第十二話 魔導戦姫の剣扇舞闘
「……戻って……来なさい……」
彼女は動揺する自分を抑えながら、自らの下に改めて魔獣を招集する。
更に新たな栞を引き抜いて魔獣を追加召喚し、未知の存在であるスティフに対して万全の体制を敷く。
だが、それでもなお、目の前の幼女に対抗できる未来が思い浮かばない。
なにせ、指を一度鳴らしただけで錬に迫る仲間の使い魔を全て退けたのだから。
大勢の変化に戦慄する彼女をよそに、その原因となったスティフが小さく口を開く。
「解析完了。【華彌亜覇式精霊術】と断定」
その声は至って小さなものだったが、静まりかえった公園の中には良く響いた。
傍にいた錬が問い直す。
「スピリ……、なんだ? 霊的な……精霊だと。あのような、おどろおどろしいものの正体が?」
「定義。精霊とは、虚空領域の生情報体――魂魄が本来とは異なる肉体を取得し、異形化した存在。また、自然発生する通常の精霊とは異なり、眼前の精霊は人工精霊に分類される。動物の魂魄を生体より剥奪し、術者の用意した仮初の身体を枷として主従関係を築く」
「なっ……私たちが解読に苦労したものを……こんなに簡単に……っ!」
アカシックレコード由来の情報を口頭で説明したスティフに、【黙示録の集い】の面々は動揺を隠せなかった。
自分たちの積み重ねが一瞬で看破されたことと、それを平然と語られたことは、彼らの自尊心に一つの傷を入れた。
――それはまるで、これまでにかけた時間と労力が無駄だったのだと嘲笑われているようで。
我慢が出来なくなった彼らは、再び精霊たちを嗾ける。
「……行きなさい……っ! 貴方たちも……!」
「行け、我が下僕よ!」
「ルゥちゃん、行って!」
一度失敗したにも関わらず、再び異形の存在たちが錬とスティフ目掛けて襲い掛かる。
四方八方から迫りくる暴力の固まりに、錬は一瞬委縮しかけてしまう。
しかし、それらを前にしてもスティフの態度には一欠けらの揺らぎも見えない。
「本当に、……いや」
大丈夫か、と問い直そうとしたところで錬は咄嗟に口をつぐんだ。
スティフは自信をもって眼前の敵を些事だと告げたのだ。
――ならば彼女の主である自分も、彼女の言葉を信用して泰然としていなければならない。
陽菜を腕に抱えた錬が見守る中、彼女は変わらぬ声色で己の武器を呼び寄せた。
「術式想起。魔導兵装【聖銀十字剣】、五連展開」
今更ながら、錬はスティフの側頭部から突き出た双角が白く発光していることに気づいた。
その奇跡的な光景に見とれていると、先端から漏れた光が一切の綻びなく夜の宙に奇跡を描き始める。
刻まれた魔法陣の中から姿を現したのは、長く揺蕩うスティフの髪と同じく白銀に輝く、十字架を模した断罪の剣。
それが合計で五振り、月の光を受けて煌いた。
「――出力完了。聖剣、射出」
スティフが指揮者のように、その細く可憐な腕を振り下ろす。
同時に、宙に浮遊していた剣が一律に規則正しく動き始めた。
彼らは担い手もなしに各々の標的を見定めて、自動的に錬たちに迫る魔獣のような精霊目掛けてその白刃を振りかざした。
――そして、刃は音もなく目標の身体をすり抜ける。
僅かに遅れて、その五匹の身体はそれぞれ半分になって地面に崩れ落ちた。
「すごいわね……でも、その程度で……精霊は死なない……」
彼女たちは笑って受け流そうとするも、すぐに訪れた予想とは違う展開に、またもや顔を強張らせる。
「いえ、これは……?」
スティフの達人芸に斬り伏せられた精霊たちは、そのまま地面を這いつくばっている。
「再生しない……どうして……っ?」
思わずキッと鋭い目線を向ける彼女たちだが、スティフは気にも留めずに言葉を返す。
「不可解。当機には敵対勢力の疑問に回答する必然性がない」
