64 よく考えれば
「シェリアは、ひとりじゃないってことを忘れないで」
耳元で母の声が聞こえた気がして、シェリアははっと飛び起きた。なんだか冷たい気がして頬に触れると、なぜかはわからないがやっぱり涙が伝っていた。
今日はシェリアが高熱で倒れてから十七日。体調が回復したことを魔法医に確認してもらい、やっと学院への登校再開が認められた日だった。フィデルはまだ心配そうだったが、完全に体力は戻っているのだからこれ以上休んでいても何かが起こるわけではない。フラグな気もするけれど。
「このままじゃまたフィーに心配かけちゃう」
シェリアはようやく戻ってきた自室の洗面器具の置いてあるところから手頃な桶をとると、魔法で出した水で満たした。大事なことなのでもう一度、魔法で。シェリアは思わず上がってしまう口角を押さえながら顔を洗い、慌てて着替えて部屋を出た。
「リア、また一人で着替えたのか……」
「だって、魔法が使えるから嬉しくてつい」
「ついの意味がわからないんだが」
シェリアの部屋の前まで来ていたフィデルは、嬉しそうに部屋から飛び出したシェリアに呆れた視線を向ける。伯爵家でも着替えるときはメイドを呼べとよく言われるのだが、すこし舞い上がるとシェリアはすぐに忘れてしまっていた。
「でもなんで突然魔法が使えるようになったのかな」
「別に突然でもないだろ」
「?」
「この間、って言ってもリアは十日間くらい寝てたから、感覚的には先週くらいか。リアの魔力が制御できなくなって災害まで起こしかけたときに──」
「災害!?」
シェリアは思いもよらない言葉に目を丸くした。
「気づいてなかったのか」
「私くらいの魔力でも制御できなくなったら災害なんか起こるの?」
「それはともかく、そのときにリアが無意識にかけてたリミッターみたいなのが外れたんじゃないか?だから魔法が使えるようになった」
よくわからないが、そういうことらしい。たまには魔力も暴走させてみるものである。
「魔力の暴走なんてほとんどいいことないからな」
フィデルはシェリアの考えを見透かして、こつんと頭を小突いた。
「私、病み上がりなのに」
「これくらいで悪化したりしないから大丈夫だ」
そう言うとフィデルは楽しげに笑った。
「フィー、私もう授業わからないと思うんだけど」
「元から休みすぎてギリギリだったのに、十七日も休んだらな」
二週間以上。前世でいえば入院でもしていたのかというくらいの長期欠席である。
「それでも行っておけば、夏休みに補習くらいはしてもらえる。全く行かないと『学習意欲なし』って判断されて補習すらしてもらえないからな」
「補習……」
シェリアは複雑な気分で頷いた。
「夏休みってことは、フィーは行かないよね。その頃に家に帰ろうかな」
「いや、俺も行くぞ?」
何だかんだで居座ってしまっているレヴィン家からそろそろルティルミス家に帰ろうと思っていたのだが、フィデルの言葉にぱちぱちと瞬いた。
「なんで?フィーは成績いいし補習も……」
「それが成績はともかく、欠席のしすぎで」
フィデルは気まずそうに視線をそらした。
「欠席のしすぎって、フィーは私よりも……あ」
シェリアよりも休んでいないはず、と言おうとしたが、思い返してみるとあることに気がついた。この七日間、時間感覚が狂っていてあまり気にしていなかったがよく考えればおかしい。
一日目にシェリアが目覚めたのは昼頃だった。それからもう一度眠って、二日目は九時くらいに一度起きて、夕方くらいにも起きた。シェリアが目覚めたときにはだいたいフィデルは側にいたし、三日目くらいにようやく熱が下がって、お昼ご飯をフィデルと食べた記憶がある。そのあとはもう思い返さなくてもいいだろう。
「フィー、もしかして」
フィデルはふいと横を向いて目を合わせようとしない。
「私が休んでる間、ずっと欠席してた……?」
「リア、そろそろ学院に着くから降りる準備をしといた方がいい」
フィデルは答えることなくそう言った。本人が教えてくれない以上、シェリアの憶測が当たっているかはわからないが───ほぼ確実に黒だろう、この態度は。フィデルの過保護ぶりはわかっていたつもりだが、そこまでしなくてもと少し申し訳なく思った。
馬車がゆっくりと停車する。シェリアが先に降りようとするフィデルの服の袖を少しつまんで引っ張ると、フィデルは不思議そうに振り向いた。
「リア?」
シェリアはフィデルの耳に顔を寄せると、小声でささやく。
「ありがとう」
少し赤くなりながら告げると、フィデルがシェリアの数倍赤くなったのは、言うまでもなかった。




