77 できるはずがない
怖ければ一緒に来ればいいとエリアルは言う。『聖域』という場所には怖いことなんてなにもないからと。けれど、それでいいのだろうか。怖いことから逃げるのも、誰かに守られるだけになるのももうやめると決めたのに。
エリアルの言葉のひとつひとつがシェリアにまとわりつくように感じて、だんだん体が重くなる。その言葉に抵抗しようとすればするほど、頭が働かなくなる。
「や、だ」
「どうして?ここには嫌なことしかないでしょ?」
そう言われればそんな気もしてくる。母が亡くなってしまったこと、そのせいでいじめられたこと。禁術をかけられてしまったこと。確かに嫌なことばかりだったかもしれない。そんな考えを振り払うようにシェリアは頭を振った。
「そんなこと、ない」
「へぇ?」
エリアルは興味深そうにシェリアを見つめた。
「なんでそう思うの?」
なんで。そんなの決まっている。婚約者のフィデルにジェラードをはじめとする家族。兄のアルフレッドや幼い頃に亡くなってしまった母ミシェルが、シェリアを愛してくれたから。レヴィン公爵夫妻やテオだって、フィデルとの婚約が決まる前からシェリアを自分達の子供や妹のように可愛がってくれたし、先程再会したリーエットやウィルヘルムも正体こそ隠していたが、シェリアに向けてくれた優しさは本物だ。
「こんなにたくさん愛してくれる人がいるのに、この世界を捨てるなんて、できないの!」
嫌なことしかないなんて、なにも知らないくせに言わないでほしい。確かに辛いことも悲しいこともたくさんあったけれど、それ以上に嬉しかったことが、幸せだったことが山ほどあったのだから。
肩で息をしながら叫んだとき、不意に震えるシェリアの手を包んでいた手を誰かが弾いた。シェリアがはっと顔をあげると、フィデルがエリアルを睨み付けている。
「このまま俺たちが邪魔をできないようにして、シェリアを恐怖で操るつもりだったのか?」
「邪魔をできないように?」
「ああ。俺やクリューが近づけないように結界を張ってた」
フィデルがエリアルから視線を外さずにシェリアの疑問に答えると、エリアルは薄く笑った。
「半分正解で半分は間違い、かな。さすがに小さい頃の恐怖だけで支配するのは無理だと思ったから、魔法は使ったよ」
「魔法?」
「クリューはだいたいなんでもそれなりに使えるけど、僕は攻撃魔法はあんまり上手くないんだ。代わりに得意なのは精神を操ったりする魔法。この国では禁止らしいけど、僕には関係ないしね」
エリアルの言葉にシェリアはあ、と呟いた。確かに一度目に会ったのはシェリアが禁術をかけられていたときだった。彼が主犯かまではわからないが、確かに共犯者ではあったのだ。
そして今体が重かったのも、きっとエリアルの魔法のせいなのだろう。
「最初に会ったときはシナリオを変える邪魔なやつとしか思ってなかったけど、かけてた術は解かれちゃうし、面白いと思って見てたら聖女様だっていうからびっくりしたよ。今の魔法だって破られるとは思ってなかったし」
エリアルはそこまで言うと、薄く笑っていた口角をさらに上げた。微笑ではなく、明らかに笑っている───否、嗤っているとわかるほどに。焦げ茶色の瞳に新しいおもちゃを見つけた子どものような、好奇心に似た楽しげな光が躍る。
「ますます、欲しくなっちゃった」
そのいたずらっぽい嗤い方は見た目相応の子どもっぽさを感じさせるしぐさのはずなのに、なぜかそうは思えなかった。