「……ふざけ、ないでっ!」
それを挑発されていると考えた彼女らは、更に追加の魔獣を召喚して攻撃を再開する。
しかし、スティフの操る剣の舞踏を無事に潜り抜けられる相手は、一匹たりとて存在しなかった。
吹き荒れる剣撃の嵐を前に、ありとあらゆる精霊たちが突撃しては切り刻まれていく。
炎、水、風――奇跡の身体を持つ数多の魔獣が散っていく姿は、まさに命の輝きが魅せる花吹雪。
その花びらは錬の足元に届くことなく、宙に解けて消えていく。
悲しくも幻想的な光景を前に、錬はようやくほっと緊張を緩ませた。
「本当に、すさまじいな……」
実際にスティフが戦う姿を見るまでは安心できなかった彼だが、こうして実際に有利な戦況を体感したことで、ようやく身体に籠っていた熱が抜けていくのを自覚した。
彼女の自称した、魔導兵器【戦姫】シリーズ――これまではうまく理解できていたなかったその言葉の一端を、初めて錬は理解したように感じた。
戦いの場の中で毅然とした態度のままに敵を殲滅する姿は、まるで戦場に降り立った女神そのものに見える。
「ともすれば、かのジル・ド・レ公も、このような聖女の姿に魅せられたのかもしれないな……」
ゆっくりと過去の歴史に思いを馳せるほどに、今の錬の思考には余裕が生まれていた。
その中で彼はふと、スティフの足先に落ちている魔獣の姿に気が付いた。
最初に討たれた内の一匹だったようで、その身は真っ二つに裂かれている。
それでもなお、その獣の姿をした精霊は、主たちの意に従って錬に襲い掛かろうとじたばたと藻掻いている。
だが、流石に今の姿では満足に進むことすら出来ていない。
その愚直な姿に涙を浮かべそうになりながら、せめて死後は安らかに眠れるように祈りを捧げようとして――。
「……いや、待て」
彼らの境遇に同情を抱いた錬の脳裏に、唐突に一つの残酷な予想が閃いた。
「スティフ。確認したいことが、あるのだが」
――精霊を使役する術について、彼は何の正しい知識も持たない。
今の彼に過ぎった予感は、何の根拠も持たない一般人の第六感によるものに過ぎない。
しかしそれが事実である可能性を考えて、自然と彼の問いかけには熱が籠る。
そんな主の言葉に耳を傾けて――スティフは、その直感が真実であることを頷きで示した。
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絶え間なく精霊を嗾けるも、まるで汗の一つすら見せないスティフに、【黙示録の集い】の面々は段々と焦り始めていた。
仲間の感情を肌で感じ取った彼女は、改めて気合を入れるように大きく頬を叩く。
そうして一度自身の胸の苛立ちを押さえた上で、彼女は冷静に現状を分析した。
「あなたたち……一度攻撃を止めて」
「なぜだリーダーっ! 今攻撃を止めれば、今度は俺たちにあの剣が襲い掛かってくるかもしれないのだぞっ!」
「だけど……このまま雑に仕掛けても……キリがない。だから、作戦を立てる」
彼女は黙示録を持たない方の手の指を立てて、簡単な作戦を説明した。
「同時攻撃よ……あの剣は、五本だけ。どうしても……隙が出来る。まったく同時に仕掛ければ、一体くらいは……あの剣撃の隙間を、抜けられるわ……」
彼女にも自信がある訳ではなかった。
スティフの手札を全て確認したわけでもなく、今あげた策も対応されてしまうかもしれない。
それでもこのままジリ貧になるまで続けるよりは、遥かにマシだと割り切った。
他に策の思いつかなかった面子もそれを薄々理解していたのか、彼女の判断に従って、一度精霊を引き下げる。
「――肯定。当機は貴方の意思を速やかに実行する。……展開、解除」
晴れた攻防の嵐の中から、呑気に雑談をしていたらしき錬とスティフの姿が露わになる。
