81 純白の花
そのあとはフィデルがアマディスを呼び、一緒に話していたジェラードがシェリアを連れて帰ることになった。フィデルもとても茶会を楽しめる気分ではなかったので、一度帰ってからシェリアの見舞いに行ったのだが、シェリアの状況は散々だった。
目覚めるなり涙をこぼし、詳しい話を聞こうにも俯いて首を振るばかり。父であるジェラードでさえ、こんな様子は見たことがないという。そんな怯えきった様子のシェリアに変化があったのは、ジェラードとアマディスが「一度子供同士にさせてみよう」と退室したときのことだった。
「フィー」
一言も話そうとしなかった彼女が、震えた声で名前を呼んだ。そのことに驚いて、フィデルは思わず前のめりになる。シェリアの言葉を一言一句、聞き逃さないように。
「あのね、フィーは……」
「どうしたんだ?」
躊躇ったように途切れた言葉の続きを、フィデルは促す。すると深緑の瞳が少し揺れる。けれどまだ続きを紡ぐには至らない。
「友達、なんだろ。悲しいときも一緒にいるんだろ?」
『お友だちになろう?』数ヵ月前、フィデルにそう告げたときのシェリアはこんなに沈んだ声音じゃなかった。だから、彼女の表情に陰を落とす、その理由を知りたくて。シェリアの瞳が、ゆっくりと見開かれる。怯え一色だった表情に少しの驚きと安堵が混ざって、シェリアはぽろぽろと泣き出してしまった。
「リア!?何も泣かなくても……」
シェリアがかなり重度の泣き虫らしい、と知ったのはこのときだった。あの頃はまさか、自分の言葉ひとつで泣かれるなんて思ってもみなくて、とても慌てたのを覚えている。初対面のときのようになにか不味いことを言ってしまったのか。それとも、よほど辛いことがあったのか。実際の原因が後者だったと知るのは、もう少しあとだ。
「おかーさまがいないのは、いけないことだって」
ぽつりとシェリアが呟いた。
母親がいないといえば、シェリアもそうだ。フィデルはシェリアの自身さえ否定するような言葉に、何も言えずに固まった。衝撃が大きくて「そんなことを言うな」なんて簡単な言葉すらも出てこなかった。シェリアは俯いたまま続ける。
「だけどそんなふうに思えなくて、でも気がついたらまほうでぬれてて」
「うん」
「それでも私、言い返したの。おかーさまを馬鹿にされるのだけは許せなくて。そしたら、どんどんぬれて」
気がついたらあの状況になっていたのだという。周囲には誰もいなくなり、お茶会に戻ろうにも全身びしょ濡れ。しかし乾かす手段もなく、フィデルが見つけるまでずっと一人で泣いていたらしい。心ない言葉に傷つけられ、その言葉を否定すればするほど傷は増えていく。どれだけ苦しかっただろうか、と思う。けれど、彼女はそれでも大切な人を守り続けたのだ。
その気持ちを思うと、フィデルの胸まで苦しくて。
「え……?」
シェリアの戸惑った声がすぐ近くで聞こえる。気づくとフィデルは、シェリアを抱き締めていた。恋愛感情なんかじゃなかった。恐らく友情の延長で、ただただ愛しくて、彼女を傷つけたすべてが許せなかった、それだけ。
「辛いときはこうするといいって、母上が言ってた」
「……うん」
フィデルの顔を見るのが恥ずかしいのか、シェリアは抱き締められたまま俯く。その姿を初めて見たとき、救われたときは、白い花のようだと思った。そしてそれは、いい意味でも悪い意味でも間違っていなかった。
美しい白い花。きっと、誰もを魅了してしまうような。けれどその美しさはきちんと手入れしなければ守れない。黒い絵の具の混ざった水を与えれば、あっという間に黒く変色してしまい、毒の入った水ならば、すぐに枯れてしまう。
シェリアはきっとまだ知らないが、フィデルはすでに貴族社会の毒を少しは───少なくともシェリアよりはよく知っている。大人達の下心も、子供の純粋な蔑みも。きっとこの無垢な少女は、放っておけばすぐに毒に侵され、蝕まれてしまうだろう。もしかしたら、壊れてしまうかもしれない。それを想像した瞬間、背中に嫌な悪寒が走った。次いで、『守りたい』と強く感じる。誰にも壊させたくないし、傷つけさせたくない。それが庇護欲で、恋心だと知ったのはいつだったか。
「フィー」
「うん?」
「ありがとう」
とてもとても小さな声で、けれどフィデルの耳にはっきり届いたその言葉は、フィデルにとって宝物だった。




