第二話 責任と宣誓
微睡みの中から、錬の意識がゆっくりと覚醒する。
どうして自分は寝ていたのだったか……なにやら暖かくて落ち着く暗闇に揺蕩いながら自問自答するうちに、彼はすぐに現状について思い出した。
「(そうだ。確か自分は帰宅して、楽しみにしていた夕食を取ろうとして……ッ!)」
こうして呑気に寝ている場合ではないと、ばっと目を開く。
すると、ちょうど彼の顔を見下ろしていた件の幼女と目が合った。
「認識。我が主の覚醒を把握」
「うわおぅっ!」
反射的に変な声を出してしまった錬は、慌ててごろごろと転がって距離を取った。
部屋の壁にぴったりと張り付くまで離れたところで、改めて身体を起こして座り込む。
心臓をばくばくとさせながら、錬は目の前の光景を確かめるようにじぃっと目を大きく開けた。
「……夢、ではなかったのか」
「否定。当機は魔導兵器【戦姫】シリーズ、タイプEX。現実世界に存在する一個体である」
「ああ、そう言えばそのようなことを言っていたな。……で、君は何故ここにいる?」
「困惑。当機は、我が主に錬成されたが故にここに存在する」
「錬成だと?」
唐突に現れたファンタジー的な単語に、錬は頭を悩ませる。
いまいち現状を理解出来ないまま、彼は一先ず幼女のことを観察することに決めた。
金属の鍋に窮屈そうに入っていた彼女は今、手足を大きく伸ばして錬の目の前に座っている。
――そう、一切の服を着ないまま。
「……ともかく、いったん服を着てもらおうか」
「何故。当機は魔導兵器、防護布は必要ない」
「その見た目が目に毒だからだ」
錬は別に、幼女の裸体に興奮するような性癖を持ち合わせてはいない。
しかし、だからといって小さな女の子を裸にしたまま通常の思考を巡らせることが出来るほど狂ってもいなかった。
錬が物干しから取ってきたシャツを手渡すと、彼女は何の躊躇いもなく、その場で袖に腕を通し始める。
髪の毛が揺れて、先ほどまで隠れていたものが露わになりかけたところで――錬はすぐさま目を逸らした。
「羞恥心というものがないのか……」
「肯定。当機に感情機構は非搭載」
だが、視線を外した程度では逆効果だった。
服をいそいそと身に着ける彼女から聞こえる衣擦れの音が、自然と彼の本能をかき立てる。
なにせ、彼女の放つ声は外見にそぐわない妙に落ち着いた雰囲気の声だ。それだけだと錬はかえって妙齢の女性を連想してしまい、その着替えの音がいじらしくて錬は仕方がなかった。
「着用」
「よし、よし……。冷静に考えれば何も解決していない気がするが、それはともかく。それでは、落ち着いたところで話を始めよう」
「疑問。貴方の脈拍は上昇中。興奮状態」
「さっそく話を出鼻から挫かないでくれ……」
錬は近くにあった食卓を兼ねる机の上で腕を組んで、彼女へ視線を戻した。
シャツ一枚を身に着けた、謎の幼女。
その裾から中途半端に見える生足と、不自然に盛り上がった一部の装甲及びその先端が本能的に錬の目を惹きつけかけるが、それを強い意志でねじ伏せながら、彼は幼女と向かい合った。
幼女もまた、自然と錬と向かい合うように正座する。
「それで今一度問うが、錬成と口にしたか?」
「肯定」
「自分の想像した通りの字面であれば、そのような技術は現代には存在しない。改めて正直に答えてくれ。君は誰で、今日の自分の夜食のビーフストロガノフをどこへ隠したんだ」
まず自分の要求を述べた錬に、眼前の幼女は無表情のままで端的に答えた。
「回答。当機は我が主、貴方の術式にて錬成された魔導兵器。虚偽は口述不可能。ビーフストロガノフとは、当機の錬成釜に投入されたものか」
「うむ、そうだ。どうしてか君が収まっていた鍋の中に、自分が今朝がた仕込んでおいた料理だ」
錬が指で示すと、彼女は立ち上がって空っぽになった鍋の元へと歩いていく。
その中をじぃっと覗き込んで、彼女は答えた。
「計算。ビーフストロガノフなるものは、我が肉体の源として一つ残らず消費されている」
「は?」
「説明。貴方が投入した素材を下地として、当機が錬成された」
「またその、錬成、か……」
再び登場した幻想上の類の言葉に、錬は辟易とした声を出した。
「錬成だのなんだのと言われてもな。魔法や錬金術のようなものだと思うが、それらはあくまでも想像上の代物だ。俺には納得できない」
「確認。心拍正常、瞳孔に変化なし。我が主の言葉に嘘偽りはない。……一切の知識なしに、錬成儀式を成立させたと推定」
そこで初めて、幼女は顔色を変えた。
とはいえその差異は微々たるもので、眦が僅か一ミリだけ動いたに過ぎないが。
「理解。まず、貴方の認識を訂正する必要があると当機は結論する」
そう呟くと、彼女は自らが収まっていた鍋をひょいと片手で持ち上げた。