しかも彼らは、あろうことか、同じタイミングで宙に浮かべていた自身の武器を消し始めたではないか。
「……今よ!」
「行くぞ、皆の者ぉぉぉっ! 全精霊、突撃ぃぃぃっ!」
その意図を深く考えるよりも先に、彼らは一斉に攻撃の指示を繰り出していた。
膠着していた現状によって溜まっていた鬱憤を爆発させるように、目に見えた好機を逃すまいと声を張り上げる。
「来るぞスティフ!」
これまでのような点ではなく、面での制圧攻撃に切り替えた【黙示録の集い】。
それに対し、スティフは先ほどと変わらない無表情のまま、錬の要望に応えるべく新たな武装を召喚した。
「想起開始――【鎮魔之幽扇】」
彼女が次に召喚したのは武装ではなかった。
その手元に呼び出されたのは、いたって単純な構造の白の扇。唯一の特徴と呼べるものは、手元には赤い紐で結わえ付けられた小さな鈴が一つ。
されどその扇の表面には、先ほどの剣と同様の聖なる光がうっすらと見えていた。
彼女はそれを右手で開き、一人、舞い始める。
「術式、想起完了。詠唱を開始する。――【鎮まりたまえ、望みたまえ。斯くも悪霊に身を堕とせし、黙示の数字を烙かれし獣よ】」
……ちりん、ちりん。
蚊の羽音よりもか細い鈴の音が、戦場に響く。
その音色の主はゆったりと、かつ滑らかに、気品を感じさせる動きで扇を振るう。
「【汝の災禍は雪がれる。黒煤の如き主の呪鎖は、我が白き身の解けし清水にて払われる】」
右から左へ、左から頭の上へ。
時には十字を切るように、弧を描くように、はらりはらりと白扇が担い手と共に舞う。
一つの歪みもない可憐な舞踊を前に、荒々しい気性を剥き出しにしていた精霊たちはやがてその牙を収めてその場に座り込んでいく。
「な、なにを……なにを、しているの?」
指示を無視するようになった精霊に主たちが騒ぐが、まるで意味を為さない。
スティフの振るった扇から流れる清廉な風の細波が、精霊の身体を作る異形の力をかき消していく。
炎は揺らめきを収め、滴り落ちた水は地面に吸い込まれるように消えていく。
あとに残るのは、その核である精霊たちの真体――淡く輝く魂だけだ。
「【示したまえ、与えられし呪より醒めたまえ。我が身の嘆きは、共にあろう。汝らが意志の求むるが先を、指し示そう】」
「まだ、まだよ! 動きなさい……動けっ!」
彼女らが手元で握りしめた書物から、錬の見慣れた黒い呪力が鎖のように精霊たちへと伸びる。
しかし、それもスティフの放つ聖なる風によってかき消されていく。
更にはとどめと言わんばかりに、波紋のように広がった白い波が彼女らの本に触れた途端――そこに挟まれていた呪符からも、黒い煙のような呪力が噴出し始めた。
慌ててそれを抑え込もうとするも、その隙間から残されていた栞に封じられていた動物の魂が逃げるように飛び出していく。
「【されば祈りは重なりて、ただ一つの矛とならん。邪なる楔を貫き、今こそ己が誇りを示すときなり】――」
やがて彼女の舞が終わった時には、一様に地に伏せるように座る動物たちの白い魂だけが残されていた。
「なっ……」
「――鎮魂術式、終了」
「……なんで、なにが、どうなって……」
絶句した彼女が手元を見れば、本の中には呪栞は一つとして残っていなかった。
込められていた呪力と魂が解き放たれたそれらは、何の変哲もないただの栞に成り下がっていた。
「勝利。当機は貴方の希望を完全執行した」
「……ああ。見事なものだった。よくやったな、スティフ」
最後に手元の扇も消してしまい、錬へと振り返って宣言するスティフ。
その姿に、黒衣の面々は一様にガクリと膝をついた。
誰が見ても分かるほどに、その様相は戦いの一方的な勝者を示していた。




