鎖に際限はなく、人間は無駄に時間と精神力を消費し、最後には天秤そのものを破綻させ最悪の未来を招いて後悔する。よって、当機は未来の観測を推奨しない」
「そうだったのか……すまなかった、無理を言って。今はこんなことを聞くこと自体が時間の無駄だったか。それにしても、そうだな。よほど避けがたい未来が待っているのでなければ、明日死ぬからと素直に遺書を書く人間はいないだろう」
ふぅと一息ついて、錬は自身の短慮に呆れる。
命がかかっているからこそ、彼は冷静な言動に反して内心慌てていた。
それ故にスティフを責めてしまったが、彼女が錬のことについて力を尽くさないことはない。彼女がやらなかったのならば、そこには確かな理由が存在する。
そのことにすら思い至らなかった自分を恥じながら、錬は話題を今に戻した。
「それで君が爆弾事件の全容を入手したのは、爆弾が設置されたのが今から見て過去の出来事だからか。現在から未来は変えられても、過去を変えることはできないからな」
「肯定。時間遡及機器は現在は未開発」
「それは完成したときの予想はFの方の藤子先生に任せておくとして、それを元に爆弾を解除して問題はないのだな」
「肯定」
「良いだろう。だがここで問題なのは、それをどのようにして陽菜に伝えるかだ。何の根拠もなしに直感で偶然見つけた、が通じるのは一つか二つまでだろう。君が持つ情報をうまく誤魔化して、それとなく伝える方法になにか心当たりはないか?」
「否定。当機は最短経路の計算は可能だが、迂遠な行動の計算は未だ困難。特に現代の常識を踏まえた行動を思考する回路は、未だ大きな情報不足を訴えている」
「むぅ、それでも一緒に探してくれ。こうなった以上、彼女に疑問を持たせずに行動を誘導するなにかが必要なんだ。……そうだな、探し物と言えば占いか? しかし自分は水晶玉もタロットも持ち合わせていないからな。それにもっと単純かつ、周囲から見て疑われないものでなければ……」
うんうんと唸りながら、自身の記憶の糸を手繰る錬。
その横ではスティフも、急遽彼の求めに応じた手法を探し始めた。
「検索……【数秘術】。【占星術】。【卜占術】……」
「うむむ。これまでに読んだものの中に探し物に適した方法は書かれていなかったか……? ホームズではワトソンに犬を連れて来させていたが、流石にここであの犬を連れまわすわけにもいかない」
だが中々陽菜を納得させられるうまい方法など思いつかず、途方に暮れる二人。
そうこうしている内に、陽菜が戻ってきそうな時間となる。
そんな時、錬はふと目の前を通り過ぎる子連れの家族を目にした。
「ねーお母さん、次はあっちに行こーよー!」
「はいはい、分かったわよ。それで棒さんは、あっちって言ったのね?」
「うん! ほら見て!」
視線の先では、少女が小さな棒を倒して、その指し示す方向を指をさしながら興奮して跳びはねている。
「あれは……たずね人ステッキ。棒占い、いや……ダウジングか?」
「検索。ダウジング……疑似科学の一つ。棒の不確定な動作を神の意志と認識し、行為者の意図に沿った扱い方をすることで状況の操作が可能となる道具」
「そうだ。あれならば、君が握っていても問題はない。いや、見た目が幼子の君だからこそ、一見怪しげな道具に頼る素振りを見せても道具でも疑われる可能性が低い。それに、君が握ることによって、君の思うがままに倒して自分たちを誘導することが出来る」
「理解。貴方の計画に従う。――展開」
スティフの角が小さく光ると、手元に魔法陣が展開される。
錬がそれを隠す間もなく、一瞬のうちに彼女の手の中には一つの木の棒きれが握られていた。
「【偽約:智天神杖】」
だが、それはただの棒きれと呼ぶにはあまりに仰々しく、清涼かつ神聖な雰囲気を内包しているように見える。
「……待て、なんだそのやけに神々しい杖は」
「説明。旧約聖書のセフィロトの神樹の枝から削りだされた杖。持ち主に知恵を授与し、やがて神へと帰還させる権能を保有する。占いに使用するに相応しい一品を検索したと当機は自負する」
「いや、待て待て待て。そこまでの物は必要ないだろう。あくまでもそれを動かすのは君なのだから」
「肯定。これは本物の外見を写し取った偽物に過ぎない。実際に倒れる方向は当機が操作する」
「……ならば、何故わざわざそのようなわざとらしいものを選んだ?」
「日守陽菜は星占いを信用する性格。このわざとらしい外見の方が、彼女に信用される確率が高いと計算した」
「……確かに。そう、だな。分かった」
彼女の弱点を利用することに僅かな罪悪感を覚える錬だったが、これも仕方のないことだと自分に言い聞かせてスティフの案を受け入れた。
「あ、いましたね二人とも。残念ながら私の見る限りだと、ジェットコースターに爆弾は仕掛けられていませんでした。で、それはなんですか」
「陽菜、ちょうど良い所へ来た。これは今回の爆弾を探す、重要な指針なんだ」
「……は?」
自信ありげに言う錬に、今度は陽菜が目を大きく開けて正気を問うた。




