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波打ち際

作者: 晴嵐

気がついたら海の話ばかり。


 寒さで海が煙っていた。

 日が昇る少し前、御崎は波立つ海を前に立っていた。九月の朝は冷え込み、それなりに厚着したつもりの御崎も肩をすくめた。

 スニーカーを履いた足で砂浜を歩く。砂浜の、海とは逆の方は崖になっている。海が荒れた日にはこの崖を波が削るのだろうと、御崎は想像した。

 本当はこのまま海に突き進んでも良かったが、人目を気にして崖に隠れるように歩き続ける。この時間であれば日も当たらない。

 少し歩いたところで、御崎は波打ち際に白いものを見た。最初は打ち上げられたゴミかと思っていたが、その白いものの下に肌色が見えて御崎は走り出した。人だと思ったのだ。

 その人らしいものまであと数メートルというところで、御崎は走るのをやめた。妙だと思った。

 体を覆うような白いものは髪の毛らしかった。その下は裸のようで濡れた肌色が見える。腰から下が波に見え隠れしていたが、それを視認した御崎は完全に足を止めた。

 人じゃない。

 人のようなものの腰から下は、鱗のように光るもので覆われていた。得体の知れないものを見た御崎は、寒さとは別の鳥肌が立った。未知への恐怖から足が進まない。だが理性がその目に見えるものを疑ってかかり、命を落としかけている人間かも知れないとうるさく騒ぐ。

 御崎はそれへゆっくりと近づき、手頃なところにあった流木で軽く突いた。反応はない。人間じゃないとしても死体かも知れない。

「おい、生きてるのか」

 今度は声をかけてみるが、それでも反応はない。次に頭を流木で強めに叩いた。

 動いた。

 御崎は後ずさりして砂に足を取られ、尻もちをついた。人の姿に似たそれは頭を上げた。頬に砂がついているが、それでも人間だとしたら西洋の雰囲気のある美形だった。髪と同じ白い睫毛に縁取られた瞳は虚ろだ。その目が御崎を捉える。

 息を殺し、御崎はその目を見つめ返した。美しい生き物は暗い色の瞳から雫を落とした。

 その生き物が泣き出したことに、御崎は目を剥いて驚いた。ウミガメの産卵のときの涙のように、その涙はただの生理現象かも知れない。それでも、人の形に酷似したその生き物が泣き出したことに御崎は酷く動揺した。

「どうしたんだ……?」

 通じるか分からないけれど、御崎は声をかけてみた。もしかしたら叩いたのが悪かったのか。

 今度は相手が目を丸くした。

「俺の言ってること分かるか?」

 言葉が通じたのか、確認するために御崎は質問をぶつける。相手はポロポロと涙を流しながら頷いた。

「人魚……なのか?」

 頷く人魚。

「なんで泣いてるんだ?」

 その問いに人魚は顔を突っ伏して激しく泣き出した。

 動揺した御崎は慰めようとして近づいた。でも不用意に触れることもできない。オロオロして伸ばしかけた手に、人魚が縋り付くように掴まってきた。

「お願いです、わたしを殺してください」

 人魚の口から放たれた言葉に、御崎は絶句した。

 曰く、人魚は死のうとして海から這い出てきたという。干からびて死ぬつもりだったのが、思いの外時間がかかって死ねない。ただ苦しい時間が続いて、死ぬのも嫌になりそうだという。

「でも海に帰りたくない。海に居場所なんて無いんです。苦しい。辛い。たすけて……」

 人魚にしがみつかれて、御崎は硬直するしかなかった。

 確かに、御崎は最初この人魚を助けるつもりだった。人魚と認識するまでは。

 人魚の細い首を見た。この首を締めれば死へと誘えるのだろうか。いやそれよりも、御崎は人魚に言わなければならないことがあった。

「俺も、死ぬつもりでここに来た」

「え」

「この海で。海に沈んで溺死するつもりだった」

 人魚は絶望したような顔をした。御崎は冷たい人魚の手を取る。

「もしここに来るのが俺のほうが早かったとして、お前は海に沈んだ俺を見てどうする?」

「それは……助けてしまうと思う……。死んでいても陸へ運ぶと思う」

「そうか、ありがとう」

 それを聞いた御崎は人魚を担ぎ上げた。そのまま大股で海へと向かう。

「やだ! やめて、降ろして!」

 艷やかな鱗の生え揃った尾が暴れる。抑えようとして触れると滑った。瑞々しいヒレが日の光を受けて光る。いつの間にか日が出ていた。

 海の水は刺すように冷たかった。水面が腰のあたりまで来たところで、御崎は人魚もろとも海に倒れ込んだ。

 水の中で人魚は驚いた顔をしていた。白かった髪が水を得て空色に染まっていた。髪に手を伸ばせば、人魚は御崎の頬に手を伸ばした。ぐいと押されて顔が海面から出る。

「人間はこのくらい冷たいと死んじゃうよ、早く出ないと」

 人魚はせっせと泳いで御崎を砂浜の方へ押しやろうとする。そんな人魚を御崎はまた抱き上げた。

 光の当たるところで、人魚の瞳は海の色をしていた。波が太陽光を弾くが如く、煌めくその瞳に御崎は魅入った。

「お前、人間になる方法はないのか」

「えっ」

「海にいられないのなら陸で生きればいい。俺も、お前のそばでなら息ができそうな気がする」

 驚く人魚に御崎は笑いかけた。

「俺を助けてくれるんだろう?」

お読みくださりありがとうございます。

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