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第十三話 彼と彼女だからこそ


 もはや【黙示録の集いノーツ・オブ・アポカリプス】の中には、誰一人として戦意を継続する人間はいなかった。

 ある者は静かにその場に崩れ落ちてすすり泣き、ある者はギリギリと歯を食いしばらせながらも、スティフの一挙一動にびくりと身体を震わせている。

 覇気を失って重苦しい空気を放つそれらの面子を前に、陽菜(ひな)を傍のベンチに寝かせた錬がぼそりと呟く。


「……さて、残るは後始末か」

「殺害?」

 

 首をコテンと傾げる可愛らしい素振りからのスティフの一言に、彼らは一様に背筋を震え上がらせた。

 なにせ、眼前の幼女はいとも容易くその言葉を実行に移せるだけの実力があるのだと思い知らされたばかりなのだから。


「こら。人殺しは良くないことだと教えただろう」


 錬が少し拳を持ち上げると、その頭に落とされるよりも先にスティフは首を横に振った。


「冗談。当機は既に殺害の選択肢を排除した。現在の発言は敵の残存戦意を破壊するための虚偽」

「また変な知識を持ってきたものだ……それはともかく、これだけのことを仕出かしておいてなんのお咎めもなしというわけにはいくまい」


 スティフを抑えた錬にはひっそりと感謝の念が向けられるが、彼はその視線をじろりと睨み返した。


「今宵の罪をざっと数えるなら、傷害未遂に器物損壊、あとは誘拐か? このナイフは銃刀法違反で、世界を滅ぼす目的のサークルは運営そのものが共謀罪に値するとも考え得る。法律には明るくない自分が、重罰はまず間違いないだろう」

「……でも、証拠は……ないわ」


 ぼそぼそと先輩は、小さな声で虚勢を張った。


「そう、肝心なのはそこだ。犯罪の証明に相応しい証拠を、自分たちは示すことができない。裁判所とて魔法や呪術、精霊などといった空想の資料を提出されても判断に困るだけだ」


 もっとも読み物としては楽しめそうだが、と錬はかすかに笑う。

 思わず緩みかけた頬を引き締め直しつつ、彼はいっそうの威圧を含んだ声で言い切った。


「だが、それでも一切罪を問わずに放逐するのは否定されるべきだ。――故に、この場で自分らが罰を与えなければなるまい」


 その言葉に、彼女たちは再び身体を震わせた。

 今更ながら錬に向けて仕掛けた攻撃の数々を思い返して、戦う術の失った自分たちにそれが向けられる光景を幻視して、怯える。

 そんな彼女たちに、錬は首を振った。


「勘違いしているようだが、自分はそのような野蛮な拷問を行うつもりはない。そもそも自分は裁判官でも何でもない、ただの大学一年生だ。公的に暴力を振るう資格も正当性も持っていない」

「……じゃあ、なにをするというの……?」

「簡単だ。問題そのものの根を断つ」


 その答えをすぐに思い当てた彼女たちは、唐突に嫌々と首を振り始めた。


「そんな、私たちから……この力を奪おうというの!?」

「己の手に余る力など、取り上げてしまった方が良い。……スティフ、出来るのだろう?」

「可能。封印術式ならば1.06秒、能力破棄の術式ならばおよそ30秒の術式で処置は完了する」

「ならば今すぐに準備をしてくれ。ここにいる黒衣の面々の、全員分を」


 一方的に話を進めていく錬に、宣告された面々はそれぞれの反応を見せる。


「もう、どうしろってのよ。勝てっこないんだもの」


 反発を不可能だと悟り、彼の言う罰を諦観と共に受けようとする者。


「ひぃ、すまなかった許してくれっ! それだけは勘弁してくれないか! どうかこの通りだ!」


 なんとしてでも見逃してもらおうと、地面から錬たちを見上げて許しを請おうとする者。 

 そして一部にはこの場から逃げ出そうと、公園の入口へと駆け出した者もいるが――。


「くそ、どうなってるんだ!」

「なにもないはずなのに、なにかが塞いでいるのよ!」


 彼らは公園の敷地をぐるりと囲む目に見えない障壁に阻まれて、脱出は叶わなかった。

 何度拳を打ち付けようと、体当たりしようと、そこに存在する透明なクッションのようなものに跳ね返される。


「無駄。我が主に敵意を向けた者を、当機は決して逃さない」


 スティフの物言いから彼女がこの現象を成していることを知り、逃れようのない現実を否応なしに彼らは直視させられる。

 その中で、何とか慈悲に縋ろうと錬たちへ例の先輩が近づいた。

 ずるずると長いスカートの端を引きずらせながら、錬のズボンに皺が出来るほど強くしがみついて、涙を浮かべながら彼を仰ぐ。


「ごめんなさい……許して……。この力がなくなったら、私たちは……生きていけない……」

「……世界を滅ぼしたい理由など、自分には皆目見当がつかない。恐らくはそちらにも相応の言い分があるのだろうが、それでも他者の命を奪い、ましてや冒涜する理由にはならない。故に自分はそちらを許す気にはならない――絶対に、だ」


