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第十四話 黙示の消えた夜の中で


 心神喪失状態の【黙示録の集いノーツ・オブ・アポカリプス】と残った動物たちの霊の世話をスティフに任せ、錬は陽菜を自宅へと帰すためにタクシーに乗っていた。

 ご丁寧にも彼らは陽菜の荷物も公園まで持ってきていたため、彼はその中から拝借した学生証に記載されていた住所を運転手に告げた。

 その際に錬は、陽菜の住んでいる地域が安アパート住みの錬とは違って高級住宅街で有名な都心にあったことにさりげなく驚いていた。

 住宅街から都心へ向かうタクシーからは、徐々に明るさを増していく風景が読み取れる。

 既に不気味なまでに暗くなっていたベッドタウンとは違い、昼と見間違わんほどの光が輝く中で多くの人々が笑顔や苦悩、様々な表情を見せながら各々の日常を歩いている。

 薄く色の入った窓からちらちらと注ぎ込むネオンの明かりを錬がぼんやりと眺めていると、膝の上に乗った彼女の頭がもぞりと動いた。


「う、うにゃあ……」

「大丈夫か、陽菜?」


 錬が声をかけると、彼女はうすぼんやりと目を開けた。

 眠りから覚めたとはいえ未だ意識は虚ろなようで、焦点が微妙にあっていない。


「あるぇ、錬ですかぁ?」

「うむ。今は君の自宅に向かっている最中だ。気分はどうだ?」

「えー、なにか悪い夢でも見ていたような、見ていないような……びみょー、な感じですねぇ……。あはは……」

「そうか。では安心して、もうひと眠りすると良い。悪い夢は先ほど終わった。家に着くまで、今度は良い夢を見れるだろう」

「ふぁーい……」


 彼が赤子をあやすように軽く頭を撫でてやると、彼女は気持ちよさそうに顔を綻ばせる。

 そのまま数秒も経たぬうちに、再びすやすやと心地よい寝息が聞こえてきた。


「大丈夫かい、お客さん?」


 元々若い男女二人の組み合わせ故に怪しむ視線を向けていた運転手が、バックミラー越しに錬に話しかけた。


「問題はありません、未成年で酒を呑んだわけでもないので。ただ、今夜は予想外の色々で騒がしすぎた。彼女を家まで送り届けた後は、自分もすぐに帰りますよ」


 ちらりと見えた噴水広場の水時計は、先ほどの出来事がたった一時間程度であったことを錬に教えた。

 忙しい現代の日常からすればあまりに短い時間だが、彼にしてみれば十分に長い一時間だった。

 命の危機すら感じた濃密な体験は一応の収束を見せたとはいえ、その緊張は錬の心に大きな疲労の影を残している。

 荒れた心を落ち着かせるように、彼は窓の外に流れる平常の世界を眺めた。

 通りをせわしなく行き交う人々は先ほどの超常の事件など意識することもなく、変わらず活発に活動を続けている。

 だが、その裏には錬と同じように、様々な後ろ暗い現実も潜んでいる。

 袋小路に潜む怪しげな風貌の男性、泥酔し道に転がるサラリーマンに手を伸ばす若者……普段は意識しないだけで、世間には常に危険が蔓延っている。


「ああ、それが良いよ。きっと親御さんも心配している」

「そんなものですか」

「そうさ。私だって中学生の娘がいるんだがね? 最近は夜中まで起きていて、いつ外をふらつこうとするか心が冷や冷やさせられるよ。夜の世界ってのは魅力的だが、危険な誘惑も多すぎる。何かに巻き込まれたくないなら、準備もなしに出歩かないことだね」

