72 僕らの聖女様
シェリアは響いた声にピクリと震えた。別に恐ろしい魔王の声でもなければ、ドラゴンの咆哮のようなものでもない。ただの無害そうな少年の声。けれど彼がシェリアを浚った張本人であることを考えれば、本能的な恐怖が甦る。シェリアが一歩、後ずさったのを見たフィデルがクリューの視界からシェリアを隠すような位置に立った。
「大丈夫だよ。今日はシェリアを無理に浚ったりしないから」
クリューが苦笑混じりの声でそういうのが聞こえるが、クリューが、そしてその言葉を受け止めたフィデルがどんな表情をしているのかは、視界にフィデルの背中しか入らないせいでわからない。シェリアはいつも守られてばかりで何もできないのを情けなく思ったが、どうしてもフィデルの背中から顔を覗かせる勇気は出なかった。
「ただ、ちょっとだけシェリアを借りるね」
クリューが小声でフィデルに囁く。その声が漏れ聞こえたシェリアは、どういうことかと訪ねようとしたが、その前に答えがわかった。
「シェリア、おいで」
クリューが優しくそう告げると、シェリアの体の自由が効かなくなる。クリューの言葉のままに足が動いたとき、フィデルにいつもよりもずっと強い力で引き留められた。手首をぎゅっと掴まれたかと思うと、そのままフィデルの胸の中に引き寄せられる。
「クリュー、俺は二回も同じ方法でリアを奪われるつもりはない」
「だから、今日は浚わないって言ってるのに」
「信じられると思うか?」
シェリアを半分閉じ込めるようにして抱き締めているフィデルがクリューを睨み付けたのが、表情を見なくてもわかる。クリューは仕方ないという風に肩をすくめると、目を見開いて固まったウィルヘルムに向き直った。
「それでクルティナ王、話って?」
「聖獣様、今のは、その、『命令』ですか?」
珍しく動揺した様子で訊ねるウィルヘルムだが、その言い方はどこか納得していないような、違うと確信しているようなものだった。
「似たようなものだけど、少し違うかな。シェリアは僕の物だからね。魔力を込めなくても言うことは聞かせられるよ」
「それはまさか、シェリアが聖獣様に貢がれたと?」
ウィルヘルムは驚きのあまり王としての威厳も崩れた表情でシェリアとクリューを見比べ、信じられないといった風にかぶりを振る。
「そうだな、シェリア、フィデルの頬をつねって」
クリューはそう告げるとにこにことシェリアを見守る。シェリアはクリューの謎の言葉に首をかしげるが、その手はしっかりフィデルの頬を引っ張っていた。
「痛い?」
「いや、別に」
自分の腕の中から頬をつねられて困惑した表情をしているフィデルだが、特に嫌がる様子はない。
「ありがとう、シェリア。もういいよ」
シェリアはクリューの言葉で無意識にフィデルの頬に触れていた手をおろした。その手首には淡い紫の光が浮かびあがっている。
「今シェリアが僕の言うことを聞いたのが何よりの証拠でしょ?」
「聖獣様、初代クルティナ王のときからの誓約では国民に危害を加えないことをお約束いただいたはずです。そのときに人間を貢がせることも禁止させていただいたはずですが」
「危害を加えない、ね。でも、クルティナ王だってシェリアの正体を知ったら殺してたはずだよ。そう考えたら僕は、危害を加えたっていうより彼女を守った方じゃない?」
「それは、どういう......」
「シェリアはね、僕らの聖女様だから」
戸惑った様子のウィルヘルムにクリューは笑顔を向けた。
「聖女、様?シェリアが、そんな、まさか」
「意外?でも、条件はちゃんと満たしてるよ」
ウィルヘルムは『聖女』という言葉の指す意味を知っていたのか、動揺した様子を見せる。それを見たクリューは少し口角をあげて、だめ押しとばかりにもう一度しっかりと告げた。
「シェリアは、僕らの聖女様だよ」




