89 金貨の価値
「いいか、リア。クレープに間違っても金貨なんか出すなよ」
フィデルの忠告に、クレープを食べ終えたシェリアはびくりと身を震わせた。
(ばれてる……!)
確かにさっき630ルティと言われて金貨を出そうとはしたが、その前に財布を取り上げられたのでばれてないと思っていた。けれど、すっかりお見通しだったらしい。
「なっ、なんで?」
「金貨なんて平民の、しかも子供が持ち歩いてるものじゃないからな。630ルティのクレープに金貨を出しても、クレープ屋は釣りを払えないだろうし」
店が釣りを払えない額とは。そう思ったが、怖くて聞けなかった。つい数秒前までは「何かしたかな」くらいにしか思っていなかったシェリアだが、今は「もしかしなくても、不味いことをしかけてた気がする」程度には嫌な予感を感じている。そっと視線をそらすシェリア。それを見てフィデルはにやりと笑うと、シェリアの耳に口を近づける。
「金貨一枚は、百万ルティだ」
「ひ、ひゃくまっ……!?」
百万。クレープが二つで630ルティだったことから考えて、1ルティはおそらく1円程度。前世で百万円といえば……いえば……ぱっとは思い付かないが、手にしたことのないような金額だということだけはわかる。しかもその金貨がフィデルの財布には数枚入っていたのだ。
「なんでそんなのがフィーのお財布に……!」
ちなみにシェリアの分の小遣いはジェラードがフィデルに預けたと聞いたが、城下町で買い物するだけだ。二人分合わせても、そんな常識はずれな額にはならないだろう。
「なんでって必要だと思ったから持ってきただけだが」
フィデルは涼しい顔でつげた。絶対必要ない。喉元まで出かかったその言葉を、シェリアはなんとか飲み込む。シェリアに常識がないのは今証明されたばかりだ。絶対にそんなことはないと思うが、もしかすると、万が一つくらいには、これからそんな大金を使うようなイベントが待っているのかもしれない。絶対にないと思うが。
「とにかく、簡単に金貨を出すのは金持ちです、狙ってくださいって言ってるようなものだからな」
「はーい」
この辺りは城下なので、まだ治安はいい方だ。とはいえ、監視カメラなどのあった前世には遠く及ばず。昼間でも女性の一人歩きはいい顔をされないほどらしいので、貴族だとばれることはもちろん、フィデルと離れることなんかも避けなければならない。
「じゃあそろそろいくか」
「うん」
シェリアは「貴族だとばれない」に「迷子にならない」という決意を追加して、クレープ屋のベンチから立ち上がった。
クレープ屋からしばらく歩くと、だんだん店の趣が変わってくる。既製のものが多かった服屋が、オーダーメイドに。ショーケースの中身は、すれ違う人々が着ているようなワンピースやブラウスから貴族が着るようなドレスへ。
「ここからがイリス通り?」
「ああ、リアは何か気になる店とかあるか?」
イリス通り、というのは城下町のなかでも富裕層向けの店が並ぶ通りの名前だ。といってもあまり他の貴族と交流のないシェリアは、本当に風の噂で名前を聞いたことくらいしかないのだが。
「んー、私のお父様からはいくら預かってるの?」
「たしか……五万ルティだな」
十四歳の子供が遊びにいく小遣いが五万。それってちょっとどころではなく高いのでは?という気がしなくもないが、シェリアが貧乏性過ぎるだけで、貴族の間では普通なのかもしれない。
それに今日のメインは、自分の買い物ではなくフィデルへのプレゼントだ。自分のものに高額なお金を使うのは気が引けるが、日頃お世話になっているフィデルのためならと思ってしまう。
というか、ルティルミス家からもらっているのが五万ルティなら、先程の金貨のほとんどはフィデルの───レヴィン家のものということになるのだが───。そこに突っ込んではいけない気がした。
「フィーは何がほし……」
言いかけたシェリアは前を見ていなくて、ドンッと派手に誰かにぶつかって尻餅をついてしまった。
「ごめんなさい、お怪我は……あら、シェリア?」
シェリアは差しのべられた白い手を取ろうとして、その声が聞き覚えのあるものだということに気づいた。そっと視線をあげると、柔らかな金髪を二つに結った少女が碧の瞳を心配そうに細めている。
「テ、ティーナ様?」
まさか彼女がこんなところにいるとは思わなくて、シェリアは裏返った声で名前を呼んだのだった。




