82 留学生
シェリアはじっ、と手帳とにらみあった。季節ごとの花が描かれた小さな手帳には、自分の丸い文字で書かれた予定が踊っている。宿題の提出日に誕生日などの記念日、あとはパーティーの日付などだろうか。一度社交界に姿を見せた以上、そろそろ正式にデビューしなければいけない。けれど、今の目的は予定のない日を探すことなので、それは置いておくとして。
トントン、と予定のある日をペンの先で叩いていくと、手が止まったのは明日の日付のところだった。
「明日はさすがにいきなりすぎてフィーも……」
「俺がなんて?」
「ひゃっ!?」
突然現れたフィデルに驚いて、シェリアはペンと手帳を落としてしまった。それを拾ったフィデルは、納得したように頷く。
「リアとデートするって言ってた日か」
「デ、デート!?」
フィデルがいたずらっぽく口角をあげながら放った言葉に、シェリアはぼふっという効果音がつきそうなほど赤くなった。
シェリアが決めようとしていたのは、いろいろあって流れてしまっていたフィデルの誕生日プレゼント、「シェリアの時間」をあげる日だ。何をするのかは知らないが、婚約者であるフィデルと一日過ごすということは、デートなのかもしれない。それに気づくと、シェリアは涙目になる。
「ごめん、リア。からかいすぎたか?」
焦るフィデルにシェリアはふるふると首を横に振った。
「私、フィーと一回もデートしたことないの」
「だから、次出かけるときはそれでいいんじゃないのか?」
シェリアの意図が掴めず、フィデルは戸惑った表情を見せる。けれど、シェリアとしてはそういうことじゃないのだ。
「でも、恋人同士が一緒に出かけるのは普通でしょ?じゃあフィーの誕生日プレゼントにならない……」
「ああ、そんなことか」
そんなことではない。シェリアにとっては超重要事項だ。すでに大分遅れてしまってはいるが、誕生日プレゼントを変えるなら何か別で用意しなければいけない。おろおろと慌てるシェリアの頭を、フィデルはぽんぽんと撫でた。
「なら、明日は街に出掛けよう」
「街?」
「外に出て、美味しいものを食べて、そこで誕生日プレゼントになりそうなものがあれば買えばいいだろ?」
確かにそれは名案だ。最初に約束していた「シェリアの時間」もあげられるし、いいものが見つかればちゃんとした誕生日プレゼントも買える。気がつくとシェリアの涙は引っ込んで、頷いていた。それを見たフィデルは嬉しそうに笑う。
「そろそろ学院に行こう。あんまり遅いと遅刻するぞ」
時計を見ると、短針はすでに八を過ぎたところだった。学院の授業が始まるのは九時。急がないと遅れる。
「フィー、もっと早く言って!」
シェリアは少し頬を膨らませながら、慌てて馬車に乗り込んだ。
王立学院にホームルームというものはない。九時の十分前にはほぼ全員が揃って、友人と談笑したり、次の授業の準備をしたりしていて、九時になれば自然と全員が席についている。そして五十分の授業と十分の休憩を繰り返して一日が進み、昼食の休み時間を挟んで五、六時限目を終えれば、自然とみんな帰り出す。普段はそんな不思議なシステムで授業は始まるのだが、今日は少し違った。
「レスター先生?一時間目は歴史の授業じゃないはずだけど……」
「一応担任だからな。何か用事があったんじゃないのか?」
レスター・バイロンは王立学院の歴史の教師であると共に、一応シェリアたちAクラスの担任だ。一応というのは何も、レスターが担任としての仕事をしていないからというわけではない。むしろ学院ではそれが普通で、ホームルームもないのだから担任は名目上だけということがほとんどで、『担任の仕事』なんてものは存在しないに等しかった。
なので普段は歴史の授業以外で姿を見ることはなく、朝から教室にいるのは珍しいなと思ったときだった。短髪の黒髪に、美しいだけでなく野性味も感じさせる金眼をもつレスターが気だるげに手を叩く。パンパン、と軽い音が響いて教室中の生徒が不思議そうにレスターに注目した。
「あー、朝からなんでこいつがと思うやつもいるだろうが、今日は留学生を紹介しに来た」
え!?と誰が叫んで、静まっていた生徒たちがにわかに騒ぎ出す。それもそのはず。留学生なんてただでさえ珍しいのに、学院が始まって数ヵ月経ったこの時期にとなればなおさらだ。興味がない人なんていないだろう。シェリアも留学生、とレスターの言葉を復唱して小さく呟いた。
「入ってくれ」という言葉と共に開いた扉に全員が視線を向ける。女子生徒なのか男子生徒なのか。出身は、身分は、性格は。なんの予備情報もない人物に、どの顔にも好奇心が覗いている。生徒たちの注目を受けながら入ってきたのは、少し癖のある金髪をリボンで二つに結んだ、碧眼の美少女だった。緊張した風な表情を見せながらも、迷いのない足取りでレスターの横に立った彼女に、教室中の誰もが視線を奪われる。男子生徒はもちろん、同性のシェリアたちでさえも。
金髪碧眼というのは、王族にも何人か見られるし一般的に美しいと評されることが多いが、珍しいものでもない。けれど、まだ名前も知らない彼女の容姿は、群を抜いて美しかった。年相応のかわいさでもなく、光そのものと言えばいいのか。どこかの姫か、それとも天使かと誰もが疑ってしまうほど、ただただ神聖な美しさ。少女はそんな容姿で、恥ずかしそうに頬を染めながら微笑む。
「アーリヤ公国から来た、ヴァレンティーナ・フォーサイスと申します。どうぞよろしくお願いします」
その笑顔に心を奪われなかったのはそれこそフィデルくらいなのだが、同性でもぽうっと浮かれた気分になってしまったシェリアは、気づかない。
「この通り、フォーサイス侯爵令嬢はアーリヤ公国からクルティナに来たばかりだ。彼女にとっても私たちにとっても有意義な期間になるように、仲良くしてやってくれ」
ペコリとヴァレンティーナがお辞儀をすると、どこからか拍手が起き、次第に広まって気がつけばシェリアも拍手していた。ただの留学生に大袈裟だ、とは誰も言わない。ヴァレンティーナにはそれが当然とさえ思わせてしまう空気がある。その空気に飲まれてしまったシェリアは違和感すら感じなかった。ヴァレンティーナの笑顔が一秒たりとも逸れることなく、シェリアに向いていたことに。そしてフィデルが、ヴァレンティーナに険しい視線を送っていたことに。
しばらく投稿をお休みしてしまったので、今日はあと一、二話投稿したいなと思います。お楽しみに。




