79 それだけの幸せ
更新遅くなってすみません!
玉座の間から出ると、シェリアは大きく伸びをした。そしてふわぁ、とあくびを噛み殺す。今の今まで自分自身の人生を左右するような状況にいたとは思えない緩さだが、だからこその解放感とも言えた。
「リア、ちゃんと前を見て歩けよ。馬車に戻ったら寝ていいから」
フィデルは苦笑しつつ返却してもらった杖をシェリアの足に向けて治癒魔法をかける。歩く度に感じていた鈍い痛みがなくなったと思った瞬間、杖をしまったフィデルの手はシェリアの左手に繋がれていた。前を見て、とは言っているが何かのときは自分が手を引くつもりなのだろう。小さな子供ではないのだから自分の目で前を見て歩くくらいはできるとも思うが、信用されていないと嘆くよりも過保護だと呆れるよりも安心感が勝る。
「うん。ありがとう」
今世では根っからの令嬢でもうなれたものとはいえ、ドレスの裾は長くて転びやすい。シェリアの場合はとくに。そんなシェリアがドレスに足をとられて転びそうになれば何事もなかったかのように優雅に手を差し出し、階段で足元がおろそかになればそっと抱き上げる。フィデルの違和感も感じさせない動作の数々は旗から見れば保護者のそれではなく立派なエスコートだったのだが、疲れきっていたシェリアはお礼を言うのがやっとでドキドキすることも、それに気づくこともできなかった。
それどころか、フィデルの穏やかな歩調に揺られていると眠ってしまいそうになる。だが、誰も見ていないとはいえそれでは令嬢失格だろう。抱き上げられているこの状態もセーフだとは思えないが、婚約者ということでなんとか───誰か見る者がいれば、好意的に解釈してほしい。
「フィー、そろそろ降ろして」
「今半分寝てただろ。そんな状態で歩いて大丈夫か?」
「大丈夫」
そうは答えたものの、シェリアの足取りはおぼつかない。フィデルに手を引かれてなんとか馬車に乗ると、シェリアはふわふわの座席に深く沈みこんだ。
「おやすみ、リア。ついたら起こしてやるから」
フィデルの手が優しくシェリアの頭を撫でる。すると、体からさらに力が抜けていって、こてんとフィデルの肩に頭を預けた。
好きな人の体温をすぐ近くに感じることで、ドキドキもする。だけど彼は大好きな人である以前に幼馴染みで、包み込むような優しさが心地よい。
「おやすみ」
ガタンと馬車の扉が閉じられた瞬間にシェリアの意識も暗転する。出発のために少しずつ動き出すのを感じながら、シェリアは眠りについた。ただ、大切な人の隣にいられる。まだシェリアが「悪役令嬢」だった頃から望んでやまなかった、それだけの小さな、けれどシェリアにとってはとても大きな幸せをを手放さなくてよかったと、安心しながら。
そう思ったのは、もちろんシェリアだけではなかった。フィデルはすっかり眠ってしまったシェリアの寝顔を眺めつつ、安堵の息をつく。
「リアが無事で、ほんとによかった」
ぽつりと呟いた言葉は隣にいるシェリアにも届かない。恐らく彼女は気がついてもいないのだろう。自分がどれ程すごいことを成し遂げてしまったかなんて。武器のひとつも持たずに、聖獣の意志を変えてしまったことになんて。
といってもシェリアのようなか弱い令嬢が聖獣に剣や弓といった武器を持って立ち向かったところで一捻り、それどころか都合よく操られて味方にその矛先を向けていたかもしれない。クリューはともかく、エリアルならあり得る話だ。シェリアでなく、国中にその名が轟くような冒険者でも、物語の英雄だったとしても、武力で聖獣の意志を曲げるのは難しい。けれど彼女はそれを、その声ひとつで、言葉ひとつでやってのけてしまったのだ。遠い昔、フィデルを救った言葉でクリューに立ち向かう姿は。いや、違う。クリューすらも救ってしまう姿は、幼いときから変わらない、勇敢で、それでいて守りたいと思ってしまうシェリアだった。




