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第十話 襲来、魔獣夜行


 帰宅後の風呂上がり、錬は濡れた銀髪をタオルで拭きながら「そう言えば」とスティフに話し掛けた。


「ああ、スティフ。急な話で申し訳ないが、言い忘れていた。自分は明日、陽菜(ひな)……友人と外出する約束をしている」

「確認。予定を入力する」


 タンクトップの下に浮かぶ、それなりに引き締まった細身の身体。

 未だに湯気を立てている若い錬の姿はある種の色気すら発している。

 だが、それらの類に一切興味を見せずに彼女は普段通りの無表情で受け答えた。


「君を一人で家に残すことになるが、大丈夫だろうか?」

「疑問。貴方が当機を心配する理由が不明。具体的な説明を要求する」

「寂しかったり、心細くなったりはしないか、ということだ。恥ずかしながら自分と言えど、この年になってもなお一人でいるのは辛いものだからな」

「否定。当機は兵器、感情は無縁の存在」

「……そうか」


 そうは言われても、錬は未だに彼女のことを単なる兵器だと割り切ることが出来ていなかった。

 料理を褒めた時に、家具の魔改造で注意を受けた時に、それぞれ見せた喜怒哀楽。

 要所要所でスティフは、外見相応の振る舞いを見せている。

 ――ただ、感情への理解が不足しているだけではないのだろうか?

 頬に垂れてきた雫を拭い取りながら、錬は部屋の隅で相変わらず機械と格闘している彼女の様子を見る。

 今度は何を弄っているのか、錬には推測することすら理解不能だ。

 しかし、それが自分のために為されていることだけは知っている。


「……」


 そんな健気に働く少女の姿を一人残して遊びに出かけることに、今更ながら錬の心には気まずさがふつふつと湧いてきた。

 ――あれだけ健気に尽くしてくれる彼女に、自分は何を返せているだろう。

 そのような想いと共に、このまま明日に備えて眠ろうとしている自分に嫌気が差して。

 急に襲ってきた申し訳なさから逃げるように、錬はすっくと立ちあがった。


「睡眠?」

「いや、まだだ。余している課題を少しばかり進めようかと思ってな」


 なんとなしに弄っていたスマホの画面端に目を移せば、まだ時刻は九時を過ぎたばかり。

 エネルギーに溢れた若者が寝付くには今少し頭か体の運動が必要に違いなかった。


「と、芯が切れていたんだったか。買うのを忘れていたな」


 最後の講義でちょうどペンの芯を使い切ったことを、錬はたった今思い出した。


「スティフ、少々出かけてくる」

「了承。警戒を厳に、我が主」

「うむ。都会は夜も何かと物騒だと聞く。早めに戻るよう心掛ける」


 ついでにこの纏まり切らない己の感情を少しばかり冷やしてこようと、錬は鞄の中の財布を片手に家を出るのだった。



 ■■■



「……ありがとうございやしたー」


 覇気のない店員の声を背に、錬はコンビニの外へと出た。

 春の陽気が訪れたとはいえ、今日の夜は少しばかり冷え込んでいる。

 薄着で来たことを後悔しつつ、彼は両の上腕を軽く擦りながら足早に自宅へと向かっていた。

 がさりと揺れるビニール袋の中には、シャーペンの芯ともう一つ、三個入りのプリンが入っていた。


「これで多少は償いになれば良いのだが、どうだろうな」


 古今東西の女子に甘味好きという共通点が存在するのは有名な話だ。

 果たしてスティフに好物という概念が存在するのかは疑問だが、女性の形をとっているならば多少は効果がみられるに違いない。

 錬が一刻も早く手渡そうと考えていると――ジジジ……、と傍の街灯から音が聞こえた。

 なんとなしに見上げれば、そこに集う僅かな虫の羽音が聞こえてくる。

 夜の闇に響くその音に僅かに不快感を煽り立てられて、錬は無意識の内に更に足を速めた。

 一つ、また一つ。

 街灯の照らし出すぼんやりとした光の中を、謎の焦燥感に駆られながらアパートへと進んでいく。

 そのような中で突然、光の向こう側から一つの影が現れた。

 その影は夜闇に輪郭を溶かしたようにひっそりと佇んでいて、その不気味さに思わず錬は足を止めざるを得なかった。

 やがて彼をその長い前髪の下から見つめて――影は、ニタリと笑った。


「見ぃーつけたわよ……」


 ねっとりとした聞き覚えのある声に、彼はびくりと身体を強張らせる。


「……先輩か。奇遇と言えばいいのか。このような時間に、このようなところで遭遇するとは」

「偶然? いいえ、これは必然なの。貴方が私の下に来るのはね……」

 

