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悪役令嬢に転生した、はずですが?  作者: れもん。
2章
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76 感情の名前

 一度だけ会ったことのある、赤い髪の少年は正面から堂々と、ゆったりと歩くとシェリアの前で立ち止まった。そして、何が起こっているのかわからず立ち尽くすシェリアの左手をとると、忠誠を誓う騎士のように跪いて唇を落とす。突然の行為にシェリアが驚いていると、淡く浮かび上がっていた手首の模様をなぞって、苦々しげに呟いた。



「クリューの物になっちゃうなんて、かわいそうに」


「あなたは、あのときの!」



 シェリアがレヴィン邸でテオを装った侵入者に誘拐されたとき。『シナリオ』についてシェリアに話し、現実をその通りに正すためにシェリアにかかった禁術を完成させようとしていた、あの少年だ。



「シェリア、離れて!」



 クリューが叫ぶと、シェリアの腕の模様の光が強くなる。クリューに言われるまでもなくシェリアは危機感を感じて逃げようとしたが、少年はシェリアの手を強く掴んで離さなかった。



「痛っ……」


「ごめんね?」



 少年は楽しげに笑みを浮かべてそう言うが、それすらもシェリアの耳には入らなかった。早く、早く彼から離れないと。シェリア自身の本能とクリューに告げられた命令で頭のなかはパンクしそうになる。けれどシェリアがどれだけ抵抗しても、掴まれた腕はびくともしない。



「誰だ。ここは玉座の間だが、それをわかっての無礼か」



 ウィルヘルムが落ち着いた声で告げると、少年は笑みを深くした。



「もちろん。これでも一応、僕もクリューと同じ聖獣なんだけど」


「うそ……」



 シェリアが思わず確認するように視線をクリューに向けると、クリューは眉間にシワを寄せたまま頷いた。



「なにしに来たの、エリアル。クルティナ(ここ)は僕の領域で、君のじゃないと思うんだけど」


「嫌だな、クリュー。目的は君と一緒だよ。聖女様を保護するため、それと僕の物に出来たら面白いかなと思ったけど」



 赤い髪の少年───エリアルとクリューは睨み合う。といっても睨み付けているのはクリューだけで、エリアルは面白そうにクリューを見つめているが。



「あの、エリアルさん……?」


「うん?シェリア、どうかしたの?」



 どうもこうもなく、シェリアの左腕を掴んでいる手を離してほしかったりするのだが、そのつもりはないらしい。



「私は、『聖女様』になるつもりはありません。だから、手を離して───」


「バカだなぁ、シェリアは」



 エリアルがそう言って笑った瞬間、シェリアは身動きがとれなくなった。別に何かの魔法だとか、そういうわけではないと思う。物理的に束縛されたわけでも、体が意思に反して動かない、というわけでもない。ただ、その言葉ひとつで心臓が凍ってしまったみたいに指先が冷たくなっていって。



「つもりがない、とかでやめれたら今までの聖女様たちだって、意味もなく死んでいったりしてないよ。そんなこともわからないの?小さい頃から変わらないバカさ加減だね」



 嘲るような声も、冷たい言葉も幼い頃には飽きるほど聞いていたはずなのに。そんな言葉ひとつに傷つけられるほど弱くはなかったはずなのに。いつからかシェリアの周りは優しさで溢れていたから、忘れてしまっていた。シェリアがこの年になるまで社交界に出なかった理由。いや、出られなかった(・・・・・・・)理由。

 今の状況とは関係ないはずだ、とシェリアは深呼吸をしてなんとか気持ちを整えようとする。エリアルが言った『小さい頃』はきっと言葉の綾で。シェリアの幼い頃なんて本当は知っているはずがなくて。けれど呼吸すらもうまくできない。



「なーんて、ここまで冷たく言ったら、シェリアも何か思い出したんじゃない?」



 なのに。シェリアが幼い頃の出来事なんてエリアルが知るはずないのに、すべてを知っているような口ぶりで震えるシェリアの手を握る。この感情の名前は。






 シェリアはフィデルに夜会の招待状をもらうまで、『社交界』なんて世界と縁を持つ気は全くなかった。というのはさすがに大袈裟かもしれないが、少なくとも自ら進んでデビューしようなんてつもりはなかった。他家の令嬢や子息はシェリアよりも二、三歳年下の時点で既にデビューしているというのに、だ。けれどシェリアはそれでいいと思っていたし、父の方からもその話題に触れることはなかった。それにはある理由がある。


 社交界デビューというのは基本子供が十代になってから行われるものだが、それよりも幼いときに他の名家と交流を持たせておきたい、と思う貴族も多い。そこで社交界デビューも済まない四、五歳の頃からお茶会と称して歳の近い子供を持つ貴族を招待し、他家と縁を結ぶという習慣が貴族にはあった。ルティルミス家が開催したことはなかったが、シェリアも他の貴族の屋敷に出向いたことはある。初めて参加したのは確か、母が亡くなってから二ヶ月くらいのとき。フィデルと『お友だち』になって少し元気を取り戻し始めたシェリアを見て、もっと友人がいれば母のいない寂しさからも救ってやれるだろうと思ったジェラードが連れ出したのがきっかけだった。絵本の中でしか見たことのない『お茶会』。しかも同じくらいの歳の子がたくさんいるのなら、また『お友だち』が出来て遊んでくれるんじゃないか。そんな期待を抱きつつ、シェリアはお茶会に向かった。結果としては、間違いでしかなかったけれど。



「聞きましたわ。あなた、お母様がいないんですって?なんでそんな子とわたくしが遊ばなくちゃいけませんの?」


「え……?」



 シェリアは少女の放った言葉の意味がわからず固まった。そんなシェリアの困惑をよそに少女の取り巻きのような子供たちがそうだ、と声をあげる。



「おかーさまがいないのは、いけないことなの?」


「ええ。だってそんなの、どこのおんなの子どもかわからないってお母様が言ってましたわ。そんな子がわたくしに近づかないで」



 ドンッ、と肩を突き飛ばされてシェリアは尻餅をつく。少女の言いたいことはわからなかったが、シェリアは涙も出ないほど怖くてただただ目を見開いた。



「そうだ、あなた魔法はお好き?」



 少女はいいことを思い付いた、といいたげに弾んだ声でシェリアに問いかける。シェリアが声も出せずに怯んでいると、少女は杖を取り出してシェリアに向ける。気がつくと、シェリアは池にでも落ちたのかというほど濡れていた。

 少女とその取り巻きの子供たちがクスクスと笑う。もう何がなんだかわからなくて、とにかく恐ろしくて、シェリアはぎゅっと目をつむった。







「シェリア、思い出した?怖いでしょ、この世界は」



 温度をなくして指一本すらも動かなくなってしまったシェリアの手を優しく包むと、エリアルはにっこりと微笑みかけた。



「聖女様として僕と一緒に来れば、怖いことなんてひとつもないんだよ?」



 そんなことはないとわかっているのに、偽物の笑顔に騙されそうになる、この感情は。背筋がぞくりと冷えるのは。間違いなく、『恐怖』だった。

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