見た目に寄らぬ力強さに驚く錬をよそに、それを持って彼女は近づいてくる。
「証明。我が主。魔法、錬金術は現実に存在する」
「何を言って――?」
錬は声に呆れを含ませて否定しようとしたが、その言葉は途中で止まってしまった。
――なぜなら、その信じられないような非現実的な光景が、現在進行形で彼の目の前で起こり始めたのだから。
「構成分析――開始。アルミニウム、マグネシウム、クロム、鉄、炭素、フッ素……分析完了。錬金術型原子構造変成術式、出力……」
錬は見た。
少女の持つ常闇の瞳の内側に、無数の光の文字列が雪崩のように流れては消えていく光景を。
更に信じられないことに、鍋を掴んでいる少女の手を中心として、銀色の線状の光が幾何学的な模様を立体的に描き出していく。
その模様に含まれる意味を錬はさっぱり理解できなかったが、彼は漠然と、眼前のそれが架空の物語に登場する、いわゆる魔法陣のようだとの感想を抱いた。
「……起動」
幾重にも重なった円環状の魔法陣が、高速で回転を始めていく。
その銀光の中で、綺麗な円柱状だった錬の鍋がゆっくりとその姿形を変えていく。
鍋は内側に折り畳まれるように圧縮を始めるだけでなく、その色すらも波打つように移り変わっていく。
やがてその摩訶不思議な光が収まった頃には、少女の手の平の上にこぶし大の金色の正六面体が鎮座していた。
「錬成術式、完了」
「……」
眼前で繰り広げられた未知の光景に、錬はただただ絶句する他なかった。
「終了。錬金術の存在は、ここに証明された」
「……そ、そうだな。うん。試しにそれを持たせてもらっても良いか?」
「確認は不要。この物質は元々、貴方の所有物である」
黄金に光る大きめのサイコロのような金属塊を、錬は恐る恐る受け取った。
ずしっ……と、見た目よりも大きな重量が彼の腕に圧し掛かった。
その重さが、今朝手に取った鍋とは全く異なるものであることを錬に伝える。
「……まさか本当に、金になったのか?」
こくり、と幼女は頷いた。
「流石にこんなことを目の前で見せられたら……まだ完全に納得できたわけではないとはいえ、自分の知らない法則が存在することは受け入れなければならない、な」
錬の頭の中は未だに混乱でいっぱいだった。
それどころか、新たな爆弾が投げ込まれた今、余計に現状の理解は困難を極めている。
それでも錬は、今目の前で起きたことは現実であるということだけは呑み込むことが出来ていた。
そして、混乱の中で何とか思考を働かせる錬の頭に、一つの疑問が浮かぶ。
「とはいえ、自分にはこのような奇跡染みた業を身に着けた心当たりはない。だというのに、君を作り上げることが出来るものなのか」
「可能。食事に不適な素材を、消化可能な料理へと転じる。よって、調理は錬金術の一つと捉えられる」
「だけど、それで幼女が……失礼。君みたいな魔導兵器、だったか。それが出来るとは、まだ信じられない。料理で錬金術が出来るなら、もっと有名になっていると思うが」
今一納得できない雰囲気を露わにする錬。
その理解を後押しするように、彼女は言葉を続ける。
「否定。一般の調理行為は、意味を成し得る規則性を含有しない。此度の儀式は、偶然に魔術的要素が重複したが故に成立した、と当機は推測する」
「魔術的要素?」
「素材への適切な加熱、規則的な攪拌。一般に調理行為と呼称される要素に、星辰及び地脈等の条件が加味されたことで一つの奇跡が成立した」
幼女は両手を広げて、何処までも深い闇色の瞳を虚空に彷徨わせながら、言葉を紡ぐ。
「星々の織り成す物理的・概念的力場の合一に始まり、星の最奥に結びつく豊かな地脈より回収される霊力などの、この宇宙の星の数ほどの奇跡。その全てが世界の法則を導く魔法陣によって一点に重なり合うことで、当機はこの世界に生まれ落ちた」
「なんだ、それは……」
思わず漏れ出た一つの呟き。
それが、今の錬が抱える想いを簡単に示していた。
「提案。命名すれば、星辰連動型地脈霊導万天理接続――」
「止めてくれ、わけの分からない中二臭い命名式は。黒歴史を掘り返されたようで、聞いている自分が恥ずかしい」
思わずひょっこりと顔を覗かせかけた昔の自分に蓋をしながら、錬はいやいやと首を振った。
そんな彼の様子に不思議そうにしながらも、幼女は素直に口を閉じた。
「ともかく、自分が君を作った、という理解で良いのか?」
「肯定」
「そうか……」
今の錬にとって、彼女を産み出した技術についての理解は二の次だった。
なにせ、意図していなかったとがいえ、兎にも角にも眼前の彼女は産まれてしまったのが事実だ。
未知の技術を内に秘めた兵器を自称する彼女の扱いをどうすべきかについて、錬は頭を悩ませていた。
「質問。貴方は、何故苦悩する?」