 今の彼女は、確実に錬のことが見えている。

 錬は咄嗟に胸元へ手を伸ばすも、そこに何の感触もないことに愕然とする。

 そう、風呂に入る際に外して以降、錬は例のお守りを自宅の机の上に置きっぱなしにしていたのだった。


「貴方の住所の近くを探していれば見つかるかな、と思ったのだけれど……まさか初日から見つけられるなんて、これも運命だわ。しかも今は夜。誰に見られる心配もない……」

「なんて行動力だ」


 彼女が錬の住所をどのように調べたのかは定かではない。

 ――しかし、講義予定のことといい、まず間違いなく真っ当な方法で調べたわけではないだろうことは簡単に予想出来る。

 警戒心を高めながら、錬はそっとポケットの中に手を伸ばした。


「さあ、私と一緒に……私たちと一緒に来るの」


 がさり、と何かの擦れる音が聞こえる。

 錬が慌てて周囲を見渡すと、いつの間にか周囲を囲まれていた。

 背後の道路、標識の縁、建物の外壁の上、果ては電柱の先端まで――至る所に、先輩と同じ黒い服を来た人間たちが立っていた。

 年代は恐らく、錬と同じ程度。

 彼女の所属する【黙示録の集いノーツ・オブ・アポカリプス】の面子だろうと推定を点ける。

 一様に目が光を失ったように暗く澱んでおり、その手に何らかの冊子を持っている。

 ある者はルーズリーフを挟んだファイル、ある者は大学ノート。

 そして目の前の先輩は、古ぼけて黄ばんだ表紙が特徴的な本を手にしていた。

 現代では見ない、紐で綴ってあるタイプの式の本。


「それが黙示録(アポカリプス)か。見た目だけは随分とらしい(・・・)ものだ」

「……そう。獣を従え、世界を破壊する……私たちは、選ばれたの。穢れを払い……新たな夜明けを招く、救世主として……」

「なるほど、随分と仰々しい謳い文句だ。だが世界を破壊するとは、少々物騒ではないか?」


 その異様な雰囲気に、錬の眼が自然とそちらに引き寄せられるが――。


「っ!」


 がりっ、と咄嗟に舌を噛んで正気を保ち、視線を外す。

 ――長く直視していてはまずい。

 理解が及ばずとも己の本能が告げた警鐘に、率直に従う錬。

 口の端から鉄臭い匂いを垂らしながら、すっと目を細くする。


「うふふ……やっぱりあなたも分かる(・・・)のね。そうよ……これが、これこそが……この世界の終わりを記した本。そして、その先を見据えた真の魔導書。そこらにたたき売りされるような似非本とは違う……本当の魔法が、(まじな)いが……ここにはあるのよ……」

「本当の、呪いだと……?」


 いつでも逃げ出せるように、錬は足に力を籠める。

 しかし、彼の頭は冷静に自身の置かれた状況の危険性を告げていた。

 ――容易く街燈の上に登るような身体能力を持つ相手に、生身の自分が逃げ切れるものだろうか、と。


「ふふっ、ふふふ……っ! 逃げようとしたって無駄よ……さあ。一緒にこの本を、読みましょう。そうすれば……きっと貴方も、理解してくれるわ……。破滅した世界の終わりで、唯一の新人類として君臨することの偉大さを……ねっ!!」


 今更ながら、錬は彼女に対する警戒心がすっぽりと抜け落ちていたことを後悔する。

 ――だが、そのような後悔は後回しだ!


「お断りだ、先輩。自ら正気を失うなど、狂気の沙汰に他ならないッ!」


 ばっ、と錬は身を翻して走り出す。

 向かう先に立つのは、フードで顔の上半分を隠した一人の女性。

 錬の逃亡を阻止しようと、彼女は慌てて胸元から一つのナイフを取り出す。

 それを慌てて振るおうとする彼女に対し――。


「遅いっ!」


 そこに、錬は敢えて真っ先に手を伸ばした。

 支点となる手首を掴んで捻じり、関節が歪む激痛に相手が自ら握力を緩ませたところでナイフを奪い取る。

 そのまま彼女をすり抜けるようにして躱し、彼は包囲網の外へと逃げていった。


「あら、手際が良いわね。血気盛んな男の子……ふふふ、逃げられると思って?」


 そんな彼の様子を余裕をもって感心しながら、先輩と呼ばれた彼女は周囲の人間に指示を出した。

 静かに舌なめずりをしながら、彼女は既に見えなくなったはずの錬の背中を視線で追い続ける。


「追いましょう。ああ、あの娘(・・・)も忘れず連れてくるようにね――」


 彼女が自身の本に挟んでいた栞を一枚引き抜いて、何らかの呪文を唱える。

 すると、その表面から何らかの植物が芽吹き出した。

 瞬く間に成長したその蔦の上に腰掛け、彼女は指示を与えるように右腕を前へと突き出した。


「行きなさい、【草蛇(ハス・ナガ)】」

XuIiiii(キュイィィィィ)――!!」


 細い鳴き声を上げて、植物で出来た蛇が滑るように走り出す。

 周囲では、同じようにして呼び出された摩訶不思議な身体を持つ獣たちが、同様にその術者を乗せて駆けだした。

 数は少なかろうと、その姿はまさに現代の百鬼夜行。

 炎、水、風――様々な身体を持った魔の獣たちが、己の主の求める得物目掛けて夜空を駆けて出した。


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