はじまりの言葉
更新遅くなってしまい、申し訳ないです!
「本当によかったの、クリュー?聖女様をちゃんと保護しとかないと、女神様に怒られるよ?」
クリューは木の枝に腰を掛けてぼんやりと月を眺める。隣に座るエリアルに言われて、自分達の主のような存在である少女を思い浮かべた。確かにこの事を知れば彼女は怒るだろう。ぷう、と頬を膨らませてすねる気もする。傍目から見れば可愛らしいそのしぐさも、彼女がすれば大雨が降り、地が荒れるから冗談でも笑えない。笑えないが。
「だからって、僕らが彼女を縛るのは違うよ、エリアル」
「違う?」
エリアルが理解できないといいたげに首を傾げる。クリューだってほんの数時間前に言われたら同じ反応をしていただろう。だけど。
だけど、気づいてしまった。シェリアと目があった瞬間に、その瞳に込められていた強い意思に。クリューはずっと『聖女様』という肩書きを彼女に押し付け続けていたはずだったのに。これからもそうなる、はずだったのに。
聖女様だから、危険だから。それだけの理由でシェリアの人生を左右しようとしているのは、危険だから命を奪おうとする人間も、保護なんて優しい言葉にくるんで、幸せから切り離そうとする聖獣も変わらない。そんなことはとっくの昔に知っていた。知っていて仕方ないと、それでいいと思っていたはずなのに、シェリアの短い言葉に込められた強い思いを聞くと揺らいでしまった。
『私は、聖女様じゃなくて、シェリアとして生きたいの!』
今までの聖女様は、なんとか逃げ出そうとする者もいれば、諦めて涙にくれる者もいた。けれど、こんな風にクリューたち聖獣とまっすぐ向き合おうとしたのは、シェリアが初めてだったのだ。だから、とても驚いて───この少女には敵わないと悟った。
非力で武器のひとつも持たないような少女なのだから、武力で制することは簡単だ。言葉だけで従えることすらできる。方法はいくらでもあった。だけど、それではダメだと知ってしまって。
「僕らが縛るだけじゃ、きっとシェリアの幸せを阻むだけで、なんの意味もない」
「ふーん。珍しいね、クリューがそんなに聖女様に入れ込むの。よくわかんないけど、そっちはクリューに任せるとして……シナリオ的にはシェリアとあいつを引き離すべきだったんだけどな」
そう呟いて、エリアルは隣で辞書かと思うくらい分厚い本を広げる。聖獣にはそれぞれ役割があり、クリューの使命が聖女の保護なら、エリアルの使命は女神様の作ったシナリオ通りにすべてを進めることだ。クリューはそれが自分達の『生まれた意味』だと信じて行動しているが、エリアルはどこまで本気なのかわからない。シナリオ通りに進めようと労力を割いたかと思えば、突然手を出すのをやめて見守っていたりする。機嫌が行動に直結しやすい聖獣のなかでも指折りの気分屋で、行動理由はクリューにさえも理解できない。
「ま、いっか。シナリオ通りにいかなくても、おもしろい展開になるなら女神様は喜んでくれるでしょ」
できないが、ひとまずシェリアたちを諦めてくれるようなので、クリューは密かに安堵の息を吐いた。
そんなクリューの反応を知ってか知らずかエリアルは本を閉じようとする。けれど、いつまで経ってもパタンという音は聞こえない。どうしたのかと月から視線を外して横を見ると、いつも飄々としているエリアルの焦げ茶色の瞳が大きく見開かれていた。
「エリアル、どうかした?変なシナリオでもあったの?」
「変な、っていうか……女神様が、久しぶりに地上の様子を見たいって」
「え!?」
クリューは慌ててエリアルの手元の本を覗き込む。そこに記された文字は、持ち主であるエリアルにしか見えないとわかっていても条件反射でしてしまった、意味のない行動のはずだったのだが。そこには確かに、真っ白なページにクリューにも見える短い文章が浮かんでいた。
『近々、そちらの様子を見に行ってみようと思います』
少し癖のある金髪を、白いリボンで二つにゆるく束ねる。鏡でおかしなところがないか、確認し───服のシワを直して、軽く戸籍を作れば準備は完了だ。適当に、クルティナの隣国の令嬢なら、無茶ではあっても無理はないだろう。
「よし、これで完璧」
本当に久しぶりの地上に笑みがこぼれる。最後に降りたのは戦の終結した直後だったから、もう何百年ぶりだろう。その間に貴族やら王立学院やらといった新しいシステムが構築され、馴染みきってしまったのだから驚きだ。
「さて、行きますか」
彼女が鞄を持って一歩踏み出すと、私物が散乱し、壁のない部屋のようだった空間に下へ続く階段ができる。その階段は終わりが見えないほど長く───彼女は出来上がった階段を見ると、数段降りて満足げに微笑んだ。
「やっぱり、こんなの降りてられない!」
とう、という掛け声と共に、無謀にも手すりも何もない階段から飛び降りる。その瞬間に白いレースのたっぷりついた日傘を開くが、もちろんそんなもので勢いが殺せるはずもなく、彼女の体は重力に従ってものすごい勢いで下へ墜落───しかけたが、とっさに起こした風でなんとか衝撃をやわらげて着陸した。
「危なかったー。一応見られたらまずいから、無茶はしないようにしないと」
少女は誰にともなく呟いて、ぺろりと舌を出す。そして大仕事をしたという風に額の汗をぬぐい、少し歩くと、森を抜けて何かが見えてくる。彼女がきらきらと瞳を輝かせたその視線の先にあったのは、クルティナ王国への入り口、つまり大きな門とそこにある検問所だった。




