第十八話 白馬の手綱にかける願い
朱鶴遊園地は、外の長蛇の列からも察することが出来るように大盛況だ。
錬が様子を窺った限りでも、多くの乗り物が最低でも十分は待たなければならないほどには混雑している。
それでもスティフが最初に選んだメリーゴーランドでは、数分も待たずに彼らの順番が回ってきた。
「説明。今はメリーゴーランドの需要が一番減少する時間帯。朝一番から来園した子供連れの家族は騎乗を終了し、他の成人来場者はメルヘンのテーマを敬遠する傾向にある」
「なるほど、うまく需要の穴をすり抜けたというわけですね。遊園地は供給の量を変えないため、私たちは誰かに邪魔されることなく満喫できる……まさか、これほどとは。錬、思った以上に策士ですね、スティちゃんは。これは、将来は孔明のような名軍師でしょうか」
「……さて、どうだろうな」
陽菜の素直な称賛交じりの冗談に、錬ははぐらかすように答える。
ただ、その額面通りに受け取ればあやふやな文言とは裏腹に、彼は今の言葉に自然と語気を強めていた。
「おや、これはすみません。純粋に褒めたつもりだったのですが、気を害しましたか?」
「……いや、悪かった。陽菜がスティフを褒めてくれているのは自分も理解している。こちらの過剰反応だった」
スティフを兵器扱いすることに抵抗感のある彼は、つい彼女の使った【名軍師】という表現にも敏感に反応してしまっていた。
「んー、それならば良いのですが……」
そんな、自分も意図しないままに強い感情を発露させたことに驚いている錬に、彼女は顔を近づけて、小さく呟いた。
「錬がスティちゃんのことを真剣に考えているのは、なんとなく分かりましたけど。あまり自分の想いを押し付けるのも、良くないと思いますよ?」
「……分かっている」
錬は、自身の希望とは裏腹にスティフが主の盾となることを望んでいると知っている。
そのどちらもが重要であると知り得たばかりの彼だが、知識と感情は別物だ。
未だ揺れ動く己の心に決着をつけられておらず、その急所を突かれて、ぶすりとむくれながら子供のように返す錬に陽菜はニコリと笑う。
「雛が親元から巣立つように、妹もいずれ兄離れするものです。分かっているのならばほどほどに、ですね。――おや、これはこれは! せっかくなので、私はこの仔を選びましょう!」
それ以上は何も言わず、彼女はなぜか数ある馬に紛れ込んでいた天馬に真っ先に乗り込んでいった。
その背を深く考えるような視線で見送った錬に、離れて主たちの密談を見守っていたスティフが戻ってくる。
「質問。彼女と何を会話した?」
「なに、なんてことはない。スティフの可愛さについて、少しばかり話しあっただけだ。それよりも、君はどれに乗りたい?」
あえて盗聴しないでいた彼女に、錬は話の内容を誤魔化して次の話題に移った。
そこをスティフが咎めることはなく、彼女は迷うことなく一頭の馬を指さした。
真っ白な身体に金のたてがみがたなびく、二人用の鞍を乗せた正義の体現とでもいうべき威風堂々とした馬だ。
「よし。それでは乗せるぞ、ここで浮遊能力を見せるわけにはいかないからな」
彼女の両脇に手を差し込んで、ひょいと錬はスティフを白馬に乗せた。
その後ろに彼自身も飛び乗ると、ちょうどアナウンスがかかって緩やかな音楽と共に馬たちが動き出した。
曲のテンポに合わせた馬の滑らかな動きに身体を委ねながら、錬はなんとなしに口を開く。
「それにしても、真っ先に白馬を選ぶとはな。やはり君も、女の子らしいところがあったのかもしれないな」
「何故? 女児が白馬を選択する理由が不明」
「女の子が好むおとぎ話の定番では、白馬の王子様が迎えに来てくれるというものがある。豊かで外見も良い相手が自分を選んでくれる、というのは夢のある話だからな。白馬はそういう高貴な人間のステータスの一つとして、自然と注目されるのだろう」
「納得。未婚女性の承認欲求を満たす条件の一つとして、白馬は必須?」
純粋な彼女の疑問に、錬は笑いながら首を振った。
「現代だと馬は臭いで嫌われるだろうから、高級車に置き換えられると思うがな」
「理解。動物特有の獣臭は独特故に、現代の女性の嗅覚に適合しない可能性が高い……記録した」
スティフは新たに得た知識に満足しながら、唐突に最初の言葉を話題に出した。
「申告。当機は貴方の先刻の発言の訂正を要求する」
「なんのことだ?」
「当機がこの白馬を選択した理由はただ一つ。近くに存在した、以上である。当機が特別な意味を以て白馬を選択する理由はない――何故ならば、当機は既に選ばれている」
彼女の言葉を咄嗟に理解出来なかった錬は、無言のまま続く言葉に耳を傾ける。
「貴方は当機を拒否することも可能だったが、居住空間を共にすることを許可した。突然出現した当機の存在を、貴方は受容した。故に、白馬をあえて選択する必要がない。当機の王子様は、他ならぬ貴方だ」
あまりに真っ直ぐなその言葉に、錬は一瞬言葉を詰まらせる。
やがて頬をかーっと赤く染めながら、彼は小さく言い訳染みた言葉を述べた。
「……それは、人として当然のことをしたまでだ。君を産み出した者としての、背負うべき義務を背負っただけに過ぎない」
「否定。貴方は当機に必要最低限を超過した便宜を図る。今日の外出も、余分な金銭の支払いを捻出してまで当機に文化的な生活を学習する機会を授与した。当機はその、貴方の配慮の一つ一つに興奮物質の発生を自覚する」
ぽすん、と小さく身体を後ろに倒して、頭を錬の胸に委ねながら彼女は真上を覗き見る。
彼女の純粋な瞳と錬のあちらこちらを彷徨っていた視線が、自然と交わった。
「改めて感謝を、我が主。当機は貴方の便宜に応えられるように努力する」
「……ああ、分かっている。君が日々精進していることは、生活の様々なところで実感している。ただ、敵に焼けた鉄の靴を履かせないよう、ほどほどにな」
「疑問。何故、拷問の話題が出現する?」
「なんでもない。君はその、素直に感謝を告げられる優しい君のままであってくれ、というだけだ」
「……肯定。既存の行動指針命令に付記する」
錬は内心、命令として告げているわけではないのだが、と一つため息を吐く。
それでも今の彼女に対する自分の要求は、全て命令として彼女の行動を上書きするに違いない。
なんとも意志の疎通は難しいものだと思案しながら、錬は緩やかに流れる音楽に身を任せて、馬の上でゆったりと踊るように身体を小さく揺らしだす。
その誘うようなリズムに合わせて、自然と学習したスティフもまた、錬の呼吸に合わせて身体を左右に揺らせ始める。
――スティフと同じ馬の上に乗った錬には、そのまま二人で一つの道を駆け抜ける未来が見えていた。
であれば、その未来が少しでも今のような安らかな世界であることを願って。
彼女と感覚を一つにして、錬は自分の望む道が少しでも、命令以外でも彼女に伝わるようにと金属の手綱に祈りを込めた――おとぎ話らしく。