生みの親が眉間に皺を寄せるその姿に、彼女は問うた。
「当機は貴方の所有物。貴方の意思に従い、貴方の隣に寄り添い、眼前の敵を駆逐する魔導戦姫。反逆の可能性は存在せず、我が主の敵ならば星さえ堕とすことが可能。貴方が迷う必要を、当機は理解不可能」
「……」
そう述べる彼女に、錬は「そもそも駆逐したい敵なんて現代には存在しない」と声を大にして叫びたかった。
錬は偶然にもご大層な名前の錬金術を行使してしまったとはいえ、これまではそのような空想の代物に関わったことはない。
宇宙からの侵略者に襲われたこともなく、社会の闇に潜む悪党につけ狙われたこともない、物語の主役からは程遠い普通の一学生だ。
兵器を使役する戦いには縁もなく、己のために誰かを害する覚悟もない。
そんな彼にとって、彼女は不要に等しい存在だった。
むしろ、存在するだけ迷惑な、分不相応な力とすら言える。
「……我が主?」
だが、目の前の彼女に公然とその言葉を言い放つことは憚られた。
単に無垢な幼女の姿をしているから、といっただけではない。
彼女を産み出した者の責任として、彼女の存在を見捨てることを決して自らに許してはならない――その強い義務感が、錬に無責任な言葉を発することを認めなかった。
「心配をかけて済まない。分かった、自分は君を受け入れる。ここで、自分と一緒に暮らしてくれ」
「感謝。当機は、今の言葉が嬉しい」
そう言うと、彼女はぺたぺたと素足で近づいてきて、錬を思いっきり抱きしめた。
「ちょっ、君……っ! 止めてくれ、恥ずかしくなるっ……!」
「質問。何故拒否する? 人類は親愛を示す際にこの動作を行うと、【アカシックレコード】――【万天智羅象記】に記録されていた」
「さらりと恐ろしい名前が出てくるな! それも今更な気もするが……この国の文化では、男女は軽々しく接触しないと分かってくれ」
むにゅりと押し付けられる柔らかな肢体の感触と、女性特有の甘い匂いが錬の五感を襲う。
彼にその気はないとはいえ、心臓に悪いことに変わりはなかった。
「疑問。当機は兵器。女性体を模していても、純粋な人間ではない。羞恥を覚える理由が見当たらない」
「ともかく、頼むから離れてくれ……」
錬が言い聞かせるように頼み込むと、彼女は素直に身体を離した。
ただしその顔の無表情が、どことなく不満を乗せた仏頂面のようにも見える。
嫌がる彼女に無理やり自分の意思を強いたように思えて、錬は僅かながら罪悪感を覚えた。
「(感情の機能はないと述べていたが、自然とあるように見えるのはどのような訳だ?)」
そんな疑問を抱きつつ、錬はこほんと軽い咳ばらいを挟んで意識を切り替えた。
「それで、兵器とは言え外見は人間の身体を真似していると言ったな」
「肯定」
「それなら、掃除や洗濯と言った家事は可能だろうか。申し訳ないが、兵器としての君に助けを求めることは、現代社会ではあまり考えられない。代わりの仕事と言ってはなんだが……」
「了承。家事に関する知識をアカシックレコードより検索し、実行する」
「ありがとう、助かる」
万物が記されているという壮大な記録媒体を家事のために使用することに、錬は苦笑いを隠せなかった。
「しかし、まるでなんでもありだな君は」
「……否定」
と、そんな感想を漏らした錬に、彼女は首を振った。
「唯一、当機の所持しないものがある」
「ふむ。それはいったい?」
彼女は再びぐぐぐっ、と錬に身体を寄せる。
「個体識別名称。当機には、名前がない。我が主、当機は認証の証として個体名の登録を要請する」
「……確かに、名前は大事だ。それではどうしたものか……」
彼女が錬の所持品を自称するとはいえ、人型である以上ポチやタマといった短絡的な名前を付けるわけにもいかない。
彼女の名前を考えるにあたって、錬は真っ先に彼女の素材となったビーフストロガノフへ思考を寄せた。
「ううむ……確か、ストロガノフは人名だったな。ならば、それを上手いこと捻るとして、スト……ノフ……」
しばらくの間、錬は軽く頭を悩ませた。
数々のアナグラムや切り取りを経て十数分後、彼はようやく女性らしき名前を見出した。
「……スティフ。スティフ、というのはどうだろうか」
「受諾。現時刻を以て、当機は魔導戦姫ストロガノフ、個体名を【スティフ】と登録。我が主の剣として、全力を尽くすことをここに宣誓する」
「ああ。これからよろしく頼む、スティフ。自分は鍋島錬。君の主として恥ずかしくない人間であれるように、こちらも最善を尽くすと誓おう」
なにはともあれ、こうして彼ら、鍋島錬とスティフの契約は完了した。
意図せずして公にはされていない、混沌とした魔導の世界に足を踏み入れた二人の奇妙な日常は、ここから始まるのだった。