「……ええ、肝に銘じておきます」


 此度の一件、錬は「陽菜が巻き込まれたのは間違いなく自分の油断が原因だ」と理解していた。

 先輩の追跡の執拗さから、仲良くしていた彼女に手が伸びる可能性が頭を過ぎらなかったわけではない。

 それでもまさか、本当に刑事ドラマのように人質という卑怯な真似が行われるほどではないだろうと、と錬はその予想を一笑に付していた。

 その判断が招いたのが、このありさまだ。

 ――これから自分が関わる世界は、このような危険が他人事ではないのだと錬は痛感した。

 自分が気楽に考えるだけ、周囲に火の粉が降りかかる可能性も増える。

 そしてその火の粉を払うのは、他ならぬスティフだ。

 自分だけでは切り拓けず、彼女の力に頼る事態に直面することもあるだろう。

 それが決して悪いことではないのだと、彼は今回の一件で学んだが――。


「本当に……肝に、刻んでおきますよ」


 やはり、それでもなお。

 彼女の役に立ちたいと思った以上、自分が今の無力のままでいることに――兄として、家族として、なにより一人の男として、錬は耐えられなかった。

 錬はそっと、自分の拳を固く握りしめた。

 日々の生活の中で見せたスティフの少女としての愛らしさを、膝の上で眠る陽菜の安らかな寝顔を守るために――強くなろうと。



 ■■■



「――それで」


 帰宅後、錬は居間のテーブルを見るなり眉を顰めた。

 その上には見覚えのあるナイフや本、ついでによく分からない小物が雑多に積まれていた。


「どうしてこれらの品々をわざわざ持って帰ってきた?」

「回答。黙示録とその写本、及び呪術関連の媒体。放置は危険と判断し、当機が回収した」

「そうではない。このような危険なものはさっさと焼却処分するのが吉だろう」

「説明。貴方が興味を持つ可能性を考慮し、当機は廃棄処分は時期尚早と判断した」

「正直なところ、自分はあのような外法に頼るつもりは微塵もないのだが……」


 錬はふと、なんとなしに先輩の所持していた黙示録(アポカリプス)の原本を手に取った。

 公園で見た際には意識を引きずられるような異様な錯覚を覚えたものの、今ではただの本と何も変わらないように見える。

 ぱらぱらと中身を流し見し、ミミズがのたくったような字に錬は小さく呻く。


「このような古めかしい本をよくも解読できたものだ。これほど達筆な文字など、現代人の感性ではとっかかりを見つけることすら困難だろうに」

「解説。この【華彌亜覇(カミアハ)黙示録】は血液を配合した墨で執筆され、本そのものに極僅かに筆者の魂魄が刻印されていた。それが所持者と共鳴・同調し、理解を幇助する効果が存在した」

「ううむ、怨霊が憑りついていたようなものか。……もしかしたら、先輩の思考が世界の破滅などという偏った願望になったのもそれが原因かもしれんな」

「肯定」

「それも本当のことか……だが、それでもやったことの責任は取らなければならない。あの処置は必要なことだっただろう。それにしても、聞けば聞くほど危険な代物だな。効果はなくなったとはいえ、やはり早々に処分すべきだ」

「了解。許可を確認。廃棄処分を執行する」


 そう言うと、彼女は何処からともなく灯した白い炎で本の全てを焼き払った。

 その後には灰の一つも残らず、黙示の中身は日の光を浴びることなく静かに消滅した。


「よし。これにて万事解決だな。それではもう夜も遅いことだ、今度こそ寝るとしよう」


 終わりを見届けて立ち上がろうとした錬を、スティフが引き留める。


「謝罪。当機にはまだ、貴方に告知することがある」

「なんだ、早く言ってくれ。とは言え今日は、これ以上驚くようなことは勘弁してほしいが――」

「消灯」


 スティフが部屋の明かりを消すと、それまで空席だった彼女の隣に一つの淡く揺らめく光が現れる。

 否、それは二人が話している間もずっと存在していた。

 ただ、部屋の照明がその光を塗り潰して見えなくしていたに過ぎない。

 そして明かりが消した今、浮かび上がった存在を前に錬はスティフを軽く睨みつけた。


「これはどういうことだ、スティフ。……なぜその魂が、ここにいる?」


 その光の正体とは他でもない、スティフが首輪代わりの器を破壊した動物たちの魂の一つだった。

 それも錬に見覚えのある、身体を半分に割られた犬。

 その犬が、畳の上に寝そべりながら錬のことをじっと見上げている。


「回答。解放した魂魄の内、この個体を除いた全ての個体は自然消滅した。一方、この魂魄は消滅を希望せず、当機に自らの要望を述懐した」

「なんだ、未練があるとでもいうのか。悪いが復讐がしたいというのなら駄目だ。最後の晩餐程度なら用意するが……」

「否定。彼は敗者の義務及び解放の謝礼として、当機と貴方に忠義を尽くすことを希望する」

「……う、うむ。そうか」


 スティフによる犬の気持ちの代弁に、錬は思わず混乱させられた。

 犬が義理堅い生き物だとはよく耳にする言葉だが、死してなお一夜の恩を返そうとするほどであるとは彼は思ってもみなかった。


「そうだな……どうしたものか」


 考えこむものの、元より今夜は発生したことが多すぎて、これ以上の酷使は辛いと彼の頭は告げている。

 故に錬は問題を一つに絞った。

 ――当人の意志がそれで良いというのならば、構わないだろう。

 そう、彼は率直に結論付けた。


「分かった。だが、一つだけ約束して欲しいことがある」


 錬の言葉を理解してか、犬はきゅっと目を引き締めた。


「このアパートはペット禁止だ。そこらがバレないよう、気を付けるように。自分からはそれだけだ」


 錬が自分を拒否するのではないと知って、犬ははっはっ、と子供のように舌を出して喜ぶ素振りを見せた。

 それをよそに、錬はスティフに問う。


「それで、現世に繋ぎとめるためには身体が必要なのだろう。そこはどうするつもりだ」

「回答。彼の役割には貴方の護衛が相応しいと当機は思考する。そのため、当機は影を肉体として定義することを提案する」

「影の身体……普段は自分の影に溶け込ませておく、ということだな。他に案もない以上、自分としては構わない」

「了解。只今より儀式を開始する」


 スティフはすっくと立ちあがり、机の上にあった小物の一つである棒状のものを口にくわえた。

 その先端に同じく連中から取り上げた小袋の中身を詰め込んで手を翳すと、静かに煙が昇り始める。


「煙管とは、また珍しいものを」

「説明。煙草は古来より神性との交流に必要な儀式の祭具。今回の術式では儀式の媒体として使用する。なお、当機にニコチンの毒性は効果はない。貴方の吸引は風精が防止する」