 だが、錬はその救いを求める声を強い否定の言葉で振り払った。

 彼の視線の向く先は、未練たらたらの姿を見せる彼女ではない。

 スティフの放った祓いの風を受けて邪魔な外側を取り払われた後に残った、精霊たちの核――動物たちの生霊だった。


「スティフ。もう一度、例の呪術の説明を頼む」

「受諾。【華彌亜覇(カミアハ)精霊術(スピリチュア)】、北米先住民族の術式が源流となる精霊使役術の劣化模倣品(デッドコピー)。明治期に日本に英訳版が流入し、翻訳家の鴨野有朝が独自の解釈を加味し翻訳した」

「……今更、なにを……?」


 既に力を失ってしまった黙示録の力の説明に、その場の面々の誰もが首を傾げる。

 その一方で、錬はスティフに尋ねた。

 ――先ほどの剣撃の最中に、彼女に問うたように。


「それで、先ほどの説明の中で君はこう言った。人工の精霊を産み出す過程では、動物の魂魄を生体から剥奪すると。――すなわち、生きながら魂を引き剥がす。明らかな外法の言い回しに、自分は一つの引っ掛かりを覚えた」


 彼はそっと、地に伏せた子猫の魂に近づく。

 スティフに斬られた滑らかな断面とはまた別に、その子猫は最初から幾らかの部位を欠損している。

 左前脚と両後脚、そして尻尾に両の耳。

 それらが強い力で無理やり引き剥がされたような、無惨な断面図を晒している。


「その魂を肉体から抜き出す術が果たして、この動物たちにまともな影響を及ぼすはずがないとな」

「それは……」


 錬の言いたいことをようやく理解した面子の一部は、気まずそうに目を逸らす。


「説明を継続する。源流は死体の魂魄との対話を経て、友誼を締結する。自然の摂理として離脱した魂魄には問題は生じない。一方、有朝は本家である賀茂家の文献から生体の魂魄を力ずくで剥奪する方法を劣化再現した。しかし、誕生したインディアンと陰陽師の複合術式は行使可能だが不完全だった。調整不足の術式は、結果的に対象の魂魄に多数の異常を発生させる」

「その影響は?」

「回答。魂魄の分割は第一に、死が救済となるとされる激痛をもたらす。また、施術の際に魂魄が千切れることで記憶の断絶が発生。自我の崩壊を誘発し、最終的に九割を超える確率で魂魄は自壊する」


 なんともおぞましい結果を招く黙示録の術式の正体に、感づいた時の錬は半信半疑だった。

 ――まさか、それほどまでに残虐な行為を行うことが本当に出来るものか、と。

 しかしスティフは主の問いかけに一切の嘘偽りなく、忠実に真実を答えた。


「これを聞いてもなお、その力を自分たちの意の赴くままに振りかざした事実を反省しないというのか?」

「それは……」

「その様子だと、知識としては知らずとも薄々感づいていたのだろう。胸を引き裂かれるような痛みという表現があるが、その上位とも呼べる激痛。彼らも悲鳴を上げずにはいられなかったに違いない」

「……うっ……」

「あれほどの魔獣型精霊を従えるまでに犠牲にした動物の数が、果たしてどれほどのものか。想像するだけで、胸が張り裂けそうだ。……正直なところ、彼らの気の赴くままに復讐させることの方が正しいのではないか、とすら考える」

「う、ぐっ……」


 押し黙る彼女たちを一瞥し、錬は独白を続ける。


「だが、ここでそのような所業を見逃すのも、命がどうこうと言った手前、どうかと思う。故の妥協案だが、それでもまだ駄々をこねるのか?」


 何かを言いたげにしながら、それでも胸の燻ぶりが上手く口をついて出ない面々。

 今更ながらわざわざ見過ごしていた自分たちの汚点をはっきりと言い聞かせられて、動揺がどうしても落ち着かない。

 小さく言葉にならない言葉を呟くも、錬が決定を覆すほどには至らない。


「さあ、スティフ」

「了承。展開、【メアリー・イゼルクィーナ式真体改竄虚式イデュール・ドグマリオン】」


 彼女の手元に浮かび上がった人数分の魔法陣が飛翔し、各々の胸の奥へとするりと潜り込む。

 慌てた彼らは何とかして魔法陣を防ごうとするも、まさか体の奥に手を伸ばすわけにもいかない。呪力の映る瞳で己が内側を悔しそうに見つめることしか、今の彼らには出来なかった。


「ま、待って……っ!」


 整理のついていない頭の中で、もう少しの猶予を求める声が先輩から上がる。

 だが錬は、それまでと変わらない声色で告げた。


「なに、死にはしないのだから反省する時間はたっぷりとある。その中で何が悪かったのか、考えてみて欲しい。……願わくばこちらが手を出すより先に、自ら悔い改めてくれていれば良かったのだがな」

