第十六話 スティフへのご褒美
「んーっ、よく晴れてまさにお出かけ日和と言ったところですね! これは腕が鳴るというものです、今日はたっぷりと遊びつくしましょう!」
雲一つなく、どこまでも青色が続く清々しい春空の下。
大きく腕を伸ばしながら、いつも通りに陽菜は溌溂とした様子ではしゃいでいた。
その横を歩く錬が、片手を掲げて眩しい陽射しを遮りながら注意する。
「怪我しないように、ほどほどにな」
「もちろんですとも。今日は錬の妹さんも一緒なのですからね。年上のお姉さんというものをたっぷりと教えて差し上げます」
「希望。今日は数多の実地学習を経験する予定。失礼を表現しないために、最善を発揮する」
ぺこりと小さく頭を下げる小動物のようなスティフを、陽菜は思わず抱きしめた。
そのまま真珠のような肌に頬ずりしながら、彼女は遠慮なしにぐいぐいとスティフと心の距離を詰めようとする。
「ぎゅーっ! なんていい子なんでしょう、スティちゃんは。正直貰っちゃいたいくらいですよ。見た目もさることながら、性格も健気。……飴ちゃんたくさんあげますから、私の妹になりませんか?」
「公衆の面前で平然と人の妹を取ろうとするな。それに、誘拐するにしても今どき飴はないだろう」
彼女の襟元を掴んで引き剥がしながら、錬は今のスティフの外見を改めて確認した。
確かに今のスティフは、陽菜が我を忘れるのも納得してしまうほどに可愛らしい。
シンプルな白のワンピースに普段とは異なるツインテール。加えて大きめの日除け帽子と、スカイブルーのポシェット。
あまり外の光景を知らない生粋のお嬢様のような装いの彼女は、見る者の目を老若男女関係なしに惹きつける。
もっともそんなことを一切気に留めないスティフは陽菜に濃厚な接触をされても無表情のままであり、それがまた、想定外の行動に困惑している幼女の純粋さを引き立てていた。
「拒否。当機は我が主の妹。錬が一番大事。故に錬との別離を受諾することは不可能」
「うーん、愛されていますねぇ。まあ、それなら仕方ありません。下手に嫌がられるよりかは、ここは一旦引かせてもらいましょう。ですが、諦めたわけではありませんからねー!」
だだだっと悔しそうに瞼を押さえて、逃げるように遊園地の方へ向かっていく陽菜。
一瞬で閉幕した寸劇のようなやりとりに、一連の流れを見ていた外野がひそひそと笑い声を漏らす。
彼らからの好奇の視線を甘んじて受け入れ、場を騒がせたことに軽く頭を下げてから、錬とスティフは彼女の後を追って歩き出した。
「確認。本当に当機の付随は邪魔ではない?」
「もちろんだ。むしろ逆に、自分といるよりも楽しそうにしているからな、陽菜は。君は気兼ねなく遊園地を楽しむと良い。そもそも君がいなければ、彼女は今ここにはいなかった。その働きのご褒美としてこの場を用意したのだからな、自分のことは気にするな」
本来は二人だけの約束だった場所に錬がスティフを招いたのは、ひとえに彼女の先日の働きぶりに報いるためだった。
彼ら二人が無事に平穏な生活に帰還できたのは、十数人を相手にして平然と無力化せしめた彼女のおかげであるというのは紛れもない事実だ。
そのような彼女を省いて遊びに出かけることに元から気をもんでいた錬は、これ幸いと彼女を遊園地に連れ出すことに決めたのだった。
「だが、その前に例の要件を確認せねばならない。……どうだった、陽菜の体調は」
「回答。診察の結果、一般的な女性の健康体と比較したが問題は皆無だった。当機は彼女が完全に回復したと判断する。貴方が憂慮していた呪詛の残骸は、欠片一つも探知されなかった」
「ならば良かった。もしなにかあれば、きちんと責任を取らなければならなかったからな」
スティフは昨晩のうちに問題ないとの判断を下していたものの、錬には漠然とした不安が残っていた。
彼には呪術に対する知識も、観察能力もない。それ故に万が一陽菜に後遺症が残っていた場合のことがどうしても頭から離れず、彼は石橋を叩いて渡るどころか叩き壊すほどの勢いで再度の診察をするよう彼女に頼み込んでいた。
「だが、それもこれで一安心だ。あとは当初の目的通り、君の思うように遊園地を楽しんでくれて構わない。……それにしても随分と気に入られたな。仲良く出来たようで自分としては何よりだ」
「肯定。当機は早速、新規の知識を学習した。貴方の友人、日守陽菜は可愛い子供が好物」
「……間違ってはいない、いないのだがな。少しは表現に手心をだな」
スティフの誤解を与える言い方に頭を悩ませながらも、錬はとにかく二人のファーストコンタクトが成功したことに安堵していた。
もとより陽菜の性格からして突然の割り込みに眉を顰めるようなことはないと推測していたもの、大人びたスティフの雰囲気が逆に不気味に思われる可能性も無きにしも非ずだったからだ。
だが錬の悩みは杞憂だったようで、彼女は予想以上にスティフのことを受け入れていた。
「多少受け入れ過ぎのような気もするが、ともかく。今日一日を通して、彼女からたくさんのことを学ぶと良い。彼女は自分にはないものを色々と持っている。良くも悪くも、大きく成長できるいい機会だ」
「受諾。この機会を用意した貴方に、改めて感謝を」
スティフが現代社会の常識を学ぶ上で、参考例が錬一人だけでは大いに偏ってしまうことは否めない。
彼自身非常識ではないと考えているものの、やはりサンプルは多いに越したことはない。
特に陽菜は肉体的に同じ女性ということもあり、スティフが必要とする多くの知識を持っていることは容易く想像できる。
元よりスティフを戦わせることが不本意だった錬は、それに加えて改めて彼女に平穏な日常についても学習してもらおうと考えていた。
彼女が戦闘のことのみを考える狂戦士に堕ちることがないように、錬は陽菜がその心を引き留めるための鎖の一つになることを密かに願っていた。
そんな彼の企みなど知る由もなく、スティフはさっそく一つの疑問を錬に尋ねた。
「疑問。当機は貴方に対し、一つの質問への解答を要求する」
「なんだ、陽菜について分からないことでもあったか?」
「否定。疑問は貴方のこと。貴方は巨乳が好物なのか」
まさか最初からその方面の質問が飛んでくるとは思わず、答えに窮した錬は額に手を当てて小さく呻いた。
「……なぜ、どこからそのような結論を導き出した」
「先ほど日守陽菜が当機に身体を押し付けた際、圧迫された彼女の胸部に貴方の意識が集中した。ついで興奮物質の増量を確認した。しかし、当機の裸体を見た際には以上の反応が観察出来なかった。故に、貴方は巨乳に魅力を感じていると当機は推測した」
ほの暗い瞳で見据えてくる彼女に、錬は息が詰まりそうだった。
彼女からしてみれば純粋な疑問でも、彼にとっては気まずいことこの上ない質問だ。
とはいえ色々学べと口にした手前、答えないわけにも行かない。
彼は周囲に聞こえないようにそっと口を近づけて、ぼそぼそと答えた。
「……ごほん。それは、男として自然なことであってだな。別に好物というわけではない」
「本当? 当機は貴方が希望するならば、如何様にも変化可能。巨乳、貧乳、爆乳……貴方の性癖への一致を目指して努力する」
人目を憚ることなく、ぺたぺたと自分の平坦な胸を触るスティフ。
その手を掴んではしたない行動を止めさせながら、錬は急いで答えを出す。
「止めてくれ、業の深い道に引きずりこもうとするな。自分としては、巨乳も貧乳もいずれにせよ……ではない! ええい、ともかくその結論は時期尚早だ。これ以上は君が自分で考えろ。なお、絶対に陽菜には言うなよ。いいか、絶対だ」
「受諾。今後は当機の思考回路内で計算する」
顔を赤らめながら逃げた錬に対し、平気な顔でスティフは処理機能の一部を思考の海に沈ませ始めた。
呑気な彼らを誘うように、前方から陽菜の声が届く。
「ほら、二人ともー!早く来てくださいよー!」
視線の先で目立つように、ぴょんぴょんと跳ねる陽菜。
その目立つ一部に決して目を向けないよう苦慮しながら、錬はスティフと共に入場者の列へと向かうのだった。




