60 二人目の聖獣
クリューはうっすら汗をかくシェリアに治癒魔法を施す。それでも気休め程度だろう。治癒魔法は外傷にはよく効くが、風邪などの病気にはあまり効かないのだ。
シェリアは伯爵令嬢という身分のある箱入り娘なのだから、虚弱とまではいかなくてもあまり体力はないはずだ。クリューはそれを考慮に入れていなかった自分を悔やんだ。
「シェリア」
このままクリューが「風邪を治せ」と言えば、シェリアの体は無理をしてでも治そうとするだろう。たとえ本人の意思ではどうにもできないことだったとしても。半強制的にだが、そういう契りを交わしてある。けれどそれでは、風邪が治っても他のところに支障が出る。だからクリューはシェリアが回復するまでおとなしく待つしかなかった。
とはいえ、火を焚いたまま寝るわけにもいかず、することのないクリューはあくびを噛み殺す。そしてぱちぱちと弾ける火の粉をぼうっと眺めていた時だった。
「あら、クリュー?こんなところでどうしたの?」
馴染みのある気配に驚いてクリューが振り返ると、彼女はそう言った。赤茶色の髪をなびかせる、すらりとしたスタイルのいい女性。とある理由から今のクリューと同じように人の姿をとっているが、彼女も聖獣の一人だ。
「ロゼッタ、君こそ聖域の外にいるなんて珍しいけど」
「この子は?」
ロゼッタはクリューの言葉を無視して、眠るシェリアに近づいた。ツンツン、とその頬をつつくと、挨拶がわりにシェリアの魔力を食べる。そして、不思議そうにしていた目を見開いた。
「この子、もしかして転生者?」
「僕の物なんだから勝手に触らないでよ」
クリューは不機嫌を顔に表して、シェリアに触れていたロゼッタの手を払う。自分の『物』だからといって特に愛着があったわけでもないが、なんとなくロゼッタの態度が不満だった。クリューを追い払っていたフィデルもこんな気分だったのだろうか、とふと思った。
「僕の物ってまさか、この子貢がせたの?」
ロゼッタの批難するような視線を受けて、クリューはますます不機嫌になった。
「仕方ないでしょ。この子が聖女様である以上、人間たちの手が届かない範囲にいてもらわないといけないんだから」
「え、この子が聖女様なの?ほんとに?」
ロゼッタは再びシェリアの魔力を食べようと試みるが、クリューがそれを阻んだ。
「シェリアはただでさえ弱ってるんだから、僕らが魔力なんか食べたら余計に治らないでしょ」
「へぇ、この子シェリアっていうのね」
ロゼッタは嬉しそうにそう言うと、シェリア、シェリアと連呼する。それで目覚めたらまたややこしいことになるのにとクリューは思ったが、幸いシェリアは目覚めなかった。
「ともかく、女の子を何もない地面に寝かせるのは感心しないわ。たとえそれが半分拐ってきたような聖女様でも、いや、それなら尚更ね」
今度はクリューが言葉を失って、目を見開いた。半分も何も完璧に拐ってきたのだが、ロゼッタには何も告げていないはずだ。なぜわかるのかと思っているとロゼッタは肩をすくめた。
「あなたならそうしたんじゃないかと思って。わざわざ契りも交してるくらいだしね」
全て見抜かれていることにクリューは思わず顔をしかめる。聖獣として生み出されたときから長い付き合いだが、彼女のことはどうも苦手だ。そんなクリューを見て、ロゼッタはクスクスと笑った。
「このままじゃシェリアの熱は下がらないわよ。かなり濡れてるみたいだし、ちゃんとしたベッドに寝かせないと」
「僕だって、できるならそうしてるよ」
クリューが反論すると、ロゼッタはため息をついた。
「それならせめて、服を乾かすくらいはしてあげて」
そう言いながらロゼッタはシェリアの濡れた衣服に手をかざした。その手の触れた部分からだんだん乾燥しているので、恐らく火属性の下級魔法だろう。貢ぎ物がないと大規模な魔法は使えない聖獣といえど、中級魔法程度なら使える。ロゼッタはシェリアの服を全て乾かすと、息を吐いてパンパンと手を払った。
「こんなものかしら」
「明日には回復してるといいけど」
「確かに聖域までは距離があるけど、そんなに急ぐ旅?追っ手でもいるの?」
クリューがなんとなく不機嫌に呟くと、ロゼッタは驚いたように聞き返した。
「まあ、そんなものかな」
「なにそれ、詳しく聞かせて!」
ロゼッタは楽しげに瞳を輝かせるが、クリューにとっては正直めんどくさい。けれどここで話さなければ余計に面倒なことになるのはわかりきっていたので、ため息混じりにクリューは大体を説明した。
「ってことは、そのフィデルっていう婚約者からこの子を奪ってきたの!?」
「ぼ、僕だって、別にこんなことしたくてやったわけじゃ」
批難でも困惑でもなく、純粋に驚きだけを含んだ声音なのはわかっていたのに、クリューはつい言い訳めいたことを言ってしまう。視線を逸らしてしどろもどろになるクリューにロゼッタはクスリと笑ったあと、真剣な表情になった。
「そう、ね。確かにやり方は強引だけど、それなら一刻も早くこの子を聖域に連れていくべきだわ」
発熱のためかいつも以上に赤みを増したシェリアの頬をロゼッタがやさしく撫でる。その手と同じ、慈愛に満ちた声で。なのに少し、冷たくも感じる声で。ロゼッタは言った。
「この子の力は、人間たちの手には余るもの」
皆様の応援のお陰で無事に60話を突破しました!拙い文章ですが、頑張りますのでこれからもよろしくお願いします!




