88 クレープのちから。
プチスランプでしばらくお休みしてしまいました。なんとか脱することができたので、これからまたペースを戻していきたいなと思います!
小鳥に留守番を任せ、シェリアたちが訪れたのはまっすぐに続く石畳の大通り。その最奥に見えるのは、ウィルヘルムやリーエットたち王族の住むクルティナ城だ。この間訪れたときはあれだけ大きく見えたものが距離のせいか、小さく見えるのにシェリアは不思議な感覚を覚えつつ、瞳を輝かせて周囲を見回した。
声を張り上げて客を呼び込む屋台に、ドレスのようなきらびやかなものではないが、おしゃれな服が飾られたショーウィンドウ。あの剣と盾が交差した絵の看板は武器屋だろうか。そんな生活感のある店があったかと思えば、何かの工房のようなものまである。
前世と全く異なるような、けれどどこか似ているような町並みはいくら見ていても飽きなくて、シェリアはキョロキョロと視線を動かす。目的地である通りの奥の方、貴族向けの店の並ぶエリアからはまだ遠い。そのせいかドレスや宝石などの平民なら普段使わないものの店ではなく、食品や飲食店が多く見られた。中でもひとつの屋台にシェリアは目を止める。
「フィー、あれって……」
「ああ、クレープ屋か。リアは見たことなかったか?」
「やっぱり!」
フィデルの返事を聞いて、シェリアはぱっと笑顔を咲かせた。どうりでさっきから甘い香りがすると思っていたのだ。実はクレープはシェリアが好きなお菓子の中でもトップ3に入るほどなのだが、この世界に転生してからは見かけることがなかった。だから少し、いやかなり残念だったのだが、まさかこんなところで出会うなんて。
「フィー、私、あれが食べたい」
「俺はいいが、平民の間で生まれた菓子だから、リアの口に合うかはわからないぞ」
何もフィデルは平民を蔑んでそんなことを言っている訳じゃない。それはフィデルの性格からもわかることだし、今通ってきた通りの屋台を見ていてシェリアも気がついたことだった。
食材の質だけではなく、貴族の食べている料理と平民の食べている料理はジャンルが違うのだ。
シェリアやフィデルが普段食べているのは格式張ったフレンチのようなものが多いが、この辺りの店が出しているのはいわばB級グルメ。少し行儀は悪いが、食べ歩きできるような片手で持てるものや、ひとつひとつの味が濃いものが多い。
シェリアとしては、曖昧とはいえ前世の記憶がある分比較的受け入れやすいのだが、確かに普通の貴族からすればはしたないだろうし、口に合うかはわからない。
しかし、シェリアはきらきらと瞳を輝かせてフィデルに迫った。
「それでも食べたいの!ううん、食べなきゃダメなの!」
まるでそれが自分に与えられた使命か何かかというほど熱く語るシェリアを止めるものは誰もいない。というか、いたとしてもシェリアが止めさせない。なんといっても十数年ぶりのクレープなのだ。誰かに───たとえそれが幼馴染み兼婚約者のフィデルであっても、止められるわけにはいかない。
「わ、わかったから。落ち着け」
その暴走気味の熱意はフィデルにもしっかり伝わり───少しフィデルを引かせるほどだった。
「お次の方、ご注文をどうぞ」
「い、いちごホイップとチョコレートホイップひとつずつ」
ワゴンの上からにっこりと笑顔で注文を聞いてくれる店員に、シェリアは緊張した声音でそう告げた。前世では屋台の店員とも会話できないほどのコミュ障ではなかったはずだが、『シェリア』になってからは人生で初めての注文といっても過言ではない。せっかくのクレープなのだから自分で選びたいと思って、「フィーは待ってて」と言って財布を預かってきたが、任せておけばよかったかなとシェリアは少し後悔した。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
シェリアがこくりと頷くと、店員は笑顔のまま金額を告げる。問題はそこだった。
「630ルティになります」
硬貨を支払おうと財布を開けて、シェリアは固まった。財布の中身が足りない訳じゃない。クレープの金額が思ったより高かったとか、そういうことでもない。いや、そういうこともわからないといった方が正しいかもしれない。一人で買ってくると言ったシェリアをフィデルが不安そうに見ていた理由はこれだったのだ。硬貨の価値がわからない。
フィデルから預かった財布のなかには、金貨が数枚、そして銀貨と銅貨と小銅貨が数十枚ずつ入っていた。それはわかるし、恐らく金貨、銀貨、銅貨、小銅貨の順に金額が高いのだろうなということもわかる。けれど、買い物をしたことのないシェリアにはどれを何枚出せばいいのかさっぱりわからなかった。
店員は困り果てて固まってしまったシェリアを不思議そうに見ているが、彼女に「必要な分だけとってください」と財布を差し出す訳にもいかない。かといって払ってみて少なすぎたら恥ずかしいし───適当に一番金額の高そうなのでも出してみようかとシェリアが金貨を掴みかけたとき、するりとシェリアの手から財布が奪われた。
「あ」
「630ルティだったな」
フィデルは財布から小銅貨を三枚と銅貨を六枚抜き取ると、店員に渡す。そして店員からクレープを受けとると、ひとつをシェリアに渡した。
「ほら、食べたかったんだろ?」
「う、うん。ありがと、フィー」
フィデルは元からシェリアが一人で買えるとは思っていなかったのか、呆れた様子もなく肩をすくめただけだった。が、確かにシェリアが買い物に慣れていないのもあったと思う。しかし、それはフィデルも───というか自分で現金を使って支払うことの少ない貴族なら、当然のことのはずだ。それにしては、フィデルは買い物慣れしすぎている気がしなくもない。
ちらりと視線を向けるシェリアに気づいているのかいないのか、当のフィデルは素知らぬ顔でクレープを頬張っていた。
「リア、食べないのか?」
「あ、うん。食べる!」
なんだかごまかされている気がするが、一口クレープをかじると、シェリアはそんなことも忘れてしまった。
ホイップクリームの甘さといちごの甘酸っぱさが、ケーキとはまた違った美味しさのもちもちの生地と絡んで絶品で、懐かしい味にシェリアは瞳を潤ませる。
「おいしい……」
「ほんとか?」
「へ?」
シェリアが思わずこぼした言葉に対するフィデルの返事の意味がわからなくて、シェリアはきょとんと瞬いた。今さっきまで自分だって美味しそうにチョコレートホイップのクレープを食べていたくせに、本当かとはなんだ。普段のフィデルなら、「よかったな」とか、そんな言葉を呆れぎみにかけるだろうに。そんなことを思ってシェリアが固まっていると、フィデルはにやりと笑って、クレープにかじりついた。
「隙あり」
「え?……あ!」
シェリアのクレープに。
「わ、私のいちごホイップ!」
「よそ見してるリアが悪い」
シェリアの抗議にも、フィデルは悪びれることもなくそう告げる。そんなフィデルの意地悪に、シェリアは涙目で頬を膨らませるが、もう半分やけになってフィデルのクレープにかじりついた。それがものすごく恋人らしい行為だということにも、フィデルの策略に見事にはまっているということにも気がつかないまま。
「やっぱり、おいしい」
ただなんとなく負けた気分で、シェリアはもう一度そう呟いた。
最初にこのイベントを思い付いてクレープを、クレープを書きたい!と思いつつどう登場させていいのかわからず、第一次クレープスランプを起こしておりました、れもん。です。
なんとかクレープイベントを書ききることができ、安心しているのですがこれからもリアとフィーには振り回されそうな予感がしてます……笑
これからもこの二人を暖かく見守っていただけると嬉しいです。