「そ、そんなっ……だ、駄目……止めて……っ」

「長引かせても未練が膨れ上がるだけだ。スティフ、構わず術式を始めていい」

「止めて……止めてぇーっ!」


 先輩の悲鳴が、夜闇を切り裂くように木霊する。

 急ぎ錬から離れてスティフを羽交い絞めにしようとする彼女だが、その襟元を今度は錬が掴んで引き留めた。

 じたばたと暴れる彼女は、自身を掴む錬の腕に噛みついてまでスティフを止めようとする。

 しかし、その肉から血が滲むことはない。目には見えなくとも、スティフの片手間に張った防壁が錬の体表を包んでいるからだ。

 構わず、やれ――錬のアイコンタクトを受け取り、彼女はその意志に従って術式を開始した。


「術式並列展開。虚空領域上の固有生体情報を把握。余剰虚子、指定。――削除、開始」

「うっ、いやぁぁぁっ!」

「ぐぅああああっ……!」


 きゅるきゅると壊れた地球儀のように乱回転する魔法陣。

 それと同時に、彼らから呻き声が上がる。


「大丈夫なのか?」

「比較。無麻酔で削歯を実施する際の痛覚刺激と同程度。魂魄を弄る以上は止むを得ない。麻酔術式は指定されていないため、非搭載」

「……まあ、今更言っても遅いか。自分のしでかしてきたことの一部として、その程度は受け入れてもらうとしよう」


 やがて魔法陣が消失すると、彼らは糸が切れたように地面に倒れ伏した。

 ぴくぴくと身体を震わせていることから、死んではいない様子が伺える。


「後遺症はないのだな?」

「肯定。虚空領域との接続を常人の八割に制限したことにより、流入する情報の急激な減少に直面した脳が混乱した。一時的な昏睡は、十分から一時間程度で覚醒する」

「そうか。……ところで、その接続とやらを完全に断絶しなくても良かったのか?」

「虚空領域からの完全なる断絶は魂と肉体の離脱、すなわち死を意味する。逆説的に生存する限り呪術の使用は可能だが、使用を試みた際には現在の術式以上の激痛により発狂。更に試みを継続した場合は、ショック死に至る。事実上、呪術の使用は恒久的に不可能と判断する」

「なるほど、それならば致し方ない。そこまでして再び呪術に手を染めようというのならば、それも仕方のないことだ」


 なにはともあれ、これにて【黙示録の集いノーツ・オブ・アポカリプス】に警戒する必要はなくなった。

 未だに寝言で呻き声を上げ続けている彼らから視線を外し、錬はスティフの方へ改めて向き直った。

 その顔には、ここまでに浮かべていた怒りの感情は映し出されていない。

 薄く影の落ちた錬の表情は、他ならぬ彼自身へと向けられているように見える。


「――すまないな、スティフ」

「疑問。当機には謝罪され謂れが無い」

「自分は結局、君を巻き込んでしまった。君を兵器として扱わせない、そう誓ったというのに」


 本来ならば、スティフは錬が逃亡している最中から介入することが出来た。

 それが成されなかったのは、彼らと出くわした錬が真っ先にポケットの中で伝言アプリから彼女に待機命令を出していたからだった。


「説得すれば通じると思っていたが、無駄だった。そして結局、君を頼る羽目になった。そんな自分が無様で、情けない。自分の判断には、なんの意味もなかった。むしろ君の邪魔をしただけではないか……そう思えてならない」

「異議。貴方の悔恨は間違いである」


 自責の念に悔やむ錬の言葉を、スティフは普段通りの冷たい顔で真っ向から否定した。


「理解。貴方の意志は、明確な一つの救済をもたらした。我が主は観察不足」


 彼女は静かに、二人の目前に広がる光景を指さした。

 ――その先には、無人の公園を楽しそうに駆けまわる動物たちの姿があった。

 今まで自分たちを縛り付けていた主が消え、事態が収束したことを察した精霊の魂が本来の姿を見せている。


「当機の判断では、この光景は誕生しない。何故なら当機の最優先保護対象は貴方であり、彼らは単なる障害とのみ認識していた。貴方の指摘があるまで、当機は彼らを鑑みなかった」


 その幻想的な風景を前に、錬はなぜか唐突に目頭が熱くなった。


「当機一機では彼らの救済は叶わなかった。兵器では認識不能な命を認識可能として保護を実行可能としたのは、他ならぬ貴方の優しい判断に由来すると当機は判断する」


 ――結局のところ、此度の事件はどちらが欠けていても最良の結果にはたどり着けなかった。

 錬だけでは死か黙示録の力の前に膝を屈するか、いずれにせよ最悪の決断をするしかなかった。

 スティフだけでは錬が無事であろうと、動物たちの魂は救われず、次善の結果に至っただろう。


「……そうか。自分は自分なりに、君の役に立てていたのだな」

「肯定」

「自分だけでは気づけなかった。ははっ、また君に助けられたな。おかげで気が楽になった、ありがとう」

「『失敗は誰にでもある』――貴方が当機に教えてくれたこと」

「そう言えば、そうだったな……ふふっ、はははっ……」


 目の前に広がる二人だからこそ成し得た美しい光の遊群を眺めながら、錬は静かに涙を流していた。

 スティフはその傍でただ静かに、主の得た感覚を自らも共有しようと寄り添い続けるのだった。


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