 そのように説明を受けても、幼女が煙草を吸う姿というのは色々と危険であることに変わりはない。

 もどかしい感覚を胸に抱きながら、錬は彼女たちの様子を見守る。

 ――ぷぅん、と香ばしい匂いが室内に漂い始めた。

 錬はその匂いに心当たりがあった。例の部室に案内されたときに嗅いだものである。


「――【我が呼び掛けに応じ(アロ・ミーグ・クァレ)我に応えよ(アレ・クァラ)気高き野生の魂アスト・クールル・ミーザ】」


 彼女が錬の理解不能な先住民族の言語で詠い始めると同時に、不規則に宙を漂っていた煙が急に渦を巻き始める。


「――【(ミゼ)生死の輪廻を彷徨う(カルロ・マル・ドアム)異端の獣なり(・ポーラクス)破滅の夜明けを導くドルメ・カーン・ピレタ霊林の彼岸より(カーメナント・)来たりし(クルカ・)黙示の災害(デルム・ナント)】」


 彼女がその渦をナイフで数回かき混ぜる。

 すると、光を帯びた煙はやがて魔法陣となって犬と彼女、そして錬を書き結んだ。


「――【されどその身が今一度(ラーラ・イル・ガゼル)守護と理の調停者シータ・チャングラ・ゼイなる事を望むならば(・パル・ク・マァト)】」


 三人を三角形で結ぶような形となった魔法陣の中では、象形文字と思しき複雑な文字が蠢いている。


「――【我が写し見と(アロ・ガドル)相交わりて(・クラウ)異形の黒骸を(ナァクラ・イルム)身に纏い(・ゲッテ)我が従獣となれアル・イル・ラ・テルポリカ】」


 刹那、くるくると回転を始めた魔法陣に錬とスティフの足元の影が渦を巻いて吸い込まれ始めた。

 不気味に闇色の光を灯した陣の中心から、今度は包帯のように影の帯が伸びて犬の魂を幾重にも包み込んでいく。

 やがて一つの漆黒の宝玉が完成すると、それはうねうねとスライムのような動きで形を変えていく。

 四肢が伸び、首が生え、立派に生えそろった牙がぬらりと口元から覗く。

 尻尾をぶるりと震わせ、最後に草原のように滑らかな毛並みを一気に生え立たせて、黒一色の大きな犬が錬とスティフの前に姿を現した。


「……終わったのか?」

「肯定。彼は当機及び貴方と影を介して契約を締結した。彼は当機と貴方の影を素材に現実に根付いたため、契約の執行下において――」

「分かった、分かった。では、名前は君が決めてやると良い。なにせ自分は疲れた、もとい彼は君の力に惹かれたようだからな。必要な道具や御飯があれば、纏めて教えてくれ。では、自分はもう休ませてもらう」


 錬はスティフの難解会話を適当に聞き流し、随分と重くなった腰を上げて自室のベッドへと戻った。

 その際に扉を閉めようとした隙間からリビングを覗くと、嬉しそうに尻尾をバタつかせた犬にじゃれつかれたスティフの様子が見て取れた。

 困惑しながらもなんとかあやそうと四苦八苦している彼女の姿を微笑ましく思いながら、錬はどさりとベッドの上へと倒れ込む。

 柔らかく沈み込むマットレスの上で、身体の力をゆっくりと抜きながら目を閉じる。


「最初から最後まで働き詰めだったな、スティフは。これはなにか褒美を用意してやらなければ、自分の沽券にかかわるな……。はてさて、何が良いだろうか……」


 明かりの消えた意識の中、錬の瞼の裏には一連の出来事が次々と流れるように思い浮かぶ。

 嵐のような怒濤の出来事の連続、これがたった一週間の間に起こったことだとは端には信じがたい出来事だ。

 それでも錬はこの破天荒な新生活を、スティフの力を借りながらなんとか潜り抜けることが出来たのだ。

 その溜まった鬱憤は明日の遊園地で思いっきり晴らし、また始まる翌週に備えようと彼はゆっくりと己の意識を落としていった。

 虚ろになっていく記憶の海の中で、ふと、初めて出会った時の陽菜の言葉が思い浮かぶ。


 ――おや、そこの貴方。やたらと暗い顔をしていますね。駄目ですよ、憂鬱な気持ちの在り方は更なる悪果を招くのです。もっとこう、口の端を上げて、なにもかも勢いよく笑い飛ばしてしましょう。


 クラスの交流会でなぜか真っ先に錬へと近づいてきた彼女は邂逅やいなや、笑顔で彼の瞳を思いっきり間近から覗き込んだ。

 錬と同じような新品のスーツをがさつに着こなした彼女が、視界いっぱいを占領して、からからと笑う。


 ――ただでさえ貴方は、(わたくし)と同じ■■■に愛されているのですから! あはははっ、あはははははhahaha――。


 なぜ最後にその記憶が蘇ったのか自問するよりも先に、錬は深い眠りへと落ちていった